隼人に案内されてパンケーキ店に入ると、やけに狭い奥のソファ席に案内された。店内はカップルで賑わっており、騒然としている。
小さなテーブルを挟んで向かいに座る隼人との距離が近い。
「これ、どう?」
隼人がテーブルに貼られているQRコードを読み込んでメニューを見せてきた。
さくらんぼやあんずがのった、4段重ねのパンケーキの写真にメニュー名が書いてある。
『2人でシェア♡ラブラブスフレパンケーキ 初夏のフルーツを添えて』
「……何これ。頼みにくいんだけど」
「カップル限定メニューで、バズってるらしい」
「どうりで」
カップルが多い理由が分かった。みんなこれ目当てで来てるんだ。
もしかして隼人がここに連れて来た理由って……。
「これ頼もうぜ。ひよりと一緒じゃなきゃ食べれないんだよ」
「甘いの好きなの、隼人の方じゃん。……ねえ、話する気ある?」
注文ボタンをタップする隼人を、ひよりは怪訝な目で見る。
「ちゃんと話すよ。……あんまり良い話じゃないけど」
隼人はスマホをテーブルに伏せて置く。
グラスの水を飲んで唇を舐めると、ぽつぽつと話し始めた。
「中2の時、小山桜っていう子と付き合ってた」
本当に、付き合ってたんだ……。
ひよりは組み合わせた両手の指に力を込めた。
「桜は大人しくてあんまり目立たない女子だった。園芸部で、花が好きだったんだ。同じクラスだったけど、あの時初めて桜が目に入った――」
昼休み、友達とサッカーボールで遊んでいた隼人は、遠くに飛んでいったボールを追いかけた。花壇の中に入ってしまったボールを取ろうとした時。
『あっ! 入っちゃだめ!』
桜の怒った声に止められ、隼人は振り向いた。
アヤメの花が咲いたばかりだからと桜は慎重にボールを取った。だが、1本折れてしまっていた。
『折れてる……』
『ごめん』
謝る隼人に、桜は何か言いたげに口を開くが、すぐに閉じてボールを渡した。
『……いいよ』
背を向けて花壇の前にしゃがむ桜の小さな背中が、わずかに震えていた。スコップで折れた花を慎重に掘り起こし始める。
『手伝うよ』
『気にしないで』
『俺のせいだし。これ、掘ればいいの?』
『あっ、雑にやらないで。また花を咲かせられるようにするから』
『そんなことできるんだ』
『できるよ。……私、アヤメが一番好きなの。凛としてて、紫の花びらもきれいでしょ』
強張っていた桜の表情がやわらぐ。ボブカットの髪を耳にかけて、花びらが咲くように笑顔を綻ばせた。目が眩みそうなほど輝くその笑顔に、隼人の心臓は射抜かれた。
「あの時からだった。気付いたら桜を目で追ってて、話すようになったんだ。花の話になるとすげえ楽しそうに喋ってさ、もっと聞きたいって思ってるうちに、好きになってた」
ひよりの胸がチクリと痛む。
隼人の顔、見たくない。
……何でこんなに苦しいんだろう。
隼人から告白をして桜と付き合うようになったと話したところで、店員が注文していたパンケーキを運んできた。
「ラブラブスフレパンケーキ、お待たせ致しました」
気の抜けるメニュー名が重い空気を払いのける。
「思ったよりでかいな。うまそう」
隼人が上段2つを取り皿にわけて、ひよりに渡す。
「……ありがとう」
ナイフを入れると抵抗感がほとんどなくスッと切れる。口に入れたらすぐに溶けてなくなった。
甘さとフルーツの酸味がバランスよく口の中に広がる。
「おいしい」
「うまいな、これ」
隼人はどんどん食べ進める。
桜さんの話の続き、聞きたいような、聞きたくないような……。
でも、ニセ彼女が必要な理由は、気になる。
ひよりの視線を感じた隼人は、食べる手を止め、ナフキンで口を拭いてまた話し始めた。
「……俺と桜が付き合ってること、知らない内に学校中に知られてた。自分が目立ってるってことの意味が、あの時はちゃんと分かってなかったんだ」
隼人はグラスを握り、水を一口飲んだ。
「俺と付き合ってるってだけで、桜のこと気に入らないやつがいたんだ。そいつらに、陰口を叩かれたり、無視されて仲間外れにされたりして、桜は傷ついていた……。でも俺は、それに気付かなかったんだ」
グラスを握る手が微かに震える。
「何かあったのか聞いても、桜は大丈夫って言うだけで、話してくれなかった。俺も馬鹿だったんだよ。何かあれば言ってくれるって思い込んで、桜が苦しんでるって分かってやれなかった」
それから桜は学校に来なくなり、連絡もとれなくなった。その時になってようやく隼人は事情を知り、桜の家に行ったのだが、引っ越し作業が行われていた。
隼人に何も言わず、転校を決めていたのだった。
『何で黙ってたんだ! 言ってくれたら守れたのに!』
後悔と焦燥で声を荒げる隼人に、桜は消え入りそうな声で別れを告げた。
『隼人なんか、好きにならなきゃよかった』
涙が零れ落ち、頬を伝う。
桜の言葉は隼人の胸の奥に突き刺さり、深い傷が刻まれた。
「また同じことを繰り返したくない。だから、互いに好きにならないニセの彼女が必要だった」
ひよりはようやく理解した。
隼人は自分を好きになったことで、また誰かが傷つくのが怖かったのだ。
だったら何で……。
「私を彼女にしたの? ニセだって周りから見たら同じでしょ。私だって、桜さんみたいに何かされるかもしれないじゃん」
「それは……」
隼人は口ごもり、フォークであんずを刺す。口には運ばず、フォークを置いてひよりを見つめた。
「ひよりなら大丈夫だと思ったから」
「何それ。私なら傷ついても平気って」
「違う!」
即座に否定され、ひよりは口を閉じる。
「ひよりなら、何かあったらちゃんと言うと思ったんだ。我慢しないで嫌なら嫌って言うし、俺にも普通にキレるし」
「それは隼人がムカつくことするからでしょ」
唇を尖らせるひよりを見て、隼人は口元を緩める。
「そういうとこ」
「理由になってない。それじゃあ、私が隼人のファンに嫌がらせされるの前提じゃん」
隼人は顔を引き締め、目を伏せる。
「何かあったら絶対守る。そうすれば大丈夫だって思ってたんだ」
「勝手すぎるよ」
「……ごめん。同じ過ちはしない。今度はちゃんと気づくから」
「期待しないでおく」
「ひどくね? 少しは信頼してくれても」
「だって私たちはニセの恋人なんでしょ。ニセ彼女の代わりに部員になってもらってるんだから、何かあったとしても自己責任。だから、もしフィールドワーク中に事故にあっても、私を責めないでよ。私をニセ彼女に選んだ隼人の責任だから」
「あっははは!」
隼人はお腹を抱えて笑いだし、笑いすぎて目の端に涙が溜まる。
周囲の視線が集まり、ひよりは慌てた。
「しーっ! 笑いすぎだよ。うるさいし、迷惑!」
「だって、ひよりが俺の想像遥かに超えてくるから」
隼人は笑いを堪えてさっと涙を拭った。
「もう! そんなおもしろいこと言ってないでしょ。ていうか、聞きたいことあるんだけど」
「何?」
「ニセ彼女が必要な理由って何? 前に言ってたよね? 他の理由があるって」
隼人の顔から笑顔が消える。
「……親父のせいなんだ」
「どういうこと?」
「親父が、鵜野森グループの跡取りにふさわしい相手と付き合え、結婚しろってうるさいんだよ。いずれ、そのふさわしい相手と婚約させるつもりなんだ」
「婚約って、まだ高校生だよ? それに、親が結婚相手を決めるなんてありえない」
「ありえないことをやっちまうんだよ、親父は。全部家のためだって言って、俺の将来まで決めやがる。結婚相手も将来も、決めるのは俺だ」
隼人の父親への憤りが、ひよりにもひしひし伝わる。
「御曹司って何かと大変なんだね。お父さんに口出しさせないために、ニセ彼女が必要だったの?」
「彼女もいないで抵抗するよりは、好きな人がいるって理由がはっきりしてる方がましだろ。でも、好きな人を本当に作るわけにはいかない。だから……」
「隼人のこと好きにならなそうな私を、ニセ彼女に選んだわけね」
隼人は頷き、あんずを口に入れた。
ニセ彼女が必要だった理由は分かった。
けど、もうひとつ、確認しておかなきゃいけないことがある。
「ねえ、私を選んだ理由って本当にそれだけ?」
「え?」
隼人の中学時代の同級生たちが言っていたことが思い出される。
『相変わらず地味な子好きなんだ。趣味変わってないね』
『隼人ってやっぱりこういう子、好きなんだね』
「……桜さんと同じようなタイプだったから、じゃないの?」
隼人がきょとんとした顔で首を捻る。
「どこが同じなんだ?」
「だって、あの人たち言ってたじゃん」
「あいつら適当なことしか言わないから。ひよりは桜みたいに大人しくないし、言いたいことは我慢しないではっきり言うじゃん」
「そう、かな」
「入学してすぐの時も、俺を囲んでた女子に自分じゃなくてぶつかった子に謝れって言ってただろ。空気悪くなったから仲裁しようとしたら、俺に何て言ったか覚えてる?」
隼人の取り巻きに優依がぶつかられて倒れた時のこと?
迷惑かけてもなんとも思ってなさそうな陽キャ集団にムカついた記憶はあるけど、隼人に何て言ったかまで覚えてない。
考え込むひよりに隼人は溜息をついた。
「覚えてないのかよ。『自分の周りでこうなってるの、少しは気にしたら?』って、虫けら見るような目で見やがって」
「ああ、そうだった。だって、適当に流そうとしてるように見えたから。隼人のこと、女子に囲まれていい気になってるチャラ男にしか見えてなかったし」
「本人前にしてよく言うな」
「だって、王子とか言われてへらへら笑って女子侍らせてるし、女遊び激しいとか、芸能人とも付き合ったことあるとか、御曹司だから毎晩派手なパーティーしてるとか、変な噂流れてたし」
「そんな噂あったのか? 全部嘘だから」
「今は分かってるよ。王子の顔も嘘ってこともね。ニセ王子の方が素だもんね」
「何だよ、ニセ王子って」
隼人は眉をしかめて、パンケーキを一口頬張る。
「そういう顔。王子の作り笑いよりもよっぽど隼人らしい」
「……何だよ、それ」
ひよりがふふっと笑うと、隼人は照れたように目を逸らした。
「やっぱ、ひよりは桜と全然違う。似てねえよ」
「そっか。……あのさ」
「ん?」
ひよりは少し迷ってから伏し目がちにぽつりと問いかけた。
「桜さんのこと、まだ好きなの?」
「……」
隼人は何も言わず、フォークを皿の上に置く。
何で黙るの?
やっぱり、まだ桜さんのこと……。
ひよりはフォークを握りしめて、パンケーキとさくらんぼを一緒に突き刺した。
「もう、過去のことだから。未練はない」
そう言う隼人の顔は、どこかすっきりしているように見える。
……好きじゃないってことなのかな?
フォークを口に運ぶ。濃い甘さが広がり、ざわついていた胸が落ち着く。
「俺は、誰も好きにならない」
固くて冷たい隼人の声が、ひよりの胸の中に滑り込んでくる。
そうだった。
私たちはニセモノの恋人。
隼人が私を好きになることはない。
それに、私が隼人を好きになることは、許されない。
「大丈夫だよ。私も、隼人のこと好きにならないから」
笑いたいのに、顔が強張って上手く笑えない。
隼人の表情が固まる。
「……分かってる」
隼人はどこか寂しそうに笑い、更に残った最後のパンケーキを口に入れた。
何で、そんな顔するの。ちゃんと笑ってよ。
隼人の望み通り、好きにならないって言ってるんだから。
ひよりの胸がきゅっと締め付けられる。
口に広がっていた甘さが、苦くなった気がした。
小さなテーブルを挟んで向かいに座る隼人との距離が近い。
「これ、どう?」
隼人がテーブルに貼られているQRコードを読み込んでメニューを見せてきた。
さくらんぼやあんずがのった、4段重ねのパンケーキの写真にメニュー名が書いてある。
『2人でシェア♡ラブラブスフレパンケーキ 初夏のフルーツを添えて』
「……何これ。頼みにくいんだけど」
「カップル限定メニューで、バズってるらしい」
「どうりで」
カップルが多い理由が分かった。みんなこれ目当てで来てるんだ。
もしかして隼人がここに連れて来た理由って……。
「これ頼もうぜ。ひよりと一緒じゃなきゃ食べれないんだよ」
「甘いの好きなの、隼人の方じゃん。……ねえ、話する気ある?」
注文ボタンをタップする隼人を、ひよりは怪訝な目で見る。
「ちゃんと話すよ。……あんまり良い話じゃないけど」
隼人はスマホをテーブルに伏せて置く。
グラスの水を飲んで唇を舐めると、ぽつぽつと話し始めた。
「中2の時、小山桜っていう子と付き合ってた」
本当に、付き合ってたんだ……。
ひよりは組み合わせた両手の指に力を込めた。
「桜は大人しくてあんまり目立たない女子だった。園芸部で、花が好きだったんだ。同じクラスだったけど、あの時初めて桜が目に入った――」
昼休み、友達とサッカーボールで遊んでいた隼人は、遠くに飛んでいったボールを追いかけた。花壇の中に入ってしまったボールを取ろうとした時。
『あっ! 入っちゃだめ!』
桜の怒った声に止められ、隼人は振り向いた。
アヤメの花が咲いたばかりだからと桜は慎重にボールを取った。だが、1本折れてしまっていた。
『折れてる……』
『ごめん』
謝る隼人に、桜は何か言いたげに口を開くが、すぐに閉じてボールを渡した。
『……いいよ』
背を向けて花壇の前にしゃがむ桜の小さな背中が、わずかに震えていた。スコップで折れた花を慎重に掘り起こし始める。
『手伝うよ』
『気にしないで』
『俺のせいだし。これ、掘ればいいの?』
『あっ、雑にやらないで。また花を咲かせられるようにするから』
『そんなことできるんだ』
『できるよ。……私、アヤメが一番好きなの。凛としてて、紫の花びらもきれいでしょ』
強張っていた桜の表情がやわらぐ。ボブカットの髪を耳にかけて、花びらが咲くように笑顔を綻ばせた。目が眩みそうなほど輝くその笑顔に、隼人の心臓は射抜かれた。
「あの時からだった。気付いたら桜を目で追ってて、話すようになったんだ。花の話になるとすげえ楽しそうに喋ってさ、もっと聞きたいって思ってるうちに、好きになってた」
ひよりの胸がチクリと痛む。
隼人の顔、見たくない。
……何でこんなに苦しいんだろう。
隼人から告白をして桜と付き合うようになったと話したところで、店員が注文していたパンケーキを運んできた。
「ラブラブスフレパンケーキ、お待たせ致しました」
気の抜けるメニュー名が重い空気を払いのける。
「思ったよりでかいな。うまそう」
隼人が上段2つを取り皿にわけて、ひよりに渡す。
「……ありがとう」
ナイフを入れると抵抗感がほとんどなくスッと切れる。口に入れたらすぐに溶けてなくなった。
甘さとフルーツの酸味がバランスよく口の中に広がる。
「おいしい」
「うまいな、これ」
隼人はどんどん食べ進める。
桜さんの話の続き、聞きたいような、聞きたくないような……。
でも、ニセ彼女が必要な理由は、気になる。
ひよりの視線を感じた隼人は、食べる手を止め、ナフキンで口を拭いてまた話し始めた。
「……俺と桜が付き合ってること、知らない内に学校中に知られてた。自分が目立ってるってことの意味が、あの時はちゃんと分かってなかったんだ」
隼人はグラスを握り、水を一口飲んだ。
「俺と付き合ってるってだけで、桜のこと気に入らないやつがいたんだ。そいつらに、陰口を叩かれたり、無視されて仲間外れにされたりして、桜は傷ついていた……。でも俺は、それに気付かなかったんだ」
グラスを握る手が微かに震える。
「何かあったのか聞いても、桜は大丈夫って言うだけで、話してくれなかった。俺も馬鹿だったんだよ。何かあれば言ってくれるって思い込んで、桜が苦しんでるって分かってやれなかった」
それから桜は学校に来なくなり、連絡もとれなくなった。その時になってようやく隼人は事情を知り、桜の家に行ったのだが、引っ越し作業が行われていた。
隼人に何も言わず、転校を決めていたのだった。
『何で黙ってたんだ! 言ってくれたら守れたのに!』
後悔と焦燥で声を荒げる隼人に、桜は消え入りそうな声で別れを告げた。
『隼人なんか、好きにならなきゃよかった』
涙が零れ落ち、頬を伝う。
桜の言葉は隼人の胸の奥に突き刺さり、深い傷が刻まれた。
「また同じことを繰り返したくない。だから、互いに好きにならないニセの彼女が必要だった」
ひよりはようやく理解した。
隼人は自分を好きになったことで、また誰かが傷つくのが怖かったのだ。
だったら何で……。
「私を彼女にしたの? ニセだって周りから見たら同じでしょ。私だって、桜さんみたいに何かされるかもしれないじゃん」
「それは……」
隼人は口ごもり、フォークであんずを刺す。口には運ばず、フォークを置いてひよりを見つめた。
「ひよりなら大丈夫だと思ったから」
「何それ。私なら傷ついても平気って」
「違う!」
即座に否定され、ひよりは口を閉じる。
「ひよりなら、何かあったらちゃんと言うと思ったんだ。我慢しないで嫌なら嫌って言うし、俺にも普通にキレるし」
「それは隼人がムカつくことするからでしょ」
唇を尖らせるひよりを見て、隼人は口元を緩める。
「そういうとこ」
「理由になってない。それじゃあ、私が隼人のファンに嫌がらせされるの前提じゃん」
隼人は顔を引き締め、目を伏せる。
「何かあったら絶対守る。そうすれば大丈夫だって思ってたんだ」
「勝手すぎるよ」
「……ごめん。同じ過ちはしない。今度はちゃんと気づくから」
「期待しないでおく」
「ひどくね? 少しは信頼してくれても」
「だって私たちはニセの恋人なんでしょ。ニセ彼女の代わりに部員になってもらってるんだから、何かあったとしても自己責任。だから、もしフィールドワーク中に事故にあっても、私を責めないでよ。私をニセ彼女に選んだ隼人の責任だから」
「あっははは!」
隼人はお腹を抱えて笑いだし、笑いすぎて目の端に涙が溜まる。
周囲の視線が集まり、ひよりは慌てた。
「しーっ! 笑いすぎだよ。うるさいし、迷惑!」
「だって、ひよりが俺の想像遥かに超えてくるから」
隼人は笑いを堪えてさっと涙を拭った。
「もう! そんなおもしろいこと言ってないでしょ。ていうか、聞きたいことあるんだけど」
「何?」
「ニセ彼女が必要な理由って何? 前に言ってたよね? 他の理由があるって」
隼人の顔から笑顔が消える。
「……親父のせいなんだ」
「どういうこと?」
「親父が、鵜野森グループの跡取りにふさわしい相手と付き合え、結婚しろってうるさいんだよ。いずれ、そのふさわしい相手と婚約させるつもりなんだ」
「婚約って、まだ高校生だよ? それに、親が結婚相手を決めるなんてありえない」
「ありえないことをやっちまうんだよ、親父は。全部家のためだって言って、俺の将来まで決めやがる。結婚相手も将来も、決めるのは俺だ」
隼人の父親への憤りが、ひよりにもひしひし伝わる。
「御曹司って何かと大変なんだね。お父さんに口出しさせないために、ニセ彼女が必要だったの?」
「彼女もいないで抵抗するよりは、好きな人がいるって理由がはっきりしてる方がましだろ。でも、好きな人を本当に作るわけにはいかない。だから……」
「隼人のこと好きにならなそうな私を、ニセ彼女に選んだわけね」
隼人は頷き、あんずを口に入れた。
ニセ彼女が必要だった理由は分かった。
けど、もうひとつ、確認しておかなきゃいけないことがある。
「ねえ、私を選んだ理由って本当にそれだけ?」
「え?」
隼人の中学時代の同級生たちが言っていたことが思い出される。
『相変わらず地味な子好きなんだ。趣味変わってないね』
『隼人ってやっぱりこういう子、好きなんだね』
「……桜さんと同じようなタイプだったから、じゃないの?」
隼人がきょとんとした顔で首を捻る。
「どこが同じなんだ?」
「だって、あの人たち言ってたじゃん」
「あいつら適当なことしか言わないから。ひよりは桜みたいに大人しくないし、言いたいことは我慢しないではっきり言うじゃん」
「そう、かな」
「入学してすぐの時も、俺を囲んでた女子に自分じゃなくてぶつかった子に謝れって言ってただろ。空気悪くなったから仲裁しようとしたら、俺に何て言ったか覚えてる?」
隼人の取り巻きに優依がぶつかられて倒れた時のこと?
迷惑かけてもなんとも思ってなさそうな陽キャ集団にムカついた記憶はあるけど、隼人に何て言ったかまで覚えてない。
考え込むひよりに隼人は溜息をついた。
「覚えてないのかよ。『自分の周りでこうなってるの、少しは気にしたら?』って、虫けら見るような目で見やがって」
「ああ、そうだった。だって、適当に流そうとしてるように見えたから。隼人のこと、女子に囲まれていい気になってるチャラ男にしか見えてなかったし」
「本人前にしてよく言うな」
「だって、王子とか言われてへらへら笑って女子侍らせてるし、女遊び激しいとか、芸能人とも付き合ったことあるとか、御曹司だから毎晩派手なパーティーしてるとか、変な噂流れてたし」
「そんな噂あったのか? 全部嘘だから」
「今は分かってるよ。王子の顔も嘘ってこともね。ニセ王子の方が素だもんね」
「何だよ、ニセ王子って」
隼人は眉をしかめて、パンケーキを一口頬張る。
「そういう顔。王子の作り笑いよりもよっぽど隼人らしい」
「……何だよ、それ」
ひよりがふふっと笑うと、隼人は照れたように目を逸らした。
「やっぱ、ひよりは桜と全然違う。似てねえよ」
「そっか。……あのさ」
「ん?」
ひよりは少し迷ってから伏し目がちにぽつりと問いかけた。
「桜さんのこと、まだ好きなの?」
「……」
隼人は何も言わず、フォークを皿の上に置く。
何で黙るの?
やっぱり、まだ桜さんのこと……。
ひよりはフォークを握りしめて、パンケーキとさくらんぼを一緒に突き刺した。
「もう、過去のことだから。未練はない」
そう言う隼人の顔は、どこかすっきりしているように見える。
……好きじゃないってことなのかな?
フォークを口に運ぶ。濃い甘さが広がり、ざわついていた胸が落ち着く。
「俺は、誰も好きにならない」
固くて冷たい隼人の声が、ひよりの胸の中に滑り込んでくる。
そうだった。
私たちはニセモノの恋人。
隼人が私を好きになることはない。
それに、私が隼人を好きになることは、許されない。
「大丈夫だよ。私も、隼人のこと好きにならないから」
笑いたいのに、顔が強張って上手く笑えない。
隼人の表情が固まる。
「……分かってる」
隼人はどこか寂しそうに笑い、更に残った最後のパンケーキを口に入れた。
何で、そんな顔するの。ちゃんと笑ってよ。
隼人の望み通り、好きにならないって言ってるんだから。
ひよりの胸がきゅっと締め付けられる。
口に広がっていた甘さが、苦くなった気がした。


