忌まわしき軽トラックの車窓から、黒い屋根と石造りの壁が見えてきた。森の中にぽつんと佇むその一軒家は、五年前に見た時と全く同じ姿をしていた。
杉木立を抜けた先に車を停めると、男はダッシュボードからウェットティッシュを取り出した。
「久々の再会なんやろ?顔の泥だけでも拭いといたら」
頭から爪先まで泥まみれの体たらくだ。
今さら顔など清めたところで無意味な気はしたが、苑は素直に従うことにした。
「……ホンマに、おかしな話やな」
顔にウェットティッシュを当てて苑が呟くと、男は「おかしな話?」と聞き返してきた。
泥と一緒に化粧が落ちるのも構わず、苑は淡々と続けた。
「泥んなか頭から突っ込んで……。名前も知らん男と実家帰ってくるとか、ぶっ飛びすぎやろ」
自分の有り様を嘲るように苑が笑うと、男は思い出したかのように「ああ」と言って頷いた。
「自分は井枝巧身いいます。どうぞよしなに」
「そんで出身は?市内?」
名乗らせておきながら相槌の一つも打たず、苑は値踏みするかのような質問で返した。
底意地の悪い苑は、京都市外の地名が返ってくるのを期待していた。
ところが返ってきたのは、市内でも洛中にあたる地名。
面白くないのを雑に隠すように、苑は鼻で笑った。
「……はっ。洛中の人が、なんでこんなとこおんのよ。さては、あんたも都落ち?」
自分の根性が捻じ曲がっていることくらい、苑も重々承知している。それでも口は止まらなかった。
「えっ、まさかとは思うけど。あんたホンマに、あの婆さんに惚れとんの?」
不躾極まりない苑の問いかけに、巧身は目を細めて言った。
「……それ、答えなアカンの?」
薄ら笑いの消えた口元を見るなり、苑は小さく唇を震わせた。
巧身がゆっくりと手を伸ばしてくると、苑は反射的に肩を竦め、固く目を瞑った。
そんな苑の鼻先を、巧身の指先がちょこんと撫でた。
「……そこ。まだついとるよ」
恐る恐る薄目を開ける苑に、巧身はにこりと笑ってみせた。
苑は石化の魔法でもかけられたかのように、そのまま固まってしまった。
その直後、背後からコンコンと音がした。
突然の物音に大きく肩を揺らすと、苑は忙しない様子で後ろを振り向いた。
窓ガラスの向こうで、ダフネ・フォンテーヌ=ワカミヤが、満面の笑みで二人を覗き込んでいた。
「ソノール!Mon ange!」
懐かしい呼び名が、二つ続いた。
一つは苑をもじった呼び名で、もう一つは私の天使という意味の愛称だ。
泥だらけの天使はダフネに笑いかけることも出来ず、長い髪を垂らして俯いた。
