大切な人を傷つける、温かい春景色

 授業は全くもって集中できない。
 板書をノートに写しているはずが、いつの間にか夏実とこうなってしまった原因を探っている。
可能性その①。
夏実の用事に付き合って三年生のフロアに行ったのに、私が本田先輩とわちゃわちゃ話していたせいでどの立ち位置にいればいいのかわからなくなった。
……いや、ないな。多分これじゃない。
夏実はいくら人間関係を最低限に抑えているからといって、陰キャなわけじゃない。ヒエラルキーでは、上から二番目には入るほどだろう。
可能性その②。
本田先輩の前の私と、夏実の前の私が違いすぎて、どっちが本当の私かわからないとか?
でもそれに関してはどっちも私だし。むしろ人間変化するものだと思う。
でもなー。可能性があるのは、これかも。昨日言ってたことを踏まえると、余計にこのパターンの可能性は高くなる。
可能性その③
私の先輩への絡みが同じ人間として見たときにうざく見えた。だから距離を置きたくなった。
これは違うか。別に泣きそうになって逃げるものじゃないし。
ていうか、どれも私からしたら泣くほどのものじゃない。立ち位置問題も、石田先輩が夏実のこと見てるはずだし。うざったく見えて呆れたなら、期待しないだけ。
うーん、わかんない。夏実が泣くほど嫌だった行動がなんなのか、全くわからない。
昨日だって、どっちのが好きが上かって話して逃げられたし。
やっぱり直接聞いてみるしかないかな。
授業が終わってすぐ、夏実の机に行く。
「ねえ、なにが泣くほど嫌だった?」
 おっと、あまりにも直球すぎた。
 最近本田先輩と話す勢いが癖づいているせいか、勢いのまま話しかけてしまうことがある。今のはさすがに、オブラートがなさすぎた。
「……え、なに、いきなり」
 本から視線を上げて、怪訝そうにこちらを見る。
「ごめん。でも、どうしても気になって」
 イヤホンが耳から抜かれた。ちゃんと話してくれるのか、私の話を聞いてくれるのか。
 どっちだかわからなかったから、一拍置いても夏実が話し出さないのを見て私から口を開いた。
「私のなにが嫌だった? 私、夏実のこと大好きだから、ここですれ違ったままは嫌だ」
 私が聞くと、どこか困惑したような、それなのになぜか少しうれしそうに口の端をちょっと上げてよくわからない顔をしていた。
「翠くんが言ってた通りだよ。あたしの大好きな友達が、あの人に取られたみたいで寂しくなっちゃっただけ。ほんとは、いい感じに恋が進んでて安心もしたよ」
 石田先輩が、言ってたこと? なんだっけ。あんまり覚えてないけど、まあいいか。寂しがってるみたいなことを言ってたんだろうし。ここでなんて言ってたか聞くのも酷だろう。
「てか、もう付き合ってる?」
 完全に本は閉じて、イヤホンもカバンの中にしまわれた。完全にいつもの夏実に戻っていた。
「付き合ってないよ! でも、ちょっと脈ありなのかな? って思うことある」
 夏実がいつも通りに戻ったから、私もいつも通りに戻した。いつまでも探るほど、私たちは短くて浅い仲じゃない。
「あたしもちょっと思ったんだよね。昨日のあの感じ、絶対桃香のことただの後輩とは思ってないね。絶対そう」
「やっぱり? ちょっとは特別になれてるかな」
「いや、ちょっとどころじゃないでしょ。だって今はまあ、受験真っただ中だから消滅したかもだけど、月に一回デートしてたんでしょ? 特別じゃない女の子と毎月出掛けることなんて普通ないと思うけどな」
 そうだよね。やっぱりそうだよね。
 私が浮かれすぎて、思考がとんでもない方向に飛んで行ってしまってるわけじゃないよね?
「告白、しないの?」
 今度は夏実が、結構踏み込んだことを聞いてきた。
 なにかを探るように、小声で。さっきまで話していた声のボリュームとは明らかに違っていた。
「まだ、しない。考えたことはあるけど、今じゃないもん」
「ふーん、そっか」
 興味があるのかないのか、これ以上告白のことを聞かれることはなかった。
 急かすことも、背中を押されることもないまま、そろそろ次の授業が始まるからと私は自ら席に戻った。
 これで、仲直りでいいのかな。でも、人間関係ってそういうものだよね。
 家族だって、夜けんかしても、朝起きたらいつも通りになって。
 相手を傷つけて、自分も傷ついていたら話は別だけど。
 今回は夏実も寂しかっただけって言ってたし、それに対して真面目に謝ると今度は夏実が責任を感じかねない。それに、これから私も夏実のことを第一優先で人と関わっていかないといけなくなる。
 今はできるけど。でも高校を卒業したあとは多分、絶対約束なんてできなくて。夏実を最優先に生きていくなんて不可能に近い。
 このまま「ごめん」も「気を付ける」も言わない。そういう選択もあっていいよね。そういう選択のがいいときも絶対ある。
 授業を受けていると、ちらっと夏実が振り返った。目が合うと、にこっと微笑んで小さく手を振る。
 この選択は間違ってなかった。きっといつか笑い話になる。そう確信しながら、私も小さく手を振り返した。