恋じゃないふりをして

「いい眺め。緑がいっぱい」

遠足でやってきた山間のレジャー施設。山の斜面に沿って遊具や施設が点在している。高台にあるバーベキュー場から景色を眺めながら、ひよりは深呼吸した。自然の匂いに混じって、炭火の匂いもする。

「同じ相模原市内だとは思えないよね」

景色を撮っていた優依が、突然ひよりにスマホを向けてボタンを押した。

「あ、撮ったでしょ」
「かわいく撮れたよ」
「うそ! 絶対、変な顔してた。消しといてよ」

こんなこと、ちょっと前にもあったような……。

 隼人とフィールドワークに出かけた日のことが思い出される。

 あいつ、写真消したかな。

「ひよりん、みんな準備始めてる。行こう」
「あ、うん」

優依に続いて、班ごとに与えられたグリルの傍に行くと、隼人と誠が黙って炭を並べているところだった。
 
 なんか、空気重くない?

 ひよりが重苦しい雰囲気の2人に目を向けながら、バーベキュー用の食材が入った箱を持ち上げた。

「よいしょ」
「ひより、それ俺が持つ」

さっと横から隼人が箱を支える。
 
「いいよ、これくらい」
「こういう時くらい彼氏に格好つけさせろよ」
「いいってば」

ひよりが体をよじると、今度は反対側から誠が支える。

「俺が持つ。ひより、昔から力ないだろ」
「これくらい持てる!」
「前みたいに転んだら困るだろ」
「前って?」
「小学生のキャンプの時」
「いつの話してんの!」

言い合うひよりと誠から隼人が箱を奪い、わざとらしく咳払いをする。

「若松くん、ずいぶんひよりのこと詳しいんだな」

王子スマイルが、わずかに引きつっている。

「そりゃあね。幼馴染みだから」
「……そう」

ひよりは隼人と誠を交互に見てため息をつく。

「2人とも、バチバチじゃん」

優依だけが楽しそうに、スマホで隼人と誠の写真を撮っている。

 遠足、始まったばっかりなんだけど。
 先が思いやられる……。

「ひより、人参の大きさこれぐらい?」

誠が切った人参をひよりに見せる。
 ひよりはキャベツを切りながら、目線だけ動かして頷く。
 
「うん、ちょうどいい」
「手際いいな」

軍手をつけた隼人が、ひよりの手元を覗き込んだ。

「ひよりは昔から料理得意だよな」
「得意ってほどじゃないけど」
「中学の時の料理実習、ほとんどひよりが作ってたじゃん」
「誠が他の男子とふざけてたから仕方なくだよ」

ひよりと誠の会話に入れず、隼人の口元から笑みが消える。
 そんな隼人に優依がこそっと話しかける。

「あの2人、仲いいよね。さすが幼馴染って感じ」
「だから?」

隼人は王子スマイルを貼りつける。

「嫉妬しないんだ」
「……しないよ。たかが幼馴染でしょ」

言葉とは裏腹に、鋭い眼光で誠を睨む。

「へえ~」
 
優依は隼人、ひより、誠をにやけ顔で見た。

「野菜、切り終わったよ」
「俺が焼くから、大野さんと座ってて」

王子スマイルに圧を感じ、ひよりは優依の隣に座った。

「彼氏、優しいね」
「まあ、うん」
「じゃあ俺、鉄板で焼きそば作っとく」
「誠、焼きそばだけは作れるもんね。けっこうおいしいんだよ」

ひよりが優依に笑いかける。
 誠はどことなく嬉しそうに野菜と肉を炒める。
 隼人は網の上に野菜と肉を並べながら、誠を横目で見る。
 隼人の視線に気づいた誠は、得意げな顔でふふんと鼻を鳴らした。
 
「こいつ……」
 
奥歯を噛み締める隼人の顔から笑みが消える。
 
「燃えてるねえ」

優依が楽しそうに、隼人と誠にスマホを向ける。

「本当に同じ班でよかったのかな……」

ものすごい勢いで焼き続ける隼人と誠を、ひよりは心配そうに見つめた。

「ひより、これあげる」

隼人が皿いっぱいに肉と野菜を持ってひよりに渡した。

「あ、ありがと」
 
しいたけ、苦手なんだよね……。

「これもらうぞ」

誠がひよりの皿からしいたけを全部、自分の皿に移す。

「ありがとう」

ひよりはほっと胸をなでおろす。

「嫌いなら先に言えよ」
「彼氏なのに知らないんだな」
「付き合い始めたばかりだから」
「俺がひよりのこと教えてやろうか」
「遠慮しとく」

隼人と誠が睨み合っているところへ、あかりが駆けてきた。

「隼人くーん」

あかり? 何で?

「私たちのところ、なかなか火が着かなくて手伝ってくれない?」
「俺?」

あかりは隼人の袖をつまみ、甘えるように小首を傾げる。

「お願い」
「でもさ……」
 
隼人はちらっとひよりに目を向ける。
 
「行ってあげたら?」
「いいのか?」
「何で私に聞くの。早く行きなよ」
「ひよりもそう言ってるし。隼人くん、行こう」
「あ、ああ」

あかりは隼人の腕に抱き着くようにしてその場を去った。

「ひよりん、よかったの?」
「何が?」
「だって、さっきの完全に王子狙いじゃん」
「普通、彼女いるのに行かないだろ。あんなやつ、とっとと別れろよ」
「それは……」
「ひよりん、嫌な時は嫌って言わないと伝わらないよ」

嫌、だったのかな。
 もやもやはするけど、私は本当の彼女じゃないし。
 それに……。

『好きになるな』
 
あの時の隼人の言葉が離れない。

 もし、好きになったら、ニセの彼女はやめないといけない。
 そしたら、部活はまた1人……。
 
 あかりの班から歓声が聞こえる。
 女子たちに囲まれた隼人が王子スマイルを見せている。

 またあの笑顔。
 ニセ王子の顔の方が本当の隼人みたいでいいのに。
 でも、あの顔を知っているのは私だけ。
 ニセの彼女だけに見せる素顔。
 この関係が終われば、その顔も見れなくなるのかな。

 ……いやいや、何残念がってるの。
 部活を復活できなくなるのが困るだけで、あいつの顔とかどうでもいいから!


「隼人くん、ありがとう」

あかりが隼人の手を取って微笑む。
 隼人はあかりの手をそっとはずして後ずさる。

「あとはできるよね?」
「せっかくだから一緒に食べようよ」
「俺の分はあっちにあるから、戻るよ」

踵を返そうとする隼人の前に女子が立ち塞がり、行く手を阻まれる。

「いいじゃん」
「うちらと食べようよ」
「あっちの班より楽しいって」
「班行動しなきゃだからさ」

たじたじになる隼人を、無理やり椅子に座らせる。
 
「お肉焼けたよ。はい、あーんして」

あかりが隼人の顔の前で、肉を持ち上げてみせる。

「ちょっと、あかり距離近っ!」
「彼女いるのにー!」

キャハハ、と甲高い笑いが響く。
 
 その光景を見ていたひよりは、胸の中がちくりと針でつつかれたような痛みを感じて目を伏せる。

 ……あかりは昔からこうだ。コミュ力高くて、あざとい。
 私には絶対無理。
 
 ひよりはため息をついて立ち上がる。
 
「ひよりん、どこ行くの?」
「飲み物とってくる」
「俺も行く」
「いってらっしゃーい」
 
優依は2人の背中に手を振る。

「もういいだろ。俺、戻るから」

引きつった笑顔で隼人が席を立ちあがる。

「もう少しいいでしょう? ひより、今いないよ」

あかりに囁かれ、ひよりを探すが姿が見当たらない。

「どこ行ったんだ」
「ちらっとしか見えなかったけど、誠くんと一緒だったよ」

隼人の頬がわずかにひくついたのを、あかりは見逃さなかった。

「誠くん、本当は他県の強豪校から、声かかってたんだよ」
「……それが何?」
「なのに、ひよりと同じ学校を選んだの。一途だよね」
「ひよりは、若松くんのこと何とも思ってないよ」
「どうだろう? 私は隼人くんより、誠くんの方がひよりとお似合いだと思うなあ」
「何が言いたいわけ?」
「私、ひよりが心配なの。隼人君の彼女だからって、ひよりのこと悪く言う人、結構いるんだよ」

隼人の顔が強張る。

「誠くんなら安心してひよりを任せられるの。それに、ひよりのこと何でも知ってるし」

『彼氏なら彼女のこと分かってくれないと』

ひよりの言葉が隼人の鼓膜に絡みつく。

「ひよりのこと本気じゃないんだったら、解放してあげて」
「……っ」

隼人は言葉に詰まる。
 本気だから。
 そう言えばいいだけなのに。
 『俺のこと、好きになるなよ』
 自分で言った言葉が脳裏をよぎる。
 隼人は奥歯を噛みしめた。

「そろそろ鵜野森くん、返してくれない?」

突然、背後から優依が現れる。

「こっちで食べようって誘ってたんだけど」
「まだ食べてるの? 他の班、片付け始めてるよ」
「え?」

あかりが辺りを見回す。優依の言う通り、大半の生徒が鉄板や道具を片付けていた。

「やばっ、うちらまだこんなに残ってるよ」
「急がないと」
「あかり、早く焼いちゃおう」
「隼人くん、手伝って……」

既に隼人の姿はない。
 ひよりたちのいるところへ戻り、片づけを始めていた。

「ひよりばっかり……」
 
あかりは悔しそうに唇を噛んで、ひよりを睨んだ。


「ひより、何乗る?」

隼人が施設内マップを開いて見せる。

「えっと、私は……」
「空中ブランコあるじゃん。これどう?」
「ひよりは乗れないから、鵜野森1人で乗って来いよ」
「乗れないの?」
「ひよりん、こういうの苦手?」

隼人と優依に聞かれ、ひよりは小さく頷く。

「ごめん。絶叫系とか怖くて無理……」
「じゃあ、ゴーカートは?」

隼人が空中ブランコの向かいにあるゴーカートに目を向ける。
 
「あんまり好きじゃない」
「あれならいいんじゃないか?」

誠が少し下ったところにあるアスレチックを指さす。

「あれ、やったことある。子供向けなのに難しいんだよ」
「優依、来たことあるの?」
「小学生の弟がここ好きだから、たまに家族で来るよ」
「そうなんだ」

優依に弟がいるの初めて知った。
 家族仲、いいんだろうな。
 ……羨ましい。

 アスレチックの入り口で説明を受けて中に入る。
 広々としたスペースに、3rdステージまでのアスレチックがぐるりと一周連なっている。奥には水場もあり、水面に春の日差しが反射している。
 同じ体操服の人たちがあちらこちらで、笑い声や歓声を上げている。

「他の班も来てる。男子たち、盛り上がってるねえ」

紐に吊り下げられた丸太を渡ったり、壁を持ち上げたり、誰が早くクリアできるか競い合ったりしているようだ。

「誠なら全部クリアできそう」
「どうかな。パイプ掴んで進んでくやつ、難しそう」
「俺なら余裕だけどな」
「やったことあるのか?」
「ないけど、子供向けなんだからできるっしょ。若松くん、特待なのに自信ないんだな」

隼人が挑発するように、口の端をめくる。
 ニセ王子が半分顔を覗かせていることにひよりはぎょっとする。

「一般入学の鵜野森くんよりは、自信あるけど」
「俺、一般じゃないよ。学業特待」
「勉強できても運動できないなら意味ないだろ」
「決めつけるなよ。俺は文武両道だ」
「なら、やってみろよ」
「言われなくても」

睨み合う隼人と誠を、ひよりは呆れ顔で見る。
 
「またケンカ?」
「そうだ、2人で競争したら?」
「優依! 煽らないでよ」
 
ひよりが優依の腕を引っ張る。

「いいじゃん、それ」
「スポーツ特待に勝てると思ってんのか?」
「やってみないと分からないだろ」
「なら、負けた方は、班員全員に好きなものおごるってことで」
「ああ。いいよ」

隼人がこんなにも乗せられやすいタイプだったとは。
 誠は負けず嫌いだからむきになるし。
 私は普通に遠足楽しみたいだけなのに—!

 ひよりの心の叫びは誰にも届かず……。
 1stステージから順番にアスレチックをこなしていく2人の後をついていく。
 隣では優依がおもしろがって写真を撮り続けている。
 そこへあかりの班がやってきて、競い合う隼人と誠の傍で歓声を上げた。
 
「キャーッ、王子いるじゃん!」
「若松くんと競争してるの?」
「何それ、みたーい」

優依がニヤリとほくそ笑む。

「盛り上がってきたねえ」
「優依、おもしろがりすぎ」
「どっちが勝つか気になるじゃん。もうちょっと近くで見ようよ」
「私はここでいいや。優依、行ってきなよ」
「そう? じゃあ行ってくるね」

優依は嬉々として、ギャラリー集団の中に飛び込んでいった。
 
「彼氏の応援、してあげないの?」

ひよりの背後から、あかりが声をかけてきた。

「あかり……」
「うわっ!」

ガタガタッ!

 丸太がぶつかる音が響く。

「今の声……!」

 ひよりは咄嗟に隼人の方を見る。
 紐でぶら下がった丸太が大きく揺れ、隼人が慌てて紐にしがみついた。
 ギャラリーから歓声が上がり、隼人は王子スマイルで応える。
 
「はあ。危なかった」

ひよりはほっと胸をなでおろす。あかりの指先がぴくりと動く。

「ひよりはどっちに勝ってほしいの?」
「別にどっちでもいいよ」
「彼女なのに冷たい。隼人くんのこと、本気じゃないんでしょ」
「え?」
「なんか2人とも好きで付き合ってるように見えないんだよね」
「そ、そう?」
「何でこの前、デートしたのに部活って嘘ついたの?」
「別に嘘ついたわけじゃ……」
「私にとられたくないだけなんでしょ」
「……あかりは、あいつのこと好きなの?」

あかりがふふっと可憐な笑みを浮かべる。うっすらと頬が桃色に染まる。

「隼人くんに釣り合うのは、私だけ」
「……何、言ってるの」

あかりが一歩近づく。
 
「ひよりが彼女じゃ、隼人くんがかわいそうだよ」

耳元でそっと囁く。

「隼人くん、私にちょうだい」
「……!」
 
ひよりの息が一瞬止まる。
 あかりは何事もなかったかのように、隼人と誠を応援している女子の輪に入った。

『ちょうだい』
 
 小さい頃からの、あかりの口ぐせ。
 お菓子もおもちゃも絵本も、何でも私の物を欲しがる。
 嫌だって言ったらあかりは泣き出す。
 両親から譲りなさいと言われ、結局私の物はあかりに取られる。
 私はこの言葉が嫌い。
 そして、怖い。
 
 あげなくちゃ。
 悪い子だって叱られる。
 
 小さい頃の自分が、頭を抱えてうずくまっている。
 ひよりは首を振って幻想を追い払う。

 違う。
 隼人は“もの”じゃない。
 それに、私は隼人の本当の彼女じゃないんだから……。

 顔を上げたら、いつの間にか隼人たちは水辺のステージに移動していた。
 水深は浅い。それでも落ちれば服ごとびしょ濡れだ。濡れた服では他のアトラクションに乗れないらしい。

 あの2人、落ちないといいんだけど。

「邪魔だ!」
「おまえこそっ!」

隼人と誠はヒートアップして、狭い吊り橋の上で肩をぶつからせながら渡っている。
 水辺の狭い道にはあかりの班員だけでなく、他のクラスの女子たちも集まってひしめき合っている。
 その後方にいたひよりは、集団の隙間から隼人と誠を目で追った。
 誠が先に次のいかだ渡りに辿り着き、ロープをつたって反対側へ渡り始める。

「くそっ」

隼人も急いでもうひとつのいかだで渡り始める。

「若松くーん、がんばって!」
「王子ー! 負けないで!」

応援にも熱が入り、手を振り回す。
 
 こんな狭いところでやめてよ。
 
 手がぶつかりそうになってひよりは顔をしかめる。
 その時。

 ドンッ。

 背中を押されて体が傾き、水の上に放り出される。

「あっ……」
「ひより!」

隼人の焦った声が響く。
 いかだから飛び降り、ひよりに腕を伸ばす。
 ひよりは咄嗟にその腕を掴む。
 隼人はひよりが濡れないよう、軽々と抱き上げた。

「大丈夫か」
「う、うん」

間近にある隼人の顔に、日差しが当たって煌めく。
 
 トクン。

 ひよりの胸が小さく高鳴る。
 
 な、何でこんな……。
 
「王子、必死すぎない?」
「こんなに浅いのに」

周りの声が聞こえ、ひよりは顔が赤くなる。

「お、下ろして」
「はいはい」

道の上に下ろされる。

「濡れてないな」
「私は大丈夫だけど、あんた濡れちゃったじゃん」

水の中に立っている隼人の靴と足はびしょ濡れだ。

「俺のことはいいって」
「何で助けたの。浅いから平気なのに」
「何でって……」

隼人は頬をかいて周囲を見回す。
 女子たちの熱い視線が隼人に集中している。
 
「そこまでして彼氏の演技しなくても」
「演技じゃねえよ」
「……へ?」

ひよりはぽかんと口を開けて瞬きをする。

 演技じゃないなら、何?
 
「ひより、大丈夫か?」
「鵜野森くんも大丈夫?」
 
誠と優依が駆けてくる。
 隼人は水から上がって、水浸しの靴を見て苦笑した。

「びしょびしょ。勝負は俺の負けだな。やっぱりスポーツ特待には勝てないか」
「私、タオル持ってる。乾かしに行こう」

ひよりが隼人の背中を押して出口に向かう。
 誠は2人の後ろ姿から目を逸らし、歯を食いしばる。

「……俺の負けだ。でも」

ひよりの隣で笑顔を浮かべる隼人を睨む。

「ひよりのことは、諦めないからな」

いつの間にか日差しは雲に隠れ、湿った風が誠の前髪を揺らした。