「うわあ~! すっごーい!」
日曜日。隼人とテーマパークを訪れたひよりは、閉じられた門の奥に見える大正時代の古風でありながらもモダンな建物に目を輝かせた。
「テンション高いな。まだエントランスだぞ」
「見てるだけでもテンション上がる! 最初どこ行く?」
ひよりは締まりのない表情でパーク内マップを開く。隼人は苦笑を浮かべながら、ひよりの頭から爪先までを眺める。
普段はポニーテールだが、今日はハーフアップにして、この間隼人が選んだ猫のTシャツとワイドパンツとよく似合っている。
アクティブさとガーリーさを兼ね備えたいつもとは違うひよりの姿に、隼人は釘付けになる。
「ねえ、隼人、聞いてる?」
ぼうっとしている隼人の目の前で、ひよりが手を振る。
「あ、ああ」
隼人ははっと我に返って、目線をひよりの持つマップに移した。
その時、突然明るい音楽が鳴り始めた。門の前にいたスタッフの女性が、営業スマイルで一礼した。
「皆様、本日は『JHP』、Japanese Historical Parkのプレオープンにお越し下さり、ありがとうございます。ただいまより、開場いたします。素敵な時の旅をお楽しみください!」
拍手と共に門が開く。ひよりも大きな拍手を送り、期待を胸にパーク内へ踏み込んだ。
「見て! お稲荷さんの神社がある!」
江戸エリアから回ることにしたひよりは、江戸の街並みの中に紛れている小さな鳥居と狐の石像を見つけると、隼人を置き去りにして走り出した。
「ひより、勝手に行くなよ」
隼人が追い付くと今度は道端に置かれてある六体の地蔵に向かって走って行った。
「六地蔵だ! 皆笠被ってる。あ、でも、端の一体だけ手拭いだ。昔話の笠地蔵じゃない? 昔話まで再現してる!」
「待てって」
隼人が追い付いたと思ったら、今度は精巧に再現された民家の中に1人で入っていった。
「もしかして、家の中で鶴が機織りしてたりして!」
「ひより、1人で行くな」
隼人に手を掴まれ、ひよりは振り向く。
隼人は自分の指をひよりの指に絡ませ、握った手をひよりの目の前に突き出した。
「手、繋いどけよ。すぐどっか行くから」
「あ、ごめん。楽しすぎて」
隼人は背を向け、民家の外に出ながらぼそっと呟いた。
「置いてくなよ」
隼人の呟き声がひよりの胸をくすぐる。
……大きな子どもみたい。ちょっとかわいい、かも?
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
隼人が振り向き、眉を寄せる。
「何笑ってんだよ」
「だって、置いてくなよって。ふふふっ」
「笑いすぎだ」
肩を震わせて笑うひよりのおでこを、隼人が指で弾く。
「いたっ!」
「俺のこと忘れて、1人で楽しみやがって。デートだって言っただろ」
「練習、でしょ」
「本物に見えるための練習な。ほら、あそこのカップル見てみろ。手繋いで歩いてるし、あっちの人達は一緒に写真撮ってるだろ。ひよりみたいに1人で突っ走ってる彼女、いないぞ」
「うっ……。確かに」
ひよりは他のカップルを見て言葉に詰まる。
「とりあえず写真撮ろう」
隼人がスマホのインカメを向けると、ひよりが袖を引っ張って街中を流れる川に架かる橋を指さした。
「写真撮るならあっちがいい。橋の上からの方が、江戸っぽい街並みを背景に撮れそうだよ」
「それいいな」
橋の上で隼人と並んで写真を撮ろうとした時、年配の夫婦が通りかかり、女性が声をかけてきた。
「良かったら、お撮りしましょうか?」
「ありがとうございます。このボタン押してもらえれば撮れるので」
隼人がスマホを渡してお願いする。
「撮りますよ。はい、チーズ」
隼人に肩を抱かれ、ひよりはぎこちない笑顔でピースサインをした。
「ちゃんと撮れたかしら?」
「ありがとうございます。助かりました」
「かわいらしいカップルね」
私たち、恋人に見えるんだ。
ひよりは肩がぶつかりそうなほど近い距離の隼人を見上げる。
「高校生?」
「はい、そうなんです」
隼人はいつもの王子スマイルを浮かべる。
女性は気恥ずかしそうに頬に手を添え、隣に立っている夫をちらっと見た。
「イケメンねえ。昔のあなたに似てるわ」
「何を言っとる。俺の方がイケメンだったわ」
「まあ。あなたったら。ごめんなさいねえ」
男性は面白くなさそうな目で隼人を一瞥すると、鼻を鳴らして歩き出す。女性は嬉しそうに皺を深くして、隼人とひよりに一礼すると男性の後を追っていった。
「仲良いご夫婦だね」
「あの年で嫉妬できるって凄いよな。俺たちもああなりたいな」
隼人が口角を上げて、冗談っぽく目を細める。
「は、はあ? 何言ってんの! おばあちゃんになるまでニセの彼女やらせるつもり?!」
「ははっ。そこまでいけば、ニセじゃないだろ。冗談だって」
「からかわないでよ。でも……」
ひとつの疑問が浮かぶ。聞いていいのか少し悩み、口を閉ざす。
「何だよ?」
「いや、その……」
口ごもるひよりに目線を合わせて、隼人が腰をかがめる。
「どうした?」
顔を覗き込まれ、ひよりは目を伏せる。
聞くべきか、聞かないでおくべきか。
聞いてしまうのが、ちょっとだけ怖い。
「言いたいことあるなら我慢するなよ。ひよりらしくない」
「私、そんなに言いたいこと言いまくってた?」
「そうだろ。虫けら見るような目でずけずけと言うし、俺が最初に選んだ服はダメ出しするし」
「ああ、うん……」
ひよりは言い返せず、目を泳がせる。
「でも、そこがひよりの良いところだけどな」
「へ?」
「下心丸見えで媚び売ってくる奴らとは全然違う。だからひよりを選んだんだ」
——好きにならなそうだから。
そう。だから私はニセ彼女なんだった。
「で、何言いたかったんだよ」
「……聞きたかったの。いつまで、ニセ彼女やればいいのかって」
隼人の表情が固まる。
欄干に手を乗せて穏やかに流れる川を見下ろし、低い声で答えた。
「……卒業まで」
高校生活が終わるまでこの関係は続く。
長いような短いような。
複雑な気分。
「卒業したら留学するつもりだから。それまで頼むよ、ニセ彼女」
「……うん」
ひよりは小さく頷いた。
湿り気を帯びた風が吹いて、川沿いの柳を揺らした。
「なあ、ここ行かね?」
隼人が鞄からマップを取り出し、アトラクションエリアを指差す。
ジェットコースター、メリーゴーランド、空中ブランコ、観覧車など、子供でも乗れそうな小振りのアトラクションがある。また、リアルを追求した妖怪のモニュメントが建ち並ぶ妖怪街道もあり、妖怪をモチーフにしたお化け屋敷や、脱出ゲーム、シューティングゲームなど、大人も楽しめるエリアだ。
「妖怪街道行きたい!」
ひよりは走り出すが、隼人に腕を掴まれて足を止めた。
「だから、1人で行くなって」
「あ、ごめん。行こう!」
自ら隼人の手を握り、ひよりは引っ張るようにして先へ進んでいく。
「お、おう」
自分の手を握るひよりの小さな手から熱が伝わる。
前を歩くひよりの細い肩、背中で揺れる髪に日差しが降り注ぐ。
思わず触れたくなり、腕を伸ばす。
「隼人、見て見て!」
ひよりが振り返り、隼人は咄嗟に腕を下ろし、誤魔化すようにポケットに入れた。
「ろくろっ首、河童、天狗、唐傘お化け、子泣きじじいに、アマビエもいる!」
隼人が気づかない内に、妖怪街道に入っていたようで、道の真ん中にずらっと並んでいる妖怪のモニュメントをひよりが順番に指をさす。
「どれもけっこう、怖い顔してるな」
「そこがいいんだよ。リアルでしょ」
「リアルって。架空の生物だろ」
「分からないよ。河童とか天狗とかは各地で目撃情報があるんだから」
ひよりはしゃべりながらスマホで一体ずつ写真を撮っていく。
「へえ。妖怪は実在するって思ってるのか?」
問いかけながら、隼人はスマホを構えて写真を撮り続けるひよりを動画で撮影する。
「分かんないけど、いるんだったら会ってみたい」
ひよりはスマホから顔を上げて、隼人の方を見て微笑む。
画面越しのひよりから目が離せない。
隼人の心臓がぐっと締め付けられる。
「もう、撮らないでよ」
撮られていることに気づいたひよりは、ムッとした表情になった。
隼人は停止ボタンをタップして表情を緩めた。
「彼氏が彼女の動画撮って何が悪いんだよ」
「動画だったの? やめてよ! 絶対、変な顔してた!」
「してないって。見る?」
「見ない。消して!」
「それは無理」
「何でよ!」
「……かわいいから」
ひよりは目を見開き、顔が真っ赤に染まる。
「な、何言ってんの。からかわないでよ」
隼人はぷっと吹き出し、肩を揺らした。
「だってさ、ちょこまか動いて小動物みたいだし」
「はあ? やっぱりからかってるじゃん!」
「あははは。ほんと、ひよりって見てて飽きない」
「なんか馬鹿にされてる気分」
「褒めてるんだって。なあ、そんなに妖怪好きだったら、お化け屋敷入ろうぜ」
斜め向かいにおどろおどろしい荒れ寺を模したお化け屋敷がある。
お化け屋敷、苦手なんだよなあ。
でも、妖怪は気になる……。
顔を強張らせるひよりに、隼人はいたずらっぽい笑みを向ける。
「怖いのか? 手握っててやるから」
隼人がひよりの手を握る。
大きな手に包まれて、不思議と恐怖心が和らぐ。
「手、離さないでよ」
ひよりは隼人の手を握る手に力を込める。
「離さねえよ」
隼人は速まる鼓動を抑え、お化け屋敷に向かって歩き出した。
プレオープンのため、人が少ないこともあり、並ばずに入ることができた。
おどろおどろしい雰囲気の中、暗がりを進んでいく。寒い空気が肌を撫で、余計に怖くなる。
ひよりは隼人の手を握りしめながら、恐る恐る進んでいく。
「びびりすぎじゃね?」
「だって、怖いし……」
「ケラケラケラケラ」
角から不気味な声が聞こえたと同時に、目の前にお化け提灯が飛び出てくる。
「いやあっ!」
ひよりは隼人の腕にしがみつき、固く目を閉じる。
「大丈夫だって。ひよりの好きな妖怪だから。ほら、よく見てみろよ」
隼人に言われて薄く目を開ける。
ぼんやり明かりが灯った提灯に顔が浮かんでおり、半分に裂けた所から長い舌が伸びている。
「お化け提灯……」
「典型的な仕掛けだな」
隼人は何事もないように先を進む。
「何でそんなに平気なの」
「ただのアトラクションだし。ひよりが怖がりすぎなんだよ」
どこからか悲鳴が聞こえ、ひよりは体を強張らせる。
「ほ、ほら、他の人も怖がってるじゃん。私だけじゃないから」
「分かったよ。目閉じとけば? ちゃんと誘導してやるから」
「でも、どんな妖怪が出てくるか気になる……」
「何だそれ。怖いくせに」
「怖いけど、隼人がいるから」
「え……?」
隼人が立ち止まってすぐ、壁際の井戸から河童の人形が飛び出してきた。
「きゃあっ!」
ひよりが隼人の手を離して腕にしがみつく。
震えるひよりの背中をさすりながら、隼人は怪訝な顔で全身緑色の不気味な河童を見た。
「井戸から河童? 普通幽霊じゃない?」
「あっ、河童だったんだ」
ひよりは胸を撫で下ろし、妙にリアルな河童の人形をまじまじと見つめた。
「井戸や水神様を“河童さん”って呼んだり、干ばつでも枯れない湧き水がある場所は“かっぱ井戸”って呼ぶ地域もあるんだよ」
「へえ。知らなかった。妖怪も詳しいんだな」
「妖怪と民俗学は深く結びついてるからね。日本民俗学の創始者の柳田國男は、妖怪を重要な研究対象として位置づけてて……」
語り始めるひよりを見ながら、隼人は小さく笑った。
「こんな時でも語るのか。お化け屋敷にいること忘れてない?」
「……あっ」
ひよりは口を閉ざして辺りを見回し、隼人の腕にしがみつく。
隼人はそんなひよりをおもしろがって笑みをこぼす。
「ははっ。次の妖怪が楽しみだな」
「笑ってる場合じゃない!」
ひよりは脅かしてくる妖怪を警戒して隼人の背に隠れるように暗がりを進んでいった。
日曜日。隼人とテーマパークを訪れたひよりは、閉じられた門の奥に見える大正時代の古風でありながらもモダンな建物に目を輝かせた。
「テンション高いな。まだエントランスだぞ」
「見てるだけでもテンション上がる! 最初どこ行く?」
ひよりは締まりのない表情でパーク内マップを開く。隼人は苦笑を浮かべながら、ひよりの頭から爪先までを眺める。
普段はポニーテールだが、今日はハーフアップにして、この間隼人が選んだ猫のTシャツとワイドパンツとよく似合っている。
アクティブさとガーリーさを兼ね備えたいつもとは違うひよりの姿に、隼人は釘付けになる。
「ねえ、隼人、聞いてる?」
ぼうっとしている隼人の目の前で、ひよりが手を振る。
「あ、ああ」
隼人ははっと我に返って、目線をひよりの持つマップに移した。
その時、突然明るい音楽が鳴り始めた。門の前にいたスタッフの女性が、営業スマイルで一礼した。
「皆様、本日は『JHP』、Japanese Historical Parkのプレオープンにお越し下さり、ありがとうございます。ただいまより、開場いたします。素敵な時の旅をお楽しみください!」
拍手と共に門が開く。ひよりも大きな拍手を送り、期待を胸にパーク内へ踏み込んだ。
「見て! お稲荷さんの神社がある!」
江戸エリアから回ることにしたひよりは、江戸の街並みの中に紛れている小さな鳥居と狐の石像を見つけると、隼人を置き去りにして走り出した。
「ひより、勝手に行くなよ」
隼人が追い付くと今度は道端に置かれてある六体の地蔵に向かって走って行った。
「六地蔵だ! 皆笠被ってる。あ、でも、端の一体だけ手拭いだ。昔話の笠地蔵じゃない? 昔話まで再現してる!」
「待てって」
隼人が追い付いたと思ったら、今度は精巧に再現された民家の中に1人で入っていった。
「もしかして、家の中で鶴が機織りしてたりして!」
「ひより、1人で行くな」
隼人に手を掴まれ、ひよりは振り向く。
隼人は自分の指をひよりの指に絡ませ、握った手をひよりの目の前に突き出した。
「手、繋いどけよ。すぐどっか行くから」
「あ、ごめん。楽しすぎて」
隼人は背を向け、民家の外に出ながらぼそっと呟いた。
「置いてくなよ」
隼人の呟き声がひよりの胸をくすぐる。
……大きな子どもみたい。ちょっとかわいい、かも?
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
隼人が振り向き、眉を寄せる。
「何笑ってんだよ」
「だって、置いてくなよって。ふふふっ」
「笑いすぎだ」
肩を震わせて笑うひよりのおでこを、隼人が指で弾く。
「いたっ!」
「俺のこと忘れて、1人で楽しみやがって。デートだって言っただろ」
「練習、でしょ」
「本物に見えるための練習な。ほら、あそこのカップル見てみろ。手繋いで歩いてるし、あっちの人達は一緒に写真撮ってるだろ。ひよりみたいに1人で突っ走ってる彼女、いないぞ」
「うっ……。確かに」
ひよりは他のカップルを見て言葉に詰まる。
「とりあえず写真撮ろう」
隼人がスマホのインカメを向けると、ひよりが袖を引っ張って街中を流れる川に架かる橋を指さした。
「写真撮るならあっちがいい。橋の上からの方が、江戸っぽい街並みを背景に撮れそうだよ」
「それいいな」
橋の上で隼人と並んで写真を撮ろうとした時、年配の夫婦が通りかかり、女性が声をかけてきた。
「良かったら、お撮りしましょうか?」
「ありがとうございます。このボタン押してもらえれば撮れるので」
隼人がスマホを渡してお願いする。
「撮りますよ。はい、チーズ」
隼人に肩を抱かれ、ひよりはぎこちない笑顔でピースサインをした。
「ちゃんと撮れたかしら?」
「ありがとうございます。助かりました」
「かわいらしいカップルね」
私たち、恋人に見えるんだ。
ひよりは肩がぶつかりそうなほど近い距離の隼人を見上げる。
「高校生?」
「はい、そうなんです」
隼人はいつもの王子スマイルを浮かべる。
女性は気恥ずかしそうに頬に手を添え、隣に立っている夫をちらっと見た。
「イケメンねえ。昔のあなたに似てるわ」
「何を言っとる。俺の方がイケメンだったわ」
「まあ。あなたったら。ごめんなさいねえ」
男性は面白くなさそうな目で隼人を一瞥すると、鼻を鳴らして歩き出す。女性は嬉しそうに皺を深くして、隼人とひよりに一礼すると男性の後を追っていった。
「仲良いご夫婦だね」
「あの年で嫉妬できるって凄いよな。俺たちもああなりたいな」
隼人が口角を上げて、冗談っぽく目を細める。
「は、はあ? 何言ってんの! おばあちゃんになるまでニセの彼女やらせるつもり?!」
「ははっ。そこまでいけば、ニセじゃないだろ。冗談だって」
「からかわないでよ。でも……」
ひとつの疑問が浮かぶ。聞いていいのか少し悩み、口を閉ざす。
「何だよ?」
「いや、その……」
口ごもるひよりに目線を合わせて、隼人が腰をかがめる。
「どうした?」
顔を覗き込まれ、ひよりは目を伏せる。
聞くべきか、聞かないでおくべきか。
聞いてしまうのが、ちょっとだけ怖い。
「言いたいことあるなら我慢するなよ。ひよりらしくない」
「私、そんなに言いたいこと言いまくってた?」
「そうだろ。虫けら見るような目でずけずけと言うし、俺が最初に選んだ服はダメ出しするし」
「ああ、うん……」
ひよりは言い返せず、目を泳がせる。
「でも、そこがひよりの良いところだけどな」
「へ?」
「下心丸見えで媚び売ってくる奴らとは全然違う。だからひよりを選んだんだ」
——好きにならなそうだから。
そう。だから私はニセ彼女なんだった。
「で、何言いたかったんだよ」
「……聞きたかったの。いつまで、ニセ彼女やればいいのかって」
隼人の表情が固まる。
欄干に手を乗せて穏やかに流れる川を見下ろし、低い声で答えた。
「……卒業まで」
高校生活が終わるまでこの関係は続く。
長いような短いような。
複雑な気分。
「卒業したら留学するつもりだから。それまで頼むよ、ニセ彼女」
「……うん」
ひよりは小さく頷いた。
湿り気を帯びた風が吹いて、川沿いの柳を揺らした。
「なあ、ここ行かね?」
隼人が鞄からマップを取り出し、アトラクションエリアを指差す。
ジェットコースター、メリーゴーランド、空中ブランコ、観覧車など、子供でも乗れそうな小振りのアトラクションがある。また、リアルを追求した妖怪のモニュメントが建ち並ぶ妖怪街道もあり、妖怪をモチーフにしたお化け屋敷や、脱出ゲーム、シューティングゲームなど、大人も楽しめるエリアだ。
「妖怪街道行きたい!」
ひよりは走り出すが、隼人に腕を掴まれて足を止めた。
「だから、1人で行くなって」
「あ、ごめん。行こう!」
自ら隼人の手を握り、ひよりは引っ張るようにして先へ進んでいく。
「お、おう」
自分の手を握るひよりの小さな手から熱が伝わる。
前を歩くひよりの細い肩、背中で揺れる髪に日差しが降り注ぐ。
思わず触れたくなり、腕を伸ばす。
「隼人、見て見て!」
ひよりが振り返り、隼人は咄嗟に腕を下ろし、誤魔化すようにポケットに入れた。
「ろくろっ首、河童、天狗、唐傘お化け、子泣きじじいに、アマビエもいる!」
隼人が気づかない内に、妖怪街道に入っていたようで、道の真ん中にずらっと並んでいる妖怪のモニュメントをひよりが順番に指をさす。
「どれもけっこう、怖い顔してるな」
「そこがいいんだよ。リアルでしょ」
「リアルって。架空の生物だろ」
「分からないよ。河童とか天狗とかは各地で目撃情報があるんだから」
ひよりはしゃべりながらスマホで一体ずつ写真を撮っていく。
「へえ。妖怪は実在するって思ってるのか?」
問いかけながら、隼人はスマホを構えて写真を撮り続けるひよりを動画で撮影する。
「分かんないけど、いるんだったら会ってみたい」
ひよりはスマホから顔を上げて、隼人の方を見て微笑む。
画面越しのひよりから目が離せない。
隼人の心臓がぐっと締め付けられる。
「もう、撮らないでよ」
撮られていることに気づいたひよりは、ムッとした表情になった。
隼人は停止ボタンをタップして表情を緩めた。
「彼氏が彼女の動画撮って何が悪いんだよ」
「動画だったの? やめてよ! 絶対、変な顔してた!」
「してないって。見る?」
「見ない。消して!」
「それは無理」
「何でよ!」
「……かわいいから」
ひよりは目を見開き、顔が真っ赤に染まる。
「な、何言ってんの。からかわないでよ」
隼人はぷっと吹き出し、肩を揺らした。
「だってさ、ちょこまか動いて小動物みたいだし」
「はあ? やっぱりからかってるじゃん!」
「あははは。ほんと、ひよりって見てて飽きない」
「なんか馬鹿にされてる気分」
「褒めてるんだって。なあ、そんなに妖怪好きだったら、お化け屋敷入ろうぜ」
斜め向かいにおどろおどろしい荒れ寺を模したお化け屋敷がある。
お化け屋敷、苦手なんだよなあ。
でも、妖怪は気になる……。
顔を強張らせるひよりに、隼人はいたずらっぽい笑みを向ける。
「怖いのか? 手握っててやるから」
隼人がひよりの手を握る。
大きな手に包まれて、不思議と恐怖心が和らぐ。
「手、離さないでよ」
ひよりは隼人の手を握る手に力を込める。
「離さねえよ」
隼人は速まる鼓動を抑え、お化け屋敷に向かって歩き出した。
プレオープンのため、人が少ないこともあり、並ばずに入ることができた。
おどろおどろしい雰囲気の中、暗がりを進んでいく。寒い空気が肌を撫で、余計に怖くなる。
ひよりは隼人の手を握りしめながら、恐る恐る進んでいく。
「びびりすぎじゃね?」
「だって、怖いし……」
「ケラケラケラケラ」
角から不気味な声が聞こえたと同時に、目の前にお化け提灯が飛び出てくる。
「いやあっ!」
ひよりは隼人の腕にしがみつき、固く目を閉じる。
「大丈夫だって。ひよりの好きな妖怪だから。ほら、よく見てみろよ」
隼人に言われて薄く目を開ける。
ぼんやり明かりが灯った提灯に顔が浮かんでおり、半分に裂けた所から長い舌が伸びている。
「お化け提灯……」
「典型的な仕掛けだな」
隼人は何事もないように先を進む。
「何でそんなに平気なの」
「ただのアトラクションだし。ひよりが怖がりすぎなんだよ」
どこからか悲鳴が聞こえ、ひよりは体を強張らせる。
「ほ、ほら、他の人も怖がってるじゃん。私だけじゃないから」
「分かったよ。目閉じとけば? ちゃんと誘導してやるから」
「でも、どんな妖怪が出てくるか気になる……」
「何だそれ。怖いくせに」
「怖いけど、隼人がいるから」
「え……?」
隼人が立ち止まってすぐ、壁際の井戸から河童の人形が飛び出してきた。
「きゃあっ!」
ひよりが隼人の手を離して腕にしがみつく。
震えるひよりの背中をさすりながら、隼人は怪訝な顔で全身緑色の不気味な河童を見た。
「井戸から河童? 普通幽霊じゃない?」
「あっ、河童だったんだ」
ひよりは胸を撫で下ろし、妙にリアルな河童の人形をまじまじと見つめた。
「井戸や水神様を“河童さん”って呼んだり、干ばつでも枯れない湧き水がある場所は“かっぱ井戸”って呼ぶ地域もあるんだよ」
「へえ。知らなかった。妖怪も詳しいんだな」
「妖怪と民俗学は深く結びついてるからね。日本民俗学の創始者の柳田國男は、妖怪を重要な研究対象として位置づけてて……」
語り始めるひよりを見ながら、隼人は小さく笑った。
「こんな時でも語るのか。お化け屋敷にいること忘れてない?」
「……あっ」
ひよりは口を閉ざして辺りを見回し、隼人の腕にしがみつく。
隼人はそんなひよりをおもしろがって笑みをこぼす。
「ははっ。次の妖怪が楽しみだな」
「笑ってる場合じゃない!」
ひよりは脅かしてくる妖怪を警戒して隼人の背に隠れるように暗がりを進んでいった。


