恋じゃないふりをして

「俺の彼女になってくれない?」
「……え?」

放課後の特別棟。夕日の差し込む人気のない廊下で、ひよりは目の前の男子を見上げた。

 爽やかな笑顔で何言ってんの、この人。
 同じクラスの鵜野森隼人。
 入学早々、学校中で名前を知られる人気者。イケメンで誰にでも優しく、女子からは“王子”と呼ばれている、らしい。
 そんな人が何の接点もない私に告白?
 ……ありえない。

「どういうつもり?」
「何が?」
「どうせドッキリとか罰ゲームなんでしょ。隠れて動画でも撮ってるんじゃないの?」

ひよりは廊下の角や柱に目を凝らすが、人の気配はない。

「違うけど?」
「じゃあ、からかってんの? ほんと、悪趣味。私みたいな陰キャに告白して、信じたところで笑うつもり?」
「陰キャって自分で言っちゃうんだ」

隼人がふっと口元を緩める。

 ブチッ。

 ……何、その笑い方。ムカつく!

「私のこと何も知らないくせに。何が『彼女になって』よ。ふざけないで!」

隼人に背を向ける。
 その時、廊下を吹き抜けた風に、教室の扉に貼られた紙の端がめくれた。ひよりは一瞬目を向けるが、すぐに逸らす。

「待てよ」

隼人に肩を掴まれる。振り向きざまに隼人の手を振り払い、睨みつけた。

「触らないで」 
「……またその目」

隼人の笑顔がすっと消える。面倒そうに前髪をかき上げ、眉間にしわを寄せた。
 
「虫けらでも見るような目で見やがって」

何この変わり様。これのどこが王子なわけ?
 
「……二重人格?」

隼人は一瞬何を言われたのか分からない顔をした後、ぷはっと笑いをこぼした。

「誰が二重人格だよ。やっぱ、おまえにして正解」
「正解って、何が?」
「さっきのは告白じゃねえから」
「どういうこと?」
「俺の彼女のふり、してほしい」
「……は? 頭おかしいの?」

隼人の頬がピクッと動く。青筋が見えそうだ。
 
「言ってくれるじゃねえか。あの時もそうだったよな」
「あの時?」
「覚えてねえのかよ。1週間前のこと」

 1週間前——。
 隼人を取り囲む女子たちが、教室前の廊下を塞いでいた。

 ……邪魔。

 ひよりは廊下の向こうで、うんざりと溜め息をついた。前を歩いていた同じクラスの大野優依が輪の中を通り抜けようとした時、女子たちに押されて倒された。

「大丈夫?」
「うん、ありがとう」

優依の傍に駆け寄って立ち上がらせ、女子たちを睨み付けた。その中には、双子の妹・あかりもいた。

「今ぶつかったよね?」
「え? ごめーん」

あかりが軽く謝ると、数人の女子たちも口々に謝った。

「私にじゃない。この子に謝って」

しんと静まり、空気が張り詰めた。

「まあまあ」

微笑んで流そうとする隼人に、ひよりは無性に腹が立った。

「あんたも」

ひよりは目を吊り上げて隼人を指差す。

「えっ、俺?」
「自分の周りでこうなってるの、少しは気にしたら?」
「俺のせいって言いたいの?」
「そうだけど。通じなかった?」

冷たい目で言い放って教室に入る。隼人はその背中を呆然と見つめた。

「ごめんね。あの子、双子の姉なんだけど、昔からああなの。ちょっと変わってて」

あかりがさりげなく隼人の腕に触れ、瞳を潤ませた。

「1人が好きで、人に興味ないから、あんなふうに言っちゃうんだよね」
「……へえ」
 
隼人はひよりを見て目を細める。
 
「名前、なんていうの?」
「私は、双葉あか……」
「君じゃなくて、お姉ちゃんの方」
「へ?……双葉ひより、だよ」
「そう」

そして現在——。

「そういうことだから、俺と偽の恋人契約、結んでよ」
「全っ然、分かんないんだけど! 他にいくらでもいるでしょ」
「いや、おまえだけだ」 

隼人の真剣な眼差しに、ひよりはたじろぐ。 

「な、なんで……?」
「俺のこと好きにならなそうなやつ、おまえしかいない」

隼人が一歩近づく。
 
「……は?」

ひよりは反射的に一歩下がった。

 女なら誰でも自分に惚れるって思ってるの?
 こういうキラキラした陽キャ族、だいっきらい。
 
「あんたなんか好きになるわけないでしょ。自惚れるのも大概にして」
「……うわあ、さすがに傷つく」

隼人は眉尻を下げ、肩をすぼめる。
 本心なのか演技なのか分からない。

「あんたのこと本気にならないで、偽の彼女やってくれる優しい人探して」
「そんなやついないって」
「そこ否定する?」
「とにかく、俺の条件はクリア。次はそっちの番」
「どういうこと?」
「契約は公平でないと。ひよりの願い、何でもひとつ聞いてやる」

隼人が顔の横で人差し指を立てる。

 感じ悪いやつだと思ってたけど、私のメリットも考えてくれてる。
 ……意外だ。
 いや、だからって!

「彼女のふりするなんて言ってない!」
「叶えたい願い、ないの?」

隼人はひよりの台詞を聞き流して問いかける。
 ひよりは教室の扉に目を向け、今にも剥がれ落ちそうな紙を扉に戻す。
 茶色く変色した紙には、『民俗学研究部』の文字。

 私の、願い……。
 ひとつだけある。
 どうせ叶えられないだろうし、言うだけ言ってみよう。

「民俗学研究部の部員になって」
「そんな部活あるの?」
「……今は、ない」
「人気なさそうだもんな。何するかわかんねえし」

ひよりはムッとして、隼人を見上げる。

「入る気ないなら、いい」
「2人で部活できるのか?」
「2人じゃ、部活認定されない。部員が必要だからこれから集めるつもり」
「じゃあ明日、宣伝してこようか? たぶん女子だらけになるぞ」

ひよりの脳裏に、女子に囲まれている隼人が思い浮かぶ。

 あり得る。でも……。

「それじゃ、意味ない」
「何で?」
「その人たち、あんた目当てでしょ。民俗学に興味ないじゃん」
「人数集まれば同じじゃねえの?」
「違う。一緒に活動して、好きなものを語ったり、調べたことを話し合ったりできる仲間がほしいの」

隼人はひよりを見つめ、ぽつりと呟く。

「……1人が好きってわけじゃないんだな」
「何か言った?」
「いや。で、どうやって部員を増やすつもりだ?」
「それはこれから考える」
「民俗学に興味あるやつなんて他にいるか?」
「いるよ。……多分」

ひよりの脳裏に、笑顔で溢れていた部室が甦る。
 学校見学で出会った民俗学研究部の先輩たちと、資料を片手にたくさん話をした。
 あんなに楽しかったのは初めてだった。
 私がこの学校に来たかった、一番の理由。
 なのに、入学した時には先輩たちは卒業と転校でいなくなり、廃部になっていた。
 けど、諦めきれない。
 また、誰かと好きなことを語り合いたい。
 
「多分、か」
「あんた、興味ないんでしょ。活動する気ないなら契約不成立で」
「やるよ」
「え? 興味ないでしょ?」
「今はな。これから知ってけばいいだろ」
「一緒に活動してくれるの?」
「仲間欲しいんだろ。それが願いなら、俺が付き合ってやるよ」
「本当に……?」 

 いや、期待しちゃだめ。
 私の人生、ほしいものはいつも手に入らない。
 どうせ口だけ。
 ……でも。
 
 心の片隅で小さな声がする。

『一緒に語り合えたら、楽しいだろうな』

 ひよりはその声を奥底に閉じ込め、鞄から自分で作った部員名簿の紙とペンを取り出して隼人の前に突き出した。

「活動するつもりなら、ここに名前書いて。期待はしないでおくけど」

隼人は紙に名前を書いて、ふっと目を細める。

「契約成立だな。明日からよろしくな、彼女さん」

 “彼女”。
 慣れないその言葉に、ひよりの胸がざわつく。
 名簿に並ぶ自分と隼人の名前に目を落とす。

 2人だけの秘密の契約。
 本当に、これでよかったのかな……。


 夜、ベッドに寝転がっていると、枕元のスマホが震え、トークアプリの通知が届いた。

 【ニセ王子:おやすみ】

 続けて、丸まった猫の『ねむいにゃ』スタンプが送られてくる。

「……何これ」

あの顔で、これ送ってるの?
 王子の笑顔から、眉間に皺を寄せてニセ王子の顔になる隼人を想像する。

「ぷっ。変なの」

思わず笑ってから、はっとした。

 いやいや。何笑ってんの。
 ……明日からあいつの彼女のふり、しなきゃなんだよね。

「彼女って何するの?」

ひよりは布団に顔を埋めた。

 あれこれ考えているうちに寝落ちし、翌朝は危うく寝坊しかけた。
 それもこれもあいつのせい。
 溜め息混じりに、あかりと一緒に教室へ入る。
 途端にあかりだけクラスの男子たちに囲まれる。

「双葉さん、おはよう」
「おはよう」

可憐な笑顔で挨拶を返すあかりに、男子たちはとろけたような顔をする。
 その光景を尻目に、ひよりはぽつりと呟く。

「……私も双葉なんだけど」
「知ってるよ」

頭をポンと叩かれる。

「誠。おはよう」
「おはよ、ひより」

ひよりは誠の笑顔をじっと見つめる。

 誠の方がよっぽど爽やかじゃん。

「な、何だよ」

誠は顔を赤らめて目を泳がせる。

「別に、何でもない」

ひよりが鞄を机に置くと、隣の席の優依が手を振った。

「ひよりん、おはよー」
「おはよう」
「相変わらず妹ちゃんの人気すごいね」
「まあ、ね。双子とは思えないでしょ」

ひよりは自嘲気味に笑う。

「キャーッ!」
「王子ーっ!」

教室中に響く黄色い歓声がひよりの耳をつんざく。ひよりは顔をしかめて呟く。

「……ニセ王子」

隼人が一歩進むごとに、まるでモーゼの海割りのように女子たちが道を開ける。

「みんな、おはよう」

王子スマイルを振り撒きながら手を振る。昨日の隼人は夢か幻だったのかもしれないとさえ思える。

「あ、隼人くん!」

男子に囲まれていたあかりが、いつの間にか隼人の隣に並び、声をかける。
 
 こうして見ると、キラキラの陽キャ同士お似合いだ。
 ……本当の彼氏・彼女みたい。

「おはよう、隼人くん」

あかりが上目遣いのあざとい笑顔を浮かべる。
 だが、隼人は目もくれず、あかりの横を通りすぎる。ひよりの前で立ち止まり、眩しすぎるほどの王子スマイルを浮かべた。

「ひより、おはよう」

ひよりは露骨に嫌そうな顔をして視線を逸らす。

 何でわざわざみんなの前で言うの?!
 目立つじゃん!

 笑顔を保ったまま、隼人の眉がぴくりと動く。

 教室全体がざわめく。
 誠は隼人を睨み、優依は興奮気味にひよりの肩を何度も叩いた。

「ひよりん、鵜野森くんとどういう関係?!」
「え、えっと……」
「俺たち、付き合ってるんだ」

教室中が静寂に包まれる。
 次の瞬間……。

「ええーーっ!!」

悲鳴に近い驚愕の叫びが響き渡る。

「ちょっと!」

ひよりは隼人を睨みつける。隼人はひよりにだけ見える角度で、唇の端をつり上げた。

 こ、このニセ王子……!

 ひよりの拳が震える。

 絶っっ対、好きになんてならないから!!