あかりの後を歩き、一階に降りると胃袋をくすぐる揚げ物の匂いがした。
広々とした畳の上におおよそ八人くらいが同時に食卓を囲めるであろう大きさのこたつが置かれており、こたつを挟むようにふたつずつ座布団が置かれていた。商店街の集まりや、親戚の集まりがあるときは、このおおきなこたつが大活躍するらしい。
においの元であろう唐揚げが大皿にこんもりと二皿分乗っており、そのほかに煮物や漬物などが並んでた。
「あ、あのはじめまして、あかりさんといつも・・・」なんて言えばいいんだと悩んでいると、
「坂本晴馬君だね。アホな娘がお世話になってます」
「アホってなによ。愛娘でしょうが」
あかりがすかさず突っ込んでいたが、あかりの父親は僕の目をみて、いきなり涙を浮かべだした。
「私はね。君たちの雄姿見ていたんだ。試合残念だったね。肘は大丈夫なのかい?」
あの時観客席には主に選手の両親や親族が応援に来ていた。たしかカメラマンもいたがもしかしてあれがあかりの父親だったのだろうか。
「ああ、お恥ずかしい限りです」
行き過ぎた謙遜を口にすると、バンッという音が部屋中に轟いた。あかりの父親が自らのこぶしをおもいっきりこたつにたたきつけていた。
「すまない。だが、恥ずかしい試合ではなかったぞ?自分を落とすようなことは言ってはだめだ。ましてや君にとって全力で戦った試合だろう」
ずり落ちたメガネを直して、尚もこちらに鋭い眼光を見せつけていた。
「あなた。お客様に向かって何をしているんですか。謝りなさい」
キッチンから三皿目となる唐揚げ入りの大皿を持ちながらあかりの母親がやってきた。
「しかしだね。あの試合は・・・」
「いいから謝りなさい!」
母親が語気を強めると、父親は鋭い眼光から一変弱弱しい態度になった。
「すまなかった・・・」
「いえ、大丈夫です」
「この人ね、高校野球ファンで高校野球のことになると頭に血がのぼりやすいの。本当にごめんなさい」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ」
これだけ自分の両親が自分の招いた客と、ぎくしゃくしているというのに何をしているんだと、ふと隣を見ると、まるでハムスターのように両ほほを膨らませながらあかりは唐揚げをほおばっていた。
「まあまあ、たくさんたべてね」と母親が僕の分の白米を茶碗に入れて持ってきてくれた「ありがとうございます。いただきます」
唐揚げを口に入れるとあかりが食に夢中になってしまうのがわかる。この唐揚げうますぎる、しばらく無言で唐揚げをほおばっていると、父親が弱弱しく聞いてきた。
「それで、怪我はどうなんだい?」
「肘の靭帯が切れてしまって手術をしましたが、マウンドにはもう立てないと思います」
「そう、なのか。すまない、嫌なことを聞いてしまったね」
「ねーねー。晴馬君の怪我そんなひどかったの?」
唐揚げを一通り食べたのか、あかりが会話に割って入ってきた。
「お前はなにも知らないのか、自分の高校のチームだぞ」
その後、父親がうちのチームの軌跡を詳しく話してくれた、もちろん俺が引退することとなったあの試合のことも。
一通り話終わる間に、俺の胃袋は唐揚げでぱんぱんになっていた。あかりはというと、父親の懸命な説明を聞いても、眉一つ動かさず、あまり興味はなさそうだった。
「まあつまり、今は暇になっちゃったってことだね。それは都合がいいね」
「何を言ってるんだ。ただの友達といっていたが、あかりに何か脅迫されているのか?」
心配そうな父親とは相反して、あかりはニコニコしながらこちらを見ていた。
「いえいえ。いいんです、もう野球はやるつもりないし、あかりさんの被写体として役に立てればと思ってます」
「そうか・・・。残念だが。でもいまは少し野球から距離をとってもいいかもしれんね。それよりもあかり、被写体と言っていたが風景はもう飽きたのか?」
「飽きてないよ。ただ、いまは風景より彼の方が魅力があるだけ」
あかりは写真屋の娘らしくカメラに幼いころから興味をひかれていたらしい。だが、父親の期待とは裏腹、あかりは風景や自然にしかカメラをむけてこなかったそうだ。そんな彼女が今回は俺という被写体をつれてきたので、内心ほっとしたらしい。写真屋を継いでほしいのだそうだ。そんな話をしていると、時刻は八時を過ぎていた。
「すいません。おれこんな時間までお邪魔してしまって、ご飯ごちそうさまでした。お話しできて楽しかったです」
正確に門限があるわけでもなかったが、さすがにこんな時間までお邪魔しているのは迷惑だと思い、急いで帰る支度をした。
「こちらこそ、こんな時間まですまないね。車で送っていこうかい?」
俺の家は駅から電車で一駅分、その駅から歩いて5分ほどの住宅街にあり、さほど遠くもないので、せっかくだが断らせてもらった。父親、母親、あかりの三人に見送られながら、飯島写真館を後にした。
ここ最近は野球の事、怪我の事で頭がいっぱいいっぱいだった。料理をおいしく感じたのは久しぶりだった気がする。また来たいなとおもいつつ、どこかホカホカした心をなでながら、駅へと歩いて行った。
あの日以降俺は、放課後の時間をあかりとともに過ごしていた。二週間に一度だけ病院に行かなければならないが、それ以外はあかりといろいろなところへ行っていた。
あかりは、写真を夢中で撮る日もあれば、俺と話して終わる日もあった。それはまさにあかりが目指していた友達の関係になれてきていたんだと思う。
しかし、時間というのは残酷で、文化祭までの時間は刻一刻と迫っていた。
今日も放課後の時間になると教室まであかりが迎えに来てくれた。
「今日はなにするの?」
基本的には、放課後のプランはいつもあかりが決めていた。俺自身も行きたいところなど特になかったから、毎回考えてきてくれるのは助かっていた。
「すこし、歩こうか」
学校を出るといつも駅の方に向かうが、今日は正反対の方角に向かって歩いていた。
駅の反対側には、住宅街が広がっていた。時たま車の走る音が聞こえていたり、近くに公園でもあるのだろうか、子供たちの笑い声などが聞こえていた。大小さまざまな家を横目にひたすら歩き続けた。
しばらく歩き続けると、きれいに塗装されていた道路が徐々にでこぼこになっていく、とうとう塗装されていない土の道になったころ、視界一面に黄金色の景色が広がっていた
立派に実った稲穂が夕焼け色に染まり、風をうけて稲穂が同時に一定の方向になびいていた。あまりにきれいな景色に思わずスマホを取り出し、一枚写真を撮った。
「なかなかいい写真とるじゃん」
僕のスマホを横から覗き込みあかりが大げさに驚くようなリアクションをしてきたので、少し恥ずかしくなってスマホをすぐにポケットへ収めた。
「んで、今日はこれを撮りに来たの?」
一面の田んぼを指さしながら聞くと、
「違うよ。もう少し歩こう」
そこからさらに十分ほど歩き続けると、古びた線路が見えてきた。歩いている途中から踏切の音や電車が走る音が遠くで聞こえていたので、何となく予想はついていた。
「到着だね。ごくろうさま」
踏切に到着すると、かばんから一眼レフを取り出した。あかりは普段はスマホで写真をとる。その感覚は、俺らと一緒だ。感動したこととか、おいしそうなものとか、かわいいものとか。とにかくこれを保存し、記憶しておきたい。そういう時には彼女はスマホで撮影をする。
かばんから一眼レフを取り出したときは、彼女の中でカチッとスイッチが入った証拠だ
こういう時は、俺はただただ彼女の気が済むのを待つしかない。前に一度話しかけた事があったが、聞いてくれない、いや聞こえていないといった方がいいだろう。
いま目の前にある線路はどうやら廃線となった路線だそうだ。暇だからスマホで調べてみた。線路はところどころ錆びついていて、管理のされていない閉まらずの踏切は、色がかなり荒んでおり、かなりのエモさを醸し出していた。
遮蔽物がなにもないこの空間は、風が吹くたびに稲穂甘く香ばしいにおいが漂ていた。
ときたま遠くで踏切の音と電車が線路を走る音が聞こえていた。
あかりの手元から放っているパシャパシャという音もどこか心地の良い音楽を聴いている気分になり、自然と目をつむりその空間を堪能していた
「カキーン」と突然耳元でささやいてきた。突然のことで彼女からバッと距離をとるようにうしろに下がる。またふざけやがってと思い、彼女の顔をにらみつけると、彼女は真面目な顔をしてこちらを見ていた。
「耳を澄ましてごらん。バットの音以外にも、世界にはいい音がたくさんあるよ。君の耳はケガに侵されている」とポツリとつぶやいた。
それは俺自身も感じていた。野球のことしか考えていなかった俺は、こんなにゆっくりと過ぎ去る時間を過ごしたことなどなかった。耳を澄ませば風の音、踏切、電車、カメラの音、探し出せばもっとたくさんの音を感じることができるだろう。
今までの俺は、野球という狭い世界だけで生きてきたんだな。
「晴馬君は野球という狭い窓からしか世界を見ていないんだよ。悪いこととはいわないけどね?晴馬君がその窓から出てくれないと私はいい写真が撮れない。野球でしか生きてこなかった君は、それを奪われて、絶望しているけど。君が野球しかできないって思っているのは、きみだけだよ?」
あかりはこちらを振り向き、すこし涙ぐみながらも淡々と語っていた。
「なんでお前が泣くんだよ?」
「わかんないかな?きみがつらいと私もつらいんだよ」
メガネを外し、涙をカーディガンでぬぐい再びメガネをかけなおした。
「君が少しでも前を向けるように私はがんばるよ。世界を広げていこう!」
こんな一面を見るのは初めてだった。女の子を泣かせてしまったという後ろめたさと、その涙の理由。なんでお前がつらいんだよ・・・。と思うと同時に、気付けば彼女のの腕をつかみグッと自分の体に引き寄せていた。
黄金色に輝く稲穂を背に線路を眺めながら、俺はあかりの体をグッと抱き寄せていた。自分でも何をしているのだろうと混乱していたが、あかりは抵抗する様子もなく、自分の頭を俺の胸に押し付けていた。
しばらくすると我に返ったのか、俺の胸をグッと押し俺の胸から離れていった。
「ごめん。急に」
「うん。反則だよ」
「うまく言えないけど、あかりが俺のために頑張ってくれるなら、おれはあかりが二度と涙を流さないように頑張るよ」
すごく照れくさいセリフを吐いたんだと、後から築いて耳が徐々に赤くなっていくのを感じた。彼女の方をふと見ると、同様に耳を真っ赤にさせながら、線路を見つめていた。
こうゆうときはあかりがいつも俺をニタニタしながらいじってくるのに、今の彼女はそんな余裕すらない様子だった。
「嫌じゃなかったか?」
先ほど抱きしめた行動を今更後悔してきた。
「大丈夫。君の胸はいいハンカチになるよ」
ふと自分の胸元を見てみると、あかりの涙がついていて、ワイシャツが少し透けていた
「クリーニング代よこせよ」
「泣くたびにお金とるつもりなの?」
「もう、泣かせないって」
お互いの熱が冷めてきたころ、遠くの方で五時を知らせるチャイムが鳴っていることに気づいた。眼下に広がる田園風景は夕焼けに染められ、先ほどまでとはまた違うエモさを演出していた。街灯がほとんどなかったので、俺たちは急いで帰ることにした。
住宅街を出るころにはあたりはすっかり夜になっていた。幸い、すぐにアーケード商店街までこれたので、あかりを家まで送り届けて、おれも家に向けて歩き始めた。
風が吹くたびに心なしか胸元からあかりの匂いがしてきて、そのたびにドキドキした。
駅に着くと、先ほどまでの風景とは一変、人があちこちにいて、まるで別世界に来たようだった。
さっきまで美しい田園にいたことが嘘みたいに、ごった返した帰宅ラッシュの中、おれは一人で歩いて帰った。
広々とした畳の上におおよそ八人くらいが同時に食卓を囲めるであろう大きさのこたつが置かれており、こたつを挟むようにふたつずつ座布団が置かれていた。商店街の集まりや、親戚の集まりがあるときは、このおおきなこたつが大活躍するらしい。
においの元であろう唐揚げが大皿にこんもりと二皿分乗っており、そのほかに煮物や漬物などが並んでた。
「あ、あのはじめまして、あかりさんといつも・・・」なんて言えばいいんだと悩んでいると、
「坂本晴馬君だね。アホな娘がお世話になってます」
「アホってなによ。愛娘でしょうが」
あかりがすかさず突っ込んでいたが、あかりの父親は僕の目をみて、いきなり涙を浮かべだした。
「私はね。君たちの雄姿見ていたんだ。試合残念だったね。肘は大丈夫なのかい?」
あの時観客席には主に選手の両親や親族が応援に来ていた。たしかカメラマンもいたがもしかしてあれがあかりの父親だったのだろうか。
「ああ、お恥ずかしい限りです」
行き過ぎた謙遜を口にすると、バンッという音が部屋中に轟いた。あかりの父親が自らのこぶしをおもいっきりこたつにたたきつけていた。
「すまない。だが、恥ずかしい試合ではなかったぞ?自分を落とすようなことは言ってはだめだ。ましてや君にとって全力で戦った試合だろう」
ずり落ちたメガネを直して、尚もこちらに鋭い眼光を見せつけていた。
「あなた。お客様に向かって何をしているんですか。謝りなさい」
キッチンから三皿目となる唐揚げ入りの大皿を持ちながらあかりの母親がやってきた。
「しかしだね。あの試合は・・・」
「いいから謝りなさい!」
母親が語気を強めると、父親は鋭い眼光から一変弱弱しい態度になった。
「すまなかった・・・」
「いえ、大丈夫です」
「この人ね、高校野球ファンで高校野球のことになると頭に血がのぼりやすいの。本当にごめんなさい」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ」
これだけ自分の両親が自分の招いた客と、ぎくしゃくしているというのに何をしているんだと、ふと隣を見ると、まるでハムスターのように両ほほを膨らませながらあかりは唐揚げをほおばっていた。
「まあまあ、たくさんたべてね」と母親が僕の分の白米を茶碗に入れて持ってきてくれた「ありがとうございます。いただきます」
唐揚げを口に入れるとあかりが食に夢中になってしまうのがわかる。この唐揚げうますぎる、しばらく無言で唐揚げをほおばっていると、父親が弱弱しく聞いてきた。
「それで、怪我はどうなんだい?」
「肘の靭帯が切れてしまって手術をしましたが、マウンドにはもう立てないと思います」
「そう、なのか。すまない、嫌なことを聞いてしまったね」
「ねーねー。晴馬君の怪我そんなひどかったの?」
唐揚げを一通り食べたのか、あかりが会話に割って入ってきた。
「お前はなにも知らないのか、自分の高校のチームだぞ」
その後、父親がうちのチームの軌跡を詳しく話してくれた、もちろん俺が引退することとなったあの試合のことも。
一通り話終わる間に、俺の胃袋は唐揚げでぱんぱんになっていた。あかりはというと、父親の懸命な説明を聞いても、眉一つ動かさず、あまり興味はなさそうだった。
「まあつまり、今は暇になっちゃったってことだね。それは都合がいいね」
「何を言ってるんだ。ただの友達といっていたが、あかりに何か脅迫されているのか?」
心配そうな父親とは相反して、あかりはニコニコしながらこちらを見ていた。
「いえいえ。いいんです、もう野球はやるつもりないし、あかりさんの被写体として役に立てればと思ってます」
「そうか・・・。残念だが。でもいまは少し野球から距離をとってもいいかもしれんね。それよりもあかり、被写体と言っていたが風景はもう飽きたのか?」
「飽きてないよ。ただ、いまは風景より彼の方が魅力があるだけ」
あかりは写真屋の娘らしくカメラに幼いころから興味をひかれていたらしい。だが、父親の期待とは裏腹、あかりは風景や自然にしかカメラをむけてこなかったそうだ。そんな彼女が今回は俺という被写体をつれてきたので、内心ほっとしたらしい。写真屋を継いでほしいのだそうだ。そんな話をしていると、時刻は八時を過ぎていた。
「すいません。おれこんな時間までお邪魔してしまって、ご飯ごちそうさまでした。お話しできて楽しかったです」
正確に門限があるわけでもなかったが、さすがにこんな時間までお邪魔しているのは迷惑だと思い、急いで帰る支度をした。
「こちらこそ、こんな時間まですまないね。車で送っていこうかい?」
俺の家は駅から電車で一駅分、その駅から歩いて5分ほどの住宅街にあり、さほど遠くもないので、せっかくだが断らせてもらった。父親、母親、あかりの三人に見送られながら、飯島写真館を後にした。
ここ最近は野球の事、怪我の事で頭がいっぱいいっぱいだった。料理をおいしく感じたのは久しぶりだった気がする。また来たいなとおもいつつ、どこかホカホカした心をなでながら、駅へと歩いて行った。
あの日以降俺は、放課後の時間をあかりとともに過ごしていた。二週間に一度だけ病院に行かなければならないが、それ以外はあかりといろいろなところへ行っていた。
あかりは、写真を夢中で撮る日もあれば、俺と話して終わる日もあった。それはまさにあかりが目指していた友達の関係になれてきていたんだと思う。
しかし、時間というのは残酷で、文化祭までの時間は刻一刻と迫っていた。
今日も放課後の時間になると教室まであかりが迎えに来てくれた。
「今日はなにするの?」
基本的には、放課後のプランはいつもあかりが決めていた。俺自身も行きたいところなど特になかったから、毎回考えてきてくれるのは助かっていた。
「すこし、歩こうか」
学校を出るといつも駅の方に向かうが、今日は正反対の方角に向かって歩いていた。
駅の反対側には、住宅街が広がっていた。時たま車の走る音が聞こえていたり、近くに公園でもあるのだろうか、子供たちの笑い声などが聞こえていた。大小さまざまな家を横目にひたすら歩き続けた。
しばらく歩き続けると、きれいに塗装されていた道路が徐々にでこぼこになっていく、とうとう塗装されていない土の道になったころ、視界一面に黄金色の景色が広がっていた
立派に実った稲穂が夕焼け色に染まり、風をうけて稲穂が同時に一定の方向になびいていた。あまりにきれいな景色に思わずスマホを取り出し、一枚写真を撮った。
「なかなかいい写真とるじゃん」
僕のスマホを横から覗き込みあかりが大げさに驚くようなリアクションをしてきたので、少し恥ずかしくなってスマホをすぐにポケットへ収めた。
「んで、今日はこれを撮りに来たの?」
一面の田んぼを指さしながら聞くと、
「違うよ。もう少し歩こう」
そこからさらに十分ほど歩き続けると、古びた線路が見えてきた。歩いている途中から踏切の音や電車が走る音が遠くで聞こえていたので、何となく予想はついていた。
「到着だね。ごくろうさま」
踏切に到着すると、かばんから一眼レフを取り出した。あかりは普段はスマホで写真をとる。その感覚は、俺らと一緒だ。感動したこととか、おいしそうなものとか、かわいいものとか。とにかくこれを保存し、記憶しておきたい。そういう時には彼女はスマホで撮影をする。
かばんから一眼レフを取り出したときは、彼女の中でカチッとスイッチが入った証拠だ
こういう時は、俺はただただ彼女の気が済むのを待つしかない。前に一度話しかけた事があったが、聞いてくれない、いや聞こえていないといった方がいいだろう。
いま目の前にある線路はどうやら廃線となった路線だそうだ。暇だからスマホで調べてみた。線路はところどころ錆びついていて、管理のされていない閉まらずの踏切は、色がかなり荒んでおり、かなりのエモさを醸し出していた。
遮蔽物がなにもないこの空間は、風が吹くたびに稲穂甘く香ばしいにおいが漂ていた。
ときたま遠くで踏切の音と電車が線路を走る音が聞こえていた。
あかりの手元から放っているパシャパシャという音もどこか心地の良い音楽を聴いている気分になり、自然と目をつむりその空間を堪能していた
「カキーン」と突然耳元でささやいてきた。突然のことで彼女からバッと距離をとるようにうしろに下がる。またふざけやがってと思い、彼女の顔をにらみつけると、彼女は真面目な顔をしてこちらを見ていた。
「耳を澄ましてごらん。バットの音以外にも、世界にはいい音がたくさんあるよ。君の耳はケガに侵されている」とポツリとつぶやいた。
それは俺自身も感じていた。野球のことしか考えていなかった俺は、こんなにゆっくりと過ぎ去る時間を過ごしたことなどなかった。耳を澄ませば風の音、踏切、電車、カメラの音、探し出せばもっとたくさんの音を感じることができるだろう。
今までの俺は、野球という狭い世界だけで生きてきたんだな。
「晴馬君は野球という狭い窓からしか世界を見ていないんだよ。悪いこととはいわないけどね?晴馬君がその窓から出てくれないと私はいい写真が撮れない。野球でしか生きてこなかった君は、それを奪われて、絶望しているけど。君が野球しかできないって思っているのは、きみだけだよ?」
あかりはこちらを振り向き、すこし涙ぐみながらも淡々と語っていた。
「なんでお前が泣くんだよ?」
「わかんないかな?きみがつらいと私もつらいんだよ」
メガネを外し、涙をカーディガンでぬぐい再びメガネをかけなおした。
「君が少しでも前を向けるように私はがんばるよ。世界を広げていこう!」
こんな一面を見るのは初めてだった。女の子を泣かせてしまったという後ろめたさと、その涙の理由。なんでお前がつらいんだよ・・・。と思うと同時に、気付けば彼女のの腕をつかみグッと自分の体に引き寄せていた。
黄金色に輝く稲穂を背に線路を眺めながら、俺はあかりの体をグッと抱き寄せていた。自分でも何をしているのだろうと混乱していたが、あかりは抵抗する様子もなく、自分の頭を俺の胸に押し付けていた。
しばらくすると我に返ったのか、俺の胸をグッと押し俺の胸から離れていった。
「ごめん。急に」
「うん。反則だよ」
「うまく言えないけど、あかりが俺のために頑張ってくれるなら、おれはあかりが二度と涙を流さないように頑張るよ」
すごく照れくさいセリフを吐いたんだと、後から築いて耳が徐々に赤くなっていくのを感じた。彼女の方をふと見ると、同様に耳を真っ赤にさせながら、線路を見つめていた。
こうゆうときはあかりがいつも俺をニタニタしながらいじってくるのに、今の彼女はそんな余裕すらない様子だった。
「嫌じゃなかったか?」
先ほど抱きしめた行動を今更後悔してきた。
「大丈夫。君の胸はいいハンカチになるよ」
ふと自分の胸元を見てみると、あかりの涙がついていて、ワイシャツが少し透けていた
「クリーニング代よこせよ」
「泣くたびにお金とるつもりなの?」
「もう、泣かせないって」
お互いの熱が冷めてきたころ、遠くの方で五時を知らせるチャイムが鳴っていることに気づいた。眼下に広がる田園風景は夕焼けに染められ、先ほどまでとはまた違うエモさを演出していた。街灯がほとんどなかったので、俺たちは急いで帰ることにした。
住宅街を出るころにはあたりはすっかり夜になっていた。幸い、すぐにアーケード商店街までこれたので、あかりを家まで送り届けて、おれも家に向けて歩き始めた。
風が吹くたびに心なしか胸元からあかりの匂いがしてきて、そのたびにドキドキした。
駅に着くと、先ほどまでの風景とは一変、人があちこちにいて、まるで別世界に来たようだった。
さっきまで美しい田園にいたことが嘘みたいに、ごった返した帰宅ラッシュの中、おれは一人で歩いて帰った。

