花脊の苑



 苑は酒にめっぽう弱いが、酒豪のダフネは注がれたら注がれただけ飲み干して、ニコニコと笑っている。


「ダフネさん。飲み過ぎとちゃいますか?」


 巧身は心配した様子でダフネのグラスに触れようとするが、ダフネは取られまいとするようにグラスを引っ込める。


「今日くらい堪忍よ。こんな賑やかなん、久しぶりなんやし」


 散々騒いで飲んで食べて、死屍累々と化している孫たちを眺めながら、ダフネはグラスに口をつけた。


 苑とてバカではない。

 自分が酒に弱いことを知っているから、ペース配分を見極めて飲んでいた。

 なので机に突っ伏しているのは、酔っ払ったふりをしているだけなのだ。

 あわよくば、ダフネと巧身のやり取りを盗み聞きすることができるかも。

 もしかしたら、巧身が心配して部屋まで運んでくれるかも。
 
 使い古されてきた芝居に興じる苑が、二の腕の隙間からほんの少し顔を上げる。

 目が合った。

 同じような野望を秘めたカラコンの瞳と、苑はたしかに目が合ったのだ。

 巧身の手が、グラスをコンとテーブルに置いた。


「……そんじゃ昼間のこと、聞かせてもろうてええですか?」


 静まりかえった部屋に、ダフネの軽やかな笑い声が転がる。


「ええ?うち、なんも言っとらんけど」


「いや言うたでしょ。オソノちゃんすんごい顔して走ってきはって、胸ぐら掴んできましたよ」


「やって〜、彼女がようさんいてはるんは事実やし?」


「やからそれは、里山のばあちゃん限定て話でしょうが」


 溜息をつきながら、巧身は眉間を揉んだ。


「この子って、なんでこないなかんじなんですか?ダフネさんに育てられたら、こうはならん気するけど」


 心外と言えば心外だが、今ここで掴みかかるわけにもいかない。それに加えて、巧身の言葉には苑自身も同意せざるを得なかった。

 ダフネは魔女よろしく、ふふふと笑った。


「うちが育てたからやで。うちが育てたから、こないにいい子になったんよ」


 なんの物音ひとつも立てないように、苑は唇を噛み締めて堪えた。

 巧身はなにも言わなかったが、どんな顔をしているかは分からない。

 苑が薄目を開けようとした瞬間、玄関からチャイムの音が鳴った。


「あら、誰やろ。こんな時間に」


 立ち上がるダフネの背を見送ると、巧身はダイニングテーブルの上の屍たちに目をやった。


「自分ら、芝居下手くそすぎやろ」


 三人のうち二人の肩が揺れ動いたのを見るなり、巧身は手でトントンと机を叩いた。


「はい、起きてる人で片付けしまっせ。早よ手伝って」


 わざとらしく伸びをして起き上がったアホヅミが、茶目っ気たっぷりに体をくねらせた。


「……イヤやわもう〜!今起きたとこやってのに〜!」


「はいはい。里奈ちゃん今日何で来たん?送ってこうか?」


「えっ!うち歩いてきました〜!送ってもらえたら嬉しい〜!」


「……そいつんちは徒歩二分や……」


 苑がゾンビよろしくゆらりと起き上がると、アホヅミは邪魔をするなと牙を剥く。


「うちが送ってったるわ、歩こうやアホヅミ……」


「キッショいこと言うなボケが!なんでお前と私で夜道歩かなあかんねん!」


 口汚い罵り合いが再び始まろうとしたその時、飾り窓のついたドアが大きく開かれた。


「ソノール!雪葉ちゃん来てくれたで!」


 ダフネの後ろから控えめに顔を出したのは、脊川雪葉その人であった。

 薄く化粧をしているが、素朴な顔つきは卒業アルバムのままだ。


「そのぴー!久しぶり!」


「雪ちゃん!雪ちゃんやないか!」


 苑と雪葉は手を取り合った。

 苑は心から喜んだ。ワタパチもアホヅミも、すっかり男と女に変わっていたが、雪ちゃんだけはおぼこい少女のままでいてくれた。

 苑にはそれが、たまらなく嬉しかった。


「うわあ、やっぱ美人さんは変わらへんなあ!都会の人ってかんじやわ!」


「えっ?そ、そお?まあうち、東京五年おったしな」


「なにがやねん雪葉!こいつ体操着着てんねんぞ!」


「えー?でもそのぴーは変わらんよぉ〜。花脊のお姫様や言われてたもんなぁ〜」


 空気清浄機、この子は空気清浄機やわ。

 あどけない笑顔で褒めちぎられた苑は、心の中でそう繰り返した。

 さぞや面白くないであろうアホヅミが、無言で皿を片しはじめたのを苑は気分よく眺めた。