恋じゃないふりをして

 日曜日の朝。
 学校の最寄駅・古淵駅の前で、ひよりはスマホの時間を確認した。
  
 10時10分。
 約束の時間は過ぎているのに、隼人はまだ来ていない。

 今日で合ってるよね?

 連絡アプリを開いてトーク履歴をさかのぼる。
 
【ひより:日曜日の10時、古淵駅集合】
【ニセ王子:業務連絡か】
【ひより:来なければひとりで行くから】
【ニセ王子:行く行く】

おもちゃの汽車に乗った猫のスタンプ。しゅっぽ、しゅっぽの文字つきで妙に可愛い。
 思わず鼻で笑ってしまう。

「ふっ。このスタンプ似合ってない」

人目を感じて口を閉じ、改札へ目を向ける。
 ちょうど電車が着き、大勢の人が流れ出てきた。

 この中にいるかな。

 じっと見ていると、頭ひとつぶん飛び出ている隼人の顔が目に飛び込んできた。

「あ、いた」

だが、隼人はなぜか壁際に移動し、足を止める。

 何やってるの? もう10分過ぎてるのに。
 
 顔をしかめていると、隼人の隣に見知らぬ女子がいた。何やら親しげに話している。

 はあ? あいつ何なの! やっぱりやる気ないじゃん。

 隼人を睨みつけ、ひよりは背を向けて出口に向かう。
 
 もういい。フィールドワークはひとりでできるし。

「ひより」

肩を掴まれ振り返ると、王子スマイルの隼人がいた。その隣には、ミニスカートに化粧をした派手な女子。

「遅れてごめん。中学の時の知り合いに偶然会ってさ」
「……知り合い?」

派手な女子はひよりを値踏みするように、不躾な視線でじろじろと見てきた。

「本当に隼人の彼女?」
「そうだって言ってるだろ」
「ふーん。相変わらず地味な子好きなんだ。趣味変わってないね」

地味って。この人、初対面で失礼すぎる。
 ていうか、相変わらずってどういうこと? 趣味って何? 

「もういいだろ。俺たちデートだから」
「デ、デート!?」

隼人がひよりの肩に腕を回す。
 ひよりが反射的に離れようとすると、耳元で小さく囁いた。

「彼女のふりして笑え」
「ムリ!」
「……その子、嫌がってない?」

ひよりは女子の視線に気づき、仕方なく隼人の隣に戻った。

「まさか。なあ、ひより」

ひよりは無理やり笑顔を浮かべる。

「う、うん」
「デート楽しみだなあ。じゃあな」

隼人は手を振り、足早に大通りの方に向かって歩き出す。
 建物の角を曲がって、ようやくひよりは隼人の腕から解放された。

「もう! 急に何なの!」
「遊ぼうってしつこかったから、彼女とデートだって言ったんだけど疑われてさ」
「部活のフィールドワークって言ってもいいじゃん」
「俺のキャラじゃないからもっと疑われるって」

へらへら笑う顔が腹立たしい。
 こんな時まで彼女のふりしなきゃいけないなんて。
 ……やっぱり、ひとりで行こうかな。

「部長、どこ行くんだっけ?」
「行く気あるの?」
「あるよ。だから来たんじゃん。右? 左? それとも道路渡る?」

何でそんなに積極的なの?
 本当に興味があるのかな……。

「左」
「行こう」

隼人は当然のように手を差し出す。
 ひよりは手を伸ばしかけるが、はっとして手を下ろす。

 いやいや、何しようとしてんの!
 フィールドワークに行くんだから、彼女のふりしなくていいでしょ。

「行くよ」

隼人の前に出て足早に歩く。

「……」
 
隼人は空の手を握りしめてポケットにしまい、ひよりの後を追いかけた。

 住宅地を5分ほど歩いたところで、突然ひよりが走り出した。

「おいっ!」

隼人が慌てて追いかける。
 ひよりは狭い階段を駆け上がり、木々に囲まれた赤い鳥居の前で手を振った。枝葉の隙間から差す光が、石畳にまだらな影を落としている。
 
「着いたよ!」
「ここ?」
「鹿嶋神社だよ。ここは境内にある稲荷社」

ひよりは社に向かって真っすぐ伸びているコンクリートの道の端を歩く。
 隼人も真似をしてひよりの後についていく。

「真ん中歩かないんだ」
「神様の通り道だから、端を歩くのが礼儀なの」
「へえ」
「まずはお参り」
 
ひよりが社の前で二礼二拍手一礼する。隼人は見よう見まねでぎこちなく参拝し、賽銭箱に小銭を入れるひよりを見て目を見開く。

「あっ、そっか。現金か」
「持ってない?」
「アプリかカードしかない。普段、現金使わないから」
「貸してあげる」

ひよりは財布から5円玉を取り出し、隼人に渡す。
 
「へえ。5円でいいんだ」
「ご縁がありますように、ってね」
 
隼人が5円玉を賽銭箱に入れる。
 チャリンと小気味よい音が鳴る。
 ひよりは鳥居の方を振り向く。
 暖かい春風が木々を揺らし、ひよりの前髪をかき上げる。

「稲荷社っていえば狐だけど、ここには狐の像がないんだよね」
「ない所もあるんだ」
「こういう違いって、実際に来ないと分からないでしょ。それを見つけるのもフィールドワークの楽しさなの」

ひよりは隼人を見上げて笑みを浮かべる。
 隼人の瞳がわずかに揺らぐ。

「なるほどね。……にしても」

隼人は辺りを見回してからひよりに目線を戻す。

「鹿嶋神社って狭いんだな」
「何言ってんの? 拝殿はもっと奥にあるよ」
「じゃあ、そこに狐の像あるんじゃねえの?」
「違う、違う。そこにいるのは、狛犬」

ひよりは笑いながら手を振る。

「同じ神社なのに、別の神様がいるのか?」
「境内に小さな神社があることもあるの」

ひよりは稲荷社を後にして、奥に進みながら説明を続ける。

「じゃあ狐が神様?」
「狐は神様のお遣い。狛犬はまたちょっと違って――あ、あそこ!」

ひよりは階段を駆け上がり、白い鳥居を潜る。

「また走ってるし」

苦笑しながら隼人が追いかける。
 鳥居を潜ってから数段の階段を上がった先に、参道を挟むように1対の狛犬が向かい合っている。

「見てみて。かわいいでしょ!」

ひよりは嬉しそうに、自慢げに狛犬を指さす。

「かわいい? ……怖くね?」

左右の狛犬を交互に見て、隼人は顔をしかめる。

「怖くないよ。よく見て。かわいいし、イケメン!」

隼人は目を瞬かせ、頷く。

「……趣味悪いな。どうりで俺になびかないわけだ」
「うるっさい!」

ひよりは目を吊り上げて隼人の肩を叩く。
 隼人は笑いながら参道の左端に逃げ、ひよりは頬を膨らませた。
 
「狛犬の良さが分からないなんてどうかしてる!」
「おっ、これかっけえ」

龍の口から水が流れる手水舎の前で、隼人が足を止める。

「こういうのは好きなんだ」
「狛犬よりイケメンだし」
「趣味悪い」
「悪くねえよ。男なら龍は好きだろ。で、これ何のためにあんの?」
「こうやるの。見てて」

ひよりは柄杓で両手を濡らし、口をすすぐ。

「わかった?」
「余裕」

隼人も同じようにやってみる。だが、柄杓を傾けすぎて水が足元に跳ねて隼人の顔にかかった。

「うわっ!」
「全然余裕じゃないじゃん」

ひよりはショルダーバッグからハンカチを出して隼人の顔を拭く。
 
「ありがとな」

隼人はふっと表情を緩める。思ったよりも顔が近くて、ひよりはさっと距離を取る。

「お参り、しなきゃ」

参道を駆けて拝殿の前で参拝をする。

「そうだ! 写真撮るの忘れてた!」
 
隼人が参拝をするのを待たずに狛犬の所に走って戻り、ひよりはあらゆる角度からスマホで写真を撮り始める。

「何枚撮ってんだよ」
「角度によって表情違うんだから。ねえ、鳥居とか拝殿とか写真撮っておいて」
「はいはい」

隼人がスマホを構える。画面の中では、ひよりが楽しそうに狛犬を撮っている。

「……ひよりは石像が好きなのか?」

ひよりは隼人の方を向いて笑顔で大きく頷く。

「うん。好きだよ」

カシャッ。

 隼人は無意識にボタンをタップしていた。
 画面いっぱいに、笑顔のひよりが映っている。

「ちょっと、何撮ってるの?!」
「ひより」
「それは分かってるって。私なんか撮ってどうすんの」
「……なんかじゃねえよ」

隼人の声が風に掻き消され、ひよりには届かない。

「え? 何て?」
「何でもない」 

スマホをポケットにしまう隼人を、ひよりは怪訝な目で見る。

「さっきの消しといてよ」
「無理」
「何で!?」
「別にいいだろ。そういえばさ、最初のとこは稲荷社だったけど、狛犬がいるってことは祀ってる神様は違うのか?」
「……よく気づいたね」

ふざけてるように見えて、ちゃんと覚えてるんだ。
 
 ひよりの胸の中がじんわりと温かくなる。

「ここは、武甕槌神(たけみかづちのみこと)っていう武神を祀ってるの」
「へえ」
「ずっと昔からこの辺りの人たちに、大事にされてきたんだよ。今もこうして残ってるってすごくない?」

ひよりは瞳を輝かせ、夢中になって話し続ける。
 
「ほんとおまえ、変わってんな」

隼人は感心したように笑うが、ひよりは口を閉じる。伏せた瞳が曇る。

 変わってる……。
 またそれだ。

「俺、そんなふうに考えたことなかった。今まで全然興味もなかったけど」
「そうだよね……」
 
民俗学が好きだと言えば、返ってくるのは大抵「変わってるね」。
 だから好きなものほど、人に話さなくなった。
 隼人が質問してくれたのが嬉しくて、つい話しすぎた。

「なんでそんな顔すんだよ。褒めてんだけど」
「どこが?」
「こんだけ好きなことあって、語れるのってすごいじゃん」

隼人の笑顔に、からかう色はなかった。

「それに、すげえ楽しそう」
「悪い?」
「なんでそうなるんだよ」
 
隼人は呆れたように笑ってから、少しだけ声を落とした。
 
「好きなんだろ?」
「……うん」
「じゃあ、堂々と語ればいいじゃん。俺、何も知らねえから教えてよ、部長」

日差しを背に微笑む隼人が眩しい。
 ひよりは目を伏せて緩みそうになる唇を噛み締める。

 期待しちゃいけない。
 分かってるのに、隼人なら、と思ってしまう。
 私の好きなことを理解してくれるかも……。

「ここ以外にも行く?」
「あ、うん」
「じゃ、案内してよ。部長」

そうだ。私は部長で、隼人は部員。
 これはただの部活動で。
 私は隼人のニセの彼女なんだから。
 ただそれだけ——。