花脊の苑

 
 けたたましいチェーンソーの音が途切れると、威勢のいい足音に気付いた巧身が、こちらを振り向いた。


「あれー?かわ……」


 花柄のワンピースを着た鬼女が、猛スピードで駆けてくるのを見るなり、巧身は言葉を途切れさせた。

 隣組の爺さんみたく『かわええカッコしてどないしたーん?』とか言おうもんなら、殺したる。
 
 そう固く誓った苑は、巧身の胸ぐらを掴み取った。


「よくも、ダフネを(たぶら)かしよったな」


「誑か……。ええ?」


「トボけんなボケカス。あんた花脊に何人女がおんねん」


 作業着の襟を捻りながら、苑はドスの効いた声で言った。

 巧身はなぜか、やっと腑に落ちたと言わんばかりに口を開けて頷いた。


「あー……。そういうこと。はいはい」


「何がはいはいや!人んちのばあちゃんに色目使いよってからに!しばき倒すぞコラァ!」


 裸足で飛び出してきたために、苑の目線は巧身と噛み合っていない。困ったように笑う巧身は、苑の頭に骨ばった手をぽんと乗せた。


「かわいい顔してホンマに口悪いな。東京ってみんなそんなかんじなん?」


「なっ……!この期に及んでまだ口説くんか!この色情狂!重石つけて琵琶湖に沈めたるからな!」


「へえ〜。こんな細っそい腕で、どないして沈めてくれはるんやろなぁ。楽しみや〜」


 巧身はヘラヘラと笑いながら苑の頭をぽんぽんと叩いた。

 いっそあのチェーンソーでも振り回してやろうかと、苑が胸ぐらから手を離そうとした時だった。


「巧身はーーん」
 

 蔓薔薇の繁る庭の向こうから、女の声が聞こえてきた。

 声の主は一人ではなく、そのどれもがしわがれていて、苑やダフネよりもずっと年嵩に聞こえた。


「いたいた、巧身はん」


「紫蘇ジュース、もってきたで〜」


「あれえ?そちらさん、新しい彼女か〜?」
 

 蔓薔薇のアーチをくぐってきたのは、仲良くシルバーカーを押して歩く老婦人三人組だった。

 向かって左から、渡辺(わたなべ)穂積(ほづみ)脊川(せきかわ)

 苑が三人とも名前を言えるのは、彼女たちの孫の顔まで知っているからだ。
 
 そそくさと手を離した苑をよそに、巧身は襟元を正して手を挙げた。


「俺の彼女たちー!ありがとおな〜!」


 あはは、と三人の渇いた笑い声が飛ぶ。

 またも泥に汚れた素足を見つめた苑は、羞恥に燃え上がる顔を長い髪で隠した。



 *



 夕陽に向かって去っていく三人の背中が見えなくなるまで、巧身は庭先に立って『彼女たち』を見送っていた。

 苑があの場に残ろうものなら、話しかけられて質問攻めにされるのがオチだ。

 やむなく撤退した苑は、二階の子供部屋から巧身の姿を眺めていた。

 あの男にはその手の能力でも備わっているのか、ふと顔を上げた巧身は苑に向かって手を振った。
 
 慌てた苑はカーテンを引っ掴み、窓越しの挨拶を遮った。