次の日からはいつも通りの夏実といつも通りの日常を過ごして、あっという間に冬休みに入った。
駅のロータリーで待ち合わせ。私が家を出るころ、先輩から【今電車に乗ったよ】とメッセージが入った。
【私も今からおうち出ます】
そう両手でスマホを宝物のように抱えながら、返信をする。
だってこれは、私にとってはクリスマスデート。恋人がやることを好きな人とできるなんて夢みたいだ。
いつもより少し甘めなメイクをして、白いニットワンピースに淡いピンク色のダッフルコートを羽織る。首にはうさぎみたいにもこもこの、真っ白なマフラーを巻いて。最後に茶色いブーツを履いた。
カバン、持った。お財布、入ってる。スマホもちゃんと充電百パーセント。先輩へのクリスマスプレゼントも持ったし……。うん、忘れ物はなさそうだ。
「行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい! デート楽しんでおいでねー」
「ちょ、お姉ちゃん声大きい!」
「いいじゃん、お父さんもお母さんも仕事でいないんだから」
「……そうだけどー」
「ほら、行った行った! お土産話待ってるからね」
詩織の声に追い出されて、外に出た。
思わず身震いしてしまうほど寒くて、空を見上げる。
空気が澄んでいて、綺麗な青空が広がっていた。
歩いていると、ピコン、とカバンの中から通知音が鳴る。
スマホを取り出すと、詩織からだった。
【夕方から雪だって。ホワイトクリスマスだね】
そのメッセージのあと、雪だるまがなにかにメロメロになっているスタンプ。
告白する人からしたら、絶好の告白日和だな。私はまだまだできないけど。
詩織のメッセージは既読無視のまま、待ち合わせ場所に向かう。
ロータリーについてくるッと辺りを見回すも、それらしい人は見当たらない。
まだ来ていないみたいだった。
【つきました】
先輩にメッセージを送る。返信くるかな、とスマホを握りしめてその場に立って、駅の方を見て時間を潰す。
「わっ!」
耳元で聞き覚えのある声が炸裂した。
「ぅぎゃあっ!」
思わず一歩前に飛び出て、後ろを振り向いた。
そこには、いつもと全然雰囲気が違う先輩が、いたずらっ子の顔をして笑っていた。
「び、っくりしたーっ!」
「ごめんごめん、そこまで驚くとは思わなかった」
反省の色が見えないほど、笑って謝られる。いいけどね、新しい一面が知れたし。なにより、先輩、楽しそうだし。
「驚きますよ!」
「あはは、だよね」
笑っている先輩をまじまじと見る。
白シャツに、アイボリーのニット。黒いズボンを履いて、グレーのコートを着ている姿は、いつにも増して大人っぽい。やることと服装のギャップがあって、感覚が一瞬バグる。
「いつにも増して女の子だね」
そう、私を頭からつま先まで見つめて、微笑んだ。
かわいいって思ってくれたりしないかな。先輩のために練習したんだよ。
なんて、言えるわけない。
「先輩もいつもより大人っぽいですね」
「桃香ちゃんよりは年上だからね。きちんとした格好してこないとでしょ?」
「いつもはきちんとしてないってことですか?」
私はきちんとしてない先輩も見たいけどな。だって、それこそかわいいと思うし。
「まあ、部屋着だよ。ダル着にメガネ」
ダル着。メガネ。
今までの私の中の先輩には縁のなさそうなものがピックアップされていて、こっそりテンションが上がる。口元がにやける。
「今度メガネかけてきてくださいよ」
「嫌だよ。絶対ダサいって言うと思うし」
「そんなひどいこと言いませんよ!」
話しながら、歩きはじめる。最初の目的地は、先輩が行きたいと言っていたクリスマスマーケット。
駅から徒歩二十分ほどの大きな公園で開催しているらしい。
「てか、そんな素敵な格好してる桃香ちゃんはいつもはどんな格好してるの?」
わ、話逸らされた。
「普通ですよ。ふつー」
「ほんとに? ジャージとか着ないの?」
もしかして、先輩はジャージ着てるのかな。先輩が着るなら、ダサくは見えないな、きっと。でも私はジャージは着ない。
「かわいくないから、着ないです」
「そりゃ、かわいくはないでしょ。ジャージだもん」
そんなどうでもいい会話をしながら歩いていくと、クリスマスマーケットの会場に着いた。
会場のど真ん中は大きなクリスマスツリーがそびえ立っていて、装飾のライトがキラキラ点滅してる。
「……夜に来た方が綺麗だったかもね」
「そう、ですね。電飾がついてる意味ないですもんね。太陽に負けて」
近づかないと電飾が点灯していることすら確認できないほど、太陽がこの場所を照らしている。でも、きっと朝に来た方が人も少なくて見て回りやすい。
「ま、イルミネーションは夜に観に行くもんね」
「はい。この時間にして正解ですよ」
「そうだね」
出店を見て回りながら、食欲を全開にして発揮してしまった。
くるくるソーセージ。ホットチョコレート。チュロスにターキー。
「桃香ちゃんって、いっぱい食べるね。夏祭りのときはそんなにだったよね?」
「……あ」
先輩と来ているとわかってはいたものの、はじめてのクリスマスマーケットで目に入るものすべてがおいしそうに見えて、すべてが別腹になってしまっていた。
「桃香ちゃんが食べてる姿見てるとなんか元気になるかも」
「え、ほんとですか? こんなに食べるなんて男の人みたいとか思ってません?」
「え、いいじゃん。いっぱい食べる女の子。少食だと心配になるし、これくらいいい食べっぷりのが健康的で僕はいいと思うけどな」
きっと何気なくそう言ってくれたんだろう。でも、いっぱい食べる女の子のが好きだよ、と言われたみたいでなんかうれしかった。勝手に脳がそう変換しただけってわかってるよ。わかってるけどね。
心置きなく食事をして、次は映画館。クリスマスの有名な映画が近くの映画館でリバイバル上映しているから観たい、と先輩が言ったのだ。
私は何度かテレビで放送しているのを観たけど、内容はあんまり覚えていない。
ワクワクしながら、この前と同じように大きなポップコーンバケツと、今回は私はホットティーを選んで、大きなスクリーンの前に座る。
映画が始まると、私はスクリーンではなく、気付いたらずっと先輩の表情がころころ変わるのを眺めていた。
心配そうな顔、よくこんなこと思いつくな、と小声でつぶやくときの感心した顔。びっくりして時が止まったように数秒瞬きをしないままスクリーンを眺めている顔。そして、声を抑えながらくすくす笑うときの顔。
結局、映画の内容なんて全く頭に残らないまま、気付いたらエンドロールが流れていた。
エンドロールをぼーっと眺めながら、ちらっと先輩を見る。
先輩の表情だけで一本の映画が作れそうだな、と思った。だって、約二時間飽きもせずに眺めていたんだから。
「いやー、面白かったね。やっぱ洋画って、洋画独特の邦画にはない面白さがあるよね」
「はい、すごくおもしろかったです」
本当に一ミリも覚えていないと言っても過言ではないけど、とりあえず話は合わせておかないと。先輩に、私は楽しくなかったかもなんて思わせたくない。
楽しかったのは事実だもん。視線の先が先輩とちょっと違っただけで。
「泥棒が入って来てさ、撃退しようなんてよく思いつくよね」
あ、そんな内容だったっけ。そう言われたらたしかに、テレビで見たときもそうだったような……?
「ほんと、すごいですよね。私には思いつかないです。絶対私が先に逃げますもん」
先輩の言葉から逸れないように必死に話をする。映画の内容には触れない。変なことを言ったら見てなかったってバレるから。
「僕もだよ。子どもなのに勇敢だよね。将来きっと肝が据わった大人になるよ」
「なりそうですね。泥棒を撃退するくらいなら、きっと」
先輩はうんうんと頷いて、満足そうに余韻に浸っていた。
その隣で、私は心底ほっとした。とりあえず難は逃れたみたいだ。
彼女じゃないのに、二時間近くも先輩の顔しか見てませんでした、なんて言ったら、好きバレするか不審者扱いされるかの二択しかないもん。
「イルミネーションまで時間あるし、なにしようね」
私はイルミネーションしか提案しなかった。先輩はクリスマスマーケットと映画の二つ。
朝から待ち合わせをして、まだ夕方前。イルミネーションに行くには早すぎる。いくら暗くなるのが早いとはいえ、まだ太陽は夕日の色にもなっていない。
イルミネーションをやっている会場の近くまで行って、そこにあったカラオケに入ることにした。
「先輩って歌うまいですよね」
案内された部屋番号を探しながら、一目ぼれしたあの日のことを思い出す。
あれからもう半年も経つんだ。早かったな。今まで過ごした半年で、一番早かった。
「え、僕、桃香ちゃんの前で歌ったことあったっけ」
「あ、文化祭の日、野外ステージで歌ってるの見ました」
「うっそ、あれ見てたの? じゃあはじめて会ったとき、桃香ちゃんはもう僕のこと知ってたんだ」
こくりと頷く。そこで好きになりました、とはまだ、口が裂けても言えない。
でも。
「すごく上手だったので、印象に残ってて。図書室で会ったときはびっくりしましたよ」
「そんなにうまくないよ。あれは結構練習したからなー」
ソファに荷物を置いて、タッチパネルを操作する。その姿さえ絵になるなんて、世の中一体どうなっているんだろう。
「なに歌う?」
先輩がマイクをひとつ私に手渡して、タッチパネルもこっちに向けてくれた。
「じゃあ、これ歌ってほしいです」
私が選んだのは、文化祭のときに歌っていたあの応援ソング。
少しすると画面いっぱいに歌のタイトルが表示されて、イントロが流れはじめた。
「僕が歌うの?」
「はい! だめですか?」
「いいけど……。ほんと、うまくないからね?」
そう、あのときと同じように歌いだす。
あのときと一緒だ。歌声も表情も、私が好きになったあの瞬間のまま。
すっかり聞き入っていると、サビに入った途端、先輩の声が裏返った。
「……あなたの……」
一旦状況を整理したのか、オフボーカルの音楽だけが流れたあと、また歌いだした。
耳まで赤い。かわいい。尊い。尊いって、こういうときに使うんだ。
そんなことを思いながら、最後まで聴いて、めいっぱいの拍手を送った。
「まじで恥ずかしい。やっぱ緊張すると声が裏返るんだよな……」
一人でそうつぶやいている。私がいることなんて忘れてしまったのか、声が裏返ったことが頭の中を占めているのか。
全然いいのに。むしろ人間味が増して、もっと素敵に見えるのに。もっと好きになったのに。
「せんぱーい。大丈夫ですか?」
マイクを持ったまま微動だにしない先輩に手を振ると、やっとこっちを見てくれた。
「うわ、ごめん。また見られた……」
「今日はずっと一緒にいるので私に非はないですよ?」
そう言いつつも、私が勝手にリクエストして歌ってくれた結果だと思うと申し訳ない気持ちもある。てっきり謙遜してるだけで歌には結構自信があるんだと思ってた。私の身勝手な想像だったな。
「私も歌いますね。下手なので、びっくりしないでくださいよ?」
頼まれてもいないのにマイクを持って、私より少し年上の女性シンガーソングライターの人の恋愛ソングを選ぶ。
恋愛ソングが多いから、という大義名分のもと、告白まがいなこともできてしまうといううれしいようなそうでもないような特典付きだ。
ゆっくり息を吐いて、ゆっくり吸う。
マイクに向かって歌い始めると、先輩の目は点になった。
そう、私はとことん音痴なのだ。今まで聴く専門として生きてきた。家族以外の人前で歌うなんてはじめての経験である。
それでもカラオケに入ることに躊躇しなかったのは、先輩の歌声がまた聴ける、というわかりやすい欲が出ていたんだろうな。
恋愛ソング特有の気恥ずかしさも、告白まがいな言葉のドキドキもなく、なんとか一曲歌い切って、マイクを置く。
「私のが、よっほどへたっぴでしょ?」
なぜか私は自信満々に先輩に声をかけていた。
先輩は、ちょっと困ったように笑ってた。
結局、カラオケに入ったものの、お互い一曲ずつしか歌わないまま。
にらめっこをしてみたり、あっちむいてほいをしてみたりと、幼稚園児みたいなことをして時間を潰し、受付からかかってきた内線電話を合図に外へ出た。
「わぁ! 雪だーっ!」
「ほんとだ。初雪だね」
カラオケから出ると、すっかり暗くなった空から、ちらちらと雪が降ってきていた。
そういえば、詩織が夕方から雪が降るって言ってたっけ。
雪が降る中を歩いて、イルミネーションの会場に到着した。
そこはまるで別世界に入ったみたいな空間だった。
静かで、キラキラしていて。
今までイルミネーションに来たことなんて何回もあるはずなのに、今までにないくらい気持ちが高揚する。
「すごくきれい……」
「そうだね。嫌なこととか全部忘れられるくらい、きれいだ」
嫌なことか。私は今日、一回も嫌なことは思い出さなかったな。
きっと夜寝る前とかに思い出すんだろうけど。思い出して、恥ずかしくて死にたくなるんだろうけど。何度恥ずかしくて死にたくなっても、やっぱり私は先輩に対して欲まみれで。でも、そんなこと今の先輩の言葉で思い出しただけで。
「先輩、見てみて、トナカイ!」
次の瞬間には、無邪気にそんなことを口走ってしまう。
「ほんとだ。桃香ちゃんが乗れそうなくらいでかいじゃん」
心から楽しそうにそう笑ってくれるから。いくら夜にベッドの中で悶えることになるんだとしても、先輩の前では私はこの、どこよりも、誰の前よりも自然体でいられる私でいいかも。
カップ麵理論と同じでも、わがまますぎて彼女でもないのに彼女面さえしなければ。大前提迷惑さえかけなければ。
先輩に好きになってもらう私は、着飾った私じゃなくていつも通りの少しわがままでどろどろした心を持ったそのままの私がいい。
キラキラ光るサンタクロースの写真を撮っている先輩を見ながら、そう思った。
「あの、先輩」
「ん?」
満足そうに撮れた写真を眺めていた先輩がこちらを振り向く。
「あの、これクリスマスプレゼントです」
緊張で手が震えるのを必死に抑えながら、赤いラッピング袋を手渡す。「ありがとう」と受け取ってくれた先輩は、早速リボンをほどいた。
「あ、手袋だ。紺色、いいね」
「はい。先輩、いつも手袋とかしてないから、受験先で手がかじかんでたりしたら心配だなとか、考えちゃって。すみません、気が早いですよね」
聞かれてもいないのに、思わず説明してしまう。大した意味はないんだよ、と必死に刷り込んでいるみたいだ。
「それは桃香ちゃんも一緒でしょ」
そう、先輩もカバンから真っ白な包みを取り出して、私に差し出す。
「僕からもクリスマスプレゼント」
「え、え? いいんですか……?」
うそ、まさか先輩からなにかもらえるなんて思っていなかった。
だって今日だけでももう充分、私はもらっているから。
「ありがとうございます!」
包みを開けると、淡い桃色の手袋が出てきた。
「まさか被るとは思わなかったよ」
先輩はそう笑って、私があげた手袋を早速身に着けてくれた。だから私も、うれしさに浸りながら手袋をはめる。
「ありがとうございます。宝物にします」
「大袈裟だな」
大袈裟なんかじゃない。私にとっては、いつの間にか雪がやんで晴れた空に浮かぶ星たちよりも、この手袋の方が空に散りばめられた宝石の何十倍も輝いているんだから。
駅のロータリーで待ち合わせ。私が家を出るころ、先輩から【今電車に乗ったよ】とメッセージが入った。
【私も今からおうち出ます】
そう両手でスマホを宝物のように抱えながら、返信をする。
だってこれは、私にとってはクリスマスデート。恋人がやることを好きな人とできるなんて夢みたいだ。
いつもより少し甘めなメイクをして、白いニットワンピースに淡いピンク色のダッフルコートを羽織る。首にはうさぎみたいにもこもこの、真っ白なマフラーを巻いて。最後に茶色いブーツを履いた。
カバン、持った。お財布、入ってる。スマホもちゃんと充電百パーセント。先輩へのクリスマスプレゼントも持ったし……。うん、忘れ物はなさそうだ。
「行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい! デート楽しんでおいでねー」
「ちょ、お姉ちゃん声大きい!」
「いいじゃん、お父さんもお母さんも仕事でいないんだから」
「……そうだけどー」
「ほら、行った行った! お土産話待ってるからね」
詩織の声に追い出されて、外に出た。
思わず身震いしてしまうほど寒くて、空を見上げる。
空気が澄んでいて、綺麗な青空が広がっていた。
歩いていると、ピコン、とカバンの中から通知音が鳴る。
スマホを取り出すと、詩織からだった。
【夕方から雪だって。ホワイトクリスマスだね】
そのメッセージのあと、雪だるまがなにかにメロメロになっているスタンプ。
告白する人からしたら、絶好の告白日和だな。私はまだまだできないけど。
詩織のメッセージは既読無視のまま、待ち合わせ場所に向かう。
ロータリーについてくるッと辺りを見回すも、それらしい人は見当たらない。
まだ来ていないみたいだった。
【つきました】
先輩にメッセージを送る。返信くるかな、とスマホを握りしめてその場に立って、駅の方を見て時間を潰す。
「わっ!」
耳元で聞き覚えのある声が炸裂した。
「ぅぎゃあっ!」
思わず一歩前に飛び出て、後ろを振り向いた。
そこには、いつもと全然雰囲気が違う先輩が、いたずらっ子の顔をして笑っていた。
「び、っくりしたーっ!」
「ごめんごめん、そこまで驚くとは思わなかった」
反省の色が見えないほど、笑って謝られる。いいけどね、新しい一面が知れたし。なにより、先輩、楽しそうだし。
「驚きますよ!」
「あはは、だよね」
笑っている先輩をまじまじと見る。
白シャツに、アイボリーのニット。黒いズボンを履いて、グレーのコートを着ている姿は、いつにも増して大人っぽい。やることと服装のギャップがあって、感覚が一瞬バグる。
「いつにも増して女の子だね」
そう、私を頭からつま先まで見つめて、微笑んだ。
かわいいって思ってくれたりしないかな。先輩のために練習したんだよ。
なんて、言えるわけない。
「先輩もいつもより大人っぽいですね」
「桃香ちゃんよりは年上だからね。きちんとした格好してこないとでしょ?」
「いつもはきちんとしてないってことですか?」
私はきちんとしてない先輩も見たいけどな。だって、それこそかわいいと思うし。
「まあ、部屋着だよ。ダル着にメガネ」
ダル着。メガネ。
今までの私の中の先輩には縁のなさそうなものがピックアップされていて、こっそりテンションが上がる。口元がにやける。
「今度メガネかけてきてくださいよ」
「嫌だよ。絶対ダサいって言うと思うし」
「そんなひどいこと言いませんよ!」
話しながら、歩きはじめる。最初の目的地は、先輩が行きたいと言っていたクリスマスマーケット。
駅から徒歩二十分ほどの大きな公園で開催しているらしい。
「てか、そんな素敵な格好してる桃香ちゃんはいつもはどんな格好してるの?」
わ、話逸らされた。
「普通ですよ。ふつー」
「ほんとに? ジャージとか着ないの?」
もしかして、先輩はジャージ着てるのかな。先輩が着るなら、ダサくは見えないな、きっと。でも私はジャージは着ない。
「かわいくないから、着ないです」
「そりゃ、かわいくはないでしょ。ジャージだもん」
そんなどうでもいい会話をしながら歩いていくと、クリスマスマーケットの会場に着いた。
会場のど真ん中は大きなクリスマスツリーがそびえ立っていて、装飾のライトがキラキラ点滅してる。
「……夜に来た方が綺麗だったかもね」
「そう、ですね。電飾がついてる意味ないですもんね。太陽に負けて」
近づかないと電飾が点灯していることすら確認できないほど、太陽がこの場所を照らしている。でも、きっと朝に来た方が人も少なくて見て回りやすい。
「ま、イルミネーションは夜に観に行くもんね」
「はい。この時間にして正解ですよ」
「そうだね」
出店を見て回りながら、食欲を全開にして発揮してしまった。
くるくるソーセージ。ホットチョコレート。チュロスにターキー。
「桃香ちゃんって、いっぱい食べるね。夏祭りのときはそんなにだったよね?」
「……あ」
先輩と来ているとわかってはいたものの、はじめてのクリスマスマーケットで目に入るものすべてがおいしそうに見えて、すべてが別腹になってしまっていた。
「桃香ちゃんが食べてる姿見てるとなんか元気になるかも」
「え、ほんとですか? こんなに食べるなんて男の人みたいとか思ってません?」
「え、いいじゃん。いっぱい食べる女の子。少食だと心配になるし、これくらいいい食べっぷりのが健康的で僕はいいと思うけどな」
きっと何気なくそう言ってくれたんだろう。でも、いっぱい食べる女の子のが好きだよ、と言われたみたいでなんかうれしかった。勝手に脳がそう変換しただけってわかってるよ。わかってるけどね。
心置きなく食事をして、次は映画館。クリスマスの有名な映画が近くの映画館でリバイバル上映しているから観たい、と先輩が言ったのだ。
私は何度かテレビで放送しているのを観たけど、内容はあんまり覚えていない。
ワクワクしながら、この前と同じように大きなポップコーンバケツと、今回は私はホットティーを選んで、大きなスクリーンの前に座る。
映画が始まると、私はスクリーンではなく、気付いたらずっと先輩の表情がころころ変わるのを眺めていた。
心配そうな顔、よくこんなこと思いつくな、と小声でつぶやくときの感心した顔。びっくりして時が止まったように数秒瞬きをしないままスクリーンを眺めている顔。そして、声を抑えながらくすくす笑うときの顔。
結局、映画の内容なんて全く頭に残らないまま、気付いたらエンドロールが流れていた。
エンドロールをぼーっと眺めながら、ちらっと先輩を見る。
先輩の表情だけで一本の映画が作れそうだな、と思った。だって、約二時間飽きもせずに眺めていたんだから。
「いやー、面白かったね。やっぱ洋画って、洋画独特の邦画にはない面白さがあるよね」
「はい、すごくおもしろかったです」
本当に一ミリも覚えていないと言っても過言ではないけど、とりあえず話は合わせておかないと。先輩に、私は楽しくなかったかもなんて思わせたくない。
楽しかったのは事実だもん。視線の先が先輩とちょっと違っただけで。
「泥棒が入って来てさ、撃退しようなんてよく思いつくよね」
あ、そんな内容だったっけ。そう言われたらたしかに、テレビで見たときもそうだったような……?
「ほんと、すごいですよね。私には思いつかないです。絶対私が先に逃げますもん」
先輩の言葉から逸れないように必死に話をする。映画の内容には触れない。変なことを言ったら見てなかったってバレるから。
「僕もだよ。子どもなのに勇敢だよね。将来きっと肝が据わった大人になるよ」
「なりそうですね。泥棒を撃退するくらいなら、きっと」
先輩はうんうんと頷いて、満足そうに余韻に浸っていた。
その隣で、私は心底ほっとした。とりあえず難は逃れたみたいだ。
彼女じゃないのに、二時間近くも先輩の顔しか見てませんでした、なんて言ったら、好きバレするか不審者扱いされるかの二択しかないもん。
「イルミネーションまで時間あるし、なにしようね」
私はイルミネーションしか提案しなかった。先輩はクリスマスマーケットと映画の二つ。
朝から待ち合わせをして、まだ夕方前。イルミネーションに行くには早すぎる。いくら暗くなるのが早いとはいえ、まだ太陽は夕日の色にもなっていない。
イルミネーションをやっている会場の近くまで行って、そこにあったカラオケに入ることにした。
「先輩って歌うまいですよね」
案内された部屋番号を探しながら、一目ぼれしたあの日のことを思い出す。
あれからもう半年も経つんだ。早かったな。今まで過ごした半年で、一番早かった。
「え、僕、桃香ちゃんの前で歌ったことあったっけ」
「あ、文化祭の日、野外ステージで歌ってるの見ました」
「うっそ、あれ見てたの? じゃあはじめて会ったとき、桃香ちゃんはもう僕のこと知ってたんだ」
こくりと頷く。そこで好きになりました、とはまだ、口が裂けても言えない。
でも。
「すごく上手だったので、印象に残ってて。図書室で会ったときはびっくりしましたよ」
「そんなにうまくないよ。あれは結構練習したからなー」
ソファに荷物を置いて、タッチパネルを操作する。その姿さえ絵になるなんて、世の中一体どうなっているんだろう。
「なに歌う?」
先輩がマイクをひとつ私に手渡して、タッチパネルもこっちに向けてくれた。
「じゃあ、これ歌ってほしいです」
私が選んだのは、文化祭のときに歌っていたあの応援ソング。
少しすると画面いっぱいに歌のタイトルが表示されて、イントロが流れはじめた。
「僕が歌うの?」
「はい! だめですか?」
「いいけど……。ほんと、うまくないからね?」
そう、あのときと同じように歌いだす。
あのときと一緒だ。歌声も表情も、私が好きになったあの瞬間のまま。
すっかり聞き入っていると、サビに入った途端、先輩の声が裏返った。
「……あなたの……」
一旦状況を整理したのか、オフボーカルの音楽だけが流れたあと、また歌いだした。
耳まで赤い。かわいい。尊い。尊いって、こういうときに使うんだ。
そんなことを思いながら、最後まで聴いて、めいっぱいの拍手を送った。
「まじで恥ずかしい。やっぱ緊張すると声が裏返るんだよな……」
一人でそうつぶやいている。私がいることなんて忘れてしまったのか、声が裏返ったことが頭の中を占めているのか。
全然いいのに。むしろ人間味が増して、もっと素敵に見えるのに。もっと好きになったのに。
「せんぱーい。大丈夫ですか?」
マイクを持ったまま微動だにしない先輩に手を振ると、やっとこっちを見てくれた。
「うわ、ごめん。また見られた……」
「今日はずっと一緒にいるので私に非はないですよ?」
そう言いつつも、私が勝手にリクエストして歌ってくれた結果だと思うと申し訳ない気持ちもある。てっきり謙遜してるだけで歌には結構自信があるんだと思ってた。私の身勝手な想像だったな。
「私も歌いますね。下手なので、びっくりしないでくださいよ?」
頼まれてもいないのにマイクを持って、私より少し年上の女性シンガーソングライターの人の恋愛ソングを選ぶ。
恋愛ソングが多いから、という大義名分のもと、告白まがいなこともできてしまうといううれしいようなそうでもないような特典付きだ。
ゆっくり息を吐いて、ゆっくり吸う。
マイクに向かって歌い始めると、先輩の目は点になった。
そう、私はとことん音痴なのだ。今まで聴く専門として生きてきた。家族以外の人前で歌うなんてはじめての経験である。
それでもカラオケに入ることに躊躇しなかったのは、先輩の歌声がまた聴ける、というわかりやすい欲が出ていたんだろうな。
恋愛ソング特有の気恥ずかしさも、告白まがいな言葉のドキドキもなく、なんとか一曲歌い切って、マイクを置く。
「私のが、よっほどへたっぴでしょ?」
なぜか私は自信満々に先輩に声をかけていた。
先輩は、ちょっと困ったように笑ってた。
結局、カラオケに入ったものの、お互い一曲ずつしか歌わないまま。
にらめっこをしてみたり、あっちむいてほいをしてみたりと、幼稚園児みたいなことをして時間を潰し、受付からかかってきた内線電話を合図に外へ出た。
「わぁ! 雪だーっ!」
「ほんとだ。初雪だね」
カラオケから出ると、すっかり暗くなった空から、ちらちらと雪が降ってきていた。
そういえば、詩織が夕方から雪が降るって言ってたっけ。
雪が降る中を歩いて、イルミネーションの会場に到着した。
そこはまるで別世界に入ったみたいな空間だった。
静かで、キラキラしていて。
今までイルミネーションに来たことなんて何回もあるはずなのに、今までにないくらい気持ちが高揚する。
「すごくきれい……」
「そうだね。嫌なこととか全部忘れられるくらい、きれいだ」
嫌なことか。私は今日、一回も嫌なことは思い出さなかったな。
きっと夜寝る前とかに思い出すんだろうけど。思い出して、恥ずかしくて死にたくなるんだろうけど。何度恥ずかしくて死にたくなっても、やっぱり私は先輩に対して欲まみれで。でも、そんなこと今の先輩の言葉で思い出しただけで。
「先輩、見てみて、トナカイ!」
次の瞬間には、無邪気にそんなことを口走ってしまう。
「ほんとだ。桃香ちゃんが乗れそうなくらいでかいじゃん」
心から楽しそうにそう笑ってくれるから。いくら夜にベッドの中で悶えることになるんだとしても、先輩の前では私はこの、どこよりも、誰の前よりも自然体でいられる私でいいかも。
カップ麵理論と同じでも、わがまますぎて彼女でもないのに彼女面さえしなければ。大前提迷惑さえかけなければ。
先輩に好きになってもらう私は、着飾った私じゃなくていつも通りの少しわがままでどろどろした心を持ったそのままの私がいい。
キラキラ光るサンタクロースの写真を撮っている先輩を見ながら、そう思った。
「あの、先輩」
「ん?」
満足そうに撮れた写真を眺めていた先輩がこちらを振り向く。
「あの、これクリスマスプレゼントです」
緊張で手が震えるのを必死に抑えながら、赤いラッピング袋を手渡す。「ありがとう」と受け取ってくれた先輩は、早速リボンをほどいた。
「あ、手袋だ。紺色、いいね」
「はい。先輩、いつも手袋とかしてないから、受験先で手がかじかんでたりしたら心配だなとか、考えちゃって。すみません、気が早いですよね」
聞かれてもいないのに、思わず説明してしまう。大した意味はないんだよ、と必死に刷り込んでいるみたいだ。
「それは桃香ちゃんも一緒でしょ」
そう、先輩もカバンから真っ白な包みを取り出して、私に差し出す。
「僕からもクリスマスプレゼント」
「え、え? いいんですか……?」
うそ、まさか先輩からなにかもらえるなんて思っていなかった。
だって今日だけでももう充分、私はもらっているから。
「ありがとうございます!」
包みを開けると、淡い桃色の手袋が出てきた。
「まさか被るとは思わなかったよ」
先輩はそう笑って、私があげた手袋を早速身に着けてくれた。だから私も、うれしさに浸りながら手袋をはめる。
「ありがとうございます。宝物にします」
「大袈裟だな」
大袈裟なんかじゃない。私にとっては、いつの間にか雪がやんで晴れた空に浮かぶ星たちよりも、この手袋の方が空に散りばめられた宝石の何十倍も輝いているんだから。


