朝、ひよりは自分の弁当箱の横に、隼人の弁当箱を置いてから、はっとして棚に戻した。
何やってるんだろう。
自分の分だけでいいのに。
自分の弁当箱に入れても、1人分のおかずが残ってしまった。溜め息をつきながら、ラップをして冷蔵庫に入れておく。
「おはよう、ひより」
ご機嫌なあかりが笑顔でひよりの肩を叩く。
「おはよう」
ひよりは対照的に暗い表情で挨拶を返す。
「隼人くんと付き合ってるの、嘘だったんだね。みんな、ひよりのこと責めてたけど、私は責めないでって言ったんだからね」
「……そう」
あかりは食卓について、瞳を三日月型に細めた。
「私が隼人くんの本当の彼女になっても、ひよりには関係ないよね」
「……関係ない。勝手にしたら」
ひよりは弁当箱を鞄に入れて、玄関へ行った。
扉を開けて、つい門を見てしまう。
人影があり、ひよりの心臓が跳ねる。
急いで門の外に出て、名前を口にしようとした。
「は……」
だが、振り向いた顔を見て、ひよりは口を閉じた。
そこにいたのは、誠だった。
「ひより、おはよう」
「おはよう。どうしたの? 朝練は?」
「今日はさぼり」
「さぼっちゃだめでしょ」
歩き出す誠の隣に並んで、ひよりは苦笑する。
「たまにはいいだろ。……ひよりと学校行きたかったし」
ぽつりとこぼす誠の耳がほんのり赤い。
ひよりはふっと口元を緩める。
「何それ。そんなに私と学校行きたかったの?」
「そうだよ。少しでもひよりの傍にいたいから」
「えっ?」
「好きな人とは一緒にいたいって思うだろ」
照れ臭そうにくしゃっと笑う誠を見て、ひよりは目を丸くした。
傍にいたい。
一緒にいたい。
好きだから……?
誠と登校すると、女子たちの視線が突き刺さった。
もう隼人とは関係ないのに、どうしてこんな目で見てくるの?
「嫌な視線だな。ひより、気にするな」
「うん、ありがとう」
誠は視線からひよりを守るように、一歩前を歩く。
「ひよりん、若松くん」
教室に入ってすぐ、優依が心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「ひよりんのこと、よくない噂が出回ってるみたいだよ」
「噂?」
「何だよ、それ」
ひよりと誠は眉を寄せる。優依は声を落として話した。
「王子と若松くんに、ひよりんが二股かけてたって」
「ふざけるなよ。誰がそんなデマ流してんだ」
誠が周囲を睨み付ける。小声で話していた女子たちが気まずそうに視線を逸らす。
「本当に付き合ってたわけじゃないって、みんな知ってるんじゃないの? しかも、誠とは付き合ってないのに」
困惑するひよりの背中を、優依が優しく撫でる。
「ひよりんの妹の取り巻きが投稿した内容に尾ひれがついて、ひよりんを悪者にする噂が出回ってるみたい。でも、気にしちゃだめだよ。おもしろがってるだけなんだから。ほんと、最低」
「優依……」
自分のために怒ってくれる優依に、ひよりの胸は温かくなる。ひとりじゃない。そう思えるだけで、気持ちが落ち着く。
「くそっ。元凶は鵜野森だろ。何でひよりだけ傷つけられないといけないんだよ」
誠が奥歯を噛み締める。
その時、ざわついていた教室が一瞬静まり返る。
ひよりが室内を見回すと、誰もが扉に注目している。
そこには、笑顔を浮かべて仲良さそうに教室に入ってくる隼人とあかりがいた。
「……うそ」
今朝のあかりの言葉が蘇る。
『私が隼人くんの本当の彼女になっても、ひよりには関係ないよね』
あかりが隼人の彼女?
本当の?
あっという間に2人の周りに人だかりができる。
「あかりちゃん、王子と学校来たってことは、もしかして……」
「えっ! 王子の本命ってやっぱり?!」
「マジでお似合い!」
囃し立てるギャラリーに、あかりは照れ笑いで返す。
「もう、やめてよ。そんなんじゃないって」
隼人は王子スマイルを若干引きつらせる。
「たまたまそこで会っただけ。本命の彼女は、いないから」
人だかりから抜ける隼人は、ひよりの視線に気付いて一瞬だけ目が合う。だが、すぐに顔を背けた。
隼人は、本当に誰も好きにならないんだ。
なぜかほっとするも、胸の奥が針でつつかれたみたいにチクリと痛んだ。
ひよりは一日中、あかりや他の女子たちに囲まれて無理やり王子スマイルを作っている隼人をつい目で追ってしまった。
もう関係ないはずなのに、気になってしまう。
何でそんなに無理して笑うの?
疲れるんじゃないの?
顔色悪くない?
隼人のことが頭から離れない。
考えれば考えるほど、胸が締め付けられる。
胸の中に重石が積み重なっているみたいに重苦しい。
何度息を吐き出しても、その重石は軽くならない。
「ひよりん、大丈夫?」
放課後、優依に誘われて駅前のカフェに寄った。向かいの席に座る優依が心配そうに聞いてきた。
「え? あ、うん。大丈夫だよ」
「本当に? 朝から溜息ばっかりついてるよ。学校、疲れるよね」
「そう、だね。でも、優依と誠がずっと一緒にいてくれるから、心強いよ」
緩く口角を上げてアイスカフェラテを一口飲む。
「ひよりん、もしかしてなんだけど。若松くんと何かあった?」
「な、何かって?」
「告白された、とか」
「な、何で知ってるの?!」
「やっぱりそうなんだ! なんとなく、ね。若松くん、前よりひよりに、グイグイいってるなって思って。返事は? これから?」
身を乗り出す優依は興味津々の眼差しでひよりを見る。
「まだ、返事してない」
「そっかあ。悩み中?」
「……悩んでる、のかな」
今は誠への返事を考えないといけないのに、頭の中は隼人のことでいっぱいだ。
「若松くんのこと、幼馴染み以上に思ってる?」
「えっと、大事な友達って感じかな」
「じゃあ、付き合いたい?」
「それは……。どうかな。よく分かんない」
「じゃあさ、付き合う、付き合わないは一回置いといて、ひよりんがずっと一緒にいたいって思う人は誰?」
私が一緒にいたいって思う人……。
ひよりは一瞬思い浮かんだ顔を掻き消す。
「ひよりんは、もう答えが出てるんじゃない?」
見透かすような優依の瞳に射抜かれ、ひよりはたじろぐ。
「どうだろう……」
ストローを掻き回すと、氷がグラスにぶつかり、カチャンと小さな音を立てた。
優依と別れて帰宅すると玄関いっぱいにローファーが並べられていた。
あかりの友達、こんなに来てるの?
あかりの部屋から明るい笑い声が漏れ聞こえる。
「あかりちゃん、王子に告らないの?」
甲高い声がドア越しに聞こえ、ひよりは足を止める。
「でも私、相手にされてないし」
「そんなことないって。王子、照れてるだけだよ」
「そうだよ。告っちゃいなよ」
「えー、どうしよう~」
猫を被ったあかりの甘ったるい声が、ひよりの鼓膜に絡みつく。
あかりが告白すれば、隼人はどうするんだろう。
「でも、ひよりが嫌な顔するかも」
……は?
「関係ないっしょ。付き合ってるふりしてさ、あかりちゃんとかうちらのこと騙してたんだし」
「しかも若松くんに乗り換えたでしょ。最低」
「むかついたから、二股かけてるって投稿しといた」
「やるじゃん。もっと盛っちゃう?」
盛り上がる女子たちの会話に、ひよりの指先が震える。
「みんな、やりすぎちゃだめだよ」
「うちら、あいつがあかりちゃんのこと傷つけたこと、ムカついてるんだからね」
「あかりちゃんは優しすぎるよ。これぐらい大したことないって」
「みんながそう言うなら、ちょっとぐらいいっか」
ふふっと笑うあかりの無邪気な声が、ひよりの怒りの導火線に火をつけた。
私がいつ、あかりを傷つけた?
盗み聞きして勘違いして、他の人に私と隼人のこと言いふらして。
傷ついたって言ってるけど、どうせ嘘でしょ。
私を悪者にして、みんなから同情してもらいたいだけなんでしょ。
他の人たちもおかしいよ。
私だけじゃなくて、誠の名前まで出して、平気で嘘ついて。
……許せない。
ひよりはあかりの部屋のドアノブを強く握り締め、勢いよくドアを開けた。
笑い声が消え、しんと静まる。全員の驚いた視線がひよりに集まる。
「……ひより?」
怪訝な顔のあかりをひよりは睨みつける。
「あかり、いい加減にして」
「何のこと?」
「嘘ついて、関係ない人まで巻き込んで。私に文句あるなら直接言えばいいでしょ」
「ひより、どうしたの? 怖いんだけど」
あかりは友達の腕を掴んで怯える振りをする。
「あんたこそいい加減にしてよ。あかりちゃんがもてるからって、王子と付き合う振りするとか、ありえないんだけど」
あかりの友達に責められ、ひよりは後ずさりかけるが、拳を握り締めて耐える。
「それ、嘘だから。あかりがもてるとか心底どうでもいい」
友達の1人が馬鹿にしたように鼻で笑う。
「負け惜しみにしか思えないんだけど。王子とダメになったからって、今度は若松くん狙ってるくせに」
「違う! 誠は幼馴染だから」
「でもさ、誠くんに告白したんでしょ?」
あかりの唇の端がめくれる。
その一言で室内が騒然となる。
「してない! 誠が……」
ひよりは口を閉じて唇を噛み締める。
それ以上は言っちゃだめだ。
誠のこと、勝手にしゃべれない。
むやみに話していいことじゃない……。
「マジ、最悪」
「嘘ついてんのあんたじゃん」
「王子も、若松くんも、あかりちゃんもかわいそう」
「人傷つけて何が楽しいの? おかしいんじゃない?」
「違う。私は、そんなことしてない……」
ひよりの体が強張る。
「ひよりの顔なんか見たくない! 出てって!」
あかりが目に涙を溜めて顔を覆う。
手のひらに隠れた口元が微かに緩むが、誰も気付かない。
「早く出てってよ」
友達の1人に腕を掴まれ、ひよりは廊下に追い出された。
バタン!
力強く扉が閉められる。
ひよりは自分の部屋に入って膝を抱えて座る。
鞄についている隼人とおそろいのモンスターのぬいぐるみにそっと触れる。
これも、あかりの嘘だった。
けど、隼人からもらって嬉しかった。
ベッドの淵に置いてあるふわふわのタオルを抱き締める。
家のとは違う柔軟剤の香りに混じって、ほんのり隼人の匂いがする。
……誰も私の話を聞いてくれなかった。
黙っていればよかった。
何もしなきゃよかった。
私、勘違いしてた。
隼人が私の話聞いてくれて、好きなことも理解してくれたから。
あかりが嘘ついてるって言えば、みんなに伝わるはずだって思ってしまった。
だけど、私の声は誰にも届かなかった。
あかりの一言で捻じ曲げられた。
もう、嫌だ。
喉が締め付けられ、嗚咽が漏れる。
次から次へと涙が溢れてくる。
タオルがじんわりと湿っていく。
ポケットの中でスマホが震える。
ひよりの胸が一瞬跳ねる。
画面を開くと、誠からのメッセージが届いていた。
どうしてだろう。
一瞬、隼人じゃないかって期待してしまった。
そんなわけないのに。
涙を拭って画像フォルダを開く。
テーマパーク、フィールドワークの画像ばかり。
隼人と撮った写真を思わずタップする。
楽しそうに笑ってる。
私とは違って。
「隼人……」
名前を口に出しただけなのに、苦しい。
何でこんなに、隼人のこと……。
また涙が溢れてくる。
隼人の笑顔が頭から離れない。
もう、傍にいられない。
名前を呼んでも振り向いてくれない。
ニセ王子の顔も見せてくれない。
私の声は、隼人にすら届かない。
でも。
それでも。
「……会いたい」
ひよりの涙が、スマホに映る隼人の上にポタリと落ちた。
その頃、帰宅した隼人は玄関に座り込み、深く息を吐き出した。
「はあー。疲れた。頭痛え」
リビングから出てきた田名が駆け寄る。
「大丈夫ですか? お疲れですね」
「……大丈夫」
青白い顔で立ち上がるが、ふらつく。
「隼人様! 大丈夫じゃないですよ。早くベッドで休んでください」
田名は慌てて隼人を支え、2階に上った。
ベッドに寝させて、田名は隼人の額に手を置く。
「まあ、大変。熱いですよ。体温計と氷枕持ってきますから、パジャマに着替えておいてください」
田名は急いで部屋を出て行く。
「しんどい」
目を閉じると、昨日、今日のひよりの顔が思い浮かぶ。
教室での、強張った顔のひより。
浮かない顔で部室前の廊下を歩くひより。
誠と並んで微笑むひより。
ひよりのことをつい追ってしまうのに、目を合わることができない。
これで良かったんだ。
桜の二の舞になる前に、ひよりを手放すのが正解だった。
そう思うのに。
楽しそうに民俗学のことを話すひよりの声が聞きたい。
笑顔が見たい。
触れたい。
傍にいたい。
ひよりへの想いが溢れて止められない。
「……会いたい」
天井に向かって腕を伸ばす。
だが。
『さよなら』
あの時のひよりの言葉が隼人の心臓を締め付ける。
拳を握り締め、腕を下ろす。
「ひより……」
掠れた声で呼んだ名前は、どこにも届かず宙に消えていった。……
何やってるんだろう。
自分の分だけでいいのに。
自分の弁当箱に入れても、1人分のおかずが残ってしまった。溜め息をつきながら、ラップをして冷蔵庫に入れておく。
「おはよう、ひより」
ご機嫌なあかりが笑顔でひよりの肩を叩く。
「おはよう」
ひよりは対照的に暗い表情で挨拶を返す。
「隼人くんと付き合ってるの、嘘だったんだね。みんな、ひよりのこと責めてたけど、私は責めないでって言ったんだからね」
「……そう」
あかりは食卓について、瞳を三日月型に細めた。
「私が隼人くんの本当の彼女になっても、ひよりには関係ないよね」
「……関係ない。勝手にしたら」
ひよりは弁当箱を鞄に入れて、玄関へ行った。
扉を開けて、つい門を見てしまう。
人影があり、ひよりの心臓が跳ねる。
急いで門の外に出て、名前を口にしようとした。
「は……」
だが、振り向いた顔を見て、ひよりは口を閉じた。
そこにいたのは、誠だった。
「ひより、おはよう」
「おはよう。どうしたの? 朝練は?」
「今日はさぼり」
「さぼっちゃだめでしょ」
歩き出す誠の隣に並んで、ひよりは苦笑する。
「たまにはいいだろ。……ひよりと学校行きたかったし」
ぽつりとこぼす誠の耳がほんのり赤い。
ひよりはふっと口元を緩める。
「何それ。そんなに私と学校行きたかったの?」
「そうだよ。少しでもひよりの傍にいたいから」
「えっ?」
「好きな人とは一緒にいたいって思うだろ」
照れ臭そうにくしゃっと笑う誠を見て、ひよりは目を丸くした。
傍にいたい。
一緒にいたい。
好きだから……?
誠と登校すると、女子たちの視線が突き刺さった。
もう隼人とは関係ないのに、どうしてこんな目で見てくるの?
「嫌な視線だな。ひより、気にするな」
「うん、ありがとう」
誠は視線からひよりを守るように、一歩前を歩く。
「ひよりん、若松くん」
教室に入ってすぐ、優依が心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「ひよりんのこと、よくない噂が出回ってるみたいだよ」
「噂?」
「何だよ、それ」
ひよりと誠は眉を寄せる。優依は声を落として話した。
「王子と若松くんに、ひよりんが二股かけてたって」
「ふざけるなよ。誰がそんなデマ流してんだ」
誠が周囲を睨み付ける。小声で話していた女子たちが気まずそうに視線を逸らす。
「本当に付き合ってたわけじゃないって、みんな知ってるんじゃないの? しかも、誠とは付き合ってないのに」
困惑するひよりの背中を、優依が優しく撫でる。
「ひよりんの妹の取り巻きが投稿した内容に尾ひれがついて、ひよりんを悪者にする噂が出回ってるみたい。でも、気にしちゃだめだよ。おもしろがってるだけなんだから。ほんと、最低」
「優依……」
自分のために怒ってくれる優依に、ひよりの胸は温かくなる。ひとりじゃない。そう思えるだけで、気持ちが落ち着く。
「くそっ。元凶は鵜野森だろ。何でひよりだけ傷つけられないといけないんだよ」
誠が奥歯を噛み締める。
その時、ざわついていた教室が一瞬静まり返る。
ひよりが室内を見回すと、誰もが扉に注目している。
そこには、笑顔を浮かべて仲良さそうに教室に入ってくる隼人とあかりがいた。
「……うそ」
今朝のあかりの言葉が蘇る。
『私が隼人くんの本当の彼女になっても、ひよりには関係ないよね』
あかりが隼人の彼女?
本当の?
あっという間に2人の周りに人だかりができる。
「あかりちゃん、王子と学校来たってことは、もしかして……」
「えっ! 王子の本命ってやっぱり?!」
「マジでお似合い!」
囃し立てるギャラリーに、あかりは照れ笑いで返す。
「もう、やめてよ。そんなんじゃないって」
隼人は王子スマイルを若干引きつらせる。
「たまたまそこで会っただけ。本命の彼女は、いないから」
人だかりから抜ける隼人は、ひよりの視線に気付いて一瞬だけ目が合う。だが、すぐに顔を背けた。
隼人は、本当に誰も好きにならないんだ。
なぜかほっとするも、胸の奥が針でつつかれたみたいにチクリと痛んだ。
ひよりは一日中、あかりや他の女子たちに囲まれて無理やり王子スマイルを作っている隼人をつい目で追ってしまった。
もう関係ないはずなのに、気になってしまう。
何でそんなに無理して笑うの?
疲れるんじゃないの?
顔色悪くない?
隼人のことが頭から離れない。
考えれば考えるほど、胸が締め付けられる。
胸の中に重石が積み重なっているみたいに重苦しい。
何度息を吐き出しても、その重石は軽くならない。
「ひよりん、大丈夫?」
放課後、優依に誘われて駅前のカフェに寄った。向かいの席に座る優依が心配そうに聞いてきた。
「え? あ、うん。大丈夫だよ」
「本当に? 朝から溜息ばっかりついてるよ。学校、疲れるよね」
「そう、だね。でも、優依と誠がずっと一緒にいてくれるから、心強いよ」
緩く口角を上げてアイスカフェラテを一口飲む。
「ひよりん、もしかしてなんだけど。若松くんと何かあった?」
「な、何かって?」
「告白された、とか」
「な、何で知ってるの?!」
「やっぱりそうなんだ! なんとなく、ね。若松くん、前よりひよりに、グイグイいってるなって思って。返事は? これから?」
身を乗り出す優依は興味津々の眼差しでひよりを見る。
「まだ、返事してない」
「そっかあ。悩み中?」
「……悩んでる、のかな」
今は誠への返事を考えないといけないのに、頭の中は隼人のことでいっぱいだ。
「若松くんのこと、幼馴染み以上に思ってる?」
「えっと、大事な友達って感じかな」
「じゃあ、付き合いたい?」
「それは……。どうかな。よく分かんない」
「じゃあさ、付き合う、付き合わないは一回置いといて、ひよりんがずっと一緒にいたいって思う人は誰?」
私が一緒にいたいって思う人……。
ひよりは一瞬思い浮かんだ顔を掻き消す。
「ひよりんは、もう答えが出てるんじゃない?」
見透かすような優依の瞳に射抜かれ、ひよりはたじろぐ。
「どうだろう……」
ストローを掻き回すと、氷がグラスにぶつかり、カチャンと小さな音を立てた。
優依と別れて帰宅すると玄関いっぱいにローファーが並べられていた。
あかりの友達、こんなに来てるの?
あかりの部屋から明るい笑い声が漏れ聞こえる。
「あかりちゃん、王子に告らないの?」
甲高い声がドア越しに聞こえ、ひよりは足を止める。
「でも私、相手にされてないし」
「そんなことないって。王子、照れてるだけだよ」
「そうだよ。告っちゃいなよ」
「えー、どうしよう~」
猫を被ったあかりの甘ったるい声が、ひよりの鼓膜に絡みつく。
あかりが告白すれば、隼人はどうするんだろう。
「でも、ひよりが嫌な顔するかも」
……は?
「関係ないっしょ。付き合ってるふりしてさ、あかりちゃんとかうちらのこと騙してたんだし」
「しかも若松くんに乗り換えたでしょ。最低」
「むかついたから、二股かけてるって投稿しといた」
「やるじゃん。もっと盛っちゃう?」
盛り上がる女子たちの会話に、ひよりの指先が震える。
「みんな、やりすぎちゃだめだよ」
「うちら、あいつがあかりちゃんのこと傷つけたこと、ムカついてるんだからね」
「あかりちゃんは優しすぎるよ。これぐらい大したことないって」
「みんながそう言うなら、ちょっとぐらいいっか」
ふふっと笑うあかりの無邪気な声が、ひよりの怒りの導火線に火をつけた。
私がいつ、あかりを傷つけた?
盗み聞きして勘違いして、他の人に私と隼人のこと言いふらして。
傷ついたって言ってるけど、どうせ嘘でしょ。
私を悪者にして、みんなから同情してもらいたいだけなんでしょ。
他の人たちもおかしいよ。
私だけじゃなくて、誠の名前まで出して、平気で嘘ついて。
……許せない。
ひよりはあかりの部屋のドアノブを強く握り締め、勢いよくドアを開けた。
笑い声が消え、しんと静まる。全員の驚いた視線がひよりに集まる。
「……ひより?」
怪訝な顔のあかりをひよりは睨みつける。
「あかり、いい加減にして」
「何のこと?」
「嘘ついて、関係ない人まで巻き込んで。私に文句あるなら直接言えばいいでしょ」
「ひより、どうしたの? 怖いんだけど」
あかりは友達の腕を掴んで怯える振りをする。
「あんたこそいい加減にしてよ。あかりちゃんがもてるからって、王子と付き合う振りするとか、ありえないんだけど」
あかりの友達に責められ、ひよりは後ずさりかけるが、拳を握り締めて耐える。
「それ、嘘だから。あかりがもてるとか心底どうでもいい」
友達の1人が馬鹿にしたように鼻で笑う。
「負け惜しみにしか思えないんだけど。王子とダメになったからって、今度は若松くん狙ってるくせに」
「違う! 誠は幼馴染だから」
「でもさ、誠くんに告白したんでしょ?」
あかりの唇の端がめくれる。
その一言で室内が騒然となる。
「してない! 誠が……」
ひよりは口を閉じて唇を噛み締める。
それ以上は言っちゃだめだ。
誠のこと、勝手にしゃべれない。
むやみに話していいことじゃない……。
「マジ、最悪」
「嘘ついてんのあんたじゃん」
「王子も、若松くんも、あかりちゃんもかわいそう」
「人傷つけて何が楽しいの? おかしいんじゃない?」
「違う。私は、そんなことしてない……」
ひよりの体が強張る。
「ひよりの顔なんか見たくない! 出てって!」
あかりが目に涙を溜めて顔を覆う。
手のひらに隠れた口元が微かに緩むが、誰も気付かない。
「早く出てってよ」
友達の1人に腕を掴まれ、ひよりは廊下に追い出された。
バタン!
力強く扉が閉められる。
ひよりは自分の部屋に入って膝を抱えて座る。
鞄についている隼人とおそろいのモンスターのぬいぐるみにそっと触れる。
これも、あかりの嘘だった。
けど、隼人からもらって嬉しかった。
ベッドの淵に置いてあるふわふわのタオルを抱き締める。
家のとは違う柔軟剤の香りに混じって、ほんのり隼人の匂いがする。
……誰も私の話を聞いてくれなかった。
黙っていればよかった。
何もしなきゃよかった。
私、勘違いしてた。
隼人が私の話聞いてくれて、好きなことも理解してくれたから。
あかりが嘘ついてるって言えば、みんなに伝わるはずだって思ってしまった。
だけど、私の声は誰にも届かなかった。
あかりの一言で捻じ曲げられた。
もう、嫌だ。
喉が締め付けられ、嗚咽が漏れる。
次から次へと涙が溢れてくる。
タオルがじんわりと湿っていく。
ポケットの中でスマホが震える。
ひよりの胸が一瞬跳ねる。
画面を開くと、誠からのメッセージが届いていた。
どうしてだろう。
一瞬、隼人じゃないかって期待してしまった。
そんなわけないのに。
涙を拭って画像フォルダを開く。
テーマパーク、フィールドワークの画像ばかり。
隼人と撮った写真を思わずタップする。
楽しそうに笑ってる。
私とは違って。
「隼人……」
名前を口に出しただけなのに、苦しい。
何でこんなに、隼人のこと……。
また涙が溢れてくる。
隼人の笑顔が頭から離れない。
もう、傍にいられない。
名前を呼んでも振り向いてくれない。
ニセ王子の顔も見せてくれない。
私の声は、隼人にすら届かない。
でも。
それでも。
「……会いたい」
ひよりの涙が、スマホに映る隼人の上にポタリと落ちた。
その頃、帰宅した隼人は玄関に座り込み、深く息を吐き出した。
「はあー。疲れた。頭痛え」
リビングから出てきた田名が駆け寄る。
「大丈夫ですか? お疲れですね」
「……大丈夫」
青白い顔で立ち上がるが、ふらつく。
「隼人様! 大丈夫じゃないですよ。早くベッドで休んでください」
田名は慌てて隼人を支え、2階に上った。
ベッドに寝させて、田名は隼人の額に手を置く。
「まあ、大変。熱いですよ。体温計と氷枕持ってきますから、パジャマに着替えておいてください」
田名は急いで部屋を出て行く。
「しんどい」
目を閉じると、昨日、今日のひよりの顔が思い浮かぶ。
教室での、強張った顔のひより。
浮かない顔で部室前の廊下を歩くひより。
誠と並んで微笑むひより。
ひよりのことをつい追ってしまうのに、目を合わることができない。
これで良かったんだ。
桜の二の舞になる前に、ひよりを手放すのが正解だった。
そう思うのに。
楽しそうに民俗学のことを話すひよりの声が聞きたい。
笑顔が見たい。
触れたい。
傍にいたい。
ひよりへの想いが溢れて止められない。
「……会いたい」
天井に向かって腕を伸ばす。
だが。
『さよなら』
あの時のひよりの言葉が隼人の心臓を締め付ける。
拳を握り締め、腕を下ろす。
「ひより……」
掠れた声で呼んだ名前は、どこにも届かず宙に消えていった。……


