「ひよりのやつ、避けやがって。昼休みは絶対捕まえてやる」
休み時間ごとに隼人はひよりに話しかけるのだが、何かと理由をつけて避けられていた。
昼休みに入ってすぐ、隼人がひよりの席に行くが、そこにひよりの姿はなかった。
「いない? どこ行ったんだよ」
「ひよりん、探してる?」
「大野さん。ひより、知ってる?」
「さっき、若松くんに呼ばれて出てったよ」
「あいつ……! ありがとう、大野さん」
隼人は急いで教室を出ていく。
「これは何かあったねえ。おもしろいことになってそうじゃん」
優依はにんまりと目を細めた。
隼人が廊下に出た途端、いつの間にか集まっていた他クラスの女子たちに取り囲まれた。
「王子!」
「うわっ! な、何? 今急いでて……」
身動きが取れず、焦る隼人。女子たちは構わず、好き勝手に話し始める。
「ねえねえ、部活入ってたって本当?」
「もう辞めたんでしょ?」
「他の部活入らないの?」
「一緒の部活入ろうよ!」
「うちの部に入って!」
四方から飛んでくる声に、隼人の頬が引きつる。それでも隼人は王子スマイルを浮かべて、後退りしながら女子たちと少しずつ距離を取る。
「どの部活にも入るつもりないから。俺、ちょっと急いでるから。それじゃ」
女子たちに背を向けて脱兎のごとく走り出す。階段を駆け下りながらひよりと誠を探し回った。
その頃、ひよりは誠と一緒にクラス全員のノートを職員室に運んでいた。
「悪いな、付き合わせて」
「私、ついてきた意味ある? 自分のしか持ってないけど」
誠が抱えているノートの山と、自分の手にある1冊のノートを見比べて首をかしげる。
「口実に決まってるじゃん」
「口実?」
「ひよりを独り占めする口実」
誠はひよりを見て口角を上げる。
「なっ、何言ってんの!」
「俺が告白したこと、ちゃんと覚えてる?」
あれはやっぱり、告白だったんだ……。
「鵜野森の彼女だからとか、幼馴染みだからとか、色々考えてたけど、もう遠慮しないから」
誠の横顔がいつもより凛々しく見え、ひよりは戸惑う。
誠、本気なんだ……。
でも、私は隼人の彼女のふりをしないといけない。
……けど、隼人は私の願いを叶えられないって言ってた。それじゃあ、契約条件は公平にならない。だったらもう、彼女のふりする必要はない、のかな……?
ノートを届けて職員室を出てから、ひよりは肩に下げているトートバッグの中に入れてあるスマホが震動していることに気づいた。
「ひより、俺、昼飯買ってくるけどどうする?」
「ちょっと待って。電話かも」
スマホを出した時には震動は止まっていたが、通知には隼人からの着信とトークがいくつも届いていた。
【ニセ王子:どこいるんだよ】
【ニセ王子:部室で待ってるから、早く来い】
部室? 辞めたくせに、何で?
「誠、ごめん。私、行くとこあるから」
ひよりの手を、誠は咄嗟に掴んだ。
「行くな」
「えっ……」
「あいつのところだろ」
「う、うん。お弁当も作ってきちゃったし、届けないと」
「なら、弁当だけ渡して俺と昼飯食えばいい。ひより、今日あいつのこと避けてただろ」
「別に避けてたわけじゃ……」
隼人の腕に触れるあかりの姿が、ずっと頭から離れない。何を話していたのか、気になるけど聞けないし、聞きたくもない。だから、隼人に話しかけられる前に理由をつけて距離を取っていた。なのに、部室で待ってるなんて……。
「じゃあ、何だよ。何か我慢してんの? あいつに言えないことなら俺が代わりに言ってやる。無理してまで付き合い続ける必要ないだろ。俺ならひよりのこと何でも分かってる。少なくともあいつよりは」
「誠……」
ひよりは困ったように眉を下げる。
「ごめん。……焦りすぎた」
誠ははっとした顔でひよりの手を離した。
「でも、俺のこともちゃんと考えてほしい。返事は急がなくていいから」
「……うん」
ひよりは小さく頷き、誠に背を向けて部室へ向かった。
部室の扉を静かに開ける。
机に向かって作業をしている隼人が顔を上げ、不満げに口を尖らせた。
「遅い」
「何でここにいるの。何して……」
ひよりはトートバッグを机の上に置き、隼人の手元を覗き込んだ。
破いたはずのポスターが、パズルのように繋ぎ合わされている。
「これ、わざわざ?」
ひよりは驚いてポスターを手に取る。裏を見ると、裂け目の一つ一つが丁寧にテープで補修されている。
「せっかく作ったんだろ。一応テープで止めてみたけど、やっぱ作り直した方がいいかもな」
「部活、辞めるって言ったじゃん。なのに、何で」
「あのままだったら部活にはできただろうけど、ひよりが本当にやりたかったことはできないから。辞めるって言うしかなかった」
「……本当に、辞めちゃうの?」
「いや、辞めない」
「……へ?」
隼人の言っている意味が分からず、ひよりはポカンと口を開けて瞬きを繰り返した。
「名簿からは抜けない。けど、ここで活動してたらまた誰かに知られるかもしれないから、しばらくは部室に来ない方がいいかもな」
「ちょっと待って、一回ちゃんと整理させて! 隼人は部員のままで、活動も続けるけど、部室には来ないってことで……?」
「落ち着けよ。今までどおり、ほとんど変わらないから。ただ、部室での活動は避けたいから、フィールドワークメインにしたいんだけど、部長はどう思う?」
「いいの? また、フィールドワーク一緒に行ってくれるの?」
ひよりは表情を明るくして、身を乗り出す。
隼人の口元がふっと緩む。
「やっぱ、これがひよりだよな」
「何が?」
「いや、何でもない。週末、空いてる?」
「空いてるけど」
「じゃあ、2回目のフィールドワーク、行こう。行きたいところ、あるか?」
「ある! 市内にまだたくさんあるよ。神社巡りもいいけど、資料館もいいかも」
「ひよりの行きたいところ、全部行こう」
「全部って、1日じゃ無理だよ。県外にも行ってみたいし」
「何回でも行けばいい。どこまででも、部長の行きたいところについて行くから」
「……本当?」
「ああ。ひよりの好きなこと、もっと知りたい。楽しそうにしてるひよりも、もっと見たい」
隼人の言葉が、消えたはずのひよりの胸の中に、もう一度小さな明かりを灯した。
そんなふうに言われたら、また期待してしまう。
でも、隼人なら……。
神社や祠を巡りながら、隣で笑ってくれる隼人の姿が想像できる。
好きなことを語り合える仲間がほしい。
もしかしたらその願いは、既に叶えられているのかもしれない。
「弁当、持ってきた? 腹減った」
「あ、うん」
ひよりはトートバッグから弁当箱を取り出し、隼人の前に置く。隼人は嬉しそうに弁当箱の蓋を開けた。
「サンキュー。おっ、今日も卵焼き入ってんじゃん」
「おいしいって言ってたから」
「覚えてたんだ。やっぱ、ひよりの卵焼きうまっ」
隼人はおいしそうに卵焼きを頬張る。
そんなに気に入ってくれるなんて。
毎日作ってあげようかな。
ひよりの口元から、ふっと笑みがこぼれる。
「あ、そうだ。ひよりの妹さ……」
「あかりと何話してたの?」
ひよりは、自分でも驚くほど低い声が出た。
「え?」
隼人が箸を止める。
「腕、触られてたよね」
「……見てたのか?」
「たまたま、見えちゃったから」
慌てて弁当箱に視線を落とす。
「別に、何話しててもいいんだけど。ニセの彼女なんだし。隼人が誰と話そうが、誰に触られようが、私には関係ないし」
「ひよりの妹が、俺のこと好きでも?」
「……知ってた」
「知ってたのか?! 彼氏が妹にとられそうになってるのに、気にならないのかよ」
「だって、隼人はニセの彼氏だから」
「じゃあ、妹のこと好きになったって言ったら?」
「え……」
胸の奥がチクリと痛んだ。
さっきまで熱かった身体から、すっと血の気が引く。
「なんだよ、その顔。嘘に決まってるだろ」
「う、嘘?! 」
隼人はどこか嬉しそうににやにやと笑っている。
「安心しろよ。ちゃんと言っといたから」
「……何を?」
「気になる?」
「別に、そういうわけじゃないけど、一応、ニセの彼女として聞いておこうかな、とか、思っただけで」
「じゃあ、一応、ニセの彼氏として何て言ったか教えてやるよ」
隼人は口角を上げて瞳をすっと細めた。
「俺、おまえのことそういう目で見たことないから。……俺の彼女は、ひよりだけだ」
本気じゃないって分かってる。
分かってるのに、頬が一気に熱くなる。
心臓がドクドク鳴ってうるさい。
ひよりは頬を両手で覆って隼人から目を逸らす。
隼人は照れ臭そうに頭をかいて、話題を変えた。
「なあ、週末のフィールドワーク、どこ行きたい?」
ひよりの隣へ椅子を寄せ、肩が触れそうな距離でスマホの画面を見せる。
「部長、場所の候補は?」
「ち、近いって!」
「いいだろ、付き合ってるんだから」
「ふり、だってば!」
触れそうで触れない肩が熱い。
ひよりは意識しすぎないように、隼人と一緒に画面を覗き込む。
また、二人で出かけられる。
そう思っただけで、朝には消えてしまったはずの期待が、今度は簡単には消えそうにないほど大きく膨らんでいく。
隼人が検索画面を見せてくる。
「ここは? 町田の薬師池公園」
「薬師池……?」
ひよりは隼人のスマホを覗き込み、目を見開いた。
「ここ、大蛇の伝承がある!」
「大蛇?」
「池の主が大蛇だったっていう昔話。面白そう。行ってみたい」
「やっぱ、そういうの食いつくんだな」
隼人が呆れたように笑う。
「だって、池とか沼に蛇や龍の伝承が残ってるところって結構あるんだよ。水の神様として信仰されてたりして」
「へえ。じゃ、ここにする?」
「うん」
ひよりは画面をスクロールする。
「あ、紫陽花も咲いてるんだ。花菖蒲もきれい」
「……花も好きなのか?」
「花そのものっていうより、草木を神聖なものとして扱ったり、神様が宿るって考え方もあるから、そういう信仰を調べるのは好きかな」
「……そっか」
隼人の目から、ふっと笑みが消えた。
どこか遠いものを見るように、視線がひよりから離れる。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
すぐにいつもの笑顔に戻る。
けれど、その笑顔はさっきまでより少しだけ固い。
その一瞬の変化が、妙にひよりの胸に引っかかった。
休み時間ごとに隼人はひよりに話しかけるのだが、何かと理由をつけて避けられていた。
昼休みに入ってすぐ、隼人がひよりの席に行くが、そこにひよりの姿はなかった。
「いない? どこ行ったんだよ」
「ひよりん、探してる?」
「大野さん。ひより、知ってる?」
「さっき、若松くんに呼ばれて出てったよ」
「あいつ……! ありがとう、大野さん」
隼人は急いで教室を出ていく。
「これは何かあったねえ。おもしろいことになってそうじゃん」
優依はにんまりと目を細めた。
隼人が廊下に出た途端、いつの間にか集まっていた他クラスの女子たちに取り囲まれた。
「王子!」
「うわっ! な、何? 今急いでて……」
身動きが取れず、焦る隼人。女子たちは構わず、好き勝手に話し始める。
「ねえねえ、部活入ってたって本当?」
「もう辞めたんでしょ?」
「他の部活入らないの?」
「一緒の部活入ろうよ!」
「うちの部に入って!」
四方から飛んでくる声に、隼人の頬が引きつる。それでも隼人は王子スマイルを浮かべて、後退りしながら女子たちと少しずつ距離を取る。
「どの部活にも入るつもりないから。俺、ちょっと急いでるから。それじゃ」
女子たちに背を向けて脱兎のごとく走り出す。階段を駆け下りながらひよりと誠を探し回った。
その頃、ひよりは誠と一緒にクラス全員のノートを職員室に運んでいた。
「悪いな、付き合わせて」
「私、ついてきた意味ある? 自分のしか持ってないけど」
誠が抱えているノートの山と、自分の手にある1冊のノートを見比べて首をかしげる。
「口実に決まってるじゃん」
「口実?」
「ひよりを独り占めする口実」
誠はひよりを見て口角を上げる。
「なっ、何言ってんの!」
「俺が告白したこと、ちゃんと覚えてる?」
あれはやっぱり、告白だったんだ……。
「鵜野森の彼女だからとか、幼馴染みだからとか、色々考えてたけど、もう遠慮しないから」
誠の横顔がいつもより凛々しく見え、ひよりは戸惑う。
誠、本気なんだ……。
でも、私は隼人の彼女のふりをしないといけない。
……けど、隼人は私の願いを叶えられないって言ってた。それじゃあ、契約条件は公平にならない。だったらもう、彼女のふりする必要はない、のかな……?
ノートを届けて職員室を出てから、ひよりは肩に下げているトートバッグの中に入れてあるスマホが震動していることに気づいた。
「ひより、俺、昼飯買ってくるけどどうする?」
「ちょっと待って。電話かも」
スマホを出した時には震動は止まっていたが、通知には隼人からの着信とトークがいくつも届いていた。
【ニセ王子:どこいるんだよ】
【ニセ王子:部室で待ってるから、早く来い】
部室? 辞めたくせに、何で?
「誠、ごめん。私、行くとこあるから」
ひよりの手を、誠は咄嗟に掴んだ。
「行くな」
「えっ……」
「あいつのところだろ」
「う、うん。お弁当も作ってきちゃったし、届けないと」
「なら、弁当だけ渡して俺と昼飯食えばいい。ひより、今日あいつのこと避けてただろ」
「別に避けてたわけじゃ……」
隼人の腕に触れるあかりの姿が、ずっと頭から離れない。何を話していたのか、気になるけど聞けないし、聞きたくもない。だから、隼人に話しかけられる前に理由をつけて距離を取っていた。なのに、部室で待ってるなんて……。
「じゃあ、何だよ。何か我慢してんの? あいつに言えないことなら俺が代わりに言ってやる。無理してまで付き合い続ける必要ないだろ。俺ならひよりのこと何でも分かってる。少なくともあいつよりは」
「誠……」
ひよりは困ったように眉を下げる。
「ごめん。……焦りすぎた」
誠ははっとした顔でひよりの手を離した。
「でも、俺のこともちゃんと考えてほしい。返事は急がなくていいから」
「……うん」
ひよりは小さく頷き、誠に背を向けて部室へ向かった。
部室の扉を静かに開ける。
机に向かって作業をしている隼人が顔を上げ、不満げに口を尖らせた。
「遅い」
「何でここにいるの。何して……」
ひよりはトートバッグを机の上に置き、隼人の手元を覗き込んだ。
破いたはずのポスターが、パズルのように繋ぎ合わされている。
「これ、わざわざ?」
ひよりは驚いてポスターを手に取る。裏を見ると、裂け目の一つ一つが丁寧にテープで補修されている。
「せっかく作ったんだろ。一応テープで止めてみたけど、やっぱ作り直した方がいいかもな」
「部活、辞めるって言ったじゃん。なのに、何で」
「あのままだったら部活にはできただろうけど、ひよりが本当にやりたかったことはできないから。辞めるって言うしかなかった」
「……本当に、辞めちゃうの?」
「いや、辞めない」
「……へ?」
隼人の言っている意味が分からず、ひよりはポカンと口を開けて瞬きを繰り返した。
「名簿からは抜けない。けど、ここで活動してたらまた誰かに知られるかもしれないから、しばらくは部室に来ない方がいいかもな」
「ちょっと待って、一回ちゃんと整理させて! 隼人は部員のままで、活動も続けるけど、部室には来ないってことで……?」
「落ち着けよ。今までどおり、ほとんど変わらないから。ただ、部室での活動は避けたいから、フィールドワークメインにしたいんだけど、部長はどう思う?」
「いいの? また、フィールドワーク一緒に行ってくれるの?」
ひよりは表情を明るくして、身を乗り出す。
隼人の口元がふっと緩む。
「やっぱ、これがひよりだよな」
「何が?」
「いや、何でもない。週末、空いてる?」
「空いてるけど」
「じゃあ、2回目のフィールドワーク、行こう。行きたいところ、あるか?」
「ある! 市内にまだたくさんあるよ。神社巡りもいいけど、資料館もいいかも」
「ひよりの行きたいところ、全部行こう」
「全部って、1日じゃ無理だよ。県外にも行ってみたいし」
「何回でも行けばいい。どこまででも、部長の行きたいところについて行くから」
「……本当?」
「ああ。ひよりの好きなこと、もっと知りたい。楽しそうにしてるひよりも、もっと見たい」
隼人の言葉が、消えたはずのひよりの胸の中に、もう一度小さな明かりを灯した。
そんなふうに言われたら、また期待してしまう。
でも、隼人なら……。
神社や祠を巡りながら、隣で笑ってくれる隼人の姿が想像できる。
好きなことを語り合える仲間がほしい。
もしかしたらその願いは、既に叶えられているのかもしれない。
「弁当、持ってきた? 腹減った」
「あ、うん」
ひよりはトートバッグから弁当箱を取り出し、隼人の前に置く。隼人は嬉しそうに弁当箱の蓋を開けた。
「サンキュー。おっ、今日も卵焼き入ってんじゃん」
「おいしいって言ってたから」
「覚えてたんだ。やっぱ、ひよりの卵焼きうまっ」
隼人はおいしそうに卵焼きを頬張る。
そんなに気に入ってくれるなんて。
毎日作ってあげようかな。
ひよりの口元から、ふっと笑みがこぼれる。
「あ、そうだ。ひよりの妹さ……」
「あかりと何話してたの?」
ひよりは、自分でも驚くほど低い声が出た。
「え?」
隼人が箸を止める。
「腕、触られてたよね」
「……見てたのか?」
「たまたま、見えちゃったから」
慌てて弁当箱に視線を落とす。
「別に、何話しててもいいんだけど。ニセの彼女なんだし。隼人が誰と話そうが、誰に触られようが、私には関係ないし」
「ひよりの妹が、俺のこと好きでも?」
「……知ってた」
「知ってたのか?! 彼氏が妹にとられそうになってるのに、気にならないのかよ」
「だって、隼人はニセの彼氏だから」
「じゃあ、妹のこと好きになったって言ったら?」
「え……」
胸の奥がチクリと痛んだ。
さっきまで熱かった身体から、すっと血の気が引く。
「なんだよ、その顔。嘘に決まってるだろ」
「う、嘘?! 」
隼人はどこか嬉しそうににやにやと笑っている。
「安心しろよ。ちゃんと言っといたから」
「……何を?」
「気になる?」
「別に、そういうわけじゃないけど、一応、ニセの彼女として聞いておこうかな、とか、思っただけで」
「じゃあ、一応、ニセの彼氏として何て言ったか教えてやるよ」
隼人は口角を上げて瞳をすっと細めた。
「俺、おまえのことそういう目で見たことないから。……俺の彼女は、ひよりだけだ」
本気じゃないって分かってる。
分かってるのに、頬が一気に熱くなる。
心臓がドクドク鳴ってうるさい。
ひよりは頬を両手で覆って隼人から目を逸らす。
隼人は照れ臭そうに頭をかいて、話題を変えた。
「なあ、週末のフィールドワーク、どこ行きたい?」
ひよりの隣へ椅子を寄せ、肩が触れそうな距離でスマホの画面を見せる。
「部長、場所の候補は?」
「ち、近いって!」
「いいだろ、付き合ってるんだから」
「ふり、だってば!」
触れそうで触れない肩が熱い。
ひよりは意識しすぎないように、隼人と一緒に画面を覗き込む。
また、二人で出かけられる。
そう思っただけで、朝には消えてしまったはずの期待が、今度は簡単には消えそうにないほど大きく膨らんでいく。
隼人が検索画面を見せてくる。
「ここは? 町田の薬師池公園」
「薬師池……?」
ひよりは隼人のスマホを覗き込み、目を見開いた。
「ここ、大蛇の伝承がある!」
「大蛇?」
「池の主が大蛇だったっていう昔話。面白そう。行ってみたい」
「やっぱ、そういうの食いつくんだな」
隼人が呆れたように笑う。
「だって、池とか沼に蛇や龍の伝承が残ってるところって結構あるんだよ。水の神様として信仰されてたりして」
「へえ。じゃ、ここにする?」
「うん」
ひよりは画面をスクロールする。
「あ、紫陽花も咲いてるんだ。花菖蒲もきれい」
「……花も好きなのか?」
「花そのものっていうより、草木を神聖なものとして扱ったり、神様が宿るって考え方もあるから、そういう信仰を調べるのは好きかな」
「……そっか」
隼人の目から、ふっと笑みが消えた。
どこか遠いものを見るように、視線がひよりから離れる。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
すぐにいつもの笑顔に戻る。
けれど、その笑顔はさっきまでより少しだけ固い。
その一瞬の変化が、妙にひよりの胸に引っかかった。


