泣いたら井戸に入れられた

期末テストも近い、日曜日。

北見は塾の自習室で勉強をしていた。
突然スマホが鳴った。

ーー父だ。

慌てて廊下に出て電話をとる。

キョーコのことで何か?と嫌な予感が頭をよぎったが、全く別のことだった。

「事務所にスマホを忘れた。今動けないから、取りに行って。家で待ってる」

くだらない用事にうんざりする。
せっかく確保した自習室の椅子を手放したくなかったが、断る選択肢はなかった。

北見は、学習道具をロッカーにしまい、リュックを背負い外に出た。

地下鉄を降り、父の会社に向かう。
駅から五分ほど歩くと、ガラス張りの大きな八階建てのビルの前に着いた。休日で正面入口は開いていない。通用口に回ったとき、驚いて足を止めた。

神楽!?

神楽が、通用口の警備室の壁にもたれかかり、俯いてスマホをいじっている。こちらには気が付いていない。
神楽、と声をかけると、びっくりしたように振り向いた。

「北見……」

大きな目がぱちぱちと瞬く。一瞬、救いを求めるような表情になって、消える。
そのとき警備室の小窓がからからと開けられ、中から年配の警備員が顔を出した。

「あれ、玲くん。どうしたの? お父さんのおつかい?」

顔なじみの警備員が北見に声をかける。
北見は、すぐそこのコンビニで買ってきたお茶を手渡した。

「はい、父のスマホ取りに来たんです。どうして神楽がここに?」

言いながら、警備員と神楽の顔を見比べる。神楽が口を開ける前に警備員が言った。

「なんだ、玲くんの知り合いなのか。この子、今日ここで待ち合わせなんだって。でも誰とか教えてくれないし、名乗れば通して貰えるはずって言ってるけど、そんな連絡貰ってないし」

神楽が視線を逸らす。
答えたくないのが、ありありと分かる。

「携帯にかけてみれば?」

神楽に言うと、神楽が口を開きかけ、また警備員に遮られる。

「それが、突然使えなくなっちゃったんだって、スマホ。玲くんどうにかできない? 若い人じゃないとさ」
「……」

こちらは急いでいるのに!
ただ、神楽の用事が気になる。それに、困っている神楽を見捨てるのも気が引けて、手元のスマホを奪い取った。

「見せろ」
「待っ」

止めようとする神楽を押しのけて、スマホの画面に目を向けた。

『この端末は所有者によってロックされています』

黒い画面には、遠隔ロックされた文言が表示されていた。

状況が分からず、北見は神楽に目を向ける。
神楽は見せたくないものを無理やり見られたような、少し怒った顔をしていた。

「これ、どういうこと? 遠隔ロックされてんじゃん。このスマホ、お前のじゃないの?」

「オレのだよ」

いつもの笑顔はない。

「でもこれロックかかってる。持ち主がロックしたんだろ? 持ち主ってお前の親? どういうこと?」

神楽は答えない。言い訳を探しているのか、視線が彷徨っている。
北見が黙って答えを待っていると、神楽がその場の空気を流すように、はぁっと息を吐いた。

それから、北見を見る。
いつもの笑顔で、明るく言った。

「ごめん! ちょっと言えなくて。それよりーー」

ロックのかかったスマホを北見から受け取り、スルリと自分のポケットに戻す。

「あのさ、オレ、今日財布持ってなくて。Suicaあるけどスマホん中で、ロックされちゃって帰れない。だから金、貸してくんね? 帰りの電車代に窮してる」

両手をポケットにかけ、無防備に見上げてくる。
大きな目の向こうにどんな感情があるのか、北見には分からなかった。