花脊の苑

 
 小花柄のワンピースに身を包んだ苑は、呆然としながら夏野菜カレーを口に含んだ。

 出会って一日も経っていない男に、裸を見られた。

 というより、見せてしまった。
 
 身持ちは固いと豪語してきた苑にとって、それは耐え難き屈辱だった。
 
 慣れ親しんだ味が緩み切った涙腺に効いてくるのを、苑はシシトウを丸齧りにして抑え込んだ。 


「どうやろか?美味しい?」


 ダイニングテーブルの向かいに座るダフネが、苑の顔を覗き込む。

 昼もろくに食べずに山登りをしていたからか、空っぽの胃にカレーの旨みが染み渡り、苑はまた目頭を熱くした。


「……普通に美味いで」


「あら良かった。巧身もな、このカレー好きなんよ」


 それを聞くなり苑が顔を顰めると、外から喧しい機械の音が響いてきた。

 袖口にフリルのついたワンピースを纏う苑は、殺し屋のような目つきで窓の向こうを睨む。


「なんやこの音は」


「ああ。巧身がな、外で松の木切ってんのよ」


 はあ?と開きかけた口を、苑はすんでのところで閉じた。お話の通りになったと喜ぶダフネの姿が、苑の脳裏に蘇る。

 オソノちゃんと木こりさんが、ホンマに出会いはったなんて——。

 そこまで思い出してから、苑は片手をテーブルに突いた。


「……いや待ってや。あの人ホンマに木こりなんか」


「んー。木こりいうか、アーティストやねん」


「アーティストぉ?」


 思わず大声になって繰り返した苑は、口を尖らせた。

 アーティスト。
 そのほとんどに将来性のない、ローンの審査にも通らない連中。苑の辞書にはそうある。
 
 ダフネは苑にニコニコと笑いかけると、飾り棚の上から妙な物体を取ってきた。


「これ、巧身が作ってくれてん。かいらしいやろ」


 生成り色のふわふわとした球体。巨大化した白い松ぼっくりのようにも見えるが、多分ちがう。

 ふわふわの一つ一つをよく見てみると、これは鉋の削りカスだと見当がついた。


「なにこれ。削りカスの集合体やん」


 ぶっきらぼうに吐き捨てる苑に、ダフネは目と口を大きく開いて首を振った。


「あらま!なんてこと言うんやろ。こないに素敵なウッドボールちゃんに」


「なんやウッドボールて。蹴っ飛ばして遊ぶんか」


「あんたって子はホンマにもう……。ほんならそれ、鼻に近づけてみぃな」


 呆れた様子でダフネに促されながら、苑は削りカスの集合体に鼻を寄せた。

 豊かな香りが鼻腔に広がり、苑はダフネが言わんとしていることをやっと理解した。


「ヒノキ削ったんがくるくるしとって、お花のブーケみたいやろ?これはアロマサシェなんよ〜」


 ダフネはうっとりした顔で言いながら、削りカスの集合体を眺めた。

 恋に恋する少女のような祖母の姿に、苑は顔を引き攣らせた。


「……なぁにが、アロマサシェや。死ぬほど下らんわ」


「まっ!うちはホンマに嬉しかったいうんに」


「……あんなぁダフネ。こういうもんパッと寄越してくる男は、大体チャラ男の遊び人やで。女心を弁え過ぎや」


 物知り顔で首を横に振った孫娘に、ダフネは含み笑いを浮かべて頷いた。


「たしかにそれは、ちょっと同感やな。……うちかて巧身の彼女の一人やし」


「……は?」


 苑がカレー皿にスプーンを落とすと、ダフネは悩ましげな顔になって窓の向こうを見つめた。


「花脊にようさんいてるんやわぁ。巧身の彼女は」


 ここに帰ってきてからというもの、苑は叫んでばかりいる。


「あらっ!どこ行くの!ソノール!」
 

 ダイニングテーブルから勢いよく立ち上がると、苑は鬼の形相にワンピース姿で駆け出した。

 祖母を誑かしたチャラい木こりを、どうやって穴ボコだらけにしてくれようかと息巻いた。