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朝のニュースで、笑顔の天気予報士が梅雨明けを告げていた。そんな日のことだった。
気持ちよく晴れた空の下を、いつも通り自転車に乗って登校する。昇降口で靴を履き替えながら、今日の一限目は何だったかな、と思い返していると、肩に重みがかかった。
「さて、約束の日まで一ヶ月を切ったわけだが」
おはよう、の挨拶もなくいきなり本題を切り出してくる唐突さ。うんざりとした気持ちで、振り返らないまま肩に乗った腕をはたき落とす。
そのまま教室へ向かって歩を進めると、当然のようにそいつもついてきた。
「お前、ヨネと小浜に聞いてくれた? 祭りの件」
「……あ」
言われてようやく思い至る。そういえば、そんな話をしていたような、していなかったような。
ここしばらく、テスト勉強やら光希の入院のことやらで頭がいっぱいで、千羽哉の頼みのことなどすっかり抜け落ちていたのだ。
「忘れてた」
「おい! 忘れるなよ! 俺にとっての重大イベントなんだぞ!」
「うるせぇ! そこまで言うなら自分で誘え!」
朝っぱらからぎゃあぎゃあとやかましいふたりの脇を、生徒たちが距離をとりながら通り過ぎていく。彼らの顔に、一様に「かかわらないようにしよう」と書かれているような錯覚を覚えた。
「自分で誘う勇気がないから頼んでんだろうが!」
「それが頼む側の態度か! 情けねぇことを堂々と言うな!」
「朝からやかましいね、あんた達」
突然割って入った声に、ふたりしてぴたりと騒ぐのをやめて振り返る。鞄を肩から提げて、自分たちと同じように今まさに登校してきましたといった風貌の静が、呆れているようにも見える茫洋とした表情で立っていた。長いまつ毛に縁取られたまぶたは、朝なのもあってか、いつも以上に眠たげである。
途端、傍らの千羽哉の身体がびしっと緊張するのがわかる。
「よ、ヨネ! おはよう!」
「はい、おはよう。仲が良いのは何よりだけど、邪魔にならないようにね」
千羽哉の上ずった声に挨拶を返し、さらに注意を加えただけで、静はそのままあっさりとふたりの脇を通り過ぎようとする。その瞬間、綾人は静には見えないように、千羽哉の背中を肘で小突いた。今がまさにチャンスだろう。ここで声をかけなくてどうする、と発破をかけたつもりだった。
ごくり、と千羽哉の喉仏が上下したのがわかる。さっさと自分の教室へと向かおうとする静の小さな背中が遠ざかる前に、再度背中を押すと、千羽哉は一歩足を踏み出した。
「ヨネ! ちょ、ちょっといいかな」
突然呼び止められた静は、足を止めて振り向いた。不思議そうに瞬く彼女に、千羽哉が意を決したように歩み寄る。
「え、っと。今月末の、未八祭りのことなんだけど」
「未八祭り?」
首を傾げる静に、千羽哉はこくこくと頷いた。
「その、ヨネは……誰か、一緒に行く相手とか……いるのかなって」
おずおずと切り出す姿は、先程まで綾人と騒いでいた彼とはまるで別人のようだった。
片思いの相手を前にするだけでこうも変わるものか、と毎度思うのだが、とりあえず余計な茶々は入れずに成り行きを見守ることとする。
静は千羽哉の問いかけに、ことん、と首を傾げる。
「いや、特に決めてないけど?」
「よっ……!」
よっしゃ、と思わず上げかけた快哉の声を、途中でなんとか呑み込んだのだろう。左手で密かに、ぐっと握りこぶしを作るのが見えた。
「あ、あのさ! 良かったら、俺と一緒に行かないか!?」
「佐渡と?」
静の表情に、疑問の色がさらに濃くなった。それに怖気付いたのか、千羽哉はすぐさま早口で、
「俺と……あと綾人と、小浜も!」
と付け加える。ここでふたりきりで遊びに行こうと誘いをかけられていたら完璧だったのだが、まあ及第点だろう。
静の方はといえば、突然出てきた名前にさらに困惑したようだった。
「小浜って?」
「えっと、俺と同じ水泳部で、あと綾人と同じクラスの、小浜茉白! なんか最近、綾人と仲良いらしくてさ」
千羽哉の方を向いていた静の顔が、興味深げな色を伴って綾人の方を向く。
「へえ、知らなかった」
「まあ、そういうわけで! せっかくだから、四人でどうかなーって思ってるんだけど、どう?」
茉白にはまだ声をかけていないが、と思ったが、ここで余計な口を挟んで邪魔をするのも悪いだろう、と考えて口を噤む。
さて静の返事は、と静観していると、彼女は鞄の肩紐の位置を直しながら、千羽哉に視線を戻した。
「別にいいよ。先約もないし」
「ほ……本当か!」
全身から喜びを溢れさせながら、千羽哉は今度こそ両手で小さくガッツポーズを作った。
やれやれ、と綾人も密かに安堵の息を吐く。ここで静に断られようものなら、千羽哉のアフターケアでまた面倒くさいことになっていただろうから、彼女があっさりと了承してくれて良かった。
紅潮した笑顔でこちらを振り返る千羽哉に、心の中だけで「良かったな」と返しつつ、さて後は茉白に声をかけなければならないのだが、と考えていた、その時だった。
「おはよう。なんか楽しそうだね」
さえずりのような明るい声が聞こえてきて、三人は同時にそちらへと顔を向けた。
次から次へと都合良く、と思ったものの、よくよく考えずとも昇降口から教室に向かうこの場所は、登校してきた生徒の通り道だ。先に教室に行っていない限り、顔を合わせるのは必然とも言える。
「ちょうど良かった、小浜」
「なに?」
軽く手招きをすると、彼女は先程の静と同じような表情で、首をかしげながら近付いてくる。
「未八祭りの話してたんだ。お前、行く予定ある?」
「え? うん。毎年行ってるし、今年も行くと思うけど」
「誰と? ダチ?」
「今年はまだ決まってないの。いつも流れで、友達の誰かとそういう話になったら一緒に行くって感じ」
なるほど、交友関係の広そうな茉白ならではの回答だと思った。そして同時に、先約が入っていないことも確認出来た。
「こいつらと一緒に行こうかって話をしてたんだけど」
そう言って、静と千羽哉を親指で示す。
「お前もどうだ?」
誘いをかけると、茉白はふたりの顔を交互に見た。それから綾人に視線を向けて、
「いいの?」
と期待に満ちた目を向けてくる。
いいの、はむしろこちらのセリフなのだが。茉白は知らないことだが、完全に千羽哉の下心に付き合わせてしまうので、多少なりとも申し訳ない気持ちがある。
「お前こそいいのかよ。てか、千羽哉はともかくヨネと話したこととかある?」
「ヨネ? あ、米子さんだからヨネ?」
茉白が静に視線を向けると、彼女は眉間に深くシワを刻み、うんざりとした表情を浮かべる。
「そう。昔っからそう呼ばれてる。ばあさんみたいで嫌だからやめろっつってんのに」
「仕方ねぇだろ。いつからか覚えてないぐらいガキの頃から呼んでんだから、今更変えるのも違和感がある」
ちなみに、同じ苗字である静の兄姉のことは、「ヨネにぃ」「ヨネねぇ」と呼んでいる。綾人にとっては同い年である静が基準になってしまうので、昔からずっとその呼び方なのだ。
「綾人がそう呼ぶせいで、佐渡まで同じ呼び方するようになったし」
いや、それは千羽哉が綾人に妙な対抗心を燃やして、自分もあだ名で呼びたいとか言い出したからで……というのは口に出さない。静の言う通りに、最初から素直に苗字なり下の名前なりで呼んでいたら、彼女からの好感度も多少は上がったのかもしれないが……いや、上がっただろうか? ともかく、千羽哉のアピールはことごとくどこかズレている。
そんなふうに考える綾人のことは知る由もなく、大きくため息を吐いている静に茉白は明るく話しかけている。
「えー、でもいいな、そういうの。あだ名って、仲良しって感じがする」
「別に。腐れ縁ってだけだよ」
「ふぅん」
頷いた茉白が、いきなり綾人の方をくるりと振り向いた。なんだと思っていると、彼女はにっこりと笑い、
「じゃあ、私も綾人くんって呼ぼうかな」
と提案してきた。
「……は?」
今の話の流れでどうしてそうなる? そもそも、それだとあだ名でもなんでもないだろう、と思っていると、そんな綾人の脳内を見透かしたかのように、小さく頬をふくらませる。
「いいじゃん。良いあだ名が思いつかなかったの」
「……はぁ。まあ、好きにすればいいけどよ」
そんな綾人の適当な返事でも満足したのか、茉白はひとつ頷くと、今度は千羽哉の方を向いた。
「それで、未八祭りだよね? もっかい聞くけど、私も参加していいの?」
「おう、もちろん! 来てくれると助かる!」
「やった! ねえ、浴衣は着るの?」
「あー……」
どうしようか、と千羽哉の顔が綾人の方を向く。
綾人は祭りに行くにしてもいつも私服だったため、浴衣など持ってはいない。おそらく千羽哉も似たようなものだろう。
しかし、千羽哉の心情を考察するに、あわよくば静が浴衣を着てきてくれないだろうか、と思っているに違いない。そうなると、誰かに借りるなりなんなりして男子ふたりも浴衣で揃えた方がいいのだろうか?
逡巡の末に、綾人は提案を口にした。
「俺は浴衣持ってないから私服で行くけど、お前らは着たかったら着てくればいいんじゃねぇの」
浴衣の女子と私服の男子という組み合わせも、そうめずらしいものではないだろう。
綾人の案に、茉白は嬉しそうに笑う。
「じゃあ、そうする! 静ちゃんは浴衣持ってる?」
ちゃっかり静のことも名前で呼んでいる茉白に、「コミュ強すげぇ」と密かに感心する。当の静は、そんな呼称の変化に気付いていないのか、あるいは気付いていても大して気にしていないのか(おそらく後者だろう)、普通に会話を続ける。
「去年着たし、多分あると思う」
「じゃあ私たちは浴衣で行こうね! ヘアメイクとかどうする? 美容院でやってもらう?」
「いや……私はそんなに長くないから、別にいじらなくてもいいかな」
「え、もったいない! じゃあ、私がやってもいい?」
確かに、茉白はそういうのが得意そうだ。基本的には下ろしていることが多いが、派手ではない程度のヘアアレンジをしてくることもあるし、女子の髪事情には全く詳しくないとはいえ、光を弾くさらりとした長い髪は、丁寧に手入れされているのがわかる。
茉白の積極さに、静は珍しく少したじろぐような様子を見せたが、やがて、
「……まあ、好きにしたらいいよ」
と了承した。
「やった! じゃあ当日、夕方ぐらいにどっちかの家で一緒に準備しようね」
「うん」
静が頷くと、成り行きを見守っていた千羽哉が、いそいそとスマートフォンを掲げてみせた。
「じゃあじゃあ、せっかくだしグループ作らね?」
確かに、四人で連絡を取れる手段があった方が何かと便利だろう。
千羽哉の提案に残りの三人が賛同し、早速彼がメッセージアプリでグループを作成する。グループ名は、「未八祭りの集い」。なんの捻りも面白みもないが、わかりやすくて困ることはない。
早速各々がスタンプを送るが、その中に知らないアイコンのものがひとつある。名前は「ましろ」。静や千羽哉とはすでにフレンドになっているが、彼女と連絡先を共有するのはこれが初めてだった。
「やったぁ、ありがと! 楽しみにしてるね。……あ、そういえば」
そう言ってはしゃいだようにスマートフォンを両手で握りしめた彼女は、傍らに立つ千羽哉を振り仰いだ。
「今週末の校外練習のことなんだけど」
「ん? おお」
どうやら部活のことで何やら連絡事項があるらしい。自分には関係ないことだから、と目の前で交わされるふたりの会話をぼんやりと眺めていたところ、ふと隣から小さな呟きが聞こえてきた。
「……ましろ」
見ると、静がスマートフォンの画面を、何やら神妙な顔で見つめていた。微かな呟きは綾人にしか届かなかったようで、茉白と千羽哉は会話を続けている。
「ヨネ?」
思わず声をかけると、数秒の沈黙ののち、静はゆっくりと顔を上げ、スマートフォンを鞄の中に戻した。
「……いや、なんでもない」
ちょうどその時、予鈴が鳴り響いた。ちょうど茉白と千羽哉の会話も終わったようで、教室に行かなきゃ、と誰かが言う。
静の様子が多少気になりはしたものの、急かされるようにして、学生の本分を全うするために各々の教室へと散っていくのだった。

