昼休みを告げるチャイムが鳴ると同時に、隼人の周りを女子が取り囲んだ。
「王子、うちらと一緒にご飯食べよう」
「学食行こうよ」
「いや、俺は……」
隼人はひよりの方に目を向ける。
一瞬、2人の視線が合う。
だが、隼人はすぐ目を逸らし、席を立つ。
「ちょっと用事あるから。ごめん」
爽やかな王子スマイルを残して教室を出て行った。
「ひよりん、お昼どうする?」
「えっと、私は……」
優依に聞かれ、ひよりは自分と隼人の弁当箱が入っている鞄に触れる。
優依の持つスマホからバイブ音がなる。画面を開いて優依は顔をしかめた。
「あっ! 写真部の集まりあるんだった。行くのやめようかな」
「優依、行ってきなよ。私のことは気にしないで」
「でも」
「行ってきて。私も用事あるし」
「そう? じゃあ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
ひよりは優依に手を振って見送る。やたら重く感じる鞄を抱えて、廊下に出た。
「ひより、どこ行くんだ?」
誠に呼び止められ、振り返る。
「ちょっと、部室に」
「部室? 民俗学研究部、復活できたのか?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
口を閉ざして鞄をぎゅっと抱きしめる。
「部室、俺も行っていい?」
「え?」
「ちょっと覗くだけから」
「……うん」
隼人と2人で使っていた仮の部室へ誠と向かった。
扉に貼ってある『民俗学研究部(仮)』の紙が剥がれかかっている。
ひよりが紙に触れた途端、剥がれ落ちてしまった。
誠が拾ってひよりに渡す。
「仮、なんだな」
「まあね。2人しかいなかったから、正式な部じゃないし」
紙を受け取って室内に入る。埃とカビのような臭いが鼻をつく。窓を開けると、梅雨間近のじめっとした空気が入り込んでくる。
誠は室内を見回す。壁に貼ってある手書きの勧誘ポスターに目が留まる。テープで貼り合わせた跡だらけで、ビリビリに破られたものを修復したのだとすぐに分かる。
「これ、ひよりが書いたのか?」
「それは……。書いたけど、意味なかった」
ひよりはポスターを剥がして机の上に伏せ、それを隠すように鞄を置いた。
「部員って、ひよりと誰? ……鵜野森か?」
「そうだったけど、隼人はもう、部員じゃないかも」
「ひより、あいつと何があったんだよ。本当は付き合ってなかったんだろ。部活もそれと関係してるのか?」
心配そうに眉を下げる誠に聞かれ、ひよりは小さく息を漏らしてパイプ椅子に座った。ぎしっと苦しそうに椅子が軋む。誠は隣に座り、目を伏せるひよりを見つめる。
「隼人に言われたの。彼女のふりして付き合ってくれって。その代わり、私のお願いも聞くって言うから、民俗学研究部の部員になってもらったんだけど」
ひよりがスカートを握りしめる。
『ニセの恋人は終わりにしよう』
隼人の声が鼓膜の裏にこびりついて離れない。
「もう、彼女のふりは終わったから、私の願いを聞く必要もないんだよね」
ポケットに入っている鍵を出して、机に置く。
この鍵を手に入れられたのは、隼人のおかげ。隼人がいなくなるなら、先生に返さないと。
この部室ともお別れしなきゃ。
ひよりの向かいの席で、弁当をおいしそうに食べる隼人の幻想が見える。
ここで隼人とお弁当を食べることは、もうない。
民俗学の資料を広げて、フィールドワークの場所を話し合うことも、もうない。
手に入れたと思っていたものが、全て手の中から零れ落ちていく。
「付き合ってるの嘘だってこと、何で教えてくれなかったんだよ」
「隼人に口止めされてたから」
「……本気じゃなかったってことだよな?」
誠の語尾が微かに震える。
ひよりは顔を上げ、弱々しく微笑んだ。
「本気なわけないじゃん。ニセの彼女なんだから」
「だったら、俺の本当の彼女になってほしい」
誠の真剣な眼差しに射抜かれ、ひよりの表情が固まる。
二度目の告白。
誠の気持ちは本気だ。
隼人のニセ彼女じゃなくなった今、きちんと誠に応えないと。
なのに、どうして言葉が出てこないの……。
「焦らなくていいから。ひよりの中で答えが出たら教えて」
ひよりを気遣うように誠はやわらかな笑みを浮かべた。
ひよりは小さく頷いた。
「うん……」
「腹減ったな。ひより、弁当? 俺何か買ってこようかな」
「あ、待って」
ひよりは鞄から隼人用の弁当箱を出した。
「これ、いらない? 隼人に作ってきたんだけど、もう必要ないみたいで」
「あいつに作ってきたっていうのは癪だけど、ひよりの手作りなら食べたい」
誠は弁当の蓋を開け、手を合わせた。
「うまそう。いただきます」
卵焼きを一口食べ、顔を綻ばせた。
「うまっ。ひより、あいつの弁当毎日作ってたのか?」
「うん。作ってくれる人いないっていうから」
「ニセの彼女なのにそこまでさせるか、普通。弁当作るの大変だろ。俺だったら毎日作れなんて言えないな」
「自分の作るついでだから大変じゃないよ。……おいしそうに食べてくれるし」
ひよりは自分の弁当箱を出して箸を取る。だが、食欲が湧かず、箸が止まる。
思い詰めた表情のひよりを見て、誠は眉をひそめる。
「そんな顔するなよ。ひより、あいつにはもう近づかない方がいい」
「……え?」
「あいつはひよりを弄んだんだぞ。ニセの彼女とかいってひよりのこと振り回して、自分の都合で突然終わりにして。おかしいだろ」
憤る誠は、ぎゅうぎゅうに詰め込んだ白米をかきこむ。
おかしい……?
あの時隼人は、庇ってないって言いながら、私のこと庇ってくれた。
始まりは隼人の都合だったかもしれないけど、ただ流されただけじゃない。
私の願いも聞いてもらったし、民俗学に興味持って一緒にフィールドワークも行ってくれた。
ニセ彼女って言いながら、隼人は私の好きなことを知ろうとしてくれて、受け止めてくれた。
「誠、違うよ」
「何が?」
ひよりは箸を置いて誠を見据える。
「私、隼人に弄ばれたわけじゃない。振り回されてもいない。ニセ彼女になったのは、隼人に強引に決められたからじゃない。私が自分で決めたの」
誠は愕然としてご飯を飲み込み、咳込む。
「ゴホッゴホッ」
「大丈夫? お茶飲んで」
ひよりは慌てて鞄から水筒を出し、蓋にお茶を注いで誠に渡す。
誠はお茶でご飯を流し込み、ふうっと息を吐き出した。
「……鵜野森のこと、本当に、本気じゃないんだよな?」
「本気になれるわけないよ。好きにならないってことが、条件だったんだから」
「は? 何だそれ」
「とにかく、隼人とのことはもう終わったことだから」
ひよりは箸を持って卵焼きを口に入れる。甘味の中に少しだけ苦味がした。
放課後、ひよりは1人で部室に行き、鍵を閉めた。
手の中の鍵を握り締める。
返す前に、隼人にちゃんと確認しておきたい。
ニセ彼女も、私の願いも、本当に全部終わったのか。
廊下の角を曲がった時、何かにぶつかる。
ひよりは倒れそうになり、その拍子に鍵を取り落とした。
「ひよりっ」
鍵の落ちる音と共に、聞き慣れた声が聞こえ、抱き留められた。
「隼人?」
「大丈夫か」
「あ、うん」
隼人は手を離し、鍵を拾う。
「これ、部室の鍵か」
「うん。……隼人、もう部員じゃないでしょ。だから鍵、返さなきゃって」
「……いいのかよ、それで」
「だって、隼人が部活を続ける理由がないじゃん。私がニセ彼女やってたから、一緒に活動してくれたんでしょ」
「それはっ」
言いかけた言葉を飲み込み、隼人は手の中の鍵に目を落とす。
やっぱり、終わったんだ。
ニセ彼女じゃなくなったから、私と隼人を繋ぐものはもう何もない。
「鍵、返しといて。……さよなら」
ひよりは俯き、隼人の横を通り過ぎる。
「まっ……」
ひよりに腕を伸ばすが、隼人の手は宙を切る。
ひよりは振り返らず、そのまま廊下の奥へと消えた。
「これで、良かったんだよな」
隼人は握った拳を震わせ、自分に言い聞かせるように低く呟いた。
「王子、うちらと一緒にご飯食べよう」
「学食行こうよ」
「いや、俺は……」
隼人はひよりの方に目を向ける。
一瞬、2人の視線が合う。
だが、隼人はすぐ目を逸らし、席を立つ。
「ちょっと用事あるから。ごめん」
爽やかな王子スマイルを残して教室を出て行った。
「ひよりん、お昼どうする?」
「えっと、私は……」
優依に聞かれ、ひよりは自分と隼人の弁当箱が入っている鞄に触れる。
優依の持つスマホからバイブ音がなる。画面を開いて優依は顔をしかめた。
「あっ! 写真部の集まりあるんだった。行くのやめようかな」
「優依、行ってきなよ。私のことは気にしないで」
「でも」
「行ってきて。私も用事あるし」
「そう? じゃあ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
ひよりは優依に手を振って見送る。やたら重く感じる鞄を抱えて、廊下に出た。
「ひより、どこ行くんだ?」
誠に呼び止められ、振り返る。
「ちょっと、部室に」
「部室? 民俗学研究部、復活できたのか?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
口を閉ざして鞄をぎゅっと抱きしめる。
「部室、俺も行っていい?」
「え?」
「ちょっと覗くだけから」
「……うん」
隼人と2人で使っていた仮の部室へ誠と向かった。
扉に貼ってある『民俗学研究部(仮)』の紙が剥がれかかっている。
ひよりが紙に触れた途端、剥がれ落ちてしまった。
誠が拾ってひよりに渡す。
「仮、なんだな」
「まあね。2人しかいなかったから、正式な部じゃないし」
紙を受け取って室内に入る。埃とカビのような臭いが鼻をつく。窓を開けると、梅雨間近のじめっとした空気が入り込んでくる。
誠は室内を見回す。壁に貼ってある手書きの勧誘ポスターに目が留まる。テープで貼り合わせた跡だらけで、ビリビリに破られたものを修復したのだとすぐに分かる。
「これ、ひよりが書いたのか?」
「それは……。書いたけど、意味なかった」
ひよりはポスターを剥がして机の上に伏せ、それを隠すように鞄を置いた。
「部員って、ひよりと誰? ……鵜野森か?」
「そうだったけど、隼人はもう、部員じゃないかも」
「ひより、あいつと何があったんだよ。本当は付き合ってなかったんだろ。部活もそれと関係してるのか?」
心配そうに眉を下げる誠に聞かれ、ひよりは小さく息を漏らしてパイプ椅子に座った。ぎしっと苦しそうに椅子が軋む。誠は隣に座り、目を伏せるひよりを見つめる。
「隼人に言われたの。彼女のふりして付き合ってくれって。その代わり、私のお願いも聞くって言うから、民俗学研究部の部員になってもらったんだけど」
ひよりがスカートを握りしめる。
『ニセの恋人は終わりにしよう』
隼人の声が鼓膜の裏にこびりついて離れない。
「もう、彼女のふりは終わったから、私の願いを聞く必要もないんだよね」
ポケットに入っている鍵を出して、机に置く。
この鍵を手に入れられたのは、隼人のおかげ。隼人がいなくなるなら、先生に返さないと。
この部室ともお別れしなきゃ。
ひよりの向かいの席で、弁当をおいしそうに食べる隼人の幻想が見える。
ここで隼人とお弁当を食べることは、もうない。
民俗学の資料を広げて、フィールドワークの場所を話し合うことも、もうない。
手に入れたと思っていたものが、全て手の中から零れ落ちていく。
「付き合ってるの嘘だってこと、何で教えてくれなかったんだよ」
「隼人に口止めされてたから」
「……本気じゃなかったってことだよな?」
誠の語尾が微かに震える。
ひよりは顔を上げ、弱々しく微笑んだ。
「本気なわけないじゃん。ニセの彼女なんだから」
「だったら、俺の本当の彼女になってほしい」
誠の真剣な眼差しに射抜かれ、ひよりの表情が固まる。
二度目の告白。
誠の気持ちは本気だ。
隼人のニセ彼女じゃなくなった今、きちんと誠に応えないと。
なのに、どうして言葉が出てこないの……。
「焦らなくていいから。ひよりの中で答えが出たら教えて」
ひよりを気遣うように誠はやわらかな笑みを浮かべた。
ひよりは小さく頷いた。
「うん……」
「腹減ったな。ひより、弁当? 俺何か買ってこようかな」
「あ、待って」
ひよりは鞄から隼人用の弁当箱を出した。
「これ、いらない? 隼人に作ってきたんだけど、もう必要ないみたいで」
「あいつに作ってきたっていうのは癪だけど、ひよりの手作りなら食べたい」
誠は弁当の蓋を開け、手を合わせた。
「うまそう。いただきます」
卵焼きを一口食べ、顔を綻ばせた。
「うまっ。ひより、あいつの弁当毎日作ってたのか?」
「うん。作ってくれる人いないっていうから」
「ニセの彼女なのにそこまでさせるか、普通。弁当作るの大変だろ。俺だったら毎日作れなんて言えないな」
「自分の作るついでだから大変じゃないよ。……おいしそうに食べてくれるし」
ひよりは自分の弁当箱を出して箸を取る。だが、食欲が湧かず、箸が止まる。
思い詰めた表情のひよりを見て、誠は眉をひそめる。
「そんな顔するなよ。ひより、あいつにはもう近づかない方がいい」
「……え?」
「あいつはひよりを弄んだんだぞ。ニセの彼女とかいってひよりのこと振り回して、自分の都合で突然終わりにして。おかしいだろ」
憤る誠は、ぎゅうぎゅうに詰め込んだ白米をかきこむ。
おかしい……?
あの時隼人は、庇ってないって言いながら、私のこと庇ってくれた。
始まりは隼人の都合だったかもしれないけど、ただ流されただけじゃない。
私の願いも聞いてもらったし、民俗学に興味持って一緒にフィールドワークも行ってくれた。
ニセ彼女って言いながら、隼人は私の好きなことを知ろうとしてくれて、受け止めてくれた。
「誠、違うよ」
「何が?」
ひよりは箸を置いて誠を見据える。
「私、隼人に弄ばれたわけじゃない。振り回されてもいない。ニセ彼女になったのは、隼人に強引に決められたからじゃない。私が自分で決めたの」
誠は愕然としてご飯を飲み込み、咳込む。
「ゴホッゴホッ」
「大丈夫? お茶飲んで」
ひよりは慌てて鞄から水筒を出し、蓋にお茶を注いで誠に渡す。
誠はお茶でご飯を流し込み、ふうっと息を吐き出した。
「……鵜野森のこと、本当に、本気じゃないんだよな?」
「本気になれるわけないよ。好きにならないってことが、条件だったんだから」
「は? 何だそれ」
「とにかく、隼人とのことはもう終わったことだから」
ひよりは箸を持って卵焼きを口に入れる。甘味の中に少しだけ苦味がした。
放課後、ひよりは1人で部室に行き、鍵を閉めた。
手の中の鍵を握り締める。
返す前に、隼人にちゃんと確認しておきたい。
ニセ彼女も、私の願いも、本当に全部終わったのか。
廊下の角を曲がった時、何かにぶつかる。
ひよりは倒れそうになり、その拍子に鍵を取り落とした。
「ひよりっ」
鍵の落ちる音と共に、聞き慣れた声が聞こえ、抱き留められた。
「隼人?」
「大丈夫か」
「あ、うん」
隼人は手を離し、鍵を拾う。
「これ、部室の鍵か」
「うん。……隼人、もう部員じゃないでしょ。だから鍵、返さなきゃって」
「……いいのかよ、それで」
「だって、隼人が部活を続ける理由がないじゃん。私がニセ彼女やってたから、一緒に活動してくれたんでしょ」
「それはっ」
言いかけた言葉を飲み込み、隼人は手の中の鍵に目を落とす。
やっぱり、終わったんだ。
ニセ彼女じゃなくなったから、私と隼人を繋ぐものはもう何もない。
「鍵、返しといて。……さよなら」
ひよりは俯き、隼人の横を通り過ぎる。
「まっ……」
ひよりに腕を伸ばすが、隼人の手は宙を切る。
ひよりは振り返らず、そのまま廊下の奥へと消えた。
「これで、良かったんだよな」
隼人は握った拳を震わせ、自分に言い聞かせるように低く呟いた。


