恋じゃないふりをして

「ひより、一緒に昼飯食おう」

チャイムが鳴ってすぐ、王子スマイルの隼人が当然のように声をかけてきた。
 おかげでクラス中の視線が突き刺さって痛い。
 
「……なんで?」
「彼女だから」

即答……。
 
「ひよりん、彼氏と食べてきなよ」
「優依、そうじゃなくて……」
「行こう」

隼人がひよりに手を差し出す。だが、ひよりはその手を取るのを躊躇する。
 
 恋人っぽく見せるってこういうこと?
 こんなの聞いてないよ。
 
「早く。みんな見てる」
 
ひよりにだけ聞こえるように、隼人が小声で言う。笑顔のままだが、瞳は笑っていない。ひよりはおずおずと手を出す。

「ひより、嫌なら嫌って言えよ」
 
誠がひよりの手を下ろさせ、隼人に剣呑な眼差しを向ける。

「君、誰?」
「若松誠。こいつの幼馴染だ」
「へえ。……幼馴染、ね」

隼人の目尻がぴくりと動く。
 
「ひより、本当にこいつと付き合ってるのか?」
「え、えっと……」

困惑した顔で隼人を見ると、眉間に皺を寄せギロリと睨まれる。

「う、うん」
「……マジで?」

疑い深い目の誠に見つめられ、ひよりは目を逸らす。

「悪いね、幼馴染くん。ひよりは俺にぞっこんだから」
「何勝手なこと……!」

隼人が長い人差し指をひよりの唇に当て、にっこりと微笑む。
 
「俺もひよりしか目に入らないよ」

ぞわり。
 ひよりの背筋に鳥肌が立つ。
 教室全体が隼人とひよりに注目し、ざわめく。
 隼人はそのままひよりの手を取って教室を出て行く。

「王子、本気なの?」
「あんな地味な子が?」
「あかりちゃんの方がお似合いなのに」

あかりは険しい表情で、ひよりの後ろ姿を見て呟いた。
 
「何でひよりが……」


 手を繋いだまま、人の多い廊下や中庭を進む。
好奇の視線が突き刺さる。

 これじゃ、見せつけてるみたいじゃん。
 
「いい加減離してよ」
「まだだめ。人が見てる」

隼人は周囲に笑顔を振りまきながら、そのままひよりの手を引いていく。

「どこまで行くの!」

体育館脇の非常階段まで来たところで、隼人はようやく手を離した。踊り場まで上がり、そこに腰掛けて隣を指差す。

「座って」
 
ひよりは一段低い所に距離を置いて座り、隼人を睨む。

「何でわざわざ2人で食べないといけないわけ」
「分かってねえな」

前髪をかきあげ、ニセ王子モード全開の不機嫌そうな顔をする。

「“彼女”は特別だって見せつけないと意味ねえんだよ」
「ニセの彼女なのに?」
「だからだ。さっき、言いかけただろ」
 
隼人がぐっと顔を近づける。
 ひよりはその分距離を空ける。

「あの2人には言ってもいいじゃん」
「いいわけねえだろ」
「誤解されたくないだけなのに」
「……あいつのこと、好きなの?」
「はあ? 何でそうなるの」

こいつの頭の中、色恋しかないわけ? 
 
 軽蔑の眼差しを向けると、隼人はふっと口元を緩める。
 
「またその目」
「何よ」
「ま、違うならいいや。ちゃんと彼女のふりしてくれよ」
「ふりって、何すればいいの?」
「昼飯一緒に食ったり、一緒に帰ったり」
「えー、学校内だけにしてよ」
「だめだ。付け入る隙のないカップルを演じないと」
 
隼人は目を伏せる。
 その横顔に影が落ちる。
 
 何でそこまでして……。
 
「その代わり、なんちゃら研究部の活動やってやるよ」
「部活の名前すら覚えてない?! やっぱり口だけでしょ!」
「ちゃんとやるって。契約だからな」
「だったら名前ぐらい覚えてよ」
「民俗学、だっけ?」

覚えてるじゃん。からかってただけ?
 もしかしたら、少しは興味持ってくれたりするかな……。
 いや、つまらなさそうな顔するに決まってる。
 それより問題がひとつ。

「でも、2人じゃ正式な部にはできない」
「じゃあ部室は?」
「あるわけないでしょ。部活って認められないと普通はもらえないよ」

隼人は顎に手を当てて考え込む。

「そういえば、狭いけど空き部屋あったな。そこ部室にしたら?」
「何でそんなとこ知ってるの?」
「前に先輩に連れ込まれかけた」
「……へー」
「なんだよ、その顔」
「女遊び激しいって噂、本当だったんだと思って」
「ちげえよ。女なんて面倒なだけだ」

目が死んでる。
 心底面倒くさそうだ。

「じゃあ、何で彼女のふりしないといけないの?」
「おまえは女避け。ある意味俺のボディーガードだな」
「なっ……!」

意地悪そうな笑い方がムカつく。

「部室は人目を避けるのに好都合だし、使えるか聞いてみるか」

隼人は突然スマホを取り出し、どこかへ電話をかける。
すぐに通話を終えると、笑顔で親指を立てた。

「使っていいってさ」
「何を?」
「空き部屋だよ。今日から俺らの部室代わり」
「誰に許可もらったのよ」
「理事長」
「は? 何で理事長に直接電話できるの!?」
「親父の知り合いなんだよ。仕事柄、顔広いから」
「お父さん、何者?」
「鵜野森グループ、知らない? その社長」
「……うそ」

本当にあの鵜野森グループの御曹司だったの……。
 うちのお父さんの会社、確かその系列なんだけど。
 ふりとはいえ、なんて人の彼女になってしまったんだろう……。

 ひよりは今更ながら頭を抱えて、契約を結んでしまった昨日の自分を恨んだ。

 
 放課後、隼人と空き部屋に行き、扉を開けた。
 その瞬間、埃がぶわっと舞い上がり、ひよりは顔をしかめた。

「うっ。汚い」
「ごほっ。埃まみれだな」

段ボールや書籍、ゴミが散乱している。隼人が窓を開けると、さらに埃が舞った。

「掃除しなきゃ」
「理事長が、中の物は処分していいって言ってたし、ゴミまとめるか」

隼人が積まれている段ボールを廊下に運び出す。

「……掃除、してくれるの?」
「するしかないだろ。ひよりも早くやれよ」
「あ、うん」

てっきり、1人でやれって言われると思った。
 女遊びの噂も違ったし、思ってた陽キャとはちょっと違う……。
 
「民俗学研究部って、どんな活動するんだ?」

空いている段ボールにゴミを投げ入れながら、隼人が問いかける。
 箒で床を掃いていたひよりの手が止まる。

「簡単に言えば、昔からその土地に伝わってるものを調べるの」
「伝わってるもの?」
「お祭りとか、昔話とか、言い伝えとか。神社やお寺もそうだし」
「地味だな。何がおもしろいんだ?」
「何がって……」

ひよりは少し考えて、窓の外を見る。

「例えば、学校の近くの道端に小さい祠があったりするでしょ?」
「あるな」
「何でそこにあると思う?」
「知らね」

隼人はゴミを投げ入れながら相槌を打つ。

「ちゃんと理由があるんだよ。昔の人が土地の神様を祀ってた、とか」
「へえ」
「調べてくと、その土地の歴史とか、人の暮らしまで見えてくるの」

ひよりの表情が明るくなり、口元が緩む。
 隼人は手を止め、ひよりの顔に目を向ける。

「それに、何百年も前の人が心を込めて作った祠とか神社が、今も普通に残ってるのって、すごくない?」
「……まあ、すごいな」
「でしょ!」

ひよりが一歩隼人に近づき、瞳を輝かせる。

「神社に狐とか狛犬いるでしょ。土地によって言い伝えが全然違ったりするし、狼を神様として祀ってるところもあるんだよ。私、特に狼神が気になってて。興味あるなら今度——」

夢中で話すうち、ひよりはいつの間にか隼人との距離を詰めていた。

「ちょ、待て。早口すぎて追いつけねえよ」
「あ、ごめん。つい……」

ひよりは我に返って飛び退き、俯く。

 絶対、ひかれた……。

「何で謝るんだ?」 
「だって、喋りすぎたから……」
「別にいいじゃん」
「え?」

ひよりは隼人を見上げる。

「よっぽど好きなんだろ?」

隼人がふっと柔らかく笑う。
 王子スマイルとは違う、自然な笑顔。
 
 ……こんなふうに笑うんだ。

 なんだか気恥ずかしくなり、ひよりは箒に視線を落とす。

「で、でも、興味ないこと語られてもうざいでしょ」
「むしろもっと聞きたい」

気付けば、隼人が目の前に立っていた。

「ひよりが楽しそうに話すの見てたら、興味でてきた」
「……本当に?」

ひよりの瞳の奥に、期待の色が滲む。

「ひよりの話聞くの好きかも」
「なっ……!」

隼人は瞳をいたずらっぽく細め、口角を上げる。

「顔、赤くなってる」
「暑いだけ!」
「照れてるんだろ」
「う、うるさいっ! 照れてないし!」

ひよりは怒って箒を振り回す。

「わかった、わかった」

隼人は笑いながら、逃げるように段ボールを抱えて部屋を出ていった。

 顔が熱い。心臓の音がうるさい。
 きっとこれは怒りのせい。
 興味でてきたなんて、きっとでまかせ。
 期待なんてしないほうがいい。
 なのに、あいつの自然な笑顔が頭から離れない……。


 ある程度片付けを終えた頃には、下校時間がとっくに過ぎていた。

「やばい。早く帰らないと。その前にひとつだけ」

ひよりは急いで鞄からペンケースを取り出し、無地の紙の上にマジックペンを走らせる。

『民俗学研究部(仮)』

「仮なんだ」
「部員も部室も仮ってことで」

テープで扉に貼り、ひよりは満足そうに扉を閉める。

「小さな一歩、かな」
「お疲れ、部長」
「部長? 私が?」
「部長やるの、ひよりしかいないだろ」
「そっか。私が、部長」

にやけそうになる口元を隠し、ひよりは扉に背を向けて歩きだす。
 その隣に隼人が並ぶ。

「なあ、活動ってただ資料見るだけじゃないよな?」
「うん。フィールドワークっていって、現地で調べることもあるよ」
「じゃあ行こう。今度の休み」
「え? 2人で?」

ひよりは目を瞬く。

「当たり前だろ。部員、俺らしかいないんだから」
「休日なのに、いいの?」
「どうせ暇だし。もっと民俗学のこと教えてよ、部長」
「知りたいなら、いくらでも教えるけど」
「じゃ、決まりな。場所は任せる」
「あ、うん」

結局学校の外でもこいつと2人。しかも休日に……。 
 いや、これはずっとやりたかった民俗学研究部の活動なんだから。楽しまないと。

 ひよりはざわつく胸を押さえる。 

 夕日の差し込む廊下に、長く伸びた2人の影が静かに揺れた。