恋じゃないふりをして

 平日の早朝、ひよりはキッチンで2人分のお弁当作りに勤しみながら、家族分の朝食を用意して忙しなく動いていた。
 そこへ母が来て、並んでいる弁当箱を見て首を傾げた。
 
「ひより、その大きなお弁当箱誰の? お父さんとお母さんは社食だし、あかりのじゃないし」

ひよりはぎょっとして隼人用の弁当箱を隠したくなったが、平静を装って答えた。

「……彼氏の」
「ええっ? 彼氏いたの? あかりならともかくひよりが?」
「まあ、うん」

 ニセだけど、嘘じゃないから。

「あかりは彼氏いるのかしら。でも、あの子ならひよりと違って、彼氏できたらすぐに話してくれると思うんだけど。あかりから何も聞いてない?」

母は昔からこうだ。
 無意識にあかりと比較して、嫌味っぽい言い方をする。あかりとそっくり。
 
「聞いてない」
 
ひよりは首を振って、3人分のご飯とみそ汁を食卓に運ぶ。
 
「やばい、やばい、遅刻する。早朝会議があるの忘れてた!」

父が慌ただしくリビングに飛び込んできて、立ったままみそ汁に口をつける。

「あちっ! ひより、熱すぎるだろ、これ。こんなんじゃ、飲めない」
「……ごめん」

いつももう少し遅く来るから、ちょうどいいように熱くしてるのに。
 寝坊してくる方が悪いじゃん。
 そう言いたいけど、我慢。
 口に出したら、「だからおまえはかわいげがない。あかりを見習え」って言われるだろうから黙っておく。
 
「早朝会議忘れるなんて、ありえない」
「うるさいな。昨日は残業で疲れて帰ってきたんだよ。おまえと違って寝不足なんだよ」
「私だってフルタイムで働いて、毎日疲れてるのよ」
「ひよりにほとんど家事任せてるくせによく言うな」
「はあ?」

言い合いを始める両親から逃げるように、ひよりはキッチンで立ったままご飯とみそ汁をかきこんだ。

「おはよう」

サラサラの髪の毛を撫でつけながら、いつもどおりうっすらと化粧をしているあかりが入ってきた。
 柔らかい微笑みを向けられた両親は、口を閉ざす。
 殺伐としていた空気が一瞬でやわらいだ。
 
「あかり、おはよう」

母があかりの頭を優しく撫でる。

「おはよう、あかり。お父さん、行ってくるから」
「あ、お父さん、ちょっと待って。ネクタイ曲がってる」
 
鞄を持ってリビングを出ようとする父を呼び止め、ネクタイを直す。

「ありがとう。気が利くな、あかりは。行ってきます」
「いってらっしゃい」

照れたように笑う父にあかりは手を振って見送る。

 いつものこと。
 あかりは立ち回りが上手い。だから可愛がられる。
 私は両親にも他人にも愛想よくなんてできない。だから可愛げがないって言われる。
 
「あ、もうこんな時間。早く食べて行かないと」

母が壁掛け時計を見て、急いで食べ始める。
 あかりはキッチン横の冷蔵庫を開けて麦茶を注ぎながら、ひよりが手に持っている2つの巾着袋を指さした。

「それ、隼人くんのでしょ。毎日作ってるの?」
「うん」
「隼人くんに無理させてない?」
「どういう意味?」

無理して2人分作ってるの私なんだけど。
 
「だって、ひよりの作る庶民のご飯、口に合うのかな? 隼人くん優しいから、我慢してるんじゃないかなって」
「違うから。頼んできたのあっちだし」
「本当に? ひよりの勘違いってことはないの?」
「何が言いたいの」
「だって、告白してきたのもお弁当作ってって言ったのも、全部隼人くんって、なんか信じられなくて。ひよりが勝手にそう思い込んでて、隼人くんが無理して付き合ってるんじゃないかなって心配で」
「余計なお世話。あかりには関係ないでしょ。口出さないで」
「関係あるよ。私、隼人くんのこと本気で好きになっちゃった。だからさ、前にも言ったけど……」

あかりは麦茶をカウンターに置く。ひよりの前に両掌を出し、三日月型に目を細めて笑った。

「隼人くん、ちょうだい」

 ……本気なの? 
 また、私から奪うつもり? 
 
「あかり、何してるの。早く食べなさい」
「はーい」

あかりは麦茶を持って食卓につく。
 
 隼人はものじゃないのに。
 欲しいって言ってもあげられるわけない。
 そもそも隼人があかりのこと好きになるわけない。
 隼人は、誰のことも好きにならないんだから。
 ——私のことも。
 
 鞄に巾着袋を押し込みながら、言えない言葉を吞み込む。
 
 ブブッ。

 制服のスカートのポケットでスマホが震える。
 隼人からのメッセージが届いていた。

【ニセ王子】:おはよう。まだ家?

 朝からどうしたんだろう。

【ひより】:もうすぐ出るよ。

 返信して鞄を肩にかける。廊下に出てすぐ返信が着た。

【ニセ王子】:外で待ってる。

「外?」

首を傾げて玄関を開けた途端、ひよりは目を見開いた。

「隼人!」
「よう」
 
門の外で手を振っている隼人に駆け寄り、まじまじと見つめる。

「何でいるの?!」
「一緒に学校行こうと思って」
「だから何で?」
「彼女と登校した方がアピールになるかと思って」
「今まで来たことなかったじゃん」
「いいだろ。今日からってことで。ほら、手」

隼人に手を差し出され、ひよりはためらう。
 
 家の前から手繋ぐとか、本当の恋人みたいじゃん。
 近所の人に見られたら気まずい。

「今更、恥ずかしがるなよ」

隼人は苦笑してひよりの手を握った。

「だって、学校行くだけなのに手繋ぐとか恥ずかしいよ」
「見せつけるためにやってるんだって。彼女の演技ヨロシク」

ニセの彼女だって分かってるのに、手繋いだだけで何でこんなに心臓がうるさいの。

「弁当、作ってきた?」
「うん」
「やった。ひよりの弁当、うまいんだよな」
「……あのさ」

ひよりは足を止めて俯く。

「どうした?」
「本当に、喜んでくれてるんだよね? 気遣ってるわけじゃ、ないよね?」
「当たり前だろ。ひよりに気遣ってどうすんだよ」
「何その言い方!」

顔を上げると、目の前に隼人の整った顔があり、ひよりは一瞬息が止まる。

「そうやって、ひよりも俺に気遣わないだろ。だから、ひよりのこと……」

隼人は急に目を逸らして咳払いをして歩き出す。
 
「だから何?」
「何でもない」
「気になるんだけど」

横目でじとっと睨みつける。
 
「ひより?」

背後から名前を呼ばれて振り返る。

「あれ、誠? 朝練は?」
「休み。……いつも2人で登校してんの?」
 
誠が繋がれた2人の手と隼人を睨みつける。

「あ、いや、これは……」

ひよりは手を解こうとしたが、隼人は指を絡め直して離さなかった。

「当然。ずっとひよりと一緒にいたいから」

演技だと分かっていても、ひよりの胸に隼人の甘い言葉が溶け込んで鼓動が高鳴る。
 
「なっ……!」

誠は、顔を真っ赤にしているひよりを見て絶句する。

「ひよりー!」

家の方からあかりが髪をなびかせて走ってくる。

「あかり? 何で……」
「傘、持って行かなかったでしょ。天気予報で雨って言ってたよ」

あかりが肩で息をしながら、折り畳み傘を渡してきた。

「……ありがとう」

ひよりが怪訝な顔で受け取ると、あかりは隼人に笑いかけた。

「隼人くん、おはよう。もしかして、うちまでひよりを迎えに来たの?」
「そうだよ」
「ひより、隼人くん来てるなら声かけてくれたら良かったのに。私も一緒に行っていい?」
「あかり、俺もいるんだけど」

あかりの眼中になかった誠が割って入ると、一瞬だけ誠を見てすぐに隼人に視線を戻した。

「誠くん、おはよう。ねえ、隼人くん、一緒に行こう」

あかりが隼人の手を取ろうとするが、隼人はポケットに手を突っ込み、ひよりと繋いでいる手を掲げて見せた。

「彼女と行くから。ひより、行くぞ」
「あ、うん」

早足で歩く隼人と歩調を合わせて、ひよりは隣に並んで歩き出した。

「なんだよ、あいつら。見せつけやがって」
「誠くん、ひよりに告白したんでしょ」
「何で知ってんだ!?」
「振られたの?」
「ひよりからは、まだ。でも、見てたら分かる。俺に勝ち目ねえよ」

誠は肩を落としてとぼとぼ歩く。

「そんな簡単に諦めるの?」
「……簡単じゃねえよ」
「まだ、分からないよ」
「は?」
 
あかりは前を歩くひよりと隼人を見ながら不敵な笑みを浮かべる。

「隼人くんとひよりじゃ、釣り合わない。それにあの2人、なんか怪しいのよね」
「あかり、鵜野森のこと好きなのか?」
「好き。あんなにかっこよくて優しい人、見たことない。……なのに、何でひよりなのよ」
「あかりってさ、ひよりのこと見下してるよな」

あかりの顔から笑みが消える。
 
「だから何?」
「鵜野森のこと、ひよりから奪いたいだけなんだろ」
「そんなこと……」
「ひよりが俺のこと好きになってくれたら嬉しいけど、ひよりの気持ち無視してまで鵜野森から奪いたいとは思わない」
「それじゃ、誠くんは報われないじゃない」
「ひよりが幸せならそれでいい」
「何でそこまでひよりなんかのこと?」
「あかり、いい加減ひよりのこと見下すのやめろよ」

誠は鋭い視線であかりを射抜くと、背筋を伸ばして早足で歩いて行った。

「何よ、あの言い方。誠のくせに。……もう、いい」

あかりの低い呟きに呼応するように、遠くの方で雷が鳴った。


 放課後に近づくにつれて雲行きは怪しくなってきた。
 部活の一環として、隼人と図書室で民俗学と妖怪についての資料をまとめて帰る頃には、小雨が降っていた。
 
 あかりに傘、持ってきてもらって良かった。

 鞄から折り畳み傘を出すと、隼人が傘を奪って広げた。

「それ、私の傘なんだけど」
「入れてよ」
「えー、小さすぎるよ」
「大丈夫だって」

隼人はひよりの肩を抱き寄せて、雨から守るように密着した。

 な、何これ。相合傘ってやつ? でも、こんな近づかなくても……。
 なんか隼人、この前テーマパークに行ってから距離感変だよ。

 ちらっと隼人を見上げると、肩が濡れていることに気付いた。

「隼人、濡れてるじゃん。やっぱり無理があるよ。コンビニ寄って傘買おう」
「このままでいい」
「何で? 風邪ひくよ」

隼人はひよりから顔を背けてもごもごと口を動かした。
 
「……こっちの方が、ひよりの傍にいられるから」
「えっ?」
 
ひよりは唖然として、瞬きを繰り返す。

 今のも演技?
 他に誰もいないのに?
 誰かに聞かせるように言ったわけでもないのに?
 何で演技なんか……。

 そっぽを向いた隼人の頬と耳がわずかに赤い。

 さっきの、演技じゃない……?
 まさか、ね。
 
 数駅電車に乗って、ひよりは隼人と他愛ない会話をしながら家に着いた。

「こんなに濡れちゃって」

ひよりは隼人の肩を、遠足で買ってもらったタオルで拭く。だが、すぐ乾きそうにない。

「タオル肩にかけて行ったら? 早く帰って着替えた方がいいよ。あと、傘持ってって」
「そんなに彼氏と早く別れたいのか」
「冗談言ってる場合じゃないから。送ってくれてありがとね。また明日」

ひよりは名残惜しそうな顔をする隼人の背中を押して、玄関の扉を閉めた。

「つれない彼女だな」

隼人はひとりごとを言いながら傘を開いて人通りの少ない住宅街を歩いて行った。
 玄関先で、ひよりは息を吐き出して座り込む。

「はあー。演技なのか、なんなのか」
「何、演技って?」

突然背後からあかりに尋ねられ、ひよりは驚いて立ち上がった。

「うわっ、びっくりした! 帰ってたんだ」
「さっきね。で、演技って?」
「何でもない」
「ふーん」
 
急いで階段を駆け上がるひよりに、あかりは疑いの眼差しを向けた。