恋じゃないふりをして

「そういえば、ひよりんは部活決めたの?」

翌日登校すると、優依が何気なく聞いてきた。
 
「え、えっと……」
「前に写真部誘ったら、他の部活悩んでるって言ってたでしょ」
「あ、うん」
「民俗学研究部、だろ」

ひよりの後ろから、サッカー部のユニフォームを着た誠が現れた。

「誠。部活は?」
「朝練は終わり。タオル忘れたから取りに来た」
「お疲れさま」
「おう」
  
誠はタオルを手に、汗を拭く。

「ひよりのやりたい部活、廃部になってたんだろ」
「そうだったの?」
「うん。愛好会からでも始められないかなと思ってるんだけど」
「かけもちできれば入るのに。ひよりん、ごめん」

肩を落とす優依。ひよりは首をブンブン左右に振る。

「いいよ、いいよ。気にしないで」
「俺も特待じゃなきゃ入るのに」
「何言ってるの。誠はサッカー上手いんだから専念しなきゃ」
「若松くんの噂、よく聞くよ」
「噂?」
「俺の?」
 
ひよりと誠は首を傾げる。

「サッカー部のイケメン新入生、って」
「イケメン? 誠が?」
「そこ疑問なのかよ」

誠がコツンとひよりの頭を軽く叩く。

「ひよりん、彼氏のせいで麻痺してるんじゃない?」
 
あはは、と優依が笑いながら、教室の真ん中で女子に囲まれている隼人を指さす。
 
「か、彼氏じゃ……」

ひよりは言いかけてはっとして口を閉じる。

 そうだった。あいつ、彼氏だった。
 危ない、危ない。

 冷や汗を浮かべるひよりに、誠は疑いの眼差しを向ける。

「本当に付き合ってるのかよ」
「ほ、本当だって」

ひよりの目が泳ぐ。誠は目を細め、じっとひよりを見据える。

「あやしい」
「あやしくない!」
「あいつ、ひよりの趣味じゃないだろ」
「私の趣味って、何よ」
「もっと落ち着いた感じの、チャラくない硬派なタイプ、とか」
 
優依は何かを察したように、にんまりとほくそ笑む。
 
「それって、若松くんみたいなタイプってこと?」
「なっ……!」
「誠、顔赤いよ。大丈夫?」

ひよりが心配そうに眉を下げる。
 優依はぷっと吹き出し、誠は誤魔化すようにタオルで汗を拭う。

「だ、大丈夫だって。着替えてくる」
「あ、うん」

誠は急いで教室を出て行く。

「若松くん、案外かわいいんだね」
「かわいい? どこが?」
「反応、とか。からかいたくなる。あれはそういうことだよねえ」
「どういうこと?」
「……ひよりん、けっこう鈍感な方でしょ」
「初めて言われた」
 
優依は王子スマイルを浮かべて女子と話している隼人をちらっと見て、眉を下げる。
 
「あれ見てなんとも思わないの?」
「あれって?」
「ほら、女子に囲まれて楽しそうにしゃべってるじゃん」
「別に、なんとも」
「鈍感なのか、彼女の余裕なのか……。ひよりんは懐深いね」
「そうかな?」
「もし、王子がひよりんのこと泣かすようなことあったら、私がこらしめてやるから」

一見穏やかな笑顔だが、目だけは笑っていない。
 
「あ、ありがとう……」

ニセの彼女だから大丈夫って言いたいのに……。
 
 言えないもどかしさのせいで、ひよりの胸の中にうっすらともやがかかる。

 今さらだけど、女避けのためにニセの彼女作るとか意味分かんない。
 結局ああやって囲まれてるくせに。

 女子の輪の中心で、隼人とあかりが微笑んでいる姿が目に入る。
 
 ……あかり、あいつのこと好き、なのかな。


「ねえ、隼人くん。昨日、ひよりとデートしてたの?」
「そうだけど」
「おかしいなあ。ひよりは部活って言ってたよ」

あかりは頬に手を添えて小さく首を傾げる。

「デートじゃなかったの?」
「王子、部活入ってるの?」

周囲の女子たちが矢継ぎ早に質問をしてくる。
 隼人は王子スマイルを保ったまま、女子たちを見回す。

「部活は入ってないし、ひよりの用事が終わってからデートしたから」

あかりの顔が一瞬曇る。
 すぐに表情を緩めて隼人を上目遣いで見上げる。
 
「そうなんだ。じゃあ、何でデートって言わなかったんだろうね?」
「恥ずかしかったんじゃない? あんまり詮索しないであげて」
「でも気になるなあ。ひよりのどこを好きになったのか」
「私も気になる!」
「隼人くんって地味な子がタイプなの?」
「それ知りたい!」
 
隼人の頬がわずかにひくつく。

『隼人』

ボブカットを揺らして名前を呼ぶ声が、一瞬脳裏をよぎる。
 隼人は無意識に拳を握り、ポケットの中へ押し込んだ。
 完璧なまでの王子スマイルを意識して、人差し指を顔の前に立て声を落とす。

「ひみつ」

あかりはその顔から目が離せない。頬がピンク色に染まる。
 女子たちは悲鳴に近い歓声を上げ、教室中の目線が隼人に集まった。
 隼人はひよりの方に視線を向ける。
 
 バチッ。

 ひよりと目が合う。
 だが、ひよりはさっと目を逸らす。
 
「……なんだよ」

隼人は不機嫌そうに低く呟いた。


 昼休み。
 ひよりは隼人にひきずられるようにして、部室に連れていかれた。

「毎日あんたとここでお弁当食べないといけないわけ?」
「いいだろ、付き合ってるんだから」
「ふり、だから。優依とも食べたいのに」
「彼氏をぼっち飯させる気か」

隼人は口を尖らせて、パイプ椅子に座る。

「なにがぼっちよ。あんたの周り女子だらけじゃん」
「疲れるんだよ」

足を組んでふんぞり返り、ふーっと息を吐き出す。
 よれたスーツを着て煙草の煙を吐き出す幻が見えてしまう。

「何でそんなにやさぐれてんの?」
「ずっと笑ってるのも楽じゃねえんだよ。顔が痛い」

隼人は頬をさすって顔をしかめる。

「笑わなきゃいいじゃん」
「キャラ守ってんの。俺はみんなの王子だから」

無表情で覇気のないしゃべり方。どこが王子なんだか。

「疲れてまでやること?」
「分かってないなあ。王子キャラは都合がいいんだよ」
「何それ」
「王子はみんなのものってことにしとけば、1人だけ抜け駆けしにくいだろ」
「抜け駆けした人と付き合えばいいのに」
「アホか。そんなことしたら他のやつらも群がってきて俺の取り合いで戦争が起きる」
「ふーん。そうなんだ。さぞ大変でしょうねえ」

卵焼きを頬張りながら頷く。
 
「こいつ、信じてねえな……」

隼人はビニール袋からパンをいくつも出して机に広げ、がつがつと食べ始める。

「でもさ、彼女いてもしつこく迫ってくる人もいるんじゃない?」
「その時はちゃんと対処する」
「ニセの彼女の意味、ある?」
「ある。……他の意味でも必要だから」
「え? 何それ」
「とにかく、本当に付き合ってるのかって疑われたら意味ないから、もっと彼女らしくしろ」
「彼女らしくって言われても」
「名前で呼ぶとか」
「鵜野森くん?」
「ちげえよ。あいつのことは名前で呼ぶくせに」
「あいつって、誠?」
「そう」
 
隼人が露骨に眉を寄せる。

「誠は小さい時からそう呼んでたから」
「俺、1回も名前で呼ばれてないんだけど」
「そうだっけ?」
「彼女だったら名前で呼べよ」
 
その言い方イラッとする。
 よく考えたらおかしくない?
 好きにならないのが条件なのに、好きでもないやつの彼女みたいに振舞えとか横暴すぎる。
 それに、まわりくどい。
 こんなことするぐらいなら……。
 
「両想いの人と本当の恋人になったらいいじゃん」

隼人はぴたっと食べる手を止め、膝の上で拳を握る。
 しまい込んでいた記憶が、不意に蘇る。

 彼女のボブカットの髪が、涙に濡れた頬にはりつく。
 
『隼人なんか、好きにならなきゃよかった』
 
 細い顎に幾筋もの涙が伝う。


「どうしたの? 大丈夫?」

動かなくなった隼人の顔の前で、ひよりが手を振る。
 隼人は瞬きをしてひよりに焦点を合わせる。

「……なんでもない」
「パン、つまらせたのかと思ったよ。そんなのばっか食べてたら体に悪いよ」
「じゃあ、俺の分の弁当も作ってよ。うまそう」
「あっ、こら!」
 
隼人がひよりの弁当箱に手を伸ばす。ひよりはその手を叩いて弁当箱を持ち上げる。

「作ってくれる人、いないの?」
「彼女以外に作ってくれる人なんていないだろ」
「お母さんとかは?」
「……作るわけねえだろ。明日から弁当よろしく」
「えー。めんどくさい」
「手作り弁当なんて彼女っぽいだろ。頼むよ、彼女さん」
 
ウィンク&王子スマイル。
 他の女子だったら叫んでいるところだが、ひよりは白けた目で受け流した。

「そういうのいいから」
「せっかくの彼氏サービスなのに」
「それ、疲れるんでしょ。私の前では素でいたらいいじゃん」
「……」

隼人は呆然とひよりを見つめる。

「なに、その顔」
「……そういうこと、簡単に言うなよ」
「何で?」

隼人がふっと目を細める。

「ひより、やっぱり変わってるよな」
「変わってて悪かったですね!」

ひよりは弁当箱の蓋を音を立てて閉じ、立ち上がる。

「褒めてるんだって」
「どこがよ。私、先に行くからね」
「待て」

隼人が立ち上がり、ひよりの腕を掴む。

「何よ」

振り向いた拍子に、ひよりの足がパイプ椅子に引っかかる。

「あっ……」
 
ひよりはバランスを崩して倒れそうになる。
 隼人は咄嗟に腕の中に抱き留めた。
 背中に触れる腕が熱い。

「ひより」

耳元で低い声が響く。

 ドクンッ!

 ひよりの心臓は跳ね上がり、鼓動が速くなる。

 何これ。
 心臓、うるさい。

 ひよりを抱き留める隼人の腕に力が入る。
 
「俺のこと……」
「な、何?」

隼人はひよりを離し、歪んだ笑みを浮かべる。
 
「好きになるなよ」
「……え?」

隼人は扉を開け、ひよりを廊下に押し出すとピシャリと閉めた。

「何、今の。……あんな顔、初めて見た」

隼人は扉に背中をくっつけ、ずるずるとしゃがみこんで顔を覆った。
 
「ひよりは、あいつじゃない……」

部室から遠ざかるひよりの足音が微かに聞こえた。


「来週の遠足の班、明日中に決めておくように」

担任が言い終わるとチャイムが鳴る。教室が一斉に騒がしくなり、帰り支度を終えた生徒たちが教室を出ていく。
 ひよりは遠足のプリントに目を落とす。
 行先は山間のレジャー施設。基本的には班行動らしい。

 こういうの苦手……。

「ひよりん、同じ班になろう」
「いいの?」
「むしろこっちがいいの?って感じだけど」

優依が苦笑して、相変わらず女子に囲まれている隼人をチラ見する。

「優依と一緒がいい」
「じゃあ、決まりね。あと2人、か」

班員名簿に優依とひよりで名前を書く。
 
「俺も入れて」

横から誠が割り込んで勝手に名前を書き込んだ。

「あっ、勝手に書かないでよ」
「いいじゃん。他に誘う人いなかったし」
「それはそうだけど」
「彼氏と一緒がいいって思ってんのか?」
「そんなこと、思ってない!」
「どうだか」

軽口をたたくひよりと誠の会話が隼人の耳に届く。
 隼人の王子スマイルがわずかに強張る。

「隼人くん、私たちと同じ班になろうよ」

あかりが、自分を含む女子3人の名前が書いてある班名簿を隼人に見せる。

「うちらも王子と一緒がいい!」
「私たちも!」
 
あかりを押し出すように他の女子たちが隼人の前に名簿を突き出す。

「ちょっと、押さないで。きゃっ!」
 
あかりが押されて隼人の前に倒れそうになる。
 隼人はあかりを支えて立たせる。
 
「大丈夫?」
「……う、うん。ありがとう」

あかりはほんのり頬を染めて微笑む。

「班のことだけど、俺もう決めてるから」

隼人は女子たちをかきわけ、ひよりのもとへ向かった。

「……そんな」
 
あかりを始め、取り囲んでいた女子全員が驚き、肩を落とす。
 
「ひより、俺もそっちの班入れて」
「えっ?!」

ひよりは肩をびくつかせ、振り向く。
 昼休みのことを思い出して胸がきゅっと締め付けられる。
 隼人は班名簿の空欄にペンを走らせた。

「何で鵜野森が。女子たちに誘われてたんじゃねえの」
「彼女を差し置いて、他の女子の班にはいけないよ」

王子スマイルなのに、どことなく冷たい。
 
「彼女だからって遠足までくっついてる必要ないだろ」
 
誠は隼人をきつく睨みつける。

「それ言うなら、幼馴染だからって同じ班になる必要ないでしょ」

隼人は温度のない笑顔のまま誠に詰め寄る。
 互いに一歩も引かず、張り詰めた空気が流れる。

「別にいいだろ。……ひより、こいつのどこがいいんだよ」
「どこって聞かれても」
「何でこいつなんだよ」
「それは……」
「顔だろ。な、ひより」
「ひより、こういうのがタイプだったのか?」
「違うよ」
「「は?」」

隼人と誠の声が揃う。
 優依がくすくすと笑いをこらえて肩を揺らす。
 
「はっきりとした理由は答えられないよ。なんとなく、みたいな」
「何だよ、それ。曖昧だな」

誠は眉を寄せ、ひよりの肩に手を置く。

「俺の彼女に触らないでくれる?」

隼人が誠の手を払い、ひよりの肩を抱く。

「ちょっと!」

ひよりが隼人の腕に手をかける。
 隼人は一瞬だけ力を緩める。
 教室中の視線に気づき、ひよりは契約を思い出す。 

「……今だけだからね」

隼人が誠に勝ち誇った笑みを向ける。
 
「くっ……」

誠が悔しそうに歯を食いしばる。

「帰ろうか、ひより」
「このまま?!」
「もちろん。……みんな見てる。見せつけるチャンスだろ」

囁かれ、教室内を回す。
 女子たちからの痛いほどの鋭い視線を感じて身がすくんだ。
 
「ひよりん、これ提出しとくよ」
「このメンバーで大丈夫?」
「もちろん! 色んな意味で楽しそう!」

優依が親指を立てて目を輝かせる。

「そんなに楽しそうかな……」

不穏な雰囲気を醸し出している隼人と誠を交互に見て、ひよりは肩をすくめた。


  
 夕暮れの中そびえ立つ豪邸を見上げ、隼人はふっと息を吐き出す。
 表札には『鵜野森』の文字。
 玄関を開けると、家政婦の田名が頭を下げて出迎えた。

「おかえりなさいませ」
「ただいま」
「旦那様が書斎でお待ちですよ」
「親父が……?」

 書斎の前でノックをする。

「入れ」

低い声が中から聞こえる。
 隼人は緊張の面持ちで扉を開けた。

「隼人、交際している人がいると前に言っていたな。今度うちに連れてきなさい」
「付き合い始めたばかりだから、家に呼ぶのは早すぎるよ」
「何を言う。鵜野森の嫁にふさわしいか見極めねば」
「そういうんじゃないから。それに、俺の結婚相手も将来も俺が決める」
「馬鹿を言うな!」
 
ドンッ!

 父が机を拳で叩く。

「跡取りはおまえしかいない。将来、鵜野森を背負うんだぞ」
 
隼人は怯まず、父を睨みつける。

「俺の人生は、俺のものだ。親父のじゃない」

隼人は踵を返す。

「隼人!」

父の声を無視して扉を閉める。

 
「くそっ」

部屋に戻ってベッドの上に鞄を放り投げる。
 机の上には、海外留学のパンフレットと英語の参考書、経営学の資料が積まれている。
 
「誰が継ぐかよ」
 
 チリリン。

 通知音が部屋に響く。
 スマホを開くとひよりからのトークが届いていた。

【彼女(仮):嫌いな食べ物とかアレルギーある?】

 「ははっ。本当に弁当作ってくれるのか」

隼人の口元が、自然と緩んだ。
 猫が手を振って、「ない」を連呼しているスタンプを送信した。

「あいつの弁当、うまいかな」
 
さっきまでの苛立ちが嘘みたいに消えていることに、隼人自身は気づいていなかった。