大切な人を傷つける、温かい春景色

「夏休みまで長いよねー」
 あの文化祭が終わって早二週間。
 教室のにぎやかな装飾も嘘のように消えて、毎日窓の外ではしとしと、ザーザーと雨が降っている。同じ六月でも、文化祭の日は晴天だったというのに。
「あと一か月もないじゃん」
 呆れたように、夏実が窓の外を見る。
「まあ、毎日雨だと、時間の流れも遅いような気になるのもわかるけど」
「でもさ、幼稚園児にとっては梅雨もイベントみたいだよ?」
 私は机に右頬をくっつけながら、夏実に言う。明らかに態度が悪いのはわかっている。
 だって、あの人に会えないから。雨でも陽気になれる子どもと違って、私は毎日つまらないと感じてしまう。
 まるであの日もあの人も、頭の中で勝手に作り上げた夢だったんじゃないか、というほど、姿を見ることすらない。
「あ、そっか。桃香のお母さん、幼稚園の先生だったね」
「なんで雨なのに子どもって楽しそうなんだろうね」
「持ち物すべてが、好きなものだからじゃない? 傘も長靴も、子ども仕様だとかわいいもんね」
「ふーん、そうなんだ」
 私は、先生に目を付けられないような紺色一色の傘を持って、毎日会いたいと思う人には会えなくて。夏実と話す時間はもちろん楽しいけど、恋をした途端、今までそれだけで充分満たされていた心が、半分までしか満たされなくなった。
「なんであの人に会えないのかなー」
 ぼそっと言う。
 恋は、想像以上に難しいらしい。
 自動的に会えたり話したり、関わりが持てるようなものだと思っていた。
 でも神様はそんなに優しくなくて。
 授業中も、休み時間も、帰り道も。
 ご飯を食べているときも、お風呂に入っているときも、夜寝る前も。
 たまに夢の中でもあの人のことを考えているというのに。
「まあ、名前もクラスも学年もわかんないんじゃ、探しようもないもんね」
「そーなんだよねー」
 私の中では、次の日にはばったり再会して。その次の日には帰り道には雨に降られて、相合傘をしたりするはずだった。
 でもさすがにそれは、非現実的だってわかっている。
 ちょっと少女マンガみたいな妄想をしているだけ。
 だから、せめて毎日会いたいのに。顔だけでも見たいのに。
 歌い始める前に名乗っていたのは、ぼーっとして聞きそびれてしまっていたし、まさかそんなところで恋に落ちるなんて微塵も思っていなかった。
 ……ていうか。
「夏実はなんで恋愛反対派なのに、ちゃんと話聞いてくれるの?」
「どうしたの、いきなり」
「そういえば、って思い出して」
「反対派ってわけじゃないよ。前も言ったでしょ? あたしは、自分がする恋愛には興味ないの」
 あ、そうだったっけ。勝手に記憶を改ざんしていたらしい。
「それに、あたしの価値観と桃香の価値観は違うでしょ?」
 それは、そうだ。そもそも個体が違うんだもん。
「あたしは、桃香の選択を応援するよ。だから、桃香が失恋したら朝までカラオケで歌い倒したり、ケーキの食べ放題でやけ食いしたりするの、ちゃんと付き合ってあげるからね」
「ありがとうーっ」と、言いかけた。でも、ありがとうの「あ」の前に一瞬なにかが引っ掛かった。
「……え、まってまってまって」
「ん? どした? ケーキじゃなくて焼肉のがいい?」
「いや、そうじゃなくて!」
 私が言うと、夏実はなにか変なこと言った? と言いたげに首をかしげる。
「なんで失恋する前提なのよ」
「……あ」
「もーっ。失恋する前に、一緒に再会する方法考えてよー」
 夏実は困ったような顔をして、笑った。
「ごめんごめん。そっちが先だよね」
「そうだよー」
 そういいつつ、夏実は恋とか興味ないのにこんなことに巻き込まれるのは嫌なのかも、と考えついた。
「もしこういう話、興味なくてつまんなかったら違う話しよ」
「そんなことないよ。あたしが興味ないのは、自分と、興味ない人の恋愛だから。むしろ桃香の恋愛は興味あるよ? 興味しかない」
 いきなりすごい食いついてきた。面白いくらい。「興味あるからもっと話せ」みたいな、今まで感じたことがないような圧を感じて、つい笑ってしまった。