日本史の授業が終わり、夏実に付き添ってまた三年生のフロアに行く。
三年三組の教室を覗き込むと、すぐに石田先輩が夏実に気が付いた。手を振りながらこちらに歩いてくる。
……あれ?
もしかして、あの石田先輩が机を漁っていた席の人って……。
「おーい、友貴! 夏実が資料集ありがとうって」
石田先輩の声に、本田先輩が顔を上げる。その視線が石田先輩を捉えて、夏実を捉えて。そして、私と目が合った。
「あ。桃香ちゃんだ」
そう、手を止めてこっちに歩いてきてくれる。
会えた。会えてしまった。会いたかった。せめて顔だけでも見れたら、と思っていた。
「先輩っ! お久しぶりです!」
思わず前のめりになってしまう。
「え、桃ちゃんと友貴、知り合いなの?」
「知り合いというか、仲良し。ね、桃香ちゃん」
「はい! 仲良しです」
仲良し。友達でも、好きな人でも、彼女でもない。名前のない、仲良しさん。
私たちの関係って、なんなんだろう。
この関係を壊したくない。だから告白は今はできない。
そう思っていたけど。
そもそも、私たちは壊れて困るほどの関係値に達していたのだろうか。関係が壊れるのが嫌と感じているのは私だけで、先輩にとっては友達にも到達しない仲良しさんらしいし。私がいなくなっても正直なにも思わないかもしれない。
「はじめまして。本田友貴です。夏実さんのお噂はかねがね」
「おい、余計なこと言うなよ?」
私が頭の中で色々ぐるぐる考えている中で、三人はわちゃわちゃ話している。
石田先輩の焦りよう、きっと夏実の好きなところとかをよく話しているんだろうな。
「あ、高尾夏実です。あたしも、お噂はかねがね……」
「え、僕の噂? 変なこと言ってない?」
焦ったように私の方を見る。普通、焦るのは私だと思うんだけど。
「変なことなんて言ってないです! どこ行ったとか、そんな感じで。先輩のかわいいところなんてまだ誰にも話してないですよ」
仲良しさんからレベルアップしたくて、今日は意図的に先輩のことをかわいいと言ってみた。こんな些細なことでは、変わらないかもしれないけど。
「なに、友貴のかわいいところ?」
「いや、だから僕はかわいくないって」
「かわいいですよ。例えば……」
なにから話そうかな。緊張すると声が裏返るところ? 嫌なことがあったら一人でネガティブワードをつぶやいているところ? 焼きそばの上の目玉焼きに人一倍愛着があるところ?
色々考えていると、先輩は私の口を大きな手でふさいだ。
「余計なことは言わなくていいから。僕と桃香ちゃんだけの秘密でしょ」
私と先輩だけの秘密、なの?
そんなこと言われたら浮かれちゃうんですけど。いいんですか、先輩。
私、期待しちゃうよ?
一緒に引いたおみくじ、大当たりだったって思っていいよね?
「友貴、桃ちゃんのこと離してあげなって。桃ちゃんの話は俺が聞いておいてあげるから」
どこか楽しそうに、先輩から私を解放しようとする。
「桃香ちゃんはね、ちょっと見え方変わってる子だから。言わなくていいから」
「んむー……」
口をふさがれているから、はっきり話せなくて、赤ちゃんがうなるみたいになってしまった。
「ほら、離してあげなって。いくら桃ちゃんがかわいくても、桃ちゃんの親友の夏実が嫉妬しちゃうだろ?」
訳の分からないことをいいながら、先輩を説得していた。
私はもう少しくらい、このままでよかったのに。
「余計なこと言わないって約束できる?」
先輩は少し屈んで、子どもと話すときのように私に目線を合わせて質問した。
「んー……」
「高尾さんにも、翠にも言わないって約束できる?」
ふざけて首を横に振ってみる。
「え、できない? なんで?」
「だって先輩、素敵だもん」
そういいつつ、話すのは夏実くらいだけど。だって先輩の魅力がたくさんの人に広がるのは嫌だから。先輩の素敵なところを知っている人は、限られている中の人でいいもん。
「仕方ないから、誰にも言いません」
どの口が何様みたいに言ってるんだ、と思ったけど、先輩はそんな私の悪びれない様子を嫌な顔をしないで見ている。むしろ微笑ましいものを見るような温かい目で私を捉えているようにすら見える。
流石に私の都合の良すぎる勝手な解釈で、好きな人フィルターがかかっている可能性大だから、自意識過剰になりかねないことは口には出さないけど。
「いいこいいこ。約束だからね」
「はい。先輩がかわいいのは、私と先輩だけの秘密ですね」
「よろしい。じゃあ、そろそろ教室戻りな。もうすぐ次の授業はじまるよ」
え、もう? 早くない?
まだここに来て一分とか、そんな感覚なんですけど。
ずっと隣で黙っていたから、すっかり忘れていた夏実に肩を叩かれて、半ば強制的に先輩の教室から離された。
「なんか、あの人といる桃香、いつもと全然違う。遠慮がちな守ってあげたくなるようなタイプなはずなのに、先輩に対してはぐいぐい行くもん」
それは、そうかも。むしろ、やっぱりそうか。とまで思う。
「先輩がひとりごと言ってたときからかな。それから、先輩にはああやって話すようになったかも」
だから、きっと先輩の中の私は、夏実の中にいる私とは全然違う。
守ってあげたくなるような女の子だと思われていたのは想定外だったけど、地味で奥手な三軍女子って感じではあった。だし、今も先輩の前以外ではそうだと思う。
「前の桃香のが好きだったな」
「……え?」
「今の桃香も好きだけど」
え、え、なにそれ。
私、なにした? 夏実の気に障ること、なにかしちゃった?
ごめん。そう口から出かけて、喉の奥に引っ込んだ。
なにが悪かったのか、全然わかってないのに謝るなんて、よくないってわかってるし。「あたしって桃香の中でその程度だったんだ」って余計相手のこと傷つける可能性だってあるわけだし。
軽々しく謝罪だけ並べるのはやめといたほうがいい。
「私、夏実のこと好きだよ?」
結局私の口から出たのは、脈絡のない好意を伝える言葉だった。
「あたしのが、好きだと思う」
……はい?
さっき前の私のが好きだったとか言ってたよね?
「いやいや、私のが好きだし。夏実の中の私と違って、私の中の夏実は型落ちしてないもん」
「それでも、あたしのが上なの。絶対そうだもん」
そう言って、一人で教室を通り越してどこかへ走って行ってしまった。
なんなんだ、一体。
それになんで、ちょっと泣きそうになってたんだろう。
追いかけた方がいいのかな、と思いつつ、一人になりたいかもしれないという可能性もなくはないから、私は授業を受けるために一人で教室に戻った。
三年三組の教室を覗き込むと、すぐに石田先輩が夏実に気が付いた。手を振りながらこちらに歩いてくる。
……あれ?
もしかして、あの石田先輩が机を漁っていた席の人って……。
「おーい、友貴! 夏実が資料集ありがとうって」
石田先輩の声に、本田先輩が顔を上げる。その視線が石田先輩を捉えて、夏実を捉えて。そして、私と目が合った。
「あ。桃香ちゃんだ」
そう、手を止めてこっちに歩いてきてくれる。
会えた。会えてしまった。会いたかった。せめて顔だけでも見れたら、と思っていた。
「先輩っ! お久しぶりです!」
思わず前のめりになってしまう。
「え、桃ちゃんと友貴、知り合いなの?」
「知り合いというか、仲良し。ね、桃香ちゃん」
「はい! 仲良しです」
仲良し。友達でも、好きな人でも、彼女でもない。名前のない、仲良しさん。
私たちの関係って、なんなんだろう。
この関係を壊したくない。だから告白は今はできない。
そう思っていたけど。
そもそも、私たちは壊れて困るほどの関係値に達していたのだろうか。関係が壊れるのが嫌と感じているのは私だけで、先輩にとっては友達にも到達しない仲良しさんらしいし。私がいなくなっても正直なにも思わないかもしれない。
「はじめまして。本田友貴です。夏実さんのお噂はかねがね」
「おい、余計なこと言うなよ?」
私が頭の中で色々ぐるぐる考えている中で、三人はわちゃわちゃ話している。
石田先輩の焦りよう、きっと夏実の好きなところとかをよく話しているんだろうな。
「あ、高尾夏実です。あたしも、お噂はかねがね……」
「え、僕の噂? 変なこと言ってない?」
焦ったように私の方を見る。普通、焦るのは私だと思うんだけど。
「変なことなんて言ってないです! どこ行ったとか、そんな感じで。先輩のかわいいところなんてまだ誰にも話してないですよ」
仲良しさんからレベルアップしたくて、今日は意図的に先輩のことをかわいいと言ってみた。こんな些細なことでは、変わらないかもしれないけど。
「なに、友貴のかわいいところ?」
「いや、だから僕はかわいくないって」
「かわいいですよ。例えば……」
なにから話そうかな。緊張すると声が裏返るところ? 嫌なことがあったら一人でネガティブワードをつぶやいているところ? 焼きそばの上の目玉焼きに人一倍愛着があるところ?
色々考えていると、先輩は私の口を大きな手でふさいだ。
「余計なことは言わなくていいから。僕と桃香ちゃんだけの秘密でしょ」
私と先輩だけの秘密、なの?
そんなこと言われたら浮かれちゃうんですけど。いいんですか、先輩。
私、期待しちゃうよ?
一緒に引いたおみくじ、大当たりだったって思っていいよね?
「友貴、桃ちゃんのこと離してあげなって。桃ちゃんの話は俺が聞いておいてあげるから」
どこか楽しそうに、先輩から私を解放しようとする。
「桃香ちゃんはね、ちょっと見え方変わってる子だから。言わなくていいから」
「んむー……」
口をふさがれているから、はっきり話せなくて、赤ちゃんがうなるみたいになってしまった。
「ほら、離してあげなって。いくら桃ちゃんがかわいくても、桃ちゃんの親友の夏実が嫉妬しちゃうだろ?」
訳の分からないことをいいながら、先輩を説得していた。
私はもう少しくらい、このままでよかったのに。
「余計なこと言わないって約束できる?」
先輩は少し屈んで、子どもと話すときのように私に目線を合わせて質問した。
「んー……」
「高尾さんにも、翠にも言わないって約束できる?」
ふざけて首を横に振ってみる。
「え、できない? なんで?」
「だって先輩、素敵だもん」
そういいつつ、話すのは夏実くらいだけど。だって先輩の魅力がたくさんの人に広がるのは嫌だから。先輩の素敵なところを知っている人は、限られている中の人でいいもん。
「仕方ないから、誰にも言いません」
どの口が何様みたいに言ってるんだ、と思ったけど、先輩はそんな私の悪びれない様子を嫌な顔をしないで見ている。むしろ微笑ましいものを見るような温かい目で私を捉えているようにすら見える。
流石に私の都合の良すぎる勝手な解釈で、好きな人フィルターがかかっている可能性大だから、自意識過剰になりかねないことは口には出さないけど。
「いいこいいこ。約束だからね」
「はい。先輩がかわいいのは、私と先輩だけの秘密ですね」
「よろしい。じゃあ、そろそろ教室戻りな。もうすぐ次の授業はじまるよ」
え、もう? 早くない?
まだここに来て一分とか、そんな感覚なんですけど。
ずっと隣で黙っていたから、すっかり忘れていた夏実に肩を叩かれて、半ば強制的に先輩の教室から離された。
「なんか、あの人といる桃香、いつもと全然違う。遠慮がちな守ってあげたくなるようなタイプなはずなのに、先輩に対してはぐいぐい行くもん」
それは、そうかも。むしろ、やっぱりそうか。とまで思う。
「先輩がひとりごと言ってたときからかな。それから、先輩にはああやって話すようになったかも」
だから、きっと先輩の中の私は、夏実の中にいる私とは全然違う。
守ってあげたくなるような女の子だと思われていたのは想定外だったけど、地味で奥手な三軍女子って感じではあった。だし、今も先輩の前以外ではそうだと思う。
「前の桃香のが好きだったな」
「……え?」
「今の桃香も好きだけど」
え、え、なにそれ。
私、なにした? 夏実の気に障ること、なにかしちゃった?
ごめん。そう口から出かけて、喉の奥に引っ込んだ。
なにが悪かったのか、全然わかってないのに謝るなんて、よくないってわかってるし。「あたしって桃香の中でその程度だったんだ」って余計相手のこと傷つける可能性だってあるわけだし。
軽々しく謝罪だけ並べるのはやめといたほうがいい。
「私、夏実のこと好きだよ?」
結局私の口から出たのは、脈絡のない好意を伝える言葉だった。
「あたしのが、好きだと思う」
……はい?
さっき前の私のが好きだったとか言ってたよね?
「いやいや、私のが好きだし。夏実の中の私と違って、私の中の夏実は型落ちしてないもん」
「それでも、あたしのが上なの。絶対そうだもん」
そう言って、一人で教室を通り越してどこかへ走って行ってしまった。
なんなんだ、一体。
それになんで、ちょっと泣きそうになってたんだろう。
追いかけた方がいいのかな、と思いつつ、一人になりたいかもしれないという可能性もなくはないから、私は授業を受けるために一人で教室に戻った。


