大切な人を傷つける、温かい春景色

 決めたはいいけど、口で言うのと気持ちが切り替わるのが同時にできるわけもなく。
 夏実の中で、先輩が嫌な印象のまま残るのが嫌だから明るく締めたけど、家に入るとまた涙がじわじわと頬を伝い始めた。
 玄関で靴を脱ぐこともせずに、家に誰もいないことをいいことに時間も忘れて泣きじゃくる。なんであんなに泣いたのに、涙は枯れてくれないんだろう。明日は確実に目が腫れているな。
 失恋のつらさの中で、そんなことを冷静に考えていることに少し笑えた。でも、そんなの一瞬で、すぐに先輩の顔が浮かんで、声が聞こえる気がして。思い出が走馬灯のように頭の中を流れていく。
 ……私、泣きすぎで死んじゃうのかな。なんでこんなに好きなのに、先輩は……。
「え、大丈夫? 外まで泣き声響いてるけど……」
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
 いきなり詩織の声がして、驚きのあまり涙と鼻水と声が一気に身体の外に出た。
「うわっ、うるさ……」
 直球すぎ……。こっちは心が想像以上にズタボロなのに、オブラートの「お」の字も包んでくれないなんて。空気の読めないやつだな。
「ひどいっ! 私は先輩に振られたのに!」
 思わず吐き出すと、詩織は黙り込んだ。
「今日は外食にしよう。焼肉と回転寿司、どっちにする?」
 察したあとの優しささえも今はただうっとうしくて。
「肉! 絶対肉だからっ!」
 涙ながらにぶつけると、着替えるように促された。詩織も会社の制服のままでは外食に行ってはいけないルールらしく、さらっと着られるワンピースを着ていた。
「仕方ないから、今日はわたしのおごりね」
 そう、近所の自営業の焼肉店に入り、少し待ってから席に座る。
 真っ先にメニューを奪い取り、牛タンとカルビとロースとハラミを、タレと塩を二人前ずつ頼んだ。ドリンクも、気分はお酒を飲んで全部忘れてしまいたいなんて思ったけど、オレンジジュースにした。お酒なんて飲んだことないけど、そういう気分だった。
「で? なんで振られたの。お菓子もおいしいって食べてくれて、おかわりも求められたんでしょ? 絶対絶対脈ありだったじゃん」
 そんなの、私だって思ってたよ。絶対彼女になれるって正直確信してたから、いい答えを期待していた。
「私の運命の人は絶対本田先輩だと思ってたのに……」
「恋してるうちは、きっとそう思うよね。だって暗い未来なんて期待しないし、妄想したりするのは付き合えたらとか、両片思いだったらとか、そういう授業中ににやにやしちゃうようなことだけでしょ。で、たまにネガティブなこと考えるみたいな」
「……うん」
「でもネガティブなことなんて好きな人と過ごしてる間は忘れるわけだよ」
 なんでわかるんだ。詩織だって一回しか恋したことないはずなのに。そのあと好きな人ができたなんて話もまだ聞いたことないし。
「知ってる? 運命の人って一人だと思うでしょ? でも二人いるんだよ」
「え、なにそれ。その場の励ましとかいらないんだけど」
「いや、励ましとかじゃなくて。一人目は恋をする喜びや楽しさと、恋が叶わない切なさを教えてくれる人。二人目は一生かけて愛を育てていく人。わたしは、はじめて失恋してつらかったけど、その人のこと好きになったことは後悔してないし、その経験があるから今があるって思ってる。恋が叶わなかったときはつらかったけど、恋のいいところとしんどいところを教えてくれた、一人目の運命の人だと思ってるの」
 そう話す詩織はどこか清々しくて。どれだけの時間が流れたら、ここまで立ち直れるんだろう。私は詩織の話を聞いても、まだまだ時間がかかりそうだ。
 先輩は好きになる、恋をする喜びとか楽しさと、それが叶わないつらさを教えてくれる、一人目の運命の人。
 でも、そうならもう、報われていない両片思いが、今後も報われることがないってことになるじゃないか。今後、再会して愛を育てていくことができないってことになるじゃないか。
「無理に忘れる必要はないと思うよ。好きな気持ちはなかなか消えないもん。でも、ちょっとずつ立ち直っていかないと、過去ばっかり見てても時間はどんどん過ぎていくんだからね。その間に二人目の運命の人が現れて通り過ぎたら、きっと何十年後にもっと後悔することになるかもしれないよ」
 そんなこと言われても。私は詩織の失恋とは違うのに。『失恋』というワードに一括りにされてしまうのが嫌だ。
 だって、先輩も私のことが好きだと泣いていた。それは紛れもない事実なのに。
 好かれていなくても、浮気されても、好かれていても。全部全部、同じ失恋なんて。
 そんなの、残酷すぎる。
 届いた肉をめいっぱい鉄板に広げて、オレンジジュースをストローで吸い上げながら詩織を無視して肉を育てた。
 焼けたものから全部私の器に移しても、今日だけは「わたしのは?」と詰められるけど、今日はなにも言われなかった。そのまま黙って座っててよ。私はやけ食いしないとやっていけないほどつらかったんだから。
 黙々と食べていくなかで、詩織は焼いては私の器に肉を乗せてくれる。
 その優しさがありがたいようで、少し嫌だった。