新学期。気分が全く乗らない。気持ちも上がらない。
だって、学校に来ているけど、先輩には会いに行けないし。邪魔したくないから行かないって決めたのは自分だし。
これが、きっと卒業式の三月上旬まで続くんだよね?
……もう無理。ギブかも……。
会いたいもん。会えないだけで酸素が薄くなったみたい。せめてクラスさえわかれば、こっそり顔を見に行けるのに。
「ね、桃香。翠くんのとこ行くのついてきて」
お昼休みに私が机に埋もれそうなほど顔を押し付けていると、夏実が私の肩を叩いた。
「え、どうしたの?」
「資料集借りに行くの。三年生のフロア、一人で行くのちょっと怖いもん」
その気持ちは、まあわかるけど。
資料集くらい、同じ学年の別のクラスの子に借りればいいのに。
そう思った私の心の内を読んだように、夏実が口を開く。
「あ、あたし、教科書借りれる仲なの、桃香くらいしかいないからね」
ああ、そうだった。この子、人間関係は最小限に抑えてる子だった。
「いいよ。ついてったげる」
資料集なら、三学年変わらず使い続けられるものだし、厚みがあって重たいから、大抵の人はロッカーに置きっぱなしだもんね。
はじめて、二階にある三年生のフロアに立ち入る。
いや、はじめてではないかも。文化祭のときは、いろんな学年の人がいるから、来たことあるかも。
三年三組の前で立ち止まり、夏実が教室を覗き込む。
しばらくきょろきょろしていると、後ろから声がかかった。
「夏実? どうした?」
「あ、翠くん」
石田先輩の声に、夏実は振り返る。
当たり前のような距離感が羨ましい。
「うちのクラスに来るなんてはじめてじゃない? どうした?」
「あ、歴史の資料集、忘れちゃって。翠くんも日本史でしょ?」
「いや、俺、世界史なんだよね。日本史の教科書はあるけど資料集は持ってないな」
うちの学校では、二年生になったときに日本史か世界史、どちらをより深く学ぶのかを選んで教科書を購入する。よって、深く学ばない方の資料集は不要だから購入リストにそもそも入っていないのだ。
「あ、そうじゃん。すっかり忘れてた……」
夏実が路頭に迷ったような顔をしていると、石田先輩もまるで自分のことのように考えて「あっ!」と言った。
「俺の友達、日本史だわ。ちょっと待ってて」
そう、石田先輩は窓側の机を漁り、日本史の資料集を夏実に手渡した。
「ちゃんと話しとくから、持ってっていいよ。その代わり、使い終わったら返すこと」
誰かの机から勝手に引っ張りだして、まるでお母さんみたいなことを言う。信ぴょう性に欠けるというか、なんというか……。
とにかく、私には思いつかないことだな。
「ちゃんと言ってくれるんだね? 翠くん、その人に嫌われたりしない? 大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。俺ら、信頼関係だけはしっかり構築されてるから」
がはは、と豪快な笑いで資料集を夏実に押し付けて、時計を見る。
「心配すんなって。まあ、夏実が落書きしたり破ってその紙で折り紙したらやばいけど」
夏実の頭の上を、石田先輩の大きな手が前後左右に動く。
「そんな子どもみたいなことしないから。わかった、借りてく」
石田先輩に手を振ると、一つ上の階の二年生のフロアに戻る。
「翠くん、いつもあたしのこと幼稚園児みたいに扱うんだよね。一個下なだけなのに」
ため息交じりに言うと、資料集を裏返して、すぐに表に戻して机に置いた。
好きな子をいじめたくなるタイプなのかな? それともずっと夏実のことがかわいく見えて仕方ないだけなのか。
私からしたらただただ微笑ましいだけだけど、夏実からしたら鬱陶しいのかな。
「髪もぐちゃぐちゃになっちゃったし。もー、あいつ」
胸ポケットから取り出したコームで髪を結びなおして、むくれた顔で外を見ている。
「桃香はああいう変な男に引っかかっちゃだめだからね」
「石田先輩は別に変な人じゃなくない?」
ただ、夏実のことが好きな人で、いつも、どんなときも夏実のことを一番に考えている印象なんだけどな。
「変な人だよ。だって恋には興味ないっていいつつ、告白されたら『好きな人いるから』って断るんだって。興味ないのかあるのかいつまで経ってもはっきりしないし。てかほんとに好きな人がいるなら、あたしじゃなくてその好きな子とやらの頭撫でてあげればいいのに。好きな子に勘違いされたら、実るものも実らないじゃん」
それは、もう実践済みでは……?
だってどう見ても、石田先輩の好きな人は夏実だもん。周りから見たらすぐにわかりそうなものなのに。
と、口から出そうになって、空気に触れる直前で飲み込む。
勝手に人の想いを伝えるなんて、非人道的だ。よくないよくない。
「そうだね。そうかも」
適当に聞こえない程度に適当に返す。夏実は気付いていないみたいで、「そろそろ幼なじみ離れしないとやばい」とか、「一歳差を十歳差と勘違いしている節がある」とか。そんな愚痴を話している。
夏実のことがかわいくてしかたないんだろうなって、私からしたらただただ微笑ましくみえるだけなのに。
「てか、そろそろ告白したらいいのに」
そこまで聞いて、夏実は本当に石田先輩のことは幼なじみとしか思っていないんだ、としっかりわかってしまった。
いや、聞くまえからわかってたけど。わかってたけど、そこまで気付いていないのか、という衝撃が私の中を駆け巡る。
「そー、れは……。きっとほら。石田先輩にもタイミングがあるんだよ」
石田先輩のいいところを刷り込んであげようとも思ったけど、そんなことは余計なお世話だろう。それに、たまに二人が一緒にいる姿を見ている私より、夏実はずっと石田先輩のいいところを知っているはずだ。石田先輩の恋心の矛先に気付いていないだけで。
「そういうもん?」
「うん。そういうもんだよ」
頷くと、夏実はどこか納得したように「ふーん」と息を吐くように空気に声を乗せていた。
「桃香は恋してるもんね。そしたら、そっち側の気持ちもわかるか」
「そうだよ。私だって、色々考えるもん。好きな人の重荷にも邪魔者にもなりたくないからさ」
「……ふーん、そっか。それほど好きなんだね」
納得しているのか、いないのか。つかみどころのない答え方に言及する必要性は感じなかったから、私はただ「うん」とだけ言って、自分の席に戻った。
だって、学校に来ているけど、先輩には会いに行けないし。邪魔したくないから行かないって決めたのは自分だし。
これが、きっと卒業式の三月上旬まで続くんだよね?
……もう無理。ギブかも……。
会いたいもん。会えないだけで酸素が薄くなったみたい。せめてクラスさえわかれば、こっそり顔を見に行けるのに。
「ね、桃香。翠くんのとこ行くのついてきて」
お昼休みに私が机に埋もれそうなほど顔を押し付けていると、夏実が私の肩を叩いた。
「え、どうしたの?」
「資料集借りに行くの。三年生のフロア、一人で行くのちょっと怖いもん」
その気持ちは、まあわかるけど。
資料集くらい、同じ学年の別のクラスの子に借りればいいのに。
そう思った私の心の内を読んだように、夏実が口を開く。
「あ、あたし、教科書借りれる仲なの、桃香くらいしかいないからね」
ああ、そうだった。この子、人間関係は最小限に抑えてる子だった。
「いいよ。ついてったげる」
資料集なら、三学年変わらず使い続けられるものだし、厚みがあって重たいから、大抵の人はロッカーに置きっぱなしだもんね。
はじめて、二階にある三年生のフロアに立ち入る。
いや、はじめてではないかも。文化祭のときは、いろんな学年の人がいるから、来たことあるかも。
三年三組の前で立ち止まり、夏実が教室を覗き込む。
しばらくきょろきょろしていると、後ろから声がかかった。
「夏実? どうした?」
「あ、翠くん」
石田先輩の声に、夏実は振り返る。
当たり前のような距離感が羨ましい。
「うちのクラスに来るなんてはじめてじゃない? どうした?」
「あ、歴史の資料集、忘れちゃって。翠くんも日本史でしょ?」
「いや、俺、世界史なんだよね。日本史の教科書はあるけど資料集は持ってないな」
うちの学校では、二年生になったときに日本史か世界史、どちらをより深く学ぶのかを選んで教科書を購入する。よって、深く学ばない方の資料集は不要だから購入リストにそもそも入っていないのだ。
「あ、そうじゃん。すっかり忘れてた……」
夏実が路頭に迷ったような顔をしていると、石田先輩もまるで自分のことのように考えて「あっ!」と言った。
「俺の友達、日本史だわ。ちょっと待ってて」
そう、石田先輩は窓側の机を漁り、日本史の資料集を夏実に手渡した。
「ちゃんと話しとくから、持ってっていいよ。その代わり、使い終わったら返すこと」
誰かの机から勝手に引っ張りだして、まるでお母さんみたいなことを言う。信ぴょう性に欠けるというか、なんというか……。
とにかく、私には思いつかないことだな。
「ちゃんと言ってくれるんだね? 翠くん、その人に嫌われたりしない? 大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。俺ら、信頼関係だけはしっかり構築されてるから」
がはは、と豪快な笑いで資料集を夏実に押し付けて、時計を見る。
「心配すんなって。まあ、夏実が落書きしたり破ってその紙で折り紙したらやばいけど」
夏実の頭の上を、石田先輩の大きな手が前後左右に動く。
「そんな子どもみたいなことしないから。わかった、借りてく」
石田先輩に手を振ると、一つ上の階の二年生のフロアに戻る。
「翠くん、いつもあたしのこと幼稚園児みたいに扱うんだよね。一個下なだけなのに」
ため息交じりに言うと、資料集を裏返して、すぐに表に戻して机に置いた。
好きな子をいじめたくなるタイプなのかな? それともずっと夏実のことがかわいく見えて仕方ないだけなのか。
私からしたらただただ微笑ましいだけだけど、夏実からしたら鬱陶しいのかな。
「髪もぐちゃぐちゃになっちゃったし。もー、あいつ」
胸ポケットから取り出したコームで髪を結びなおして、むくれた顔で外を見ている。
「桃香はああいう変な男に引っかかっちゃだめだからね」
「石田先輩は別に変な人じゃなくない?」
ただ、夏実のことが好きな人で、いつも、どんなときも夏実のことを一番に考えている印象なんだけどな。
「変な人だよ。だって恋には興味ないっていいつつ、告白されたら『好きな人いるから』って断るんだって。興味ないのかあるのかいつまで経ってもはっきりしないし。てかほんとに好きな人がいるなら、あたしじゃなくてその好きな子とやらの頭撫でてあげればいいのに。好きな子に勘違いされたら、実るものも実らないじゃん」
それは、もう実践済みでは……?
だってどう見ても、石田先輩の好きな人は夏実だもん。周りから見たらすぐにわかりそうなものなのに。
と、口から出そうになって、空気に触れる直前で飲み込む。
勝手に人の想いを伝えるなんて、非人道的だ。よくないよくない。
「そうだね。そうかも」
適当に聞こえない程度に適当に返す。夏実は気付いていないみたいで、「そろそろ幼なじみ離れしないとやばい」とか、「一歳差を十歳差と勘違いしている節がある」とか。そんな愚痴を話している。
夏実のことがかわいくてしかたないんだろうなって、私からしたらただただ微笑ましくみえるだけなのに。
「てか、そろそろ告白したらいいのに」
そこまで聞いて、夏実は本当に石田先輩のことは幼なじみとしか思っていないんだ、としっかりわかってしまった。
いや、聞くまえからわかってたけど。わかってたけど、そこまで気付いていないのか、という衝撃が私の中を駆け巡る。
「そー、れは……。きっとほら。石田先輩にもタイミングがあるんだよ」
石田先輩のいいところを刷り込んであげようとも思ったけど、そんなことは余計なお世話だろう。それに、たまに二人が一緒にいる姿を見ている私より、夏実はずっと石田先輩のいいところを知っているはずだ。石田先輩の恋心の矛先に気付いていないだけで。
「そういうもん?」
「うん。そういうもんだよ」
頷くと、夏実はどこか納得したように「ふーん」と息を吐くように空気に声を乗せていた。
「桃香は恋してるもんね。そしたら、そっち側の気持ちもわかるか」
「そうだよ。私だって、色々考えるもん。好きな人の重荷にも邪魔者にもなりたくないからさ」
「……ふーん、そっか。それほど好きなんだね」
納得しているのか、いないのか。つかみどころのない答え方に言及する必要性は感じなかったから、私はただ「うん」とだけ言って、自分の席に戻った。


