君から始まる数列

それから、継原と話す機会は少しずつ増えていった。

 きっかけは雨の日の一件だったのかもしれないが、別に急に仲良くなったわけではなく、休み時間に向こうから声を掛けてきたり、グループワークで近くになればそのまま雑談したりと、今までなら用件だけで終わっていたところに、少しずつ余計な会話が増えただけだった。

「相原、シャーペン貸して」

「持ってないの?」

「あるけど芯切れた」

「それなら芯を貸せばいいだろ」

「返さなきゃいけない?」

「芯一本くらい返さなくていい」

「自分が貸す側だとほんと適当だよね」

 呆れた顔をされながらケースを渡すと、継原は一本だけ芯を取り出し、わざわざ俺の目の前でシャーペンへ入れた。

「これで借り一個」

「数えるなよ」

「相原が言う?」

「俺は自分の借りしか数えない」

「やっぱ変なの」

 最近、それを言われる回数が増えた気がする。

 もっとも、継原の方も変わっていると思う。

 困っている人間を見つけると、いちいち立ち止まる。

 廊下でプリントを落とした後輩がいれば一緒に拾うし、購買で財布を忘れた友達には迷いなくパン代を出す。掃除当番でもないのに、誰かが早退すればその分まで机を運んでいた。

 俺なら、頼まれれば手伝う。

 目の前で明らかに困っていれば手を出す事もある。

 けれど継原は、こちらが「そこまでやる必要あるか」と思う一歩先まで自然に踏み込んでいく。

「お前って、よくそんな面倒な事するよな」

 昼休み、教室の後ろで友達のプリントを整理していた継原に言うと、彼女は手を動かしたまま首を傾げた。

「面倒?」

「それ、お前の仕事じゃないだろ」

「この子、委員会行かなきゃいけないから」

「だからって、お前がやる必要なくない?」

「別にいいじゃん。暇だし」

「またそれか」

「なにが?」

「勝手にやっただけ」

 言うと、継原は一瞬だけきょとんとしてから笑った。

「相原も使うじゃん」

「俺は前から言ってる」

「じゃあ一緒だね」

「一緒ではないだろ」

「なんで?」

 理由を考えたが、うまく言葉にならなかった。

 俺が誰かを助けるのと、継原が誰かを助けるのは、やっている事だけ見れば同じだ。

 ただ、俺は助けられる側になると落ち着かない。継原は、そこを気にしている様子がない。

「・・・・・・やっぱ違う」

「説明を諦めたね」

「うるさい」

 継原は楽しそうに笑いながら、最後のプリントを揃えて机の上へ置いた。

 その横顔を見ていると、雨の日に傘へ入れてもらった事を思い出す。

 あれも、こいつにとっては今のプリントと同じだったのだろう。困っていたから手を貸した。ただ、それだけ。

 俺が勝手に意味を付けて、勝手に返した。

 そう考えると少しだけ居心地が悪くなったが、だからといって、あの時ミルクティーを渡した事を後悔しているわけでもなかった。

§

 数日後、俺は風邪を引いて学校を休んだ。

 朝から熱があり、一日寝ていれば治るだろうと思っていたものの、夕方になっても身体は重く、ベッドの上でスマホを眺めながら明日の授業の事を考えていた。

 ちょうどその時、メッセージが届いた。

『生きてる?』

 継原だった。

『一応』

『よかった』

『なんでお前が確認してんの』

『今日休んでたから』

 それだけならまだ分かる。

 だが、その直後に数学の板書、英語の宿題、明日の持ち物、提出期限が近いプリントまで、写真付きで次々と送られてきた。

『多くない?』

『明日来た時困るかなと思って』

『頼んでないけど』

『知ってる』

 またそれだ。

 俺はしばらく画面を見つめる。

 ノートの写真だけなら、登校した時に誰かから見せてもらえば済むし、宿題や明日の持ち物だって自分で確認出来る。わざわざ継原がここまでまとめて送る必要はない。

『ありがと』

 そう打ってから、一度指が止まる。

 なにを返せばいい。

 傘なら飲み物一本で自分の中では釣り合ったが、今回は少し面倒だった。授業の内容を全部まとめて送るには、それなりに時間も掛かったはずだ。

『今度なんか返す』

 送信すると、すぐ既読がついた。

『また?』

『また』

『治ってから考えなよ』

『考える』

『そこは考えなくていいんだけどなぁ』

 画面の向こうで呆れている顔が、なんとなく想像出来た。

 そういう顔まで浮かぶ程度には、俺も継原の事を知るようになっているらしい。

 翌日、熱は下がった。

 登校して自分の席へ向かうと、継原がこちらに気付いて手を上げる。

「復活したね」

「お陰様で」

「別に私のお陰ではないけど」

「昨日は助かったよ」

「ならよかった」

「なにがいい?」

「なにが?」

「お返し」

 継原は数秒黙ったあと、露骨にため息を吐いた。

「ほんとに返すんだ」

「当然」

「じゃあ・・・・・・」

 少し考え、俺の机の上に置かれていた数学の問題集を指差す。

「今日、数学教えて」

「それでいいの?」

「いいよ」

「昨日の手間に比べて軽くない?」

「知らないよ。私が決めるんだからいいでしょ」

 そう言われると反論しづらい。

「分かった」

「じゃ、放課後ね」

 継原は満足そうに自分の席へ戻っていった。

 妙な奴だと思う。

 せっかく返してもらえるのだから、もう少し得をするものを選べばいいのに、よりによって数学を教えてもらうだけでいいらしい。

 ただ、その方が俺としても気楽だった。

 これでまた一つ、元に戻せる。

§

 放課後、俺達は図書室の端にある長机を挟んで向かい合っていた。

「ここから分かんない」

 継原が問題集をこちらへ押し出す。

 数列の単元だった。

「どこまで分かる?」

「数字が並んでる」

「ほぼ何も分かってないじゃん」

「だから呼んだんだけど」

「威張るなよ」

 俺は問題集を引き寄せ、例題を一つずつ説明していく。最初は適当に相槌を打っていた継原も、実際に数字を書かせてみると少しずつ要領を掴んだらしく、さっきまで止まっていたページをどうにか進められるようになった。

 そのまま次の問題へ移ろうとしたところで、ページの端に小さく載っていたコラムを継原が指差した。

「これなに?」

「フィボナッチ数列」

「聞いた事ある。一、二、三、五とかのやつ?」

「最初は一、一な」

 俺はノートの余白に数字を書く。

 1、1、2、3、5、8、13・・・・・・。

「前の二つを足すと、次の数字になる」

「一と一で二。次は一と二で三」

「そう」

「じゃあ三と五で八」

「分かってるじゃん」

「数学苦手でも足し算くらい出来るよ」

 継原は少しむっとしながら数字を追い、その途中で不意にペン先を止めた。

「なんか、前の数字が残ってるみたいだね」

「残ってる?」

「だって、一と一が二になっても、その一がなくなったわけじゃないでしょ。その二と一で、また次の三になるし」

「まぁ、計算には使うけど」

「そうじゃなくて」

 継原は自分でもうまく説明出来ないらしく、数字の列を指先でなぞる。

「前にあったものが、次の数字の中にも入ってる感じ」

「ただ足してるだけだろ」

「相原、そういうとこ夢ないね」

「数学に夢を求めるなよ」

「別にいいじゃん、そういう考え方があっても」

 継原が笑う。

 でも俺には、やっぱりただの数列にしか見えなかった。

 前の二つを足せば次になる。

 それ以上でも以下でもない。

「で、この問題は?」

「ああ、そっちやるか」

「先生、お願いします」

「悪い気はしないな。これからは先生呼びでいいぞ」

「センコーが調子乗るなよ」

「急にグレるなよ・・・・・・」

 その日は結局、閉館を知らせる放送が流れるまで図書室に残っていた。

 問題集を閉じる頃には外が薄暗くなっていて、継原は大きく伸びをしながら「分かった気がする」と満足そうに笑った。

「気だけじゃ困るんだけど」

「テストで分かるよ」

「駄目だったら?」

「また教えて」

「借り増やすなよ」

 反射的に言うと、継原が俺を見る。

「今のは、私が借りた事になるの?」

「昨日の分を返したから、今日はお前の方が一個借り」

「じゃあ、また返さなきゃ駄目?」

「別に俺は求めないけど」

「ほんと面倒」

「なんでだよ」

「自分の借りは絶対返すのに、私の借りは別にいいんでしょ?」

「だから、それはお前が決めればいいだろ」

「じゃあ返さない」

「好きにしろ」

「うん。好きにする」

 継原は妙に嬉しそうに笑った。

 なにがそんなに面白いのか分からないまま、俺達は並んで図書室を出た。

§

 それからしばらくして、俺は月末に教室へ貼り出すクラス新聞を作る羽目になった。

 係を決めるじゃんけんで負けただけなのだが、記事を書く担当だった連中は原稿を渡した時点で仕事を終えた気になっていて、写真や見出しまで一通り揃った頃には、模造紙への配置と仕上げだけが俺のところへ綺麗に残されていた。

 締め切りは翌日の朝だった。

「・・・・・・これ、今日中に終わるか?」

 放課後の教室で机二つをくっつけ、その上いっぱいに広げた模造紙を眺める。記事を貼る位置を決めて、見出しを書き、空いた場所に写真を配置するだけなのだが、やる事を一つずつ数えていくと、思っていたよりずっと面倒だった。

 とはいえ、じゃんけんで負けたのは俺だ。

 他の奴を呼び戻すほどでもないと諦め、定規を当てながら見出しの下書きを始めたところで、教室の入口から声がした。

「まだ帰ってなかったんだ」

 顔を上げると、鞄を肩に掛けた継原がこちらを覗き込んでいた。

「見れば分かるだろ」

「何してるの?」

「クラス新聞。明日の朝まで」

「ああ、あれ相原だったんだ」

「じゃんけんで負けた」

 継原は机の上へ広げた模造紙を眺め、まだ貼られていない原稿の束や写真へ視線を移すと、残っている作業量を察したらしく少し眉を上げた。

「これ、一人でやるの?」

「その予定」

「大変そう」

「見れば分かるだろ」

「二回目」

「事実だから仕方ない」

 俺が再び定規へ目を落とすと、継原はしばらくその場に立っていたが、やがて鞄を近くの机へ置いた。

「手伝おうか?」

「いや、いい」

 即座に断る。

 すると継原は、予想していたように少しだけ目を細めた。

「なんで?」

「お前の仕事じゃないし」

「それ、この前私に言ってたよね」

「・・・・・・」

 言われて思い出す。

 継原が友達のプリントを整理していた時、俺も同じような事を言った。

「私は暇だから手伝う」

「また勝手に?」

「うん。勝手に」

 そう言うなり、返事も待たずに鞄を置き、俺の向かいへ椅子を引いて座った。

「何すればいい?」

「いや」

「相原」

「・・・・・・なに」

「今、断ったら私、明日も言うよ」

「明日には終わってないと困るんだけど」

「じゃあ今日手伝わせてよ」

「面倒くさ」

「知ってる」

 結局、折れたのは俺だった。

 俺が原稿を貼る位置を決め、その横で継原が見出しを書いたり写真を切ったりする形で作業を分けると、一人でやっていた時より当然早く進んだ。それだけではなく、継原は余白の取り方を変えたり、見出しの周りへ簡単な飾りを足したりと、頼んでもいないところまで手を入れていく。

「そこまでやる?」

「やるならちゃんとした方がいいじゃん」

「俺一人なら原稿貼って終わりだったけど」

「だから私がいてよかったね」

「自分で言うなよ」

「でも見やすくなったでしょ?」

 少し離れて全体を見ると、悔しいがその通りだった。文字と原稿だけで埋めるより、写真の位置や空白に変化がある分、教室の後ろへ貼ってもそれらしく見える。

「・・・・・・まぁ」

「素直だね」

「事実だからな」

 そんなやり取りをしながら作業を続け、窓の外がすっかり暗くなった頃には、クラス新聞はようやく完成した。

 最後の写真を貼り終えた継原が、のりの付いた指先を気にしながら少し離れた場所へ移動する。

「出来たぁー」

「お疲れ」

「相原も」

 俺も隣へ並び、完成した模造紙を見る。一人で始めた時には今日中に終わるかすら怪しかったのに、今では明日の朝そのまま掲示出来る状態になっている。

 助かった。それも、かなり。

 そう思った瞬間、自然と次の考えが浮かんだ。

 今度はなにを返せばいい。

 昨日のノートより、さらに面倒だった。

 放課後の時間を一時間以上使わせた上に、仕事の半分近くをやってもらっている。ジュース一本では軽いし、数学を教える程度でも釣り合わない気がした。

「なぁ」

「ん?」

「これ、なにがいい?」

「なにって?」

「お返し」

 机の上に散らばった紙屑を集めていた継原の手が止まる。

「また考えてたの?」

「そりゃ考えるだろ」

「私が勝手に残っただけなのに?」

「でも助かったし」

「じゃあ『ありがとう』でいいよ」

「それだけ? いや、足りないだろ」

「それは私が決める事でしょ?」

「でも・・・・・・」

「でももスモモもないの」

「スモモなんて言ってないだろ・・・・・・」

俺が呆れてそう言うと、継原はしばらく黙ってから、小さく笑った。

「ほんとに相原って、ゼロにしたがるよね」

「なにを?」

「なんでも。それより帰ろ?」

「・・・・・・おう」

 教室の電気を消し、二人で廊下へ出る。

 並んで歩きながらも、さっきの言葉が頭に残っていた。

 ゼロにしたがる。

 借りを返す事を、そんな風に考えた事はなかった。

 ただ、返せば元に戻る。それだけだ。

 なのに不思議な事に、継原からなにかをしてもらう回数が増えるほど、元に戻すのが少しずつ難しくなっている気がした。

 傘なら、ミルクティー一本で済んだ。

 ノートなら、数学を教える事で納得出来た。

 でも今日の一時間を、なにで返せば同じになるのかは分からない。

 それでもなにかを返さなければ落ち着かないと思う一方で、返すものを考えている自分が、以前ほど嫌ではなくなっている事にも気付いていた。

 たぶん、継原と話す理由が一つ増えるからだ。

 そんな考えが浮かび、すぐに打ち消す。

 俺はただ、借りを返したいだけだ。それ以上の意味なんてない。

 そう思いながら隣を見ると、継原はなにか思い出したように鼻歌を口ずさんでいた。

 その横顔を見た瞬間、図書室で並んでいた数字がふと頭に浮かぶ。

 1、1、2、3、5、8・・・・・・。

 前にあったものが、次の数字の中にも入っている。

 継原は、そんな事を言っていた。

 俺にはまだ、その意味はよく分からなかった。