恋じゃないふりをして

 あかりは薄暗い自室で、ベッドに寝転がってスマホを開いた。
 仲のいい友達とのグループトークを表示する。

『ねえ、聞いてほしいことがあるんだけど。ひよりと隼人くん、本当は付き合ってないみたい。昨日、2人が話してるの聞いちゃった』

あかりは口角を上げ、さらに文字を付け足していく。

『ひよりが、無理やり隼人くんに――』

 翌朝。
 ひよりが朝食を用意していると、隼人がやってきた。

「おはよう、ひより」

丈の合わないスウェットで寝癖もついているのに、晴れ晴れとした笑顔が眩しい。
 ひよりは手元に視線を戻し、卵焼きを巻きながら挨拶を返した。

「……おはよう」

ひよりの隣に立った隼人が嬉しそうに声を弾ませた。

「うまそう。ひよりの卵焼き、好き」
「す、好き?!」

ついその2文字に反応してしまう。
 
「何赤くなってんだよ。卵焼きのことだって」
「わかってる!」

隼人がいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「自分のことかと思った?」
「な、何言ってんの! 思うわけないでしょ!」
「あっそ」
「邪魔だからあっち行ってて!」

隼人の背中を押して、食卓に座らせる。
 カウンターの向こうで小動物のようにちょこまかと動くひよりを眺める隼人の口元が自然に緩む。
 ひよりはご飯と味噌汁、卵焼きとほうれん草のおひたしを隼人の前に並べる。

「ご飯の量、これぐらいで良かった? もっと食べる?」

しゃもじを片手に問いかけるひよりを、隼人はぼうっと見つめる。隼人の脳内に、今より少し大人びたひよりと2人で生活をしている未来が浮かぶ。

「……いいかも」
「いいのね?」

虚ろな目をしている隼人を怪訝な顔で見て、ひよりはキッチンに戻った。
 そこへ、ばっちりメイクを決め込み、おしゃれなワンピースを着たあかりがやってきた。隼人の隣に座って華麗に微笑んだ。

「隼人くん、おはよう」
「ああ、おはよう」

隼人は一瞬だけあかりを見て、手を合わせた。

「いただきます」

流れるような所作で箸を動かし、どんどん食べ進んでいく。その姿にあかりは見惚れる。

「あかり、お父さんとお母さんはまだ寝てた?」

あかりの前に食器を並べながら、ひよりが問いかける。

「知らない。私のご飯減らして。こんなに食べれないよ」

あかりはちらっと隼人を窺う。

「いつもと同じなんだけど」
「違うよ。いつももっと少ないもん」

あかりは、ぷくっと頬を膨らませる。

「はあー。わかった」

ひよりは溜息をついて、あかりの茶碗をキッチンに持っていった。

「自分でやんないの?」

隼人は呆れ顔であかりに尋ねる。
 
「え? だって、ご飯作るのはひよりの役目だし」
「作ってもらってるんだから、自分でできることはやった方がいいんじゃない?」

隼人の顔には笑顔が一切ない。初めて見る隼人の表情に、あかりは動揺する。

「どうしたの? そんな言い方、隼人くんらしくないよ」
「俺らしいって何? 素も王子だと思ってた? 悪いけどこっちが素だから」

冷たい眼差しをあかりに向ける。あかりは肩をびくつかせ、目を伏せた。

「あかり、これぐらいでいい?」

ひよりがご飯の量を半分に減らした茶碗を、あかりの前に置いた。

「……いらない」

あかりは椅子から立ち上がり、廊下に出た。
 自分の部屋に行き、ドアを思いっきり閉める。

「あれが隼人くんの素なんて、信じられない! 隼人くんはそんな人じゃないもん」

隼人の冷たい眼差しが脳裏をよぎる。
 あかりは隼人の顔を掻き消すように首を左右に振る。

「……ひよりのせいだ。私にとられないように、わざと冷たい態度取るよう隼人くんに言ったんだ。絶対そう! 」

スマホを握り締め、グループトークの画面を開く。
 ひよりへの憤りを露わにするトークが連なっている。
 
「みんななら分かってくれると思った。でも、まだ足りない。さっきのことも話しちゃおう」

あかりはほくそ笑んで、画面の上で指を走らせる。 

『ショックすぎて、涙止まらない。明日学校行けない……』 

一度手を止めてから、最後にもう一文打ち込む。

『でも、ひよりのこと責めないであげてね』

あかりは満足そうな顔で、送信ボタンをタップした。

 隼人が朝食をすませた頃、ひよりの両親はようやく姿を見せた。
 
「よく眠れましたか?」

隼人の向かいに座った父が愛想笑いを浮かべて問いかけた。

「はい」
「それはよかったです。今後とも末永く、うちの娘と仲良くしてください」
「もちろんです」

完璧な王子スマイル。
 ひよりは両親の前に朝食を運びながら隼人の笑顔を横目で見た。

 よくそんな笑顔で嘘つけるなあ。
 卒業までって言ってたくせに。

「ちょっと、ひより」

母が眉間に皺を寄せて、小声でひよりを呼んだ。

「何?」
「まさか、隼人さんにもこんな質素なご飯出したんじゃないでしょうね?」
「同じもの出したけど」
「信じられない! 鵜野森グループのご子息に同じものだなんて、失礼じゃない」
「何言ってるの? 隼人は毎日、私の質素なお弁当食べてるんだけど」
「あのお弁当……。隼人さん、ごめんなさいね、至らない娘で」

眉を下げて母が謝る。隼人は王子スマイルを維持したまま立ち上がり、母を見下ろした。

「ひよりさんの作るご飯、おいしいですよ」

隼人はひよりの隣に並んで肩を抱いた。
 ひよりは驚いて隼人を見上げる。肩の上に置かれた隼人の手に力が入る。

「僕にとってひよりさんは、最高の女性です」

隼人の顔から笑顔が消える。
 
「なのに、家では家政婦みたいな扱いを受けているなんて、ショックです」

息を呑む両親の顔が青ざめる。
 隼人は演技がかった口調でひよりの顎を持ち上げる。
 
「このままうちに連れて行ってしまいたい。ひより、俺と一緒に住まないか?」
「ええっ?」

演技、だよね?
 一緒に住むとかありえないんだけど。
 隼人のお父さんだって許すわけないっていうか、別れろって言われたんでしょ!
 何でこんな非現実的なこと言ってんの?
 
「さ、さすがにそれは……」
「ご冗談、ですよね?」

引きつった笑顔の父と母が隼人を見上げる。
 隼人は再び王子スマイルを浮かべて、ひよりの顎から指を離した。

「はい、冗談です」
「……は?」

ひよりが眉をひそめ、心の中で地団駄をふみまくった。
 
何なの、こいつ!
 冗談って!
 本気じゃないとは思ったけど、肩抱いて顎クイまでして、やりすぎ!

「一晩、お世話になりました。服まで貸して頂いて。着替えたら帰ります」

唖然としている両親に隼人は一礼する。

「ひより、俺の服ある?」
「あ、うん。乾いてるよ」
「ああ。ありがとな」

廊下に出る隼人の背中をひよりは追いかけ、文句をぶつけた。
 
「さっきの、やりすぎ!」
「何が?」
「何がって……! 冗談だからってあんなこと、お父さんとお母さんの前でやめてよ」
「……おまえが我慢してるからだろ」
「え?」
「1人で全員分のご飯作って、掃除もやって。それなのに感謝するどころか、文句言って見下してさ。俺の方が我慢できねえよ」
 
握り締めた拳が微かに震えている。
 
 どうして、隼人がこんなに怒ってるの?
 ……何でだろう。ちょっと嬉しい。

 ひよりは緩みそうになる頬に手を添える。

「ひよりをこの家から連れ出したいって、本気で思った」

揺らがない隼人の瞳が、本心だと語っている。
 
「……え?」
「一緒に住むのは、無理だけどな」

隼人は残念そうに笑う。
 
「そ、そりゃそうだよ! 服、客間に持ってくから、着替えたら帰ってよ」
 
ひよりは階段を駆け上がる。
 隼人はその後ろ姿を見て苦笑した。

 着替え終わった隼人は、ひよりと玄関の外に出た。
 昨日の大雨が嘘のように晴れ渡っている。
 強い日差しが降り注ぐ。
 隼人は眩しそうに目を細める。
 
「晴れたな」
「うん。あんなに雨降ってたのに」
「あっ、傘借りたままだった」
「余ってたビニール傘だし、返さなくてもいいよ」
「返すよ。月曜の朝、持ってくる」
「わざわざいいのに。本当に毎日迎えに来るつもりなの?」
 「……迷惑か?」

しゅんと肩を落とす。 
 そんなふうに言われたらはっきりと言いづらい。

「そういうわけじゃないけど」
「ならいいだろ。本当は毎朝、ひよりの作った朝食食べたいけど」
「またそんなこと言って。お弁当で我慢してよ」
「月曜の弁当、期待しとく。じゃあな」

背を向けようとする隼人をひよりは呼び止める。

「あ、あのさ」
「ん?」
「隼人のお父さんのこと、大丈夫なの?」
「平行線だろうな。……何があっても、ひよりと別れるつもりはないから」
「ニセの彼女なのに?」
「ニセだろうが、彼女は彼女だろ」
「そうだけど……」

ニセと本当の境界線が分からなくなってくる。
 好きにならないこと。
 2人の間に引かれた条件の壁。
 今では薄いガラスのようになっている。    
 少し力を加えたら粉々に割れてしまいそうだ。
 
「また月曜日な」
 
手を振って遠ざかっていく隼人の背中が見えなくなるまで、ひよりは見送った。