君は泡沫にならない


   11

「お、もう三十分前か」
 スマートフォンの画面を確認した千羽哉がそう言ったのは、あらかた屋台も見終えた頃だった。充分に屋台飯も堪能し、スーパーボールすくいや射的、輪投げなどの遊びも、年甲斐もなく結構本気でやってしまった。
 彼につられて時間を見てみると、確かに花火が始まる八時まであと三十分の時間となっている。
「場所取りするか? まだ早い気もするが」
「そうだねぇ、でももう結構人集まってるね」
 普段は駐車場として使われている敷地は、今夜は花火の観覧席として開放されており、早くからシートを広げて場所取りをしていたのであろう家族の姿なども見受けられる。
 そんなに規模の大きな祭りではないため、どこにいても見えるのは見えるだろうが、ゆっくり落ち着きたいというのであれば、早めに場所を確保しておいた方がいいのかもしれない。
「それがさ、実はとっておきの場所があって」
 千羽哉が突然そんなことを言い出すものだから、思わず「とっておきの場所?」と返す三人の声が重なってしまった。
 彼はどこか得意げな調子で、にんまりと口角を上げながら続ける。
「そう。神社の横手からさ、山道がつながってるの知ってるか?」
「ああ……小学生のときに遠足で登ったっけな」
「あったね、そんなこと」
 綾人が頷くと、静も思い出したようで相槌を打つ。
 確か低学年の時だったように記憶しているが、学校行事の一環で登ったことがある。子どもの足でも難なく登れる、登山というよりはハイキングの方がふさわしいような、低い山だ。
「なんだ、登ったことあるのか。その中腹あたりに、ちょうど花火がきれいに見える場所があるんだよ」
 千羽哉のその言葉に、茉白は「へぇ~」と声を上げ、静は「よく知ってるね」と彼に顔を向ける。
 静の注意を引いたことで少し調子に乗ったのか、千羽哉の声が一層弾む。
「去年、クラスの奴らと来たときにたまたま見つけたんだ! 誰も来なくて穴場だし、登るのも難しくないし、今年もそこでどうかなって」
 難しくないっつってもな、と綾人は浴衣姿の女子ふたりに目を向ける。
 確かになだらかな山道ではあるが、舗装されているわけではない。下駄を履いた彼女らには少々厳しいのでは、と思っていたが、意外にも「いいね」と賛成の意を示したのは静だった。
「せっかくだし、行ってみようよ。まだ少し時間あるし」
 そういえば、彼女は昔から割とアクティブで、見かけによらず山や川で遊ぶことを好んでいたな、と思い出す。
 静の返答を聞いた千羽哉は嬉しそうに笑い、
「よし、じゃあ行くか!」
 と先導を切って歩き始めた。
 そのすぐ後を静が追い、綾人と茉白が少し後からついていく形となった。
「大丈夫か? 足」
 小声で茉白に尋ねると、彼女は視線を足元に向けながら、小首をかしげる。
「うーん、実際に山道歩いたことある静ちゃんが大丈夫そうな感じだったし、きっと平気」
「無理そうだったらすぐに言えよ」
「ふふ、ありがと」
 綾人を見上げて微笑む茉白に、とはいえ彼女が遠慮して言い出せない可能性もあるので、一応気をつけて見ておこうと内心で思いながら、先を行くふたりの背中をゆったりと追った。

 花火の時間が近付き、人々が観覧席の方へ移動し始めていたこともあって、神社の横手は閑散としていた。境内の屋台の並びからも距離があるため、山道の入り口は明かりもなく、夜に訪れるそこはどことなく不気味に思えた。
 先頭に立った千羽哉がスマートフォンのライトで地面を照らしながら、山道へと足を踏み入れる。千羽哉の後に静、茉白と続き、綾人が殿を務める形となった。
 記憶と違わず、緩い坂道が続くなだらかな山道だ。女子ふたりの足元を心配していたが、彼女らも難なく千羽哉についていっているようで、少し安心した。最後尾を歩く綾人も、千羽哉にならってスマートフォンのライトで足元を照らす。
「多分十分ぐらいで着くんだけど……も、もし怖かったら、つかまってもいいからな」
 後ろの静を振り返りながら、どことなく緊張した様子で千羽哉が言う。あわよくば手でも繋げないかと思ったのか、しかし彼が思っている以上に肝が据わっている静は、あっさりと「平気」と返す。
 茉白も「秘密の冒険みたいでドキドキするね」などと言っているし、大丈夫そうだ。
 何気なく上を見てみるが、木の葉の影と空の境目がわからず、ただ黒が広がっているだけだ。こんなに木がたくさん生えている場所を歩いていると、本当に花火がよく見える場所などあるのだろうかと疑わしくなってくる。祭りの喧騒はすっかり遠ざかっており、まるで人の世から隔絶されたかのような暗い山道が続くだけだ。
 そうして四人で雑談を交わしながら歩いていると、やがて千羽哉が足を止めた。
「お、ここだ、ここ」
 彼がスマートフォンのライトで照らす先を見るが、木々の幹に阻まれていまいちよくわからない。確かにメインのルートとは別に、脇道のようなものがあるが。
「ここを少し行くと、開けたところに出るんだよ」
 言うやいなや、千羽哉が山道の脇へ一歩踏み出した。その時、先程まで落ち葉を踏むたびに聞こえていたものとは違う、僅かに湿り気を帯びた音が耳に届いた。
「うお、ちょっと湿ってるな」
「台風から一週間以上経ってるけど、まだ道の脇の土はちょっと柔らかいみたいだね」
 静が、確かめるように下駄の歯で地面を何度か踏みしめる。
「ちょっと歩きにくいかもな。汚れないように気をつけて」
 千羽哉が注意を促すが、一抹の不安がよぎる。男ふたりはまだしも、下駄を履いている彼女たちは大丈夫だろうか。
 おい、と声をかけようとするが、その間にも千羽哉は先にずんずんと脇道へと進んでしまう。
 その後に続く静の足取りは危なげないが、やはり心配は拭えない。
「確かに水気があるみたいだけど、下駄が沈むほどではないし、大丈夫だと思う」
 綾人の思考を読み取ったかのように、先程の静と同じく足元の地面を何度か踏んで確認しながら、茉白が言う。
「まったく、あいつら先に先に進みやがって……」
「あはは、花火の時間も迫ってるしね」
 私たちも行こう、と茉白が足を進める。確かに、こんな暗い山道ではぐれでもしたら洒落にならない。
 靴底に柔らかい土の感触を覚えながら少し急ぎ気味に後を追うと、すぐに追いついた。
 右側は平らな地面が続いているが、左側は少し足を踏み出せばすぐ斜面になっているため、うっかりして転げ落ちないよう注意しながら進んだ方が良さそうだ。
「それにしても、よくこんな道見つけたな」
「一緒にいたやつがさぁ、ノリで行ってみようぜとか言うもんだから」
「男子ってそういうとこあるよね」
 少し呆れた調子で静が言うと、「いや、でもマジで良いとこ見つかったから!」と弁解しながら千羽哉が振り返る。
 進行方向に僅かに背を向けた、その瞬間だった。
 振り返った拍子に斜面の方に一歩踏み出した千羽哉の足元から、鈍い音が聞こえた。
 瞬間的に覚えた嫌な予感に、思わず立ち止まる。千羽哉と一番離れている自分が聞こえたのだから、他の三人も聞こえたのだろう。最後尾にいる綾人からは、不思議そうな様子で足を止める彼らの様子が見えた。
「なんだ……?」
 千羽哉がつぶやくと同時に、今度はパキパキという音が耳に届いた。
 ゾッとした。
 頭の中に、ある映像が浮かんだからだ。
 自分たちの足元に埋まっている、木の根が裂けるイメージ。自分たちの体重を受けて、台風で柔らかくなった土を支えていた木の根に、亀裂が入ったのだとしたら。
「っ、下がれ!」
 頭が真っ白になりながらも、喉が破れるほどの大声を出して警告する。
 しかし、ほんの一瞬遅かった。
 最初に、千羽哉の身体が傾くのが見えた。彼の足元の土が、まとまってぼろりと崩れ落ちる。数メートル四方の土が崩壊しながら、左側の斜面に吸い込まれるように転落していく。
 千羽哉の一番近くにいた静も、それに巻き込まれるようにして体勢を崩すのが見えた。
 とっさに、手を伸ばす。
 手のひらの中に、茉白の細い手首の感触を、確かに掴んだ。彼女が振り向いて、こちらを見る。
 驚愕を浮かべた瞳と、視線が合う。
 茉白の身体を引き寄せようとして。
 ……しかし、それも間に合わなかった。
 崩れた足場によって、彼女の身体もがくんと傾く。その体重に引っ張られるようにして、茉白の手首を掴んでいた綾人もまた、斜面の方へと転がり落ちていった。
 それらの全ての光景が、まるでスローモーションのように見えていた。
 誰かの手首から滑り落ちたのだろう、色とりどりのスーパーボールが袋からこぼれ、宙を舞うのが、やけに視界に焼き付いた。