その日、いきなり駆け出した夏実は教室に戻って来ることなく、私は一人で家に帰った。
次の日、登校していると、ばったり先輩に会えた。
「本田先輩!」
思わず声をかけると、先輩はすぐに振り向いてくれた。
「おはよ。昨日ぶりだね」
スマホでニュースを見ていたのか、予防接種を受ける子どもがスマホの画面に映っている。
「うわ、一番見たくないシーン見ちゃったよ」 勢いよく画面から目を逸らす。スマホの画面を真っ暗にして、ポケットにねじ込んだ。
その反応は、もしかして……。
「もしかして先輩、注射苦手ですか?」
「うわ、ばれた? そうなんだよ」
はぁ、とため息をついて、私の方を見る。下手な作り笑いを浮かべて、また視線を前に向けた。
「医者になりたいのに注射苦手とか終わってると思うでしょ」
でた、先輩の弱音。あんまり聞かせてもらえない弱音を聞かせてもらえるなんて、心を許してもらえているみたいでうれしい。
「でも、いるんじゃないですか? 注射が苦手なお医者さんも」
「そうかなぁ……」
なんか、いつにも増して弱気だな。
模試の結果が悪かったときより、弱いかも。
「お仕事スイッチが入ったら、できたりするかもですよ。私のお姉ちゃんも、男の人苦手なんですけど、職場だったら仕事モードだから普通に話せるって言ってましたし」
詩織が結構前に言っていたことをふと思い出した。誰でもござれな職場で、嫌にならないの? となんとなく聞いた昔の自分に感謝した。
まさかこんなところで役立つなんて思わなかった。
「あー。その領域に達したら、できるかも」
「別にお姉ちゃん、普通の会社員ですよ」
「社会に出て働いてる人に優劣なんてないからね。桃香ちゃんのお姉さん、尊敬する」
そっか、そういうもんか。
私は勝手に、お医者さんとか看護師さんとか、警察官とか消防士さんとか。
そういう職業を選ぶ人は人間レベルが高い人だと思っていた。そこで働いている人は、どの職業で働く人たちよりも立派だと思っていた。
でも、違うんだ。働いていることが、もう立派っていう扱いでいいんだ。
「お姉さん、何の仕事してるの?」
「住宅メーカーの受付です」
「受付さんなんだ。すごいね」
ほめてもらえた。詩織がだけど。
どこかくすぐったくて、うれしかった。
「じゃあ、またね」
昇降口でわかれて、それぞれ自分の教室に向かう。
昨日、六限をサボった夏実は、もう自分の席に座っていた。イヤホンを耳に挿して、本を読んでいる。ブックカバーがかかっていて、何の本を読んでいるのかはわからない。
「夏実、おはよ」
「……おはよー」
あのあと、きっと泣いたんだろうな。近くで見ると、目が赤く腫れていた。
「大丈夫?」
「うん」
会話は続かず、聞かれたことにだけ淡々と答えては本に視線を戻す。話している間も、イヤホンを外す気配すらない。
私はどうしたらいいかわからずに、自分の席へ向かった。
ガラガラとなる椅子を引き、腰かける。
なんか、けんかしてるみたいでやだな。なにがきっかけなのかもよくわからないし。
カバンの中身を机の中に押し込みながら、視界の端は無意識に夏実の姿を捉えてしまう。
「朝のホームルーム始めまーす」
チャイムと同時に先生が入って来て、今日も一日が始まった。
次の日、登校していると、ばったり先輩に会えた。
「本田先輩!」
思わず声をかけると、先輩はすぐに振り向いてくれた。
「おはよ。昨日ぶりだね」
スマホでニュースを見ていたのか、予防接種を受ける子どもがスマホの画面に映っている。
「うわ、一番見たくないシーン見ちゃったよ」 勢いよく画面から目を逸らす。スマホの画面を真っ暗にして、ポケットにねじ込んだ。
その反応は、もしかして……。
「もしかして先輩、注射苦手ですか?」
「うわ、ばれた? そうなんだよ」
はぁ、とため息をついて、私の方を見る。下手な作り笑いを浮かべて、また視線を前に向けた。
「医者になりたいのに注射苦手とか終わってると思うでしょ」
でた、先輩の弱音。あんまり聞かせてもらえない弱音を聞かせてもらえるなんて、心を許してもらえているみたいでうれしい。
「でも、いるんじゃないですか? 注射が苦手なお医者さんも」
「そうかなぁ……」
なんか、いつにも増して弱気だな。
模試の結果が悪かったときより、弱いかも。
「お仕事スイッチが入ったら、できたりするかもですよ。私のお姉ちゃんも、男の人苦手なんですけど、職場だったら仕事モードだから普通に話せるって言ってましたし」
詩織が結構前に言っていたことをふと思い出した。誰でもござれな職場で、嫌にならないの? となんとなく聞いた昔の自分に感謝した。
まさかこんなところで役立つなんて思わなかった。
「あー。その領域に達したら、できるかも」
「別にお姉ちゃん、普通の会社員ですよ」
「社会に出て働いてる人に優劣なんてないからね。桃香ちゃんのお姉さん、尊敬する」
そっか、そういうもんか。
私は勝手に、お医者さんとか看護師さんとか、警察官とか消防士さんとか。
そういう職業を選ぶ人は人間レベルが高い人だと思っていた。そこで働いている人は、どの職業で働く人たちよりも立派だと思っていた。
でも、違うんだ。働いていることが、もう立派っていう扱いでいいんだ。
「お姉さん、何の仕事してるの?」
「住宅メーカーの受付です」
「受付さんなんだ。すごいね」
ほめてもらえた。詩織がだけど。
どこかくすぐったくて、うれしかった。
「じゃあ、またね」
昇降口でわかれて、それぞれ自分の教室に向かう。
昨日、六限をサボった夏実は、もう自分の席に座っていた。イヤホンを耳に挿して、本を読んでいる。ブックカバーがかかっていて、何の本を読んでいるのかはわからない。
「夏実、おはよ」
「……おはよー」
あのあと、きっと泣いたんだろうな。近くで見ると、目が赤く腫れていた。
「大丈夫?」
「うん」
会話は続かず、聞かれたことにだけ淡々と答えては本に視線を戻す。話している間も、イヤホンを外す気配すらない。
私はどうしたらいいかわからずに、自分の席へ向かった。
ガラガラとなる椅子を引き、腰かける。
なんか、けんかしてるみたいでやだな。なにがきっかけなのかもよくわからないし。
カバンの中身を机の中に押し込みながら、視界の端は無意識に夏実の姿を捉えてしまう。
「朝のホームルーム始めまーす」
チャイムと同時に先生が入って来て、今日も一日が始まった。


