屋上で病の事を聞いた次の日。いつものように、歩いて学校へ向かっていた。駅を通り過ぎると、いつも通り俺と同じ制服を着た若者が一気に多くなる。
いつもだったら極力知り合いに会わないようにとうつむいて歩いていた。でも今は違うまるで別世界に来たように体が軽かった。昨日までの俺はきっと、呪縛に取りつかれていたんだと思う。目に見えない何かが、おれにとりついていた。
あかりは言っていた。みんなの声援を俺が勝手に悪口だと解釈していると。思い返せば
みんなおれの味方だった。マウンドで頑張り続けた俺に、冷たい言葉や視線を向けたものなどいなかった。そう思うと自然と足取りは軽くなっていったし、いつもよりは胸を張って歩けていると思う。
「おう晴馬久しぶりだな」後ろから桜井先輩が駆け寄ってきた。
桜井先輩にもずいぶんと心配をかけたかもしれない。この人は一番心配をしてくれていた。
「桜井先輩、おはよございます」
現役時代さながらの大きな声であいさつをすると、近くを歩く生徒が白い目でこちらを見ていた。今の俺にはそんなことなんて気にもならなかった。
「元気でたんだな。よかったよ。」
「おかげさまで、いろいろとご迷惑とご心配おかけしました」
「心配はしてたけど、迷惑は掛かってないから大丈夫だよ。肘の調子はどうだ?」
「もう大丈夫です。もちろん野球はできないっすけど」
昨日病院に行っていたことが不思議なくらいおれの肘はなんの違和感もかんじていなかった。先生が言った通り、あかりと話したら痛みは引いて行った。
先生も気が付いていたのだろう。肘の痛みの原因が精神的なものであると、そして解決の糸口にあかりがなるということも。
案の定俺はあかりに救われた。
「そうか、部活はこれそうか?健吾の奴が結構悩んでるらしくてさ、晴馬が嫌じゃなければ、アドバイスしてやってほしいんだ」
この間の試合で健吾のピッチングは見た。数か月前までのあいつとは大違いなピッチング。まるで俺を真似したようなピッチング。それはあいつができる芸当ではないことは、本人が一番わかっているはず。エースが不在となった今。あいつはあいつなりに背負うものが増えて苦しんでいるんだと思う。アドバイスできることはあるが、正直おれがアドバイスするのは角が立つと思う。だからあえて俺からあいつのピッチングに対して言うのはやめようと思っていた。
「いま、自分がやってることがひと段落したら、いけると思います」
「ふーん。なんか新しいことやってるの?」
「ちょっとした手伝いですよ。文化祭終わったら顔出せると思います」
「例の女の子か?」
桜井先輩はまるでおちょくるように俺の顔を覗き込んできた。
「あいつと知り合いなんですか?」
「お前らいっつも一緒にいるじゃんか。付き合ってるんだろ?」
「まだ付き合ってないですよ!」
「へー。まだね」
意味深なにやけ顔を披露されたが、いまさらになって隠す必要もない。俺たちはもうそのくらいの仲になってるんだから。
「今週の土曜日に秋季大会の一回戦がある。よかったら見てやってくれ」
毎年高校生の大会は夏の甲子園に注目が集まりがちだが、秋季大会は新チームでの初めての公式戦となる舞台のため、選手にとっては一番緊張する大会と言っても過言ではない
「わかりました。いけたら行きますね」
「よろしく」
そう答えるとじゃあと先輩は走って去っていった。もう校門まで来ていたのだ。
昇降口に入ると、健吾がため息をつきながら上履きに履き替えていた。
「おはよう健吾」
「おう、お前メッセージ返せよ」
そういえば繰り返し来ていた健吾からのメッセージはいまだに返信していなかったことを今になって思い出した。
「ごめん、普通に忘れてた」
本当に忘れてたけど、そのほとんどは既読無視したものだからほんとうではないかもしれない。
「まあ、いいや。ケガで休んだのか?」
「うんまあ。そんなとこだな」
昨日までの俺は、みんなが憐みの目で見ていたり、みんなの発言がさも俺を否定するかのような改ざんをしていた。だからみんなが怖くて怖くて仕方がなかった。
でも、思い返してみると、健吾の発言は、改ざんされていない・・・。
なぜか健吾の声だけは直接おれに届いていた気がする。本当に信頼していたんだと実感した。
「まあ、なんかあればまた相談してよ」話しているうちに教室に到着し、自分の机へと歩き出そうとした健吾の腕をつかんだ。
「お前は、おれに相談したことないのか?」
正直今の俺に健吾に対してできることが思い浮かばなかった。
「なんだよ急に。なんかあったら相談してるよ」
へらへら笑いながら自分の席に戻っていく健吾に少し腹が立った。もう少し頼ってくれてもいいのにと。
ただ同時にはっと気づいた。そうだ・・・。
おれもあいつになにも相談しなかったな。悩んでいる自分を健吾に悟られたくない。たぶん今のあいつも過去の俺と同じような境遇なのだろう。エースの意地。おれにもよくわかる。
秋季大会までに立ち直ればそれでいいし、立ち直らせれる人物が俺である必要はない。
それに今はあかりの作品展が優先だ。
文化祭までの時間も限られている。はやくあかりの被写体として・・・とも思ったが、
これに関しても、俺にできることはなかった。
もやもやとした気持ちを引きずりながら一日を過ごす羽目になった。
昼食の時間、いつも俺は教室で弁当を食べる。健吾とほかの部員たちと一緒に食べていた。だが、けがをして以降はおれは昼食は食べないで過ごしていた。
みんなの前でひょうひょうと暮らしていることに後ろめたさがあったからだ。
健吾は毎度俺の事を誘ってくれていた。断られるのが分かっているのに毎日だ。正直うっとおしいと思っていたこともある。それでもあいつは俺が孤立しないように頑張ってくれていた。
そして、今日もかわらず誘ってきてくれた。ほかの部員の方を見てみると俺に向かって手招きをしていた。いつもそんな風に俺を見ていてくれてたのかな?そんな連中を無視し続けていた自分の行動に心が痛んだ。
「今日は、一緒にたべるよ」
「おう、早く来いよ」
みんなが待つ机まで行き、開いている椅子に座った。、みんながニコニコしながら俺を迎え入れてくれた。そうだった。こいつらみんな優しい奴だったなと思い出した。
昨日までの関係地なんて嘘みたいに、久々に弁当をみんなで食っちゃべった。
学校ってこんなに楽しかったんだな。改めてあかりには感謝しなければならない。
「そーいえば、こないだ飯島と話したよ」と健吾がにやにやしながら俺に言ってきた。
「んで?」
「お前の事を先輩とか顧問とかが恨んでないか聞かれた」
ああ。それであいつはおれが本来とは違う声を記憶しているって気づいたのか。勘が鋭いとは思っていたが、ここまで来ると恐怖すら感じてくる。
「なんかあったん?」
「まあいろいろな。でももう大丈夫だと思う」
精神的に病んでいたことはみんなには話さないでいた。自分の弱い姿をさらすようで恥ずかしかったし、ただでさえケガで心配をかけしまったから。
「それより新チームはどうなんだ?」
露骨に健吾の顔が曇った。ほかの部員を見てみると同じように顔色が曇っていた。
「まだ、いろいろ大変だけど頑張ってるし、大丈夫だよ」
健吾は無理くりに笑顔を見せつけてきた。
おれもかつてはエース番号を背負ってきたからわかる。健吾はこのままではつぶれる。
エースはチームの中心だ。外側だけ見れば、華やかな、誰もが憧れる場所だと思われがちだが、実際にエース背番号を背負ったものにしかわからない苦悩というのは確かに存在する。
チームが打てなかった日でも、チームメイトが失敗した日でも、必ず負け星はエースに記録される。もちろん、逆もある。
チームにいかに救われようとも、勝ち星はエースにつく。
ただいまの健吾にはその勝ち星が遠い。それゆえ自分自身を責めてしまう。それが一番楽だから。
だからと言って、今の俺が健吾に勝ち星を与えることはできない。俺にできることはない。俺が何かをするのは多分健吾のプライドを傷つけてしまうから。
健吾がトイレで席を立ったタイミングでチームメイトに放課後顔を出すように頼まれたが、断った。
大会を控えた大事な時期である今。俺が部活に顔を出して変にかき乱してはまずい。
俺がそうだったように、野球はメンタルとかなり直結しているから、余計なことはしたくなかったし、健吾からお願いされたわけでもないから、今はそっといておくことにした
文化祭まで残り2週間となった土曜日。俺はあかりとカフェで一緒に過ごしていた。あかりは相変わらず俺を被写体にして撮影をしていない。たまに、急に撮られることはあるが、やっぱり駄目だなと言って一向に撮影に前向きにならなかった。満足していないあかりに対して、俺自身も焦りを感じていた。被写体のおれにできることはないけれど、それでもマイペースなあかりをせかしたりはした。
一度は挫折を経験したからこそ、彼女の作品展は絶対に成功してほしいと思っていた。まだ、時間があるし、やれることがあるのだから。
「視力はどうなんだ?」
あかりは視力の話題を嫌がるそぶりを見せないが、よくなるわけでもないから俺はあまり聞かないでいた。
「うーん。文化祭まではもってほしいけどね」
「そんなにぎりぎりの状態なのか?」
「それがわからんのだよ。今年が限界とは言われているけども・・・」
「ならはやく撮らないと」
「大丈夫だよ。きっと声が聞こえるから」
「それは風景だよな?俺の声なんて聞こえないだろ」
あかりはなにか俺に隠し事をするように下を向いてしまった。
「今日はどっかで撮影するのか?」
「今日は何の日か知っているかい?」
頭には浮かんだが多分違うから口にはしなかった。
「わからん。なんの日だ」
「そうかい。なら黙ってついてくるんだな」
あかりの家がある商店街から、バスを乗り継いで約30分で到着した。やっぱりな。
そこは、俺がケガをした夏の大会が行われていた球場。そして今日うちのチームが秋季大会で戦う会場だ。
前までの俺だったらすぐにあかりをにらみつけていただろう。ただ、あかりはきっと俺の事を考えてここに連れてきてくれていると思う。
既に試合は始まっているのだろう。球場の外にまで歓声が轟いていた。秋季大会は夏に比べれば、小規模だが、実際応援団は本格的に応援をする。うちの学校は応援団も吹奏楽部も、地方大会では参加しない。夏に甲子園に行ければ来てくれるらしい。
来てるとすれば、先輩たちと保護者くらいだ。ならば、この歓声はきっと敵チームの応援団だろう。
けがの事を思い出すと、少し躊躇してしまったが、隣にいたあかりが俺の手をぎゅっとつかんで、球場の中へと連れて行ってくれてた。
「まだ、こわい?」
中に入り、観客席につながる通路を歩いているとあかりが急に立ち止まり、俺の顔を除いてきた。
「こわいよ。だから、手離すなよ」
正直に言えば怖くはない。もう俺が立てないマウンドだってことはわかっているから、ただ、あかりとつないだこの手を放したくなかったから嘘をついた。我ながらはずかしいと思っていると。
「しかたないねー。じゃあ行こうか」
俺の手を再度ぎゅっと握りしめて、俺たちは観客席へと足を進めた。
一塁側のベンチには保護者や先輩たちベンチ入りできなかった一年生、桜井先輩もいる。最前の席ではあかりのお父さんがカメラを構えていた。総勢30人ほどの応援団だ。
一方で三塁側を見てみると100人以上はいるだろうか、応援団と思しき集団や、ベンチ入りできなかったメンバーも相当数いるようだ。応援合戦ではあきらかにうちのチームは不利だった。
「私たちも、あそこに混ざろうか」
私は一塁側の観客席を指さし君の手を引いた。
幸い、みんな応援に夢中で私たちには気づいていなかったので、私たちは後方の方で静かに試合を見守っていた。
後方のスコアボードを見ると、いまは5回の裏で3―0で負けていた。
「ずいぶん辛そうだな・・・」
晴馬君がポツリとつぶやいた。
「解説してよ」
正直野球はあんまり詳しくはない。ルールはわかるけど。
「エースは、絶対的な存在だ。負けを許されない。だからこそ重圧がすごいんだ」
肩で息をしている戸田君を見つめながら語ってくれた。
「あいつは、その重圧に耐えれないんだろうな。本来のピッチングがいかせていない」
「緊張してるってこと?」
自分でもすっとんきょなことを言ってしまったなと思った。
「違うな」
私たちの座るベンチの上から声が聞こえた。見上げると、見覚えのある人。桜井先輩だ
さっきまで、前方に座っていたはずなのにいつの間にか私たちの後ろにいた。
「あいつはたぶん、晴馬の真似事をしようとしているんだろうな。あいつの目標がお前のようなエースピッチャーになることだったから」
晴馬君の横に腰を掛け、晴馬君の肩に手を置いた。
「バカみたいですね。あいつにはあいつの良さがあるのに」
「それにあいつは気づいていないんだよ。あいつの中でのエースはお前なんだからな」
「なんとかならないんですか?」
晴馬君と桜井先輩に質問をめがけると、
「できることはあるさ」
「何ですか?」
私が食い気味に聞く。さっきからこちらの観客席は盛り上がっていない。一方で三塁側の観客席はおおいに盛り上がっていることにすこし苛立ちを感じていた。
「なあ、晴馬」
桜井先輩は健吾君がたつマウンドを指さした。
マウンド上では、内野のメンバーが集まり、グローブで口を隠しながら何かを話している。
「そうですね。行ってきます」
晴馬君はおもむろに立ち上げり、スタンドの最前列に歩き始めた。
「何するんですか?」
「目を覚まさせるんだよ。それに、晴馬もこれで踏ん切りがつくだろう。君も近くにいてあげて」
桜井先輩に言われるがままに、晴馬君の背中を追った。
座っていた応援団が晴馬君を発見し少しざわめいている中、彼は最前列のフェンスに手をかけると大きく息を吸い上げた。
「けんごーーーーー!」
両チームの応援団が静まり、球場は一気に静まり返った。
なんの音もしない。怖いくらい静まり返るその時だった。彼の声が大きく私の中で広がっていく。
「撮れ!撮れ!今の俺を撮ってくれ!」
ようやく聞こえたその声は、エースを背負っていた彼ではなく、ケガで落ち込んだ彼でもない。自ら壁を乗り越えて、自分自身と向き合って、成長した彼の声だった。私は急いでカバンからカメラを取り出し、彼の横に位置を取り、シャッターを絶え間なく切り続けた。
「俺の真似をするな。お前にはお前の投球があるだろう。エースは・・・」
「おまえだーーーーーーー!」
かつてのエースの声に球場全体が静まり返った。一塁側のベンチにいた監督もこちらに顔を出していた。
こちらを見て固まっていた戸田君がにっこりと笑いこちらに深々と一礼した。
しばらくすると元通り、球場は歓声に包まれた。
ふう。と一呼吸置くと晴馬君は、観客席にいた応援団に会釈をしながら元の席に戻っていった。
「ありがとう。多分もう大丈夫だろう」
俺が席に戻ると桜井先輩がおれの頭をなでてきた。
「やめてくださいよ。子供じゃないんだから」と先輩の手を振り払った。
「お前はだいじょうぶか?」
「固執してました。正直まだあのマウンドに立てるのうらやましいと思いますよ。でも、俺は足踏みじゃなくて前に進みたいんです。あかりにたくさんの事を教えてもらいましたから、大丈夫です」
「そうか、それなら一安心だな」
「まだなにか不安要素があるんですか?」
「ん?あとはお前らの恋が成就することかな」
おいこら、何を言ってるんだと先輩の口を急いで塞ぎ隣を見るとあかりがいなくなっていりことに気づいた。あれ?と思っていると、あかりは席に戻ってきた。
「トイレでも行ってたのか?」
「バカかね君は。君の隣で写真を撮ってたじゃないか」
全然気が付かなかった。
「君の声、確かに写真に収めたよ」
「そうか。それはよかったよ」
あかりが何のことを言っているのかはわからなかったが、その顔を大満足と言わんばかりの満面の笑みだったのでとくに突っ込まなかった。
試合はその後、しばらくの均衡状態から味方打線が爆発した。健吾はというと調子を取り戻したようだ、彼らしい緩急をつけたピッチングに相手は翻弄され、五回以降はランナーを出さずに5―3で勝利した。
試合が終わり、両チームが整列しているころ、俺は腰を上げた。
「ちょっと恥ずかしんで、もう帰りますね」
隣にいた桜井先輩に声をかけ、あかりの手をぎゅっと握りしめた。
「みんなに声かけないのか?」
「もうおれの掛け声なんて必要ないですよ。それに、デートの途中だったので、続きを楽しんできます」
「そうか、じゃあまたな」
桜井先輩に軽く会釈をして、球場を後にした。
「よかったの?」
「なにが?」
「みんなと話さなくて」
「もう俺は必要ないだろ。元エースとしても、被写体としても」
「え?」
「いい写真撮れたんだろ?」
「撮れたけど・・・でも・・・」
「それならいまから目いっぱい遊ぼうぜ」
すこし肌寒くなってきた秋の風を感じながら、俺はあかりの手を握りしめて前へと歩みだした。
いつもだったら極力知り合いに会わないようにとうつむいて歩いていた。でも今は違うまるで別世界に来たように体が軽かった。昨日までの俺はきっと、呪縛に取りつかれていたんだと思う。目に見えない何かが、おれにとりついていた。
あかりは言っていた。みんなの声援を俺が勝手に悪口だと解釈していると。思い返せば
みんなおれの味方だった。マウンドで頑張り続けた俺に、冷たい言葉や視線を向けたものなどいなかった。そう思うと自然と足取りは軽くなっていったし、いつもよりは胸を張って歩けていると思う。
「おう晴馬久しぶりだな」後ろから桜井先輩が駆け寄ってきた。
桜井先輩にもずいぶんと心配をかけたかもしれない。この人は一番心配をしてくれていた。
「桜井先輩、おはよございます」
現役時代さながらの大きな声であいさつをすると、近くを歩く生徒が白い目でこちらを見ていた。今の俺にはそんなことなんて気にもならなかった。
「元気でたんだな。よかったよ。」
「おかげさまで、いろいろとご迷惑とご心配おかけしました」
「心配はしてたけど、迷惑は掛かってないから大丈夫だよ。肘の調子はどうだ?」
「もう大丈夫です。もちろん野球はできないっすけど」
昨日病院に行っていたことが不思議なくらいおれの肘はなんの違和感もかんじていなかった。先生が言った通り、あかりと話したら痛みは引いて行った。
先生も気が付いていたのだろう。肘の痛みの原因が精神的なものであると、そして解決の糸口にあかりがなるということも。
案の定俺はあかりに救われた。
「そうか、部活はこれそうか?健吾の奴が結構悩んでるらしくてさ、晴馬が嫌じゃなければ、アドバイスしてやってほしいんだ」
この間の試合で健吾のピッチングは見た。数か月前までのあいつとは大違いなピッチング。まるで俺を真似したようなピッチング。それはあいつができる芸当ではないことは、本人が一番わかっているはず。エースが不在となった今。あいつはあいつなりに背負うものが増えて苦しんでいるんだと思う。アドバイスできることはあるが、正直おれがアドバイスするのは角が立つと思う。だからあえて俺からあいつのピッチングに対して言うのはやめようと思っていた。
「いま、自分がやってることがひと段落したら、いけると思います」
「ふーん。なんか新しいことやってるの?」
「ちょっとした手伝いですよ。文化祭終わったら顔出せると思います」
「例の女の子か?」
桜井先輩はまるでおちょくるように俺の顔を覗き込んできた。
「あいつと知り合いなんですか?」
「お前らいっつも一緒にいるじゃんか。付き合ってるんだろ?」
「まだ付き合ってないですよ!」
「へー。まだね」
意味深なにやけ顔を披露されたが、いまさらになって隠す必要もない。俺たちはもうそのくらいの仲になってるんだから。
「今週の土曜日に秋季大会の一回戦がある。よかったら見てやってくれ」
毎年高校生の大会は夏の甲子園に注目が集まりがちだが、秋季大会は新チームでの初めての公式戦となる舞台のため、選手にとっては一番緊張する大会と言っても過言ではない
「わかりました。いけたら行きますね」
「よろしく」
そう答えるとじゃあと先輩は走って去っていった。もう校門まで来ていたのだ。
昇降口に入ると、健吾がため息をつきながら上履きに履き替えていた。
「おはよう健吾」
「おう、お前メッセージ返せよ」
そういえば繰り返し来ていた健吾からのメッセージはいまだに返信していなかったことを今になって思い出した。
「ごめん、普通に忘れてた」
本当に忘れてたけど、そのほとんどは既読無視したものだからほんとうではないかもしれない。
「まあ、いいや。ケガで休んだのか?」
「うんまあ。そんなとこだな」
昨日までの俺は、みんなが憐みの目で見ていたり、みんなの発言がさも俺を否定するかのような改ざんをしていた。だからみんなが怖くて怖くて仕方がなかった。
でも、思い返してみると、健吾の発言は、改ざんされていない・・・。
なぜか健吾の声だけは直接おれに届いていた気がする。本当に信頼していたんだと実感した。
「まあ、なんかあればまた相談してよ」話しているうちに教室に到着し、自分の机へと歩き出そうとした健吾の腕をつかんだ。
「お前は、おれに相談したことないのか?」
正直今の俺に健吾に対してできることが思い浮かばなかった。
「なんだよ急に。なんかあったら相談してるよ」
へらへら笑いながら自分の席に戻っていく健吾に少し腹が立った。もう少し頼ってくれてもいいのにと。
ただ同時にはっと気づいた。そうだ・・・。
おれもあいつになにも相談しなかったな。悩んでいる自分を健吾に悟られたくない。たぶん今のあいつも過去の俺と同じような境遇なのだろう。エースの意地。おれにもよくわかる。
秋季大会までに立ち直ればそれでいいし、立ち直らせれる人物が俺である必要はない。
それに今はあかりの作品展が優先だ。
文化祭までの時間も限られている。はやくあかりの被写体として・・・とも思ったが、
これに関しても、俺にできることはなかった。
もやもやとした気持ちを引きずりながら一日を過ごす羽目になった。
昼食の時間、いつも俺は教室で弁当を食べる。健吾とほかの部員たちと一緒に食べていた。だが、けがをして以降はおれは昼食は食べないで過ごしていた。
みんなの前でひょうひょうと暮らしていることに後ろめたさがあったからだ。
健吾は毎度俺の事を誘ってくれていた。断られるのが分かっているのに毎日だ。正直うっとおしいと思っていたこともある。それでもあいつは俺が孤立しないように頑張ってくれていた。
そして、今日もかわらず誘ってきてくれた。ほかの部員の方を見てみると俺に向かって手招きをしていた。いつもそんな風に俺を見ていてくれてたのかな?そんな連中を無視し続けていた自分の行動に心が痛んだ。
「今日は、一緒にたべるよ」
「おう、早く来いよ」
みんなが待つ机まで行き、開いている椅子に座った。、みんながニコニコしながら俺を迎え入れてくれた。そうだった。こいつらみんな優しい奴だったなと思い出した。
昨日までの関係地なんて嘘みたいに、久々に弁当をみんなで食っちゃべった。
学校ってこんなに楽しかったんだな。改めてあかりには感謝しなければならない。
「そーいえば、こないだ飯島と話したよ」と健吾がにやにやしながら俺に言ってきた。
「んで?」
「お前の事を先輩とか顧問とかが恨んでないか聞かれた」
ああ。それであいつはおれが本来とは違う声を記憶しているって気づいたのか。勘が鋭いとは思っていたが、ここまで来ると恐怖すら感じてくる。
「なんかあったん?」
「まあいろいろな。でももう大丈夫だと思う」
精神的に病んでいたことはみんなには話さないでいた。自分の弱い姿をさらすようで恥ずかしかったし、ただでさえケガで心配をかけしまったから。
「それより新チームはどうなんだ?」
露骨に健吾の顔が曇った。ほかの部員を見てみると同じように顔色が曇っていた。
「まだ、いろいろ大変だけど頑張ってるし、大丈夫だよ」
健吾は無理くりに笑顔を見せつけてきた。
おれもかつてはエース番号を背負ってきたからわかる。健吾はこのままではつぶれる。
エースはチームの中心だ。外側だけ見れば、華やかな、誰もが憧れる場所だと思われがちだが、実際にエース背番号を背負ったものにしかわからない苦悩というのは確かに存在する。
チームが打てなかった日でも、チームメイトが失敗した日でも、必ず負け星はエースに記録される。もちろん、逆もある。
チームにいかに救われようとも、勝ち星はエースにつく。
ただいまの健吾にはその勝ち星が遠い。それゆえ自分自身を責めてしまう。それが一番楽だから。
だからと言って、今の俺が健吾に勝ち星を与えることはできない。俺にできることはない。俺が何かをするのは多分健吾のプライドを傷つけてしまうから。
健吾がトイレで席を立ったタイミングでチームメイトに放課後顔を出すように頼まれたが、断った。
大会を控えた大事な時期である今。俺が部活に顔を出して変にかき乱してはまずい。
俺がそうだったように、野球はメンタルとかなり直結しているから、余計なことはしたくなかったし、健吾からお願いされたわけでもないから、今はそっといておくことにした
文化祭まで残り2週間となった土曜日。俺はあかりとカフェで一緒に過ごしていた。あかりは相変わらず俺を被写体にして撮影をしていない。たまに、急に撮られることはあるが、やっぱり駄目だなと言って一向に撮影に前向きにならなかった。満足していないあかりに対して、俺自身も焦りを感じていた。被写体のおれにできることはないけれど、それでもマイペースなあかりをせかしたりはした。
一度は挫折を経験したからこそ、彼女の作品展は絶対に成功してほしいと思っていた。まだ、時間があるし、やれることがあるのだから。
「視力はどうなんだ?」
あかりは視力の話題を嫌がるそぶりを見せないが、よくなるわけでもないから俺はあまり聞かないでいた。
「うーん。文化祭まではもってほしいけどね」
「そんなにぎりぎりの状態なのか?」
「それがわからんのだよ。今年が限界とは言われているけども・・・」
「ならはやく撮らないと」
「大丈夫だよ。きっと声が聞こえるから」
「それは風景だよな?俺の声なんて聞こえないだろ」
あかりはなにか俺に隠し事をするように下を向いてしまった。
「今日はどっかで撮影するのか?」
「今日は何の日か知っているかい?」
頭には浮かんだが多分違うから口にはしなかった。
「わからん。なんの日だ」
「そうかい。なら黙ってついてくるんだな」
あかりの家がある商店街から、バスを乗り継いで約30分で到着した。やっぱりな。
そこは、俺がケガをした夏の大会が行われていた球場。そして今日うちのチームが秋季大会で戦う会場だ。
前までの俺だったらすぐにあかりをにらみつけていただろう。ただ、あかりはきっと俺の事を考えてここに連れてきてくれていると思う。
既に試合は始まっているのだろう。球場の外にまで歓声が轟いていた。秋季大会は夏に比べれば、小規模だが、実際応援団は本格的に応援をする。うちの学校は応援団も吹奏楽部も、地方大会では参加しない。夏に甲子園に行ければ来てくれるらしい。
来てるとすれば、先輩たちと保護者くらいだ。ならば、この歓声はきっと敵チームの応援団だろう。
けがの事を思い出すと、少し躊躇してしまったが、隣にいたあかりが俺の手をぎゅっとつかんで、球場の中へと連れて行ってくれてた。
「まだ、こわい?」
中に入り、観客席につながる通路を歩いているとあかりが急に立ち止まり、俺の顔を除いてきた。
「こわいよ。だから、手離すなよ」
正直に言えば怖くはない。もう俺が立てないマウンドだってことはわかっているから、ただ、あかりとつないだこの手を放したくなかったから嘘をついた。我ながらはずかしいと思っていると。
「しかたないねー。じゃあ行こうか」
俺の手を再度ぎゅっと握りしめて、俺たちは観客席へと足を進めた。
一塁側のベンチには保護者や先輩たちベンチ入りできなかった一年生、桜井先輩もいる。最前の席ではあかりのお父さんがカメラを構えていた。総勢30人ほどの応援団だ。
一方で三塁側を見てみると100人以上はいるだろうか、応援団と思しき集団や、ベンチ入りできなかったメンバーも相当数いるようだ。応援合戦ではあきらかにうちのチームは不利だった。
「私たちも、あそこに混ざろうか」
私は一塁側の観客席を指さし君の手を引いた。
幸い、みんな応援に夢中で私たちには気づいていなかったので、私たちは後方の方で静かに試合を見守っていた。
後方のスコアボードを見ると、いまは5回の裏で3―0で負けていた。
「ずいぶん辛そうだな・・・」
晴馬君がポツリとつぶやいた。
「解説してよ」
正直野球はあんまり詳しくはない。ルールはわかるけど。
「エースは、絶対的な存在だ。負けを許されない。だからこそ重圧がすごいんだ」
肩で息をしている戸田君を見つめながら語ってくれた。
「あいつは、その重圧に耐えれないんだろうな。本来のピッチングがいかせていない」
「緊張してるってこと?」
自分でもすっとんきょなことを言ってしまったなと思った。
「違うな」
私たちの座るベンチの上から声が聞こえた。見上げると、見覚えのある人。桜井先輩だ
さっきまで、前方に座っていたはずなのにいつの間にか私たちの後ろにいた。
「あいつはたぶん、晴馬の真似事をしようとしているんだろうな。あいつの目標がお前のようなエースピッチャーになることだったから」
晴馬君の横に腰を掛け、晴馬君の肩に手を置いた。
「バカみたいですね。あいつにはあいつの良さがあるのに」
「それにあいつは気づいていないんだよ。あいつの中でのエースはお前なんだからな」
「なんとかならないんですか?」
晴馬君と桜井先輩に質問をめがけると、
「できることはあるさ」
「何ですか?」
私が食い気味に聞く。さっきからこちらの観客席は盛り上がっていない。一方で三塁側の観客席はおおいに盛り上がっていることにすこし苛立ちを感じていた。
「なあ、晴馬」
桜井先輩は健吾君がたつマウンドを指さした。
マウンド上では、内野のメンバーが集まり、グローブで口を隠しながら何かを話している。
「そうですね。行ってきます」
晴馬君はおもむろに立ち上げり、スタンドの最前列に歩き始めた。
「何するんですか?」
「目を覚まさせるんだよ。それに、晴馬もこれで踏ん切りがつくだろう。君も近くにいてあげて」
桜井先輩に言われるがままに、晴馬君の背中を追った。
座っていた応援団が晴馬君を発見し少しざわめいている中、彼は最前列のフェンスに手をかけると大きく息を吸い上げた。
「けんごーーーーー!」
両チームの応援団が静まり、球場は一気に静まり返った。
なんの音もしない。怖いくらい静まり返るその時だった。彼の声が大きく私の中で広がっていく。
「撮れ!撮れ!今の俺を撮ってくれ!」
ようやく聞こえたその声は、エースを背負っていた彼ではなく、ケガで落ち込んだ彼でもない。自ら壁を乗り越えて、自分自身と向き合って、成長した彼の声だった。私は急いでカバンからカメラを取り出し、彼の横に位置を取り、シャッターを絶え間なく切り続けた。
「俺の真似をするな。お前にはお前の投球があるだろう。エースは・・・」
「おまえだーーーーーーー!」
かつてのエースの声に球場全体が静まり返った。一塁側のベンチにいた監督もこちらに顔を出していた。
こちらを見て固まっていた戸田君がにっこりと笑いこちらに深々と一礼した。
しばらくすると元通り、球場は歓声に包まれた。
ふう。と一呼吸置くと晴馬君は、観客席にいた応援団に会釈をしながら元の席に戻っていった。
「ありがとう。多分もう大丈夫だろう」
俺が席に戻ると桜井先輩がおれの頭をなでてきた。
「やめてくださいよ。子供じゃないんだから」と先輩の手を振り払った。
「お前はだいじょうぶか?」
「固執してました。正直まだあのマウンドに立てるのうらやましいと思いますよ。でも、俺は足踏みじゃなくて前に進みたいんです。あかりにたくさんの事を教えてもらいましたから、大丈夫です」
「そうか、それなら一安心だな」
「まだなにか不安要素があるんですか?」
「ん?あとはお前らの恋が成就することかな」
おいこら、何を言ってるんだと先輩の口を急いで塞ぎ隣を見るとあかりがいなくなっていりことに気づいた。あれ?と思っていると、あかりは席に戻ってきた。
「トイレでも行ってたのか?」
「バカかね君は。君の隣で写真を撮ってたじゃないか」
全然気が付かなかった。
「君の声、確かに写真に収めたよ」
「そうか。それはよかったよ」
あかりが何のことを言っているのかはわからなかったが、その顔を大満足と言わんばかりの満面の笑みだったのでとくに突っ込まなかった。
試合はその後、しばらくの均衡状態から味方打線が爆発した。健吾はというと調子を取り戻したようだ、彼らしい緩急をつけたピッチングに相手は翻弄され、五回以降はランナーを出さずに5―3で勝利した。
試合が終わり、両チームが整列しているころ、俺は腰を上げた。
「ちょっと恥ずかしんで、もう帰りますね」
隣にいた桜井先輩に声をかけ、あかりの手をぎゅっと握りしめた。
「みんなに声かけないのか?」
「もうおれの掛け声なんて必要ないですよ。それに、デートの途中だったので、続きを楽しんできます」
「そうか、じゃあまたな」
桜井先輩に軽く会釈をして、球場を後にした。
「よかったの?」
「なにが?」
「みんなと話さなくて」
「もう俺は必要ないだろ。元エースとしても、被写体としても」
「え?」
「いい写真撮れたんだろ?」
「撮れたけど・・・でも・・・」
「それならいまから目いっぱい遊ぼうぜ」
すこし肌寒くなってきた秋の風を感じながら、俺はあかりの手を握りしめて前へと歩みだした。

