大切な人を傷つける、温かい春景色

 もう、二月。二月になってしまった。
先輩が卒業するまで、一か月を切っていた。
夏実に誘われて、一緒にバレンタインのチョコを作ることになった。
 先輩にチョコを渡さないのかと聞かれて、勉強の邪魔をしたくないから渡さないと答えた。そしたら、それくらい渡してもいい。糖分は勉強に必要だ。と力説されて、こうなった。
 全国共通テストが終わって、次は本命の大学の大学試験が控えているのだ。
 そんな緊迫した状況下で浮かれてチョコを渡すなんて、迷惑では? とまだ疑いつつ、本命と疑われていなければ、ただの応援にも見えなくはないか。
 そう自分を納得させて、浮かれてチョコのレシピ本を買った。
 結局、私はバレンタインを渡す口実ができたことに結構舞い上がって浮かれているわけである。
「で、どれ作るの?」
 今日はバレンタインの二日前。二月十二日。
 明日作るお菓子を決める作戦会議を夏実の家でしているところだ。
「勉強と言ったら、ブドウ糖だよね。ラムネってチョコと合うのかな」
「え、本気で言ってる? だとしたら、結構やばいよ?」
 マジのガチなトーンで突っ込まれて、やっぱりかと諦める。
 意外なマリアージュが起こるかもしれないよ? なんて言おうもんなら、きっと死んだ魚を見るような目で私のことを見るのだろう。
いや、それはいいのか? お刺身おいしいし。スーパーで死んだ魚をおいしそうと悩むとき、別に嫌な目で見るわけじゃないし。
だとしたら、三日くらい放置した生ごみを見つめるような目、という方がしっくりくる。
「桃香のお姉ちゃん、お菓子作りめっちゃ上手だよね? ほんとに血ぃ繋がってる?」
 チョコにラムネを組み合わせるという提案だけでそこまで疑われるのか。そんなに変な組み合わせなんだ。
 そこまで言われているのに、私の心の中ではまだ懲りていなくて、スマホで『チョコとラムネ 合う?』と検索をかける。
 結果は、甘みと酸味のバランスがいいため、合います。
「私の勝ち!」
 そう夏実にスマホを見せる。すると夏実は信じられないという顔をして、そのあとしばらく考えを巡らせたあと、渋々納得したらしい。
「まあ、まあまあ。合うかも。確かに、合うかもだけどさ。好きな人に渡すわけでしょ? いくら本命ですって伝えないとしても、本命っぽいの渡した方が絶対いいと思う」
「そういうもん?」
「そうだよ。来年はこんな簡単に会える距離に本田先輩いないかもしれないよ? そしたら、本命チョコを渡す機会なんてもうないかもしれないし。渡せるときに渡しておかないとダメだって」
 またしても夏実の力説に押されて、先輩に渡すバレンタインは生チョコサンドクッキーを作ることになった。
 作成会場は、一之瀬家。詩織に手伝ってもらうことになった。もちろん、夏実も一緒に作るけど。
「メッセージ送っといたから。お姉ちゃん、いいって」
 え、いつの間に。これから交渉するんだと思った。
 さすが夏実。行動が早い。こういうところ、すごく尊敬できる。
「桃香のお姉ちゃんの生チョコサンドクッキー、めっちゃおいしかったから、これは大成功間違いなしだね。いいなあ、桃香は。近くに教えてもらえる人がいて」
「でも、うるさいよ? 手順違うとすぐ口出してくるし」
「うそ、聖母マリアだと思ってた」
 大袈裟に驚いているあたり、別にあんまり驚いてなさそうだけど。詩織が聖母マリアなんてありえないし。
「お姉ちゃん、外面だけはいいから。最近のお姉ちゃん、青春に飢えてるし」
「え、彼氏いないの?」
「できたことすらないよ。夢に青春全部注ぎ込んでるから」
「そっか。それも楽しそう」
 ぱたん、とレシピ本を閉じて、夏実はショルダーバッグを取り出した。
「あ、これから用事あるの?」
 それならそろそろお暇しようかな、と出してもらったオレンジジュースを一気飲みして立ち上がる。
「え、なに帰ろうとしてんの?」
「え?」
「作るもの決まったんだから、明日作れるように材料買いに行かないとでしょ。ほら、立って。カバンも持って」
 あ、そういうこと。そんなことすっかり忘れていた。お菓子作りなんてやらないということがよくわかるな、と我ながら呆れてしまう。
「行くよ。今バレンタインシーズン真っ只中なんだからね。明日なんてチョコとか売り切れてるかもだし。善は急げだよ」
 そう、夏実に急かされて夏実の家を出る。いつものショッピングモールに入っているお菓子作りの材料をたくさん売っている専門店に腕を引かれて連れてこられた。
「桃香のお姉ちゃん情報によると、チョコはクーベルチュールチョコレート一択らしい。スーパーマーケットで買える百円の板チョコでもいいけど、本命ならこっちだって」
 詩織も私に好きな人がいることわかっているけど、バレンタインってだけで結びついちゃうものなんだ。まあ、そういうイベントだから無理もないだろうけど。
「生クリームは、動物性の、乳脂肪分が三十パーセント台のもの」
「え、四十七とかのがおいしそうなのに」
「分離しやすくなるんだって。失敗せずにおいしいものを作りたいなら、動物性で乳脂肪分三十パーセント代を選ぶこと、ってメッセージ来てるよ」
 詩織と夏実が離しているトーク画面を見せられる。私より、夏実と詩織のが気合が入っているように見えるのは、私を思ってくれているってことなのかもしれない。
 かごの中身がどんどん増えていく。
 無塩バター、純ココアパウダー、薄力粉、アーモンドプードル。
 スイートのクーベルチュールチョコレートに、乳脂肪分三十五パーセントの生クリーム。あとは本に載っていた、サンドした生チョコのサイドに付けるドライストロベリーのダイスと、ピスタチオのダイスを買った。
「これでばっちりかな。これ桃香の家に持ってって、お姉ちゃんに確認してもらって。足りないものは明日買い足しに来ればいいよね」
「うん。ありがとう」
 家の前まで荷物を運ぶのを手伝ってもらって、夏実は家に帰って行った。
 私も玄関の扉を開けて、荷物を降ろす。
「ただいま」
 がさがさとレジ袋を鳴らしながらリビングに入る。ソファでスマホを見ている詩織は、私が帰ってきたことに気付いていないみたいだ。
「お姉ちゃん」
「うわっ、桃香。おかえり」
 スマホの画面を暗くして、こちらを振り向く。
「買ってきた?」
「うん。これでいい?」
 レジ袋の中身を机の上に並べて、詩織に確認してもらう。
 バターが無塩かどうか。小麦粉の種類があっているか。
 一通り確認して、頷いた。
「ばっちり。じゃあ、明日に備えて、今日は早く寝ること」
 冷蔵庫に買ってきたものをしまってくれながら、お風呂がすでに沸いていることを教えてくれた。まだ夕方なのに、早いな。
「あ、もうすぐお父さん帰って来るから。私もう入ったから、早めに入りなよ」
 そういうことか。今日は帰って来るの、早いんだ。
 お父さん、私たちより長風呂なんだよな。先に入られると、一時間は出てこない。
 急いでパジャマを部屋に取りに行って、脱衣所で服を脱ぐ。
 湯船に浸かりながら、先輩のことを考えた。
 先輩はどんな大人になるんだろう。
 大学に行って、卒業したらお医者さんになって。きっと、腕の良くて優しい頼りたくなる人になるから。私が愚痴とかいっぱい聞いてあげたいな。
 きっとチョコレートもたくさんもらうんだろうな。
 だって、かっこいいし。かわいいし。魅力しかないような人だもん。
 そのたび嫉妬するのはきっと重たいから、大学とか職場でチョコレートをもらうくらいなら許してあげよう。私がもっとおいしいお菓子を作って、毎年一番を更新するから。ほかの人のチョコレートなんて、味も形も色も、ぜーんぶ私が忘れさせて。私が一番になればいい話。
 それでいつか、結婚して。子どもが生まれて。きっと先輩は素敵なパパになる。だから私も、素敵なママになりたいな。
 先輩となら、きっとそうなれる気がする。
 どんな瞬間を見てきても、嫌いにならなくて。好きが増していく魔性の男だもん。
「まだ付き合ってもないのに、なに考えてるんだろ」
 湯船から上がって、鏡に映った私の顔は、今までにないほどにやけていた。