恐ろしく見目麗しいその男は、苑のハイヒールをぷらぷらと手に揺らして歩み寄ってきた。
「どしたーん?話聞こかー?」
男の間延びした声に、苑はさらに警戒を強めた。それは都会に蔓延る軽薄な男どもの常套句だからだ。
泥に浸かった苑の前にしゃがみ込むと、男は眉を顰めた。
「……あらぁ。怪我とかしてはる?」
苑は牙を剥くように顔を上げ、男を睨みつけた。
「あんた誰! 他所もんやろ!」
「いや、どう見ても他所もんはそっちの方やろ〜。花脊でこんなん履いてる子なんて見たことないわぁ」
世から隔絶されたような土地であるために、ここ花脊は『離世』などとも言われている。
鞍馬山に天狗ありと言われるように、この男は花脊の山に住まう妖怪なのかもしれない。
作業着姿の男は、おもむろにポケットからハンドタオルを取り出し、苑に差し出した。
「噂通り、えらい別嬪さんやね。オソノちゃん」
そう言って微笑まれた瞬間、苑の心臓が口から飛び出しかけた。
言葉を失っている苑の顔にタオル生地が触れると、苑は辛うじてその手首を掴み取った。
「……ちょっと! 触らんといてや!」
男は掴まれた手首と苑を見比べながら、首を傾げた。
「……触っとるんは、そちらさんですけど?」
言われるなり手を振り払う苑に、男は困ったように眉を下げて笑った。
「心配せんでも、やらしいことしようなんて思うてへんよ。俺、ダフネさんの彼氏やし」
男があっさりと口にした『ダフネ』という名前と『彼氏』という単語に、苑は耳を疑った。
ダフネは苑の祖母であり、育ての親だ。
「はあーーー!?」
飽きることなく、雉鳩はぼうぼうと鳴いていた。
*
——軽トラック。
この世で一番と言っていいほど、映えない乗り物。
ひと月前まで、苑はしたり顔で高級国産車の助手席に収まっていた。それが今や、軽トラックの助手席に押し込められている。
信じたくはないが、これが汗と泥にまみれた苑の現実だ。
尻の下に敷かれたブルーシートも相まって、苑は死体よろしく山道を運ばれていく。
「まっさか、オソノちゃんが帰ってくるなんてなぁ。ダフネさん驚いて腰抜かさへんかなー。心配やわぁ」
苑はチラリと男の横顔を盗み見た。
年の頃は二十七、八といったところだろうか。
自分より少し上に見えるが、見れば見るほど圧倒される顔立ちをしていた。
目鼻立ちは妬ましいほど華やかで、もはや一つの造形美にすら思える。
欠伸をしても鼻を掻いても、それだけでドラマのワンシーンになる。
元がこれだけいいのに、見た目にはさほど気を遣っていないらしい。
短髪とも長髪とも言えない半端な髪型は、単に伸ばしっぱなしのようにも見えた。
溜息をついて男から目を逸らすと、苑は疲れ切った声で切り出した。
「……あんた、ダフネの彼氏ってホンマなん?」
「そやでー」
あっけらかんと笑って答える男に、苑は眉をぴくりと動かした。
「……あんたそれ、ガチで言うてはんの?年上好きとか熟女好きとかの範ちゅう超えてるやろ」
「えー、そお?なんぼ年取ったって、綺麗な人は綺麗やん」
男はうんうんと頷くが、苑には薄ら寒い台詞にしか聞こえなかった。
と言うのも、苑には一つ心当たりがあったのだ。
苑の祖母、ダフネ・フォンテーヌ=ワカミヤ。
八十歳を目前にした彼女は、今も絵本作家を続けている。
幼い苑のことをモデルにした『オソノちゃんシリーズ』は、刊行から二十年以上経った今も読み継がれるロングセラーだ。
そのダフネが億をゆうに超える資産を持っていることを、苑以外の人間が知っていたとしても不思議はない。
どんなに薄ら寒い台詞で誤魔化そうとも、この男の思惑など、苑には透けて見えていた。
それ以上問い詰める気にもならず、苑は目を閉じて軽トラックの揺れに耐え続けた。
