君のシャッターが俺の終わりを止めるまで

無意識でも聞こえてきた風景の声が聞こえなくなった。きっかけはわからない。
再生を意識して風景を見ていたら、自然と声は聞こえなくなってしまった。
 すごく焦った。こんなこと一度もなかったのに。もう聞こえないのかもしれないと思った。風景の声が聞こえることがきっかけで私の目は視力を失った。私の視力がもう限界だから声が聞こえなくなったのかもしれない、そんなことしか思いつかなかった。
 先生には相談できなかった。がっかりされると思ったから。
 季節は夏真っ只中、アスファルトに照り返す熱が、私の体力を徐々に奪っていった。
 学校は夏休み期間中で、私は雨の日以外は基本的に外を練り歩いていた。
 幸い、友達なんていなかったから夏休み期間中は、じっくりと課題に打ち込む時間があった。焦る気持ちとは裏腹、声は聞こえないし、再生というテーマに沿った写真も何を取ればいいのか全然浮かばなかった。
 今までの自分がいかに声頼りだったのかを痛感する。声が聞こえない今、何を撮っていいのかもわからなかった。
 今日も家から少し離れた場所に来ていた。確かお父さんが今日この辺で仕事だって言ってた気がする。うちの高校の野球部の写真を撮るらしい。野球部があることは知っているけど、強いのか弱いのか全然知らなかった。
 塗装された道をとぼとぼ歩いていると、歓声が聞こえてきた。
 球場の近くまで来たらしい。そのまま球場を通り過ぎようとした時、私の周りから音が消えた。
 静寂。さっきまで聞こえていた歓声も、近くを通る車の音も、うざったらしいくらいうるさい蝉の鳴き声さえも聞こえない。
「撮れ!撮れ!撮れ!撮れ!俺を撮れ!」
 それは確かに私の頭の中に響き渡った。久々の声が聞こえた。カメラをカバンからとりだすも、声の主がここにはいないことに気が付いた。
 球場だ。
 私は、熱い試合をしているであろう球場に走っていった。
 今まで聞いたことのある風景の中で最も苦しそうな声で、今にも消えてしまいそうなか細い声で、でもその声は確実に私に届いた。
 球場に入り込むと観客席と書かれた順路に従い、観客席へと入っていった。
 どうやら、三塁側の観客席。近くの席では懸命に声援を送る、応援団やベンチ入りできなかったメンバーが、メガホンを片手に大声で声援を送っていた。
 彼らの胸元に書かれたがローマ字の学校名を見る限り、こちらは私の高校のチームの応援団ではなさそうだ。
大きなネットの向こう側では、試合の最終局面を迎えているようだった。
 グラウンドを見渡すと、うちの高校の生徒とおもしき選手たちがグラウンドを守っていた。背後にあるスコアボードを確認すると、九回の裏で一点差。ランナーもいるからかなりきつい状況だというのは素人の私でもわかる。
 マウンドに立つ選手を見つける。確信。あのひとの声だ。あの人の声が聞こえているんだ。
 急いでホームベース側の観客席に向かって走り出した。
 球場から「あと一球、あと一球」という掛け声が聞こえる。
 私はなんとか目的地までたどり着き、カメラを構えた。
 ちょうどピッチャーが投げ込む瞬間。なんども繰り返しシャッターを切り続けた。
 カキーンという金属音が鳴り響き、相手ベンチが完成を上げていたが、そんなことには目もくれず、私はシャッターを切り続けた。
 ピッチャーの人がマウンドで倒れこんで肘を抑えている。
 私は一心不乱に写真を撮り続けた。
 打ったバッターがガッツポーズを決めながらダイヤモンドを回りきると、両チームがホームべス前に整列して、挨拶を済ませた。
 挨拶をし終えた選手たちは、再びピッチャーの人のもとに集まっている。監督であろう先生が焦った様子でいろいろな人に指示を出している。
 一塁側の観客席もあわただしい、マネージャーの子が観客席に座っていた女性と話している。話を聞いた女性が急いで観客席を後にしていく。大けがをしたのかもしれない。
 もう一度、声の主にカメラを向けると。
「撮るな!いまの俺を撮るな!」例の声が聞こえてきた。
 さっきよりもはっきりと悲しみにあふれたその声が私のシャッターをはっきりと拒絶していた。
 私はそれ以降はシャッターを切るのをやめた。もう声は聞こえなくなっていた。
カメラの液晶を確認するとマウンドでうずくまる君の姿が残っていた。
カメラをカバンにしまい静かに球場を後にした。

 夏休みがおわり、始業式がある今日。私は職員室へ来ていた。美術の先生に進捗の報告をするためだ。
 職員室に入り、美術の先生のもとに行く。
「どうだい?とれたかい?」
 まるで何かを期待するような表情。
「実は、まったく撮れていません。スランプです」
 声が聞こえなくなったことは言わなかった。がっかりされたくないから。
「そうか、まだ時間はあるから焦らずゆっくりで大丈夫だ」
「わかりました。頑張ります」
「実際のレイアウトや選出する写真は私に任せてもらえるかな?」
 正直私は自分の写真がなぜ評価されているかもわからないから、選出などできないし、レイアウトなんてやったことないし考えたくもなかったから助かった。
「君は再生に集中すれば大丈夫だよ」
 先生はそう言うと、行っていいよと私に手を振った。
 職員室を出ようとした時、右ひじを抑えた生徒とすれ違った。ユニフォーム姿じゃないけどすぐに分かった。あの時の声の主だ。肘を抑えていたが、試合から一か月近くも立っているのにまだ痛むのか?それほど重症だったのだろうか?
 職員室からでて、右にずれてその場で立ち聞きをした。どうやら野球部の監督の先生と話しているようだ。幸い、ドアからそう遠くはなかったので声は廊下まで届いていた。
「無理はしなくていいからな?ケガが安定したらでいいからな。みんなまってるぞ」と監督が優しく声をかけていた。すこしドアから顔をのぞかせてみると君はどんよりと曇った顔で監督の励ましを受け止めていた。
 一度話してみたいなと思ったが、他人にあんまり関心がない私は、君が誰なのかわからないし、男の子と話すのは緊張するから恥ずかしいしで、結局君に話しかけることができなかった。なんて話しかければいいかもわからなかったし。
 放課後になると、私はとぼとぼと昇降口で靴に履き替えていた。このまま写真がとれなかったらどうしようと焦っていたか。いままで声が聞こえなくて悩んだことなんてなかったから、自分でもどうしていいかわからない。
その時、昇降口から野球部の子が走ってグラウンドに行く姿が見えた。きみへのアプローチの方法はわからないけど、ひとまず様子を伺うためにグラウンドの方へ歩き始めた。     
グラウンドではベンチ周辺で運動をする人達とグラウンドの周りを走っている人たちとで分かれていた。
グラウンドの周りには緑色のネットが貼られているから、見ていてもバレないが、ホームベースから距離があったので、よく選手の顔が見えなかった。このままでは君の事を見つけられないと思ったところで、奥にそびえたつ旧校舎が目に入った。
一度も入ったことがない、近づいたことすらない旧校舎の屋上は、このグラウンドを見渡すにはうってつけの場所だった。もしかしたらまた声が聞こえるかもしれないなんて少し期待をしながら、行ったことのない旧校舎に足を運ぶことにした。
 埃臭い旧校舎をゆっくりとのぼり進めると、やがて屋上へと続く階段を見つけた。黄色のプラスチックでできたチェーンがかかっていたが、それは簡単に外れたので、すぐに屋上に出ることができた。
 バタンとしまったドアに少しだけ不安を感じ、ドアノブを回すと、案の定ドアは開かなかった。
「え、うそでしょ」
 こんなところに閉じ込められるのはまずい・・・。
 しばらくドアノブをいじるとガチャっと音をたててドアは開いた。どうやらドアノブが壊れているらしく。回すと開かなくなり、回さないでそのままドアを引けば開く仕組みになっているようだ。万が一のために何度か繰り返し開け閉めを繰り返したが、仕組みに間違いはないようだ。
 ほっとしてドアを締め切りる。屋上からの風景に耳を傾けるが、何にも聞こえない。
 がっかりしながら、グラウンドの方を見てみると、野球部が練習を始めていた。
 あの中に彼はいるのかな?自然と彼を探していたが、みんな帽子をかぶっているから顔が見えないし、右ひじをかばっている人が見当たらないので、多分いないだろう。
 しばらく、西日を堪能したが、成果がないのでそろそろ帰ろうかと思っていたところでダンダンと階段を駆け上がる音が聞こえ、いきなり屋上のドアが開いた。
 やばい・・・怒られる・・・めんどくさいな・・・と思っていると
「き、きみ。なにしてるの」
 一瞬でわかった。声の主だ。
「君こそ何をしているのかね?ここは立ち入り禁止だよ?」
 必死で冷静な雰囲気を演じてみた。
「下から見て、君が飛び降りるんじゃないかと思って」
あははっと声を出して笑ってしまった。彼は私が自殺するかもって心配してくれたんだ
わざわざこんなところまで来てくれるなんて、優しいひとだな。
「いま集中したいから少し待ってくれるかな?」
 首にかけていたカメラを夕日に染まる街に向け、パシャパシャと撮影をした。いま顔を見られたら、私は多分冷や汗と焦り顔で君に変な印象を与えかねないから。
「ここから見える夕焼けはかなり絵になるんだよ」
「え?」
「だーかーら。これ」
 冷や汗が額から消え去ったころ合いで私はくるりと彼に向かって振り向いた。カメラを指さして、彼にアピールをした。
「つまり、ここには、写真を撮るためにいるってことかな?」
君の顔をみればわかる。不思議ちゃんだといわんばかりのがっかり顔。どうやら君は顔
にでるタイプのようだ。
「そうだね。写真を撮るのが好きなんだ。だから、死ねないね」
高揚していた。まさか彼から来てくれるなんて。
「ごめん。じゃましたな」
勘違いして、照れているのだろうか?耳が真っ赤に染まっている。
彼は足早にこの屋上から出ていこうとしてる。待って、もっと話したい。そう思っていると私は彼の肩をつんつんしていた。
 自分にこんな積極的な部分があったのかと驚きながらも、呼び止めてしまったからにはと、私は彼に背を向けて、距離を撮ったのちにカメラを構えた。
パシャッと音を立ててカメラからまばゆい光が放たれる。
「・・・何してんだよ」
「絶望してる顔って、意外と光を吸い込むんだね。モデルになってよ」
 どうしてぼ君ともっと話したいと思った私は、とっさに変なことを口走った。でもそれは、本当に君を見て思ったから。それに不思議ちゃんらしい言葉だったから。
 彼の声が聞こえたことは偶然とは言えない。きっと彼は私にとってほしいと願っているんだと思った。
「君さ、私の事助けようとしてくれたんでしょ?なら、助けてほしいね」
「どうゆうことだよ」
「君のいまの顔、すっごく負のオーラがでているの、そんな人間にしか出せない光を君はいま放っているんだよ」
オーラなんて見えない。適当なことを言っている。でもそこまでしても彼を引き留めたいと思った。
「ここ最近、いい被写体がなくてね。困っていたんだよ。だからこんな埃臭い旧校舎に来てまで、被写体を探していたんだけどね。そんなとき、君が現れた」現れてくれた。
「こんなところに被写体なんていないだろ」
「いるじゃないか。ここに」
「俺が来るのがわかっていたのか?」
「まさか、これでもかなりおどろいているんだよ」
 そう、もはや運命とすらも感じてしまうほど驚いている。
「じゃあ一体何を探してたんだよ」
「私は風景を被写体にしているのだよ」
彼はため息交じりにじゃあと言って、私に背を向けた。そのままドアノブに手を伸ばしていた。でも大丈夫。そのドアノブは回すと開かない。それは私だけが知っている。
「このドア、最初はビビるよね。開け方にコツがいるんだよ」
「どうすんだよ。閉じ込められたぞ」
「大丈夫だよ?」
「・・・どうすればいいんだよ」
「簡単な話だよ?君が私に協力することを了承する」
「俺は扉の開け方を聞いてるんだよ」
「だから、私の被写体になってくれたら教えてあげるって」
「おまえ・・ずるいぞ」
「さあ、どうする?」
「わかったよ」
 顔色でわかる。この人も私の事不思議ちゃんだと思ってる。だから、この場しのぎの嘘をついている。でもいい。私ならあなたの最高の一枚を撮れる、撮ってみせる。
「よおし。じゃどいて」
 先ほどと同様、ドアノブを回さずに押すとドアは簡単に開いた。
「どうやったんだよ?」
「またここにくるの?」
「まあいいや。じゃあな」
 彼は私を残し屋上を出て行ってしまった。
 ほんの数分の出来事だったけど、運命を感じるほどの出来事だった。
 しばらくして屋上から南側の校門を見ていると彼が門をよじ登っているのが見えた。その後彼がこちらを一瞬見上げたので、全力で手を振っておいた。無視されたけど。
「名前・・ききわすれちゃったな」
 それが私と晴馬の初めての思い出だった。

 翌日私は彼を待ち伏せすることにした。
 放課後また屋上に来てもらうためにだ。それに私が念押しをしないと彼は来てくれないと思った。ようやく見つけた再生の糸口を手放すわけにはいかなかった。それにたぶん声が聞こえる私にしか君は救えないと思ったから。
 校門に現れた君はすごく嫌そうな顔をした。私と絡んでいるところを誰かに見られたくないんだろうな。それでも勇気を振り絞って放課後また屋上にくることを約束してもらえた。多少の脅迫はしたけど・・・。
 君は少し怒っていたようだけど、そんなの気にしない。それでまた会えるなら安いもんだ。
 放課後急いで屋上に行った。行く途中で理科室から椅子だけ拝借しておいた。きっと長話になるだろうと思ったから。
 君が来たとたん写真を撮った。声は聞こえてないけど、なんとなく撮りたかったから、少しでも多く君を写真に残しておきたかった。
 君はまたしても嫌そうな顔をした。私に会うたびにそんな顔するもんだから少しショックだったけど仕方ない。
 改めて君に被写体になってほしいとお願いした。脅迫はしない。真剣だから。
 君のことを私に救わせてほしいと心から願った。
 君はやっぱり断ってきた。優しく断ってきた。でもめげない。
 これは君にとっても大事なことだから。だから説得した。イチョウ並木公園の事を話して、君がもがいていること、そんな君の心に開いた穴を私が塞ぐといって。
 君は了承してくれた。納得はしていなかったかもしれないけど、それでも優しい君は私に協力してくれると言ってくれた。
その次の日には、家に招いた。野球以外の事を考えれば、心の隙間を埋めれるんじゃないかと思ったから、だから、私に興味を持ってもらえるように家に招いた。両親は彼氏を連れてきたんじゃないかと大騒ぎしていたが、そんなんじゃない。
でも、やっぱり駄目だった。写真を見せても興味なさそうだし。
それに、部屋に君と二人っきりでいるのは私も恥ずかしい。我ながらぶっ飛んだ行動だと反省した。お母さんが作ったからあげをたくさん食べてたから、なんだかほっこりした気持ちに包まれた。お父さんは君たちの活躍っぷりをよく知っていた。いつも写真を撮りに行っていたから。それを本人の前で高々と自慢をしていた。もちろん君がケガをしたあの試合のことも・・・。
 お父さんは知らないだろうけど、私もあの場にいたからよく知っている。そして彼の声を聴いているから、彼の辛さはよくわかっているつもりだった。
 その日以降、私は放課後の時間のほとんどを君に費やしていた。もっとたくさん私の事を知ってもらおうと、いろいろ連れまわしたり、たくさん話した。
 いくら耳を傾けても君の声は聞こえてこなかった。

 ある日いきなり彼から話しかけられた。
「飯島」
 そちらを振り向くと、野球部の戸田健吾がいた。
 戸田君は晴馬君と仲良しだから、よくつるんでるのを見かける。私も割って入ったりしたことがあるから知っているけど、二人で話すのは初めてだった。
「お前なんで晴馬に付きまとってんの?もしかして付き合ってる?」
「そんなんじゃないけど、説明するのは面倒」
 戸田君はよく私を睨んでくる。晴馬君を盗られたと思っているのだろうか。
「そうか。あいつ、お前といるとなんだか明るいんだよな。俺ら野球部と話すときはいつも暗いからさ」
 晴馬君はいまだに自分を責め続けている。確かに私は頑張っているから、晴馬君は私といるとき笑顔が多くなってきた。でも、心の奥底に眠っている真っ黒な感情はしまったまま。
「聞きたいんだけど、監督とか先輩とかって、晴馬君の事恨んでるの?」
「なんで、そんなこと聞くんだ?」
 晴馬君は以前、ケガをした時のことを話してくれたことがあった。彼曰く、いままで優しかったみんなが急に怖くなった。俺を叱責するようになった。監督も変わった。
 だからみんなはあの日以降俺の事を恨んでいるんだと・・・。
「晴馬の事を恨んでいる奴は一人もいない。俺が保証する。先輩も監督も心配しているよ。もちろん現役の部員たちもな」
「そっかありがとう」
 声だ。
 きっと彼には違う声が聞こえているんだ。
 それなら声が聞こえないようにすればいいんだ。
 私は、なんで声が聞こえなくなったんだっけ?わかんないや。
 とにかく野球以外の音をたくさん聞かせてあげよう。
 そう考えた私は、君を廃線路に連れて行った。
「耳を澄ましてごらん。バットの音以外にも、世界にはいい音がたくさんあるよ。君の耳はケガに侵されている」
 君が何を感じてくれたかはわからないけど、なんだか苦しむ君を見てると私もくるしくなってきて、涙が出てきた。
 あの日君は私を力いっぱい抱きしめてくれた。うれしかった。だから救いたいと思った
 
 抱きしめられたあの日から数日後、うちの野球部が練習試合をすることを知った。クラスの部員の人が話しているのが聞こえたからだ。日曜日に学校からそう遠くない地方の球場で練習試合をするらしい。ここ最近はエースである戸田君が不調らしい。
 更に気になることを聞いた。戸田君はまるで晴馬君に取りつかれてしまっているらしい
 いままで背中を追ってきた相手がいきなりケガで引退を余儀なくされて、自分にチャンスが回ってきた。他人からすればチャンスが巡ってきたと思えるであろう。
 だが健吾君にとっては、ライバルであり親友であったエースがいきなりいなくなり、自分がその代わりをしなければいけないことに抵抗があったのかもしれない。自分らしさを捨てて、晴馬君の真似事をし、調子を悪くしているそうだ。
 野球のことはよくわからないけど、きっと彼らは彼らで背負うものがあるのだろう。チームのエースともなるとその背負っている想いはきっと大きなものなのだろう。
 わたしから戸田君にできることはないし、戸田君もそれを望んでいないだろう。
 でももし・・・晴馬君の言葉だったら?
 戸田君はきっと救われるし、晴馬君は今のエースの姿を見れば、野球に終止符を打てるかもしれない。
 彼に悟られないように海に誘った。野球部に試合を見に行こうなんて言ったら、多分君は来てくれないと思ったから。
 海につくと、君は穏やかな顔をして、私が撮影しているのを黙って待っててくれた。
 こんな穏やかな時間がいつまでも・・・。と思ったりもしたけど、いまのまま黒い感情を背負ったままでは、いつか君は心までもが壊れてしまうと思った。だから心を鬼にして君を球場へと連れて行った。
 その球場で今まさに自分のチームが試合をしていることなんて知らなかったんだろう
でも、球場に近づくにつれ、何かを察していたのか、すごく居心地の悪そうな顔をしていた。
 球場に到着すると君は私に対して叱責した。
 それはそうだ。ただ私の撮影の為に海にまでついてきてくれたのに、自分が見たくないものを見せられているのだから。
 怒りながらもマウンドを、戸田君を見つめる君の目を私は見逃さなかった。その目は、みんなに対しての憎悪などなく、ただひたすらにそこに戻りたいという、わがままな少年の目だった。
 一枚だけ撮った写真を撮ると、君はとうとう怒って帰ってしまった。
追いかけようか悩んだけど、いまの私は彼を説得できるほどの力はなかったし、少し冷静に自分自身を見つめてもらう必要があったから、私は君が帰る背中を目で追うことしかできなかった。
「晴馬帰っちゃったの?」
 球場の周りにそびえたつフェンスの前で途方に暮れていると、桜井先輩が話しかけてきた。
「いつも晴馬と一緒にいる子だよね?」
「はい、飯島って言います」
「飯島さんは、なにをしているの?」
 それは、君に対して何をしているのかを聞いていた。
「彼を救おうとしています。彼に協力をしてもらっているので、私も力になりたくて」
 桜井先輩はふふっと笑った後に球場の方へ顔を向けた。
「いま、マウンドに立ってるやつ知ってる?」
「はい。晴馬君のお友達ですよね?」
「ライバル・・・だね」
「私はよくわからないんですが、戸田君がいま晴馬君の真似事をして調子を落としていると聞きました。晴馬君が声をかければ、戸田君は救われるし、晴馬君もどこか野球に対して、踏ん切りがつくんじゃないかと思って無理やり連れてきたんです」
「ずいぶん荒療治だな」
 ふふっと笑いながら、私の方を向く。
「なんで、そこまでしてくれるの?」
 私は自分が君に感じていた感情を話した。
「晴馬君のことが好きだからです」
 私は、君のことがいつの間にか好きになっていた。君は肘。私は目。お互いに一番大切なものが傷ついている私たちはどこかひかれあうところがあったのだろう。
「そっか。あいつの事、頼むな」
 そう言い残し、桜井先輩はベンチの方へと歩いて行ってしまった。
 秋の涼しい風が私のほほを伝う。真っ赤になった私のほほと耳に気持ちの良い風を運んでくれていた。

 翌日、私は病院に行った。
 いつもの定期健診だが、先生の都合がつかないということで、学校を休んで病院に来ていた。
 いつもと変わらない検査をし、先生の話を聞く。
「あかりちゃん、どうだい?」
「そろそろ見えなくなるんだろうなって感じてます」
「そうだね・・・。薬の効果が出なくなってきているね」
「実際あとどのくらいでしょうか?」
「はっきりとは言えないが、一年は持たないかもしれないね」
 私はこの先生が好きだ。オブラートに包むということを知らないからだ。はっきりと偽りなく伝えてくれるから助かる。残り一年以内に私は失明する。ならそれまでに彼の再生を見届ければいいだけだ。
「幸い・・・というべきか。あかりちゃんの場合は準備ができる時間がまだあるからね。失明した後のことをいろいろと考えておこうね」
「専門外の事聞いてもいいですか?」
「なにかね?」
「例えば、精神的に負荷がかなりかかっている状態で、みんながかけてくれた声が、自分を責める声として記憶されることってありますか?」
「そんなことがあったのかね?」
「いえ、私じゃなくて友達の話です」
 そう、晴馬君の話だ。君が監督や先輩、チームメイトからなんて言われたのかは聞いているが、私にはにわかに信じれなかった。でも君が嘘をつく理由はなかった。
 桜井先輩とも話したが、そんなひどいことを言っているとは思わなかった。
 きっと精神的に追いやられて、聞こえてきた声を遮断して作り変えてしまっている。
「状況や精神状態にもよるが、可能性は十分にある」
「わかりました。ありがとうございます」
 先生に頭を下げて診察室を後にした。
 いま先生に聞いたことを君に伝えなくては。そして昨日撮影した写真を君に見せなくてはと思い、私は急いで学校に行った。
 昨日の今日だし、君は私からのメッセージを無視するだろう。それならばと、近くに置いてあった理科室の椅子で屋上のドアノブを叩き壊した。このドアは屋上側からは引かないと開かない。誰かの力なくしてこの状況から打破できない状態を作り出した。
 こわれてぽっかり穴の開いたドアをスマホで撮影し、君に送り付けた。
 こんな状況なら君はきっと来てくれるから。そして、やっぱり来てくれた。
「よう」
 君は穏やかな声色で声をかけてくれた。怒っているはずなのに。、
「ありがとう。すっごくこわかった。来てくれないのかと思ったよ」
 本当に来てくれないかもと思った。少し不安になった。
「来るつもりはなかったよ。でもなんか来なかったら後悔する気がした」
珍しく勘がいいなと思った。
「せっかく来たんだから少し話そう」
 転がっていた二つの椅子を並べてくれたから、私も腰かけた。
「昨日、試合があること知っていたのか?」
「もちろん、知ってたよ。お父さんが教えてくれた」
 一組の野球部の子が言ってたけど、後々の事を考えるとお父さんの方が都合がいいと思った。
「じゃあなんで俺をわざわざ連れて行った。わざわざチームの醜態を俺に見せつけてお前に何の得があるんだよ。おかげで俺は、同級生を不甲斐ないとまで思ってしまったんだ」
「いい写真とれたよ?」
「やっぱりな。お前は結局写真の事しか考えていないんだよ。俺を傷つけてまで利用したいのか?もう撮るな。どうせお前には、マウンドに立てない奴の気持ちなんてわかるわけがない」
「見てよこれ」
 君に昨日の写真を見せた。どう感じるかは君次第だ。
「私が撮りたいのは野球選手じゃない。あがいている『君』なの」
 西日が差さる屋上で君の顔はオレンジ色に染まっていた。私も染まっているだろう。私のほほには一筋の涙が伝っていた。
「私は前にたくさんの音を聞きなっていったよね?君は視野が狭くなってると同時に、聞かなきゃいけない声を聴こうともしていなかった。よく思い出して?みんなが君になんていっていたか」
「晴馬君はね、晴馬君を攻めすぎなんだよ。ケガした自分をせめすぎたあげく、自分の記憶を改ざんしていたんじゃないかな?」
「どういうことだ?なんでそんなこと君にわかるんだ?」
「君の改ざんした記憶通りなら、いまの君の状態に納得がいくもの、でもね。君の知ってる監督さんや先輩、同級生に後輩は、君にそんなことを言うような人たちだったの?」
「ちがう・・・」
「精神的な疾患で一時的自分を守るために記憶があいまいになることがあるらしいよ」
少しはわかってくれたかな?君は君をもっと大事にしなきゃね。
「あーーーー!」と大きな声で君は叫んだ。
 西に沈む太陽がやまびこのように君の叫びをこだましていた。
 清々しい顔、まるで少年のように笑う君を見て、私はほっとした。
 再生まであと少し、私の役目もあと少しで終わりだね。