恋じゃないふりをして

 月曜日の朝。
 ひよりが玄関を開けると、門の前にビニール傘を持っている隼人が立っていた。

「傘、持ってきたんだ」
「あと、これ」

遠足の時、隼人がひよりにあげたタオルを傘と一緒に渡した。

「貸したの忘れてた。ふわふわになってる」

厚みが増して肌触りがよくなっている。

「田名さんに洗い方教えてもらってさ」
「田名さん?」
「うちに来てくれてる家政婦さん」
「へえ。その田名さんに教えてもらって、隼人が洗ったの?」
「まあな」

ドヤ顔をする隼人がおかしくてひよりはふふっと笑みをこぼす。
 タオルと傘を玄関に置いて、隼人と並んで歩き出した。
 
「そういえば、妹は?」
「体調悪いから休むって。朝ご飯はしっかり食べてたんだけど」
「そっか。なら、邪魔されないな」

隼人はひよりの手を握る。

「これも本物らしく見せるアピール?」
「それもあるけど。ひよりの手見てると繋ぎたくなる」
「……変態?」
「どこがだよ。彼氏として健全だろ」
「だってニセ彼氏なのに」
「学校でニセとか言うなよ」
「2人の時しか言わないよ」

隼人が低い声で呟く。
 
「俺の前でも言うなよ」
「何で?」
「……何でもいいだろ」
「何それ。理由になってないじゃん」

ひよりは笑いながら隼人の肩を叩く。
 隼人は表情を和らげてひよりの笑顔を見つめた。

 学校が近づくにつれ、ひよりの顔から笑顔が消えていった。
 いつもは隼人だけを見ている女子たちの視線が、ひよりに集まっている。
 しかも、その視線は刺々しいものばかり。
 
「すごく見られてる。怖いんだけど」
 
隼人もその視線に気付き、ひよりの手をきつく握る。

「なんか、変だな」

教室に行くまでの間にも、大半の女子生徒がひよりへ冷たい視線を寄せては、ひそひそ声で顔を突き合わせた。

 何これ。私、何かした?

 ひよりは無意識に隼人の腕を掴む。

「大丈夫だって。変な噂が出回ってるだけだろ。俺が訂正するから」
「……うん」

頷いたものの、ひよりの胸はざわついて落ち着かない。嫌な予感がしてならない。
 教室に入ってすぐ、その予感は的中した。
 騒がしかった教室がしんと静まる。
 耳鳴りがするほどの静寂がひよりの恐怖をあおる。

「おはよう。雰囲気、悪くない?」

隼人が王子スマイルでクラスメイトたちに問いかける。
 あかりと仲の良い女子生徒たちが数人、隼人とひよりの周りに集まってきた。

「双葉ひより、あんたさ、王子と付き合ってないんでしょ」

ひよりは目を見開く。隼人は動揺を見せず、王子スマイルのまま首を傾げた。

「何の話? 俺たち付き合ってるって言ったよね?」
「王子、もう付き合ってる振りなんかしなくてもいいんだよ」

同情の眼差しを女子たちが隼人に向ける。
 隼人の笑顔がわずかに引きつる。
  
「えっと、どういう意味かな」
「みんな知ってるんだよ。王子が無理やり、双葉ひよりに付き合わされてるってこと」
「……は?」

隼人の顔から笑顔が消えた。
 女子たちはひよりを睨みつけた。

「あんたと王子が話してるの、あかりが聞いたんだよ」

ひよりは固まる。

 隼人が家に来た時、あかりに聞かれてたんだ……。
 でも、私が無理やり付き合わせてるなんて言ってない。あかり、何でそんな嘘……。

 女子たちは口々に、ひよりに非難を浴びせた。

「やっぱり、本当なんでしょ。あかりが嘘つくわけないし」
「王子の優しさにつけこむとか最低」
「よく普通に学校に来られるよね。ありえない」
「あかり、あんたのせいで、学校来れないぐらいショック受けてるんだけど」

ひよりは意味が分からず、困惑する。

「あかりが? そんなふうには見えなかったけど」
「双子のくせに、あかりが傷ついてることも分からないの?」

女子たちからひよりを庇うように、隼人は前に進み出る。 
 
「ひよりは何も悪くない。妹の勘違いだ」
「王子、庇う必要ないよ」
「そういうんじゃなくて」

隼人が否定するも、女子たちは聞く耳を持たない。

「あかり言ってたよ。『ひよりがニセの彼女だって言ってた』って」
「はっきり聞いたから間違いないって」
「あかりがモテるからって、当て付けで王子を無理やり彼氏にして、付き合ってることにしてたんでしょ」
「マジ、ムカつく。でもあかり、あんたのこと責めないでってあたしらに言ったんだよ」

ひよりは、あまりにも勝手なあかりの勘違いに唖然とする。
 
「ひよりん!」

登校してきた優依が、血相を変えて教室に飛び込んできた。教室の異様な雰囲気を感じ取った優依は、声を落として、ひよりにスマホ画面を見せた。

「これ、さっき部活の友達から見せてもらったんだけど」

匿名投稿アプリの画面には、隼人とひよりに関する投稿がされている。

『王子と双葉ひより、本当は付き合ってないらしい。
 双葉ひよりが、王子の優しさにつけこんで無理やり付き合ってるふりをさせてる。これ、ただの噂じゃない。ガチだから』

「何、これ。誰がこんなこと……」

女子の一人がスマホを握り締める。

「私が投稿した」
「え?」
「あかりには『ひよりを責めないで』って言われたよ。でも、こんなの黙ってられないじゃん」

別の女子もひよりを睨む。

「あかり、昨日からずっと泣いてたんだよ。それでもあんたのこと庇ってるのに」
「学校中に知られたのだって、自業自得でしょ」

優依が真剣な眼差しでひよりに問いかける。

「ひよりんがこんなことするはずない。嘘だよね? 王子とは本当に付き合ってるんだよね?」

ひよりは頷くことができなかった。嘘だと言えない。でも、本当だとも言えない。胸が締め付けられる。優依には、嘘をつきたくない。
 ひよりは繋いだ手を離し、唇を引き結んで目を伏せる。

「ひよりん……?」

押し黙るひよりを見る優依の瞳が揺れる。
 女子たちはこれ見よがしにひよりを責め立てる。

「本当だから何も言えないんでしょ」
「自分が悪いって認めなよ」
「いい加減、王子のこと解放して」

ひよりは震える唇を噛み締め、隼人を見上げる。
 今にも泣き出しそうなひよりの顔に、桜の顔が重なる。
 まただ。
 また、自分のせいで大切な人が傷つけられている。
 同じ過ちは繰り返さない。
 ひよりは、絶対に守る。
 隼人は決意して、一歩踏み出した。

「俺とひよりが付き合ってないのは、本当だ」

教室がどよめく。

「隼人!」

ひよりは驚愕し、震える手で口元を押さえた。
 
「でも、無理やり付き合わせてたのは、ひよりじゃない。俺だ」

一時の静寂が教室を支配する。

「俺の都合で彼女のふりをしてもらってた。最初は断られたけど、それでも俺が頼み込んだ。だから、ひよりは何も悪くない。庇ってるわけじゃない。本当のことだから」

隼人は無理やり作った王子スマイルをひよりに向ける。

「付き合わせて悪かったな。もう、彼女のふりしなくていいから。ニセの恋人は終わりにしよう」

隼人は踵を返して教室を出ていく。 
 遠ざかる隼人の背中を、ひよりは呆然と見つめた。
 
 何でみんなの前で言っちゃったの?
 こんなことで、終わっちゃうの?
 卒業までって言ったじゃん。
 なのに、本当にもう、終わりなの?

 優依に嘘をつかずにすむ。
 みんなの誤解が解けた。
 もう、毎日お弁当作らずにすむ。
 隼人がお父さんと、私のことで喧嘩せずにすむ。
  
 いいことのはずなのに。
 ……どうして、こんなに胸が苦しいの。