大切な人を傷つける、温かい春景色

 図書室に行くと、先輩の様子がいつもと違う。
 なにかを見て、ひとりでぶつぶつなにかをつぶやいている。
 静かにゆっくり近づいて、耳をすませる。
「うわ、まじどうしよ。あと受験まで何か月? いち、に、さん……え、あと半年ない? 普通に終わってる」
「大丈夫ですか?」
 うわ、つい声かけちゃった。やらかした……。
「うわぁっ! びびった……。桃香ちゃんか」
 大袈裟なんじゃないかと思うほど両肩を頬すれすれまで持ち上げて、一瞬怪物でも見るような目を向けられる。
「私です。怪物でも幽霊でもないですよ」
「ごめんごめん。ちょっとまじでびっくりしちゃった」
 申し訳なさそうに眉尻を下げて笑ったかと思うと、今度は恐る恐る私を見上げる。
「……もしかして、今の聞いてた?」
 聞いてないです、というのが正解なのかな。でもあまりにも沈黙が長いとそれはそれで怪しくなるし……。
「……はい、すみません……」
 結局、うそをつくのはやめておいた。
 そしたら、みるみるうちに先輩の顔は真っ赤に染まって、手で顔を扇ぎはじめた。
「やっぱり?」
「はい、その……。なにかあったんですか?」
 私の中のデリカシーが仕事をしてくれなくて、ポンッと気付いたら口から質問が飛び出していた。
 いや、でも、でもね。知ってたらなにか力になれるかもしれないし。……なれないかもしれないけど。
「ちょっと、模試の結果がね。思ったより低かったからさ」
 そう、見せてくれた用紙には、私には到底縁のないような大学がずらりと並んでいた。
 しかもどれも医学部。第一志望の学校は、B判定と書かれていた。
「先輩、お医者さんになるんですか?」
「うん。医者になりたいなって思ってる。だから多分余計に、適度な息抜きも大事なのはわかってるんだけどね。焦るとそういうのも忘れちゃうよね」
 そう、模試の結果をクリアファイルにしまって、いつもの勉強セットをそこに置いた。
「あの、私やっぱり、先輩の邪魔しちゃってますよね?」
「ん? そんなことないよ。今日も話聞いてもらったらかなり楽になったし。てか、こういう弱音話したの桃香ちゃんがはじめてかも」
「え、そうなんですか?」
「うん。だから、僕のひとりごと聞いてくれてありがとね」
 先輩の顔をしっかり見ると、どこか疲れ切った顔をしているように見える。きっとずっと根詰めて勉強してきたんだろうなって、わかるような。疲れて落ち込んだ顔。
「先輩、今日はもう帰りましょ。明日からまた切り替えればいいですよ」
「いや、でも勉強しないとだし」
「今日は休憩です。さっき先輩が言ったんですよ? 息抜きも大事って」
「そうだけど、どうせ帰っても勉強するし」
 う……。先輩ならやりそうかも。
 なにかいい方法はないかと、必死に考える。
「とりあえず、お茶買ってきます」
 先輩を置いて、図書室を出ようとしたとき、見つけた。
「これだ」
 図書室の入り口に貼ってある一枚のポスター。日付は、今日。
「先輩、さっき話聞いたお礼に付き合ってくれませんか?」
 我ながらなかなか上からなことを言ってしまった自覚はある。
 もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。
 でも、参考書を出して、ノートを広げても、シャーペンを持つ素振りすら見せない姿は、まだ片手で数えられるくらいしか話したことがない私でも、相当ショックでつらいんだろうなってわかるから。
 好きな人の力になれるなら、少しでも気分が楽になってもらえたら、嫌われるのなんて痛くもかゆくもない。
「わかった、今日は帰ることにする」
「そうじゃなくて。これ、行きましょ?」
 図書室のポスターのところまで連れて行って、指をさした。