12
ドン、という音で意識を取り戻した。
まぶたを開いても視界は暗く、状況を把握するのに数秒かかった。
自分が置かれた状況を思い出したのは、先ほどの音が再び耳に届いたからだ。木々の隙間から僅かに光が見えて、それが花火だと気づくと同時に、現状が頭に入ってくる。
同時に、身体が感覚を思い出したかのように、頭を含めた全身のあちこちがひどく痛んだ。
「……っ、痛ぇ……」
仰向けに倒れたまま、思わず言葉にして吐き出す。
意識を失っていたらしいことと、頭も痛むことから、木かなにかにぶつかって軽い脳震盪を起こしていたのかもしれない。
念の為に頭をあまり揺らさないようにして、視線を周囲に巡らせようとする。ぐらりと視界が揺れ、吐き気を催すのをこらえながら状況を探った。
自分の右側、最も近い位置に千羽哉が横たわっていた。小さくうめき声が聞こえてくるので、意識はあるのかもしれないが、身体を起こす気配はない。
そして自分の足の方、少し離れた場所に、静がこちらに背を向けるような体勢で倒れている。落下の衝撃でほどけてしまったのか、赤い帯が腰元にほどけた状態で絡みついていた。彼女の方からは何も聞こえてこず、身体もぴくりとも動かない。
茉白は、と探そうとした時、千羽哉の身体で遮られ視界に入っていなかった位置で、なにかが動くのが見えた。
身体を起こした彼女と、ぱちりと目が合う。
髪の毛はほどけ、白い浴衣も泥まみれになってはいるが、ひとりで起き上がることができたらしいその様子に、そっと胸をなでおろした。
茉白は綾人の視線の先で、ゆっくりとあたりを見回した。千羽哉の、静の倒れ伏している姿を見遣る。
一巡りした茉白の目が、再び綾人に戻ってくる。呆然としているような、あるいは助けを求めるような、なんとも表現しがたい感情を伴った瞳が向けられる。ドン、とまた花火の音がした。
小浜、と呟いた名前は、声にならなかった。
茉白の表情が僅かに歪み、眉根が寄る。それから、まるで何かを決意したかのように、目尻が少し上がった。その表情の変化を、綾人は揺れる視界の中で捉えていた。
彼女が動く。立ち上がり、足を引きずるようにして、よろよろと向かったのは静のところだった。静の傍らに膝をつき、状態を確かめているのか、顔を覗き込むようにする。
しずかちゃん、と茉白が彼女の名を呼んだのがわかった。それから、投げ出されていた静の右手を取り、祈るようにその手を自身の額へと持っていく。
そのときになってようやく、綾人は茉白が何をしようとしているのか気がついた。
「……ぉい」
かすれてまともに音にならなかった声が、彼女のもとへ届いたかどうかわからない。茉白は変わらない体勢のまま、静の手を自身の額に押し付けている。
「おい……小浜」
ニ度目の呼びかけから数秒後、茉白が突然咳き込んだ。背を丸めて、まるで体内に入り込んだ有害なものを吐き出そうとするかのように、彼女は何度も咳を繰り返した。
ひゅー、ひゅー、と隙間風が通り抜けるような音を口から漏らしながら、茉白は折りたたんでいた身体を起こして、もう一度静の顔を覗き込んだ。
その表情が、僅かに和らぐのを見た。
「小浜」
今度は、先程よりもはっきりと声が出た。茉白がこちらを見る。その顔が青白く思えるのは、単に自分の視界がおぼつかないせいだろうか。
彼女は立ち上がり、先程よりも頼りない足取りで、綾人と千羽哉が倒れている方へと向かってきた。そして千羽哉の傍らに、半ばくずおれるように座り込み、彼の肩に手を添えた。
「ぅ……こ、はま……?」
千羽哉の声が聞こえてくる。その一言だけ発した後、続けて彼はくぐもった悲鳴を上げた。
茉白は彼の肩に触れたまま、囁くような声で問いかける。
「特に痛いところとか、ある?」
「胸の、あたりが……っは、やべぇ、折れてんのかな……」
動けねぇ、と語尾を震わせて千羽哉が続けると、茉白はひとつ頷いたように見えた。そして手のひらを、千羽哉の胸元に添える。
「小浜、やめろ」
無理やり身体を起こすと、ひどい頭痛に襲われて、前のめりにうずくまってしまう。その拍子に、こめかみあたりを押さえた手のひらに、何かが伝ってくるのがわかった。血だった。どうやら頭をぶつけた拍子に、裂傷を負ってしまっていたらしい。
ぐらつく視界に耐えながら、再びふたりの方へ目を向けたときには、茉白は地面に両手をついて肩で息をしていた。ぜいぜい、と濁った呼吸音が空気を震わせる。彼女の身体が小刻みにふるえているのが、綾人の位置からでもわかった。
「あ……れ……?」
呆然とした表情で、千羽哉がゆっくりと上半身を起こす。顔や腕に擦り傷が見え、衣服もところどころ破れていたが、身体を動かすことができるようだ。
先ほどまで痛みにうめいていたとは思えない。
「なんで……」
「おい、千羽哉」
状況がうまく飲み込めていない様子の千羽哉に、声を振り絞る。はっとした表情で振り向いた彼を睨みつけるようにして、頭痛に耐えながら指示を出す。
「誰か、助け呼んでこい。どのくらい動ける」
「どのくらい……」
「あと、ヨネの様子はどうだ」
その問いかけにすぐに周囲に視線を巡らせた千羽哉は、倒れたままの静を見つけて立ち上がった。慌てた様子で駆け寄るその姿を見るに、脚は大丈夫そうだ。
「ヨネ、おい、ヨネ」
彼が何度か名前を呼ぶと、少しして静の肩がぴくりと震えた。
「ぅ……ん……、あれ……?」
ぼんやりとした調子ではあるが、静の戸惑ったような掠れ声が聞こえてくる。反応があったことに安堵した様子で、千羽哉の顔がほころぶのがわかった。
「良かった! 動けるか?」
「え……何、ここは……?」
まだ状況を把握出来ていないようだが、意識が戻った様子にひとまず綾人も胸をなでおろした。
「千羽哉、ヨネを背負えるか?」
骨が折れているかもしれない、と言った相手に、別の人間を背負っていけと言いつけるなど、普通ではありえない。
しかし、綾人はもう確信してしまっていた。千羽哉の骨はすでに完治していること。
そして、そのために茉白が何をしたのかを。
不幸中の幸いというべきか、先ほど周囲を確認しようと視線を巡らせたときに、右方向に山道らしきものが見えた。崩落した先が、運よく山道からそう離れていない場所だったため、ここから迷って遭難するということはなさそうだった。
「もし大丈夫そうなら、ヨネも一緒に連れて行ってやってくれ」
千羽哉に山道の方向を指で示す、彼はひとつ頷くと、静の身体を背負った。
静はまだぼんやりとしているのか、いつもの闊達とした調子が嘘のように、力の抜けた身体を千羽哉に預けている。しかしちらりと見えた横顔は血色が良く、先ほどの茉白の反応からも察するに、おそらく危機は脱しているのだろう。
「すぐ、戻ってくる。待っててくれ!」
慎重に静の身体を支えながらも、急いで山道の方向へ足を進める千羽哉に、片手だけをあげて応える。
彼の足音が遠ざかっていく中で、先程から一言も発さない茉白が、ゆらりと動いた。彼女は這うようにして、綾人のもとへ近付いてくる。もう立ち上がることが出来ないのだろうか、と思うとぞっとした。
「……小浜」
こちらに伸ばされた彼女の手首を掴んだ。それは、制止の意思を持っていた。
「やめろ」
綾人に向けられた茉白の顔は、白いなんてものじゃない。完全に血の気を失っている。掴んだ手首は、背筋が寒くなるほど冷たい。色がない唇は小さく震え、そこから細い音で息が紡がれているのが、彼女が生者である唯一の証明のようにすら思えた。
茉白が何をしようとしているのかがわかる。だが、それを行わせるわけにはいかなかった。
「聞いてただろ。千羽哉が助けを呼んできてくれる。もう力を使う必要はない」
「でも……あやとくん、血が」
呂律の怪しい口が、かすれた声で綾人の怪我を心配する。
それに言い聞かせるように、何度も「大丈夫だ」と繰り返した。
ドン、と花火が上がる。
半ば虚ろになりながらも真っ直ぐに綾人を見上げていた瞳に、不意に涙が滲んだ。かと思うと、掴んでいた彼女の手首から力が抜ける。
そのまま茉白は、綾人の肩に額を預けるようにして、もたれかかってきた。
「っ、おい」
彼女が意識を失ってしまったのかと思い、焦る。
しかし、すぐさまぽつりとつぶやきが落とされたことによって、そうではないと知る。
「……ごめんなさい」
それが何に対する謝罪なのか、わからなかった。茉白は充分すぎるほど力を使ってくれて、そのお陰で千羽哉が動けるようになって、こうして助けを待つことができる状況になっている。
彼女が何を謝ることがあるのだろう。
「……俺の怪我を治せないことに対する謝罪なら、いらねぇよ。お前はよくやってくれた。本当に」
慰めるように、彼女の背中に手を回し、ぽんぽんと叩いた。しかし、茉白は綾人の肩口でふるふると首を振る。ほどけた髪が頬をくすぐる。
「ちがうの。そうじゃなくて……」
そうして一度口を噤んだかと思うと、数回の呼吸の後に、声を詰まらせるようにして、彼女は言った。
「えらべなくて……ごめんね」
余計に意味がわからなくなる。選べなくて、とは、なんのことだろう。
しかしそれは、後でゆっくりと話を聞けば良いことだ。ふらふらになっている彼女に、これ以上体力を使わせるわけにはいかない。
「とりあえず今は、喋らなくていいから。ちょっと休んでろ」
遠慮がちにもたれかかっている茉白に、もっと体重をかけて良いというように、背中にまわしていた手に力を込めて抱き寄せる。
その時、彼女が額を預けている肩のあたりが、じんわりと温かくなったような気がした。
最初は気の所為かと思った。しかし、温もりは肩口から伝播するように、身体のあちこちに伝わっていく。特に、頭部のあたりに熱が集まっていき、それが引いたかと思うと、先程まで感じていた頭痛が、嘘のように引いていた。
「……おい」
呼びかけても、茉白は反応しない。肩に手をかけ、小さく揺さぶる。
「おい、小浜。小浜!」
顔を覗き込むと、茉白はまぶたを閉ざしていた。そのまぶたの白さに、背筋が凍るような思いがする。
意識がないのは明白だった。綾人の揺さぶりに合わせて、もたれかかっている彼女の上半身が力なく動く。
なぜ。どうして。
「……くそっ!」
焦りに支配されて何も考えられなくなりそうだった。そんな自分を、痛みの引いた頭で「冷静になれ」とどうにか制する。
一刻も早く、彼女を病院に運ばなければ。しかし、サイレンの音はまだ聞こえてこない。
助けを呼んでいる以上、ここをむやみに動くのも危険だ。それでもせめて、千羽哉が連れてきた救助の人たちに、見つかりやすい位置まで移動しないと。
打ち付けた全身の痛みはまだ完全に引いたわけではなさそうだった。それでも、先程までよりはずっとマシだ。
茉白の身体を大きく揺らさないようにしながら、どうにかして彼女を背負う。背中で触れ合った茉白の身体は、浴衣越しにも冷たくて、恐ろしくなる。肩に回させた手が、ぐったりと頼りなく揺れるのも心臓に悪かった。
立ち上がり、茉白の身体を背負い直して地面を踏みしめる。いけそうだ。
山道の方へ向かって、一歩一歩足を踏み出していく。そのたびに様々な箇所が軋むように痛んだが、全く問題ない。
彼女が三人を助けるために、自身の命を使って治癒を行ったことに比べれば。
「小浜、小浜」
歩みを進める間も、意識を取り戻させようと何度も名前を呼ぶ。反応は返ってこない。それでも呼んだ。目の奥が熱くなる。
「くそっ……死ぬんじゃねぇぞ、小浜!」
背後で、ずっと鳴り続けていた花火の音が、ひときわ大きく響いたその時。
綾人は進行方向の先に、懐中電灯の光と何人もの声を確認した。

