大切な人を傷つける、温かい春景色

 二月の残り半月は、三年生の人たちは自由登校になった。
 学校に来ても来なくてもいい。先輩は、学校に来なくなった。
 教室に覗きに行っても、石田先輩はいるのに肝心な本田先輩はいない。
 冬休みが終わったあとよりも、寂しい。
 心にぽっかり穴が開いたみたいだ。
「大丈夫? 顔死んでるけど」
 席替えをして前の席になった夏実が振り向いて、私の顔を眺めている。
「大丈夫じゃないよー。だって次に先輩に会えるの、卒業式だよ? その日に会ったら、また会えない日々とか無理なんだけど」
 学校にいる。同じ建物の中にいる。会いたくなったら、こっそり顔を見に行くことだってできる。それがどれほどありがたいものなのか。どれほど素晴らしいものなのか。
 会えなくなってから、こうも強く実感するなんて思ってもいなかった。
「別に、先輩が卒業しても会えなくなるわけじゃないでしょ。連絡先知ってるんなら、会う約束だってできるわけだし」
 それはそうなんだけど……。医学生って忙しそうだし。先輩の夢の邪魔はしたくない。それに私だって、来年から受験生になるわけだし。まだ進路は進学か就職かちゃんと決めてないけど。
「私も進路決めないとで忙しくなるかもしれないでしょ? てか、そろそろ本当に決めないとだし。先輩も忙しい、私も忙しいってなると、時間取れなくなっちゃうよ……」
 詩織が言っていたことがなんとなくわかったような気がする。
 高校生のうちに恋愛した方がいい。
 あのとき青春しておけばよかった。
 時間が進むにつれて、恋愛をする余裕なんてなくなって、そのまま社会人になったら。
 また、自分のことでいっぱいいっぱいになるのだろう。要領が悪い私だから、立ち止まって休憩する時間もとれるかどうか。
「同じ学校に行けたらよかったのにな」
「先輩、どこの学校なの?」
「詳しい名前は知らないけど、医科大学」
 私が言うと、夏実も納得したように頷いた。
「それは、桃香にはハードル高いね。今更遅いかも」
「わかってるもん。そもそも、私はお医者さんにはなれないよ」
「だよね。あたし、桃香には注射されたくないわ。痛そうだもん」
「ひどっ」
 そうやって笑いあう間は、余計なことを考えなくていいから少しは気が楽だけど。チャイムが鳴って、授業が始まると、また会いたくなって。偶然すれ違うことすら許されなくなった現実が妙に寂しくて。
 ……先輩の彼女になりたい。
 今までで一番強くそう感じた瞬間だった。
 彼女になったら、理由もなく連絡が取れる。
 先輩からも連絡が来る。自分からばっかりじゃなくて、私のことを思って連絡をくれる。
 そしたら、毎日会えない寂しさも少しは和らぐ気がした。
 恋人じゃない今、会えない上に連絡も来ない。それが、関係が一歩前に進むことでお互いに支えあえたり連絡を取り合って幸せを分かち合ったりできたなら。
 その一歩を踏み出す価値があると思った。
「夏実、私決めた」
 放課後、一緒に歩く中、立ち止まって言い放った私の言葉に夏実は振り返った。
「なにを?」
 私の顔をゆっくり覗き込んで、次の言葉を待っている。
 好きと伝える相手は夏実じゃないのに、ただ宣言するだけなのに、もう緊張して手が震える。呼吸がうまくできない。
 目を閉じて、深く息を吸って、細く長く吐き出して覚悟を決めた。
「私、先輩に告白する」
 言った。言ってしまった。
 もう、この宣言は取り消せない。
「……本気?」
「うん。本気。本気と書いてマジって読むくらい、本気」
 ヤンキーが使う言葉だと思っていた用語が自然と口から出てくるほど、私の気持ちは固まった。
「だから、あと半月しかないけど頑張る」
「なにを?」
 ……え、なにを?
 なにをって、……なにを……?
「伝えること、かな……?」
「そこらへん曖昧なんだ。桃香らしい」
 くすくす笑われて、思わずぷくーっと頬を膨らませてしまう。
「笑わないでよ。私、本気なんだからね」
「ごめん。でもあまりにもざっくりしてるからさ」
 ざっくりしてたらだめなのかな。こんな勢いで決めるんじゃなくて、計画を立てて決めないとダメ?
「でも、うん。桃香が決めたならいいと思うよ。そういうふわっとしてるところが桃香のいいところでもあるからさ」
「それ、ほめてる? けなしてる?」
「ほめてるよ。あたしはそういう桃香だから好きなんだよ」
 夏実に背中を押してもらって、しっかり覚悟は固まった。
 卒業式の日、先輩に告白する。
 先輩がおいしいと言ってくれた生チョコサンドクッキーを渡して、告白する。
「うまく伝えられるかな……」
「あー、桃香は緊張すると頭真っ白になるもんね。ラブレターとか書いて、渡すのもありじゃない?」
「そっか、ラブレター。書こうかな」
 桜色の便せんと封筒に、思いをたくさん詰め込んで渡そう。
 それとは別に、ちゃんと口でも伝えたいな。
「書いたら、一回読んでくれる?」
「いや、そこは桃香が決めて、そのまま渡すべきだよ。あたしの意見は、桃香の恋には入れこまない方がいい。その方が桃香の魅力がめいっぱい詰まったものになるはずだからさ」
「そっか。わかった」
 まあ、ラブレターは誰かに確認してもらうようなものじゃないし。自分の気持ちを伝えるための一つの方法だもんね。ラブレターを確認してもらうのなんて、その人の前で好きな人に告白をするようなものか。
 そう思うと、一気に自分のやろうとしたことが緊張を招くものかがよくわかる。
「がんばれ。桃香ならできる」
 夏実に背中を押されて、緊張はほんの少しの期待に変わった。