翌日、おれは学校を休んだ。肘の痛みが再発していた。昨日肘に負担になるようなことはしていないと思う。ただ、試合を見てから痛くなった。
少し不安にはなったから、親に相談して病院に行くことにした。
両親共に仕事があるため一人で行くことになった。
病院までは、歩いて40分程で到着する。ズキズキと痛む肘をさすりながら、地図アプリを頼りに歩き続けようやく到着した。
診察室の前で呼ばれるのを待っていると、ふわっと桃の香りがした。
あかりと同じ匂い。
においのもとを見てみると、あかりがいた。幸いこちらには気づいていなかった。
一人で長椅子にすわりぼーっとしていた。
なんであいつがここにいるんだ?
とにかくいまは話したくないと思い、場所を移した。
すると、「飯島さーん」と呼ばれ、あかりは診察室へと消えていった。
彼女が入っていった診察室は眼科のプレートがぶら下がっていた。メガネやコンタクトをつけているが、そこまで申告なのだろうか?わざわざ学校を休んでまで来なければいけないのか?と考えたが、昨日されたことを思い出し、少し気分が落ち込んだ。
そうだった、あいつはもう友達じゃないしな。
「坂本さーん」診察室に呼ばれたので、前回も利用した一番と書かれた診察室へ入った。
「どうしたのかね?」
「昨日から急に痛み出して、今もすこし痛いんです」
「昨日何かしたかね」
昨日の出来事を端折らずに先生に伝えると。
「そうか、恐らく君の痛みを除けるのは私ではないな」とさじを投げてきた。
「どうゆうことですか?」
「きみの心の問題だ。体に異常はない、とくれば心に異常がある」
その後、うーんとうなりをあげて
「君の話で出てきた女の子。彼女なら痛みをとれるかもしれないね」
「無理ですよ。あいつわざと俺に試合を見させたんですよ?」
「うん。いまの君には無理だね。彼女と一度話してみなさい。きっと、痛みがきえるはずだよ」
先生が言っていることは何も理解できなかったが、いまの先生にも俺にもできることは何もないということだけはわかった。ひとまず体に異常がないことだけでもわかってよかた。あかりには会う気はしないが、ひとまず今日は学校にはいかず家に帰ることにした。
昨日の出来事が頭から離れない。あかりはなんであんな光景を俺に見せたのだろう。みんなが頑張る姿、それは俺にとっては見たくない姿だ。
チームはガタガタだった。特にエースの健吾は自分のピッチングをできていなかった。
あの醜態をみて、ざまあみろと思えるほどおれの心は腐ってはいなかったが、あかりはそこまでして俺の苦しむ姿を写真に収めたかったのか。
友達だと思ってたのに・・・。
病院から歩きながら、親に異常はなかったことをメッセージで伝えておいた。もちろん心のことは言わないでおいた。
するといきなりブブーっとスマホの通知がなった。
健吾からのメッセージだった。
「腕がまた痛むのか?大丈夫か?」
昨日の試合で落ち込んでいると思ったが、メッセージ上ではいつも通りだった。
返すか返さないか迷ったが、既読だけつけて返さなかった。今はそっとしておいてほしい。
すると、握りっぱなしのスマホがまた揺れた。新たなメッセージの受信を知らせている
見てみると、あかりからのメッセージだった。見たくはなかったが、謝罪の一言でも送ってきたのかもしれないと思い、メッセージを開くと。
「助けて」
短いメッセージのみ送られてきた。
「屋上から出られなくなっちゃったの」
続けざまに送られてきたメッセージ。先ほどまで病院にいたはずの彼女がなんで屋上にいるのだろうか?
もちろん既読無視をした。嘘にきまっている。俺をだますつもりなんだろうし、そうじゃなくても俺以外に頼める奴がいるはずだ。
「お願い助けて」
既読無視には気づいているのだろう。メッセージが次々と送られてくる。
「本当にでれないの」
「助けて」
「お願い」
流石に無視できないなと思い、
「どうしたの」とメッセージを送ると
「ドアノブとれた。帰れないよ」とドアノブがとれ、ぽっかりと穴が開いているドアの写真が送られてきた。
それが今撮られたものかはわからないが、行く気はない。
「学校に電話して先生に頼めよ」
「そしたらもうここにはこれなくなる」
「あきらめろよ」
「ここは私と君の大切な場所なの」
わけわかんないよ。なんで俺を頼るんだよ。
心の中のぼくは彼女を拒絶しているが、足は動いていた。
なんども時を同じくしていたあの屋上は確かに俺らにとって大切な場所だった。その点では、あいつにとっても大切な場所だと思っていてくれているのはうれしかった。
家へと向かっていたが、学校の方へとルートを切り替えて、少し小走りで学校へと走っていった。
学校に到着すると、いつもの校門ではなく、南側の旧校舎側の校門をよじ登った。私服で来てしまっているので、誰かに会うわけにはいかなかった。幸い、知り合いには一度も会わずにここまで来ることができた。
旧校舎に来るのは久々だった。相変わらず埃臭い、床はミシミシと悲鳴を上げて、いつ崩れてもおかしくはなかった。
夕方、日もかなり落ちていたこの時間は、旧校舎の中は暗闇に近い状態だった。窓辺にはかろうじて光が入っているが、心もとない。
ポケットからスマホを取り出して、足場を照らしながら慎重に屋上へと向かった。
屋上前の扉に到着すると、ドアノブを勢いよく回した。前回とは少し感覚が違い、向こう側のドアノブが壊れているからだろうか、思っていたより軽かった。
「よう」
扉を開けると、あかりはのんきに西側にカメラを向けていた。正直あまり長居はしたくなかった。あかりの事をゆるしていないからだ。
「ありがとう」
俺の声掛けにすぐさま反応し、俺のもとへと駆け寄ってきた。
扉には万が一にも閉じ込められないように、落ちていた壊れたドアノブをかませておいた。
彼女は、俺の目の前まで来ると、いきなり俺に対して腕を回してきた。
「すっごくこわかった。来てくれないのかと思ったよ」
「来るつもりはなかったよ。でもなんか来なかったら後悔する気がした。せっかく来たんだから少し話そう」
抱きしめられてると居心地が悪かったので、腕を振り払った。
「昨日、試合があることしっていたのか?」
「もちろん、知ってたよ。お父さんが教えてくれた」
「じゃあなんで俺をわざわざ連れて行った。わざわざチームの醜態を俺に見せつけてお前に何の得があるんだよ。おかげで俺は、同級生を不甲斐ないとまで思ってしまったんだ」
「いい写真とれたよ?」
「やっぱりな。お前は結局写真の事しか考えていないんだよ。俺を傷つけてまで利用したいのか?もう撮るな。どうせお前には、マウンドに立てない奴の気持ちなんてわかるわけがない」
「見てよこれ」
俺に一眼レフを押し付けてきた。それを受け取り液晶を見てみると、そこには、チームの醜態、不甲斐ないエースをにらみつける俺ではなく、マウンドに帰りたくて泣き出しそうな、あまりにも純粋な少年が映し出されていた。
「私が撮りたいのは野球選手じゃない。あがいている『君』なの」
あかりのまっすぐな瞳に自然と涙がツーっと落ちてきた。
「私は前にたくさんの音を聞きなっていったよね?君は視野が狭くなってると同時に、聞かなきゃいけない声を聴こうともしていなかった。よく思い出して?みんなが君になんていっていたか」
その瞬間けがをした時の映像がまるでフラッシュバックの如し、脳内で再生されていく
俺がケガをしてうずくまっていた時、桜井先輩はなんて言っていたんだ。
「大丈夫か?ひとまず整列できるか?」と優しく言ってくれていた。
監督はどうだ?
「こんな状態になるまで、無理をさせてすまない」
「チームの事より自分のことを考えろ。すぐに病院に行こう。このままではもうマウンドに立てなくなるかもしれない。そんなことにはなってはだめだ」
病院に行く際に桜井先輩は「俺たちのためにすまない」そう言っていた。
学校で監督に謝りに行ったときは・・・。
「それよりどうする?野球部は。投げれなくてもできることはいろいろ考えてあるんだ」
「無理はしなくていいからな?ケガが安定したらでいいからな。みんなまってるぞ」
退院後部活に顔を出したときはどうだっただろうか
「けがの事聞いたよ。本当にすまない」
「謝んなくていいよ。二年生のお前に負担をかけすぎていた。むしろお前の将来を奪ってしまってすまない。俺らに謝らないでくれ。お前はりっぱだったぞ。本当にありがとう」
「いつでもお前の事まってるからな」
「今後は野球部やってくれるのか?」
確かにそう言っていたはず、でも俺の記憶と違う。
監督も桜井先輩もチームメイトもおれにがっかりしていたはずだ。おれに失望していたはずだ。ならこの記憶は何なんだ。
「晴馬君はね、晴馬君を攻めすぎなんだよ。ケガした自分をせめすぎたあげく、自分の記憶を改ざんしていたんじゃないかな?」
「どういうことだ?なんでそんなこと君にわかるんだ?」
「君の改ざんした記憶通りなら、いまの君の状態に納得がいくもの、でもね。君の知ってる監督さんや先輩、同級生に後輩は、君にそんなことを言うような人たちだったの?」
「ちがう・・・」
「精神的な疾患で一時的自分を守るために記憶があいまいになることがあるらしいよ」
監督は生徒を、俺を見捨てるような薄情な先生じゃない。厳しいけど、怖いけど、そこには愛情がたくさん込められていた。そんな監督がおれは好きだった。
桜井先輩は、二年生ながらエース番号を背負っていた俺をずっとフォローしてくれていた。キャプテンの責任もあるのだろうけど、あれは桜井先輩の俺に対しての愛情だったと思う。ほかのチームメイトも、健吾も。誰一人として俺を攻めている人間なんていなかったんだ。
カメラをあかりに預けて、屋上のまわりに設置された、ぼろぼろの金網まで歩くと、
「あーーーー!」と大きな声で叫んだ。涙がとめどなく出てくる。
俺は野球が好きだ。大好きだ。けがをしてから無理やりに忘れようとしていたが、それは無理だった。
自らの防衛本能で蓋をして、自分を醜い存在に仕立て上げていた。
みんなは俺を憐れんだ目で見ていなかった。
あのチームには確かに俺の居場所がある。
「すっきりした?」
あかりがピンク色のきれいに折りたたまれたハンカチを俺に差し出してきた。
「ああ、ありがとう」
借りはしたものの、汚すのは忍びないので、服の裾で涙をぬぐった。
「私は君のそばで君を見てきたんだ。だからわかるよ。君は君のやりたいことをすればいいんだよ」
拭っても拭ってもあふれでてくる涙はしばらくとまらなかった。嗚咽をもらしその場にうずくまると、あかりが優しく俺を抱きしめてくれた。病院で嗅いだ匂い、桃の匂いが鼻をすっとぬける。この匂い落ち着くな・・・。
しばらくすると涙は収まった。
「ごめん、ありがとう」
あかりの手をそっとおろし、服の袖で涙をぬぐう。
あかりの事を見つめるとふと思い出したことがある。
「そういえばさお前、さっきまで病院にいたよな?」
あかりから漂う桃の香りが、あれはあかりだったと決定づけていた。
「あれ?なんで知っているの?」
「おれも病院にいた、家に帰る途中でここに来たんだ」
あちゃーと言いながら自分の額をたたいた。
「そっか。見られたかー」
あかりは空を見上げて何かを考えていた。
「ついでに話そうかな」
あかりは立ち上がると、すぐそばに放置されていた、以前使った理科室の椅子をこちらに持ってきた。
軽く払ってそこに腰かけた。俺も同じようにしてあかりの正面に座った。
「このことはね。誰にも話したことがないんだ。親と美術の先生しか知らない」
そこで一息つくと。
「私は目に病を患っている」
「え・・・」
毎日欠かさずメガネをかけている、昨日はコンタクトだったが、そんなの目が悪い人なら当たり前の行動だ。何の不自然さもない。
「小学生にあがったころかな、視界がぼやけてきてさ。病院に行ったら、いつか見えなくなるって言われた。全然実感なんてわかなかったけど、高校生になったいま、わかるの。そろそろ限界だなって」
あかりは少し深呼吸をして続けた。
「私がカメラに執着するのは、私の目がいつかは見えなくなるから。今見ている景色を一つでも多く残したいから。またいつか見に行こうってできないから」
「それって・・・」
「いつ見えなくなるかはわからないよ?でも確実に視野はぼやけ始めている」
あかりがかけている黒縁メガネを外して俺に渡してきた。かけてみると何も見えない。いや、見えてはいるが、見えているものが何なのか認識ができないほどに度がきつかった
「今の私はそれがないと生活ができない。それでもぎりぎり見える程度の視力しかないのよね」
「ちょっと待てよ、それじゃあ文化祭は」
「大丈夫だよ。そろそろきみの再生の写真が撮れそうだよ」
「それでも進行したらいずれは」
「うん。見えなくなるね」
しばらくの沈黙ののちにあかりが口を開いた。
「さすがにもう帰ろうか」時計を見てみると八時を過ぎ、あたりは暗闇に包まれていた。
「そうだな。悪い、こんな時間まで」
「大丈夫、やりたいことゆっくりみつけな」
やりたいこと・・・。まだわからないけど、昨日の俺よりも今の俺の方が、前向きに生きていける気がした。
「病気のことは二人の内緒ね?でも晴馬君が気に病むことはないからね?これはもう仕方のないこと。両親も全力で支えてくれてるから、見えなくてももう大丈夫なんだ」
「冷たいこと言うなよ。お前は俺が前を向けるために頑張ってくれたんだろ?だったら、おれはお前が笑顔で暮らせるようにお前を支えるよ」
「なにそれ?告白かな?」
「茶化すなよ。本音なんだから」
「本音だと思ったから茶化すんだよ。照れるじゃないか」
二人で立ち上がり上空を見上げるときれいな満月が俺らを見下ろしていた。俺の見えている満月とあかりの見えている満月は違うのだろうなと思いながら、あかりの手をぎゅっと握り、旧校舎を後にした。
その後あかりを家まで送り届け、俺も家まで歩いて帰った。帰り際にニタニタしたあかりが、
「さっきの返事は文化祭でうまくいったら答えてあげるよ」と言っていた。
意地悪な奴だなと思いつつも、軽くなった心とともに家へと歩き始めた。
少し不安にはなったから、親に相談して病院に行くことにした。
両親共に仕事があるため一人で行くことになった。
病院までは、歩いて40分程で到着する。ズキズキと痛む肘をさすりながら、地図アプリを頼りに歩き続けようやく到着した。
診察室の前で呼ばれるのを待っていると、ふわっと桃の香りがした。
あかりと同じ匂い。
においのもとを見てみると、あかりがいた。幸いこちらには気づいていなかった。
一人で長椅子にすわりぼーっとしていた。
なんであいつがここにいるんだ?
とにかくいまは話したくないと思い、場所を移した。
すると、「飯島さーん」と呼ばれ、あかりは診察室へと消えていった。
彼女が入っていった診察室は眼科のプレートがぶら下がっていた。メガネやコンタクトをつけているが、そこまで申告なのだろうか?わざわざ学校を休んでまで来なければいけないのか?と考えたが、昨日されたことを思い出し、少し気分が落ち込んだ。
そうだった、あいつはもう友達じゃないしな。
「坂本さーん」診察室に呼ばれたので、前回も利用した一番と書かれた診察室へ入った。
「どうしたのかね?」
「昨日から急に痛み出して、今もすこし痛いんです」
「昨日何かしたかね」
昨日の出来事を端折らずに先生に伝えると。
「そうか、恐らく君の痛みを除けるのは私ではないな」とさじを投げてきた。
「どうゆうことですか?」
「きみの心の問題だ。体に異常はない、とくれば心に異常がある」
その後、うーんとうなりをあげて
「君の話で出てきた女の子。彼女なら痛みをとれるかもしれないね」
「無理ですよ。あいつわざと俺に試合を見させたんですよ?」
「うん。いまの君には無理だね。彼女と一度話してみなさい。きっと、痛みがきえるはずだよ」
先生が言っていることは何も理解できなかったが、いまの先生にも俺にもできることは何もないということだけはわかった。ひとまず体に異常がないことだけでもわかってよかた。あかりには会う気はしないが、ひとまず今日は学校にはいかず家に帰ることにした。
昨日の出来事が頭から離れない。あかりはなんであんな光景を俺に見せたのだろう。みんなが頑張る姿、それは俺にとっては見たくない姿だ。
チームはガタガタだった。特にエースの健吾は自分のピッチングをできていなかった。
あの醜態をみて、ざまあみろと思えるほどおれの心は腐ってはいなかったが、あかりはそこまでして俺の苦しむ姿を写真に収めたかったのか。
友達だと思ってたのに・・・。
病院から歩きながら、親に異常はなかったことをメッセージで伝えておいた。もちろん心のことは言わないでおいた。
するといきなりブブーっとスマホの通知がなった。
健吾からのメッセージだった。
「腕がまた痛むのか?大丈夫か?」
昨日の試合で落ち込んでいると思ったが、メッセージ上ではいつも通りだった。
返すか返さないか迷ったが、既読だけつけて返さなかった。今はそっとしておいてほしい。
すると、握りっぱなしのスマホがまた揺れた。新たなメッセージの受信を知らせている
見てみると、あかりからのメッセージだった。見たくはなかったが、謝罪の一言でも送ってきたのかもしれないと思い、メッセージを開くと。
「助けて」
短いメッセージのみ送られてきた。
「屋上から出られなくなっちゃったの」
続けざまに送られてきたメッセージ。先ほどまで病院にいたはずの彼女がなんで屋上にいるのだろうか?
もちろん既読無視をした。嘘にきまっている。俺をだますつもりなんだろうし、そうじゃなくても俺以外に頼める奴がいるはずだ。
「お願い助けて」
既読無視には気づいているのだろう。メッセージが次々と送られてくる。
「本当にでれないの」
「助けて」
「お願い」
流石に無視できないなと思い、
「どうしたの」とメッセージを送ると
「ドアノブとれた。帰れないよ」とドアノブがとれ、ぽっかりと穴が開いているドアの写真が送られてきた。
それが今撮られたものかはわからないが、行く気はない。
「学校に電話して先生に頼めよ」
「そしたらもうここにはこれなくなる」
「あきらめろよ」
「ここは私と君の大切な場所なの」
わけわかんないよ。なんで俺を頼るんだよ。
心の中のぼくは彼女を拒絶しているが、足は動いていた。
なんども時を同じくしていたあの屋上は確かに俺らにとって大切な場所だった。その点では、あいつにとっても大切な場所だと思っていてくれているのはうれしかった。
家へと向かっていたが、学校の方へとルートを切り替えて、少し小走りで学校へと走っていった。
学校に到着すると、いつもの校門ではなく、南側の旧校舎側の校門をよじ登った。私服で来てしまっているので、誰かに会うわけにはいかなかった。幸い、知り合いには一度も会わずにここまで来ることができた。
旧校舎に来るのは久々だった。相変わらず埃臭い、床はミシミシと悲鳴を上げて、いつ崩れてもおかしくはなかった。
夕方、日もかなり落ちていたこの時間は、旧校舎の中は暗闇に近い状態だった。窓辺にはかろうじて光が入っているが、心もとない。
ポケットからスマホを取り出して、足場を照らしながら慎重に屋上へと向かった。
屋上前の扉に到着すると、ドアノブを勢いよく回した。前回とは少し感覚が違い、向こう側のドアノブが壊れているからだろうか、思っていたより軽かった。
「よう」
扉を開けると、あかりはのんきに西側にカメラを向けていた。正直あまり長居はしたくなかった。あかりの事をゆるしていないからだ。
「ありがとう」
俺の声掛けにすぐさま反応し、俺のもとへと駆け寄ってきた。
扉には万が一にも閉じ込められないように、落ちていた壊れたドアノブをかませておいた。
彼女は、俺の目の前まで来ると、いきなり俺に対して腕を回してきた。
「すっごくこわかった。来てくれないのかと思ったよ」
「来るつもりはなかったよ。でもなんか来なかったら後悔する気がした。せっかく来たんだから少し話そう」
抱きしめられてると居心地が悪かったので、腕を振り払った。
「昨日、試合があることしっていたのか?」
「もちろん、知ってたよ。お父さんが教えてくれた」
「じゃあなんで俺をわざわざ連れて行った。わざわざチームの醜態を俺に見せつけてお前に何の得があるんだよ。おかげで俺は、同級生を不甲斐ないとまで思ってしまったんだ」
「いい写真とれたよ?」
「やっぱりな。お前は結局写真の事しか考えていないんだよ。俺を傷つけてまで利用したいのか?もう撮るな。どうせお前には、マウンドに立てない奴の気持ちなんてわかるわけがない」
「見てよこれ」
俺に一眼レフを押し付けてきた。それを受け取り液晶を見てみると、そこには、チームの醜態、不甲斐ないエースをにらみつける俺ではなく、マウンドに帰りたくて泣き出しそうな、あまりにも純粋な少年が映し出されていた。
「私が撮りたいのは野球選手じゃない。あがいている『君』なの」
あかりのまっすぐな瞳に自然と涙がツーっと落ちてきた。
「私は前にたくさんの音を聞きなっていったよね?君は視野が狭くなってると同時に、聞かなきゃいけない声を聴こうともしていなかった。よく思い出して?みんなが君になんていっていたか」
その瞬間けがをした時の映像がまるでフラッシュバックの如し、脳内で再生されていく
俺がケガをしてうずくまっていた時、桜井先輩はなんて言っていたんだ。
「大丈夫か?ひとまず整列できるか?」と優しく言ってくれていた。
監督はどうだ?
「こんな状態になるまで、無理をさせてすまない」
「チームの事より自分のことを考えろ。すぐに病院に行こう。このままではもうマウンドに立てなくなるかもしれない。そんなことにはなってはだめだ」
病院に行く際に桜井先輩は「俺たちのためにすまない」そう言っていた。
学校で監督に謝りに行ったときは・・・。
「それよりどうする?野球部は。投げれなくてもできることはいろいろ考えてあるんだ」
「無理はしなくていいからな?ケガが安定したらでいいからな。みんなまってるぞ」
退院後部活に顔を出したときはどうだっただろうか
「けがの事聞いたよ。本当にすまない」
「謝んなくていいよ。二年生のお前に負担をかけすぎていた。むしろお前の将来を奪ってしまってすまない。俺らに謝らないでくれ。お前はりっぱだったぞ。本当にありがとう」
「いつでもお前の事まってるからな」
「今後は野球部やってくれるのか?」
確かにそう言っていたはず、でも俺の記憶と違う。
監督も桜井先輩もチームメイトもおれにがっかりしていたはずだ。おれに失望していたはずだ。ならこの記憶は何なんだ。
「晴馬君はね、晴馬君を攻めすぎなんだよ。ケガした自分をせめすぎたあげく、自分の記憶を改ざんしていたんじゃないかな?」
「どういうことだ?なんでそんなこと君にわかるんだ?」
「君の改ざんした記憶通りなら、いまの君の状態に納得がいくもの、でもね。君の知ってる監督さんや先輩、同級生に後輩は、君にそんなことを言うような人たちだったの?」
「ちがう・・・」
「精神的な疾患で一時的自分を守るために記憶があいまいになることがあるらしいよ」
監督は生徒を、俺を見捨てるような薄情な先生じゃない。厳しいけど、怖いけど、そこには愛情がたくさん込められていた。そんな監督がおれは好きだった。
桜井先輩は、二年生ながらエース番号を背負っていた俺をずっとフォローしてくれていた。キャプテンの責任もあるのだろうけど、あれは桜井先輩の俺に対しての愛情だったと思う。ほかのチームメイトも、健吾も。誰一人として俺を攻めている人間なんていなかったんだ。
カメラをあかりに預けて、屋上のまわりに設置された、ぼろぼろの金網まで歩くと、
「あーーーー!」と大きな声で叫んだ。涙がとめどなく出てくる。
俺は野球が好きだ。大好きだ。けがをしてから無理やりに忘れようとしていたが、それは無理だった。
自らの防衛本能で蓋をして、自分を醜い存在に仕立て上げていた。
みんなは俺を憐れんだ目で見ていなかった。
あのチームには確かに俺の居場所がある。
「すっきりした?」
あかりがピンク色のきれいに折りたたまれたハンカチを俺に差し出してきた。
「ああ、ありがとう」
借りはしたものの、汚すのは忍びないので、服の裾で涙をぬぐった。
「私は君のそばで君を見てきたんだ。だからわかるよ。君は君のやりたいことをすればいいんだよ」
拭っても拭ってもあふれでてくる涙はしばらくとまらなかった。嗚咽をもらしその場にうずくまると、あかりが優しく俺を抱きしめてくれた。病院で嗅いだ匂い、桃の匂いが鼻をすっとぬける。この匂い落ち着くな・・・。
しばらくすると涙は収まった。
「ごめん、ありがとう」
あかりの手をそっとおろし、服の袖で涙をぬぐう。
あかりの事を見つめるとふと思い出したことがある。
「そういえばさお前、さっきまで病院にいたよな?」
あかりから漂う桃の香りが、あれはあかりだったと決定づけていた。
「あれ?なんで知っているの?」
「おれも病院にいた、家に帰る途中でここに来たんだ」
あちゃーと言いながら自分の額をたたいた。
「そっか。見られたかー」
あかりは空を見上げて何かを考えていた。
「ついでに話そうかな」
あかりは立ち上がると、すぐそばに放置されていた、以前使った理科室の椅子をこちらに持ってきた。
軽く払ってそこに腰かけた。俺も同じようにしてあかりの正面に座った。
「このことはね。誰にも話したことがないんだ。親と美術の先生しか知らない」
そこで一息つくと。
「私は目に病を患っている」
「え・・・」
毎日欠かさずメガネをかけている、昨日はコンタクトだったが、そんなの目が悪い人なら当たり前の行動だ。何の不自然さもない。
「小学生にあがったころかな、視界がぼやけてきてさ。病院に行ったら、いつか見えなくなるって言われた。全然実感なんてわかなかったけど、高校生になったいま、わかるの。そろそろ限界だなって」
あかりは少し深呼吸をして続けた。
「私がカメラに執着するのは、私の目がいつかは見えなくなるから。今見ている景色を一つでも多く残したいから。またいつか見に行こうってできないから」
「それって・・・」
「いつ見えなくなるかはわからないよ?でも確実に視野はぼやけ始めている」
あかりがかけている黒縁メガネを外して俺に渡してきた。かけてみると何も見えない。いや、見えてはいるが、見えているものが何なのか認識ができないほどに度がきつかった
「今の私はそれがないと生活ができない。それでもぎりぎり見える程度の視力しかないのよね」
「ちょっと待てよ、それじゃあ文化祭は」
「大丈夫だよ。そろそろきみの再生の写真が撮れそうだよ」
「それでも進行したらいずれは」
「うん。見えなくなるね」
しばらくの沈黙ののちにあかりが口を開いた。
「さすがにもう帰ろうか」時計を見てみると八時を過ぎ、あたりは暗闇に包まれていた。
「そうだな。悪い、こんな時間まで」
「大丈夫、やりたいことゆっくりみつけな」
やりたいこと・・・。まだわからないけど、昨日の俺よりも今の俺の方が、前向きに生きていける気がした。
「病気のことは二人の内緒ね?でも晴馬君が気に病むことはないからね?これはもう仕方のないこと。両親も全力で支えてくれてるから、見えなくてももう大丈夫なんだ」
「冷たいこと言うなよ。お前は俺が前を向けるために頑張ってくれたんだろ?だったら、おれはお前が笑顔で暮らせるようにお前を支えるよ」
「なにそれ?告白かな?」
「茶化すなよ。本音なんだから」
「本音だと思ったから茶化すんだよ。照れるじゃないか」
二人で立ち上がり上空を見上げるときれいな満月が俺らを見下ろしていた。俺の見えている満月とあかりの見えている満月は違うのだろうなと思いながら、あかりの手をぎゅっと握り、旧校舎を後にした。
その後あかりを家まで送り届け、俺も家まで歩いて帰った。帰り際にニタニタしたあかりが、
「さっきの返事は文化祭でうまくいったら答えてあげるよ」と言っていた。
意地悪な奴だなと思いつつも、軽くなった心とともに家へと歩き始めた。

