泣いたら井戸に入れられた

北見は朝から憂鬱だった。

……最悪だ。隣同士で服が被るなんて。

お気に入りのブランドの白いTシャツ。

一限目は神楽と別の教室にいたため、誰にも気づかれなかった。でも、廊下ですれ違ったとき、あ、と女子に振り向かれた。

二限目の英語は通常クラス。気づかれないわけがない。

「うっそぉ…」

北見と神楽がお互いに何か言う前に、女子が騒ぎ出す。

「お揃いのTシャツ!!」
「しかもブランドまで!」 
「北見、めちゃ嫌そう。笑える」

北見は神楽に人差し指を向ける。

「お前、脱げよ。恥ずかしいから」

女子がどっと笑う。

「かぐら脱がせようとするの酷い」
「ぎゃー神楽くん、ネタに体張らなくていいから」

神楽がわざとらしくTシャツの裾に手をかけたのを、女子たちが慌てて止める。

「……脱がなくていい?」

神楽が大きな目で女子を見上げると、女子が目に涙を浮かべて笑いころげる。

「いい、いい。神楽くん可愛い」

北見はふんと鼻を鳴らし、女子と笑っている神楽から目をそらした。

自分が何を期待され、どうふるまえば受け入れられるか、瞬時に理解して実行する。

あざとくてびっくりする。
そんなことをする必要のない、全てを持っているような奴なのに。

「ねー写真撮っていーい?」

女子が、返事も待たずにパシャリと1枚。撮った写真をキャッキャ言いながら見せ合っている。

「おい」

女子のスマホに手を伸ばすが「だめ!よく撮れてる」と渡さない。

「削除しろ、それ」
「やだ。待ち受けにするもん」
「人の顔晒すのかよ!」
「じゃあ着画で」

チャイムが鳴り、教師が入ってくる。北見と神楽の席に集まっていた女子が、慌てて散っていった。


*  *  *


帰宅後。マンションのダイニング。
父親の愛人キョーコが天ぷらを揚げている。北見は、その後ろ姿に昼間の出来事を愚痴った。

「ーーってことがあったんだよ。もうあのブランドの服は着ない」

テーブルに揚げたてのアスパラ天が置かれる。それを口に放り込み、立ち上がって冷蔵庫に行く。
キョーコが菜箸を持ったまま、ちらりと視線を向けてくる。

「へえ。見たかったな。玲くんが困ってるの」

そう言ってふふっと笑う。

「はぁ? 一日中それで絡まれたんだよ! 迷惑極まりない」

「いいでしょ、別に。人気者のあかし」

いや、人気者はあっちだ。
口に出さないのは、プライドがあるから。でも、キョーコの前ならいいかとも思う。

北見は2人分の麦茶を注ぎ、テーブルに戻った。

「そんで、服被った相手が嫌なんだよ!」

「玲くんが嫌って言うの、珍しいね。いつも無関心なのに。どんな子?」

聞かれて、改めて考える。
嫌悪感ばかりが先に立って、神楽のことを冷静な目で見たことがなかった。

神楽は、…そうだな。

典型的な優等生。表面的には明るく、誰にでも好かれる性格で、人前でも堂々と話すメンタルの強さも持っている。

裏に感じるのは、迎合傾向。
苗字が変わったこと、一人暮らしをしていることなどから、家庭環境に問題がある可能性がある。
一見天真爛漫に見えて、実は相手の期待に沿う振る舞いをしているだけのようにも見えるのは、そうせざるをえない環境に置かれてきたからかもしれない。

頬杖をついたまま返事をした。

「……とにかく優等生だよ。マラソンの授業でコケて倒れた奴いたんだけど、トップ走ってたのにあっさり抜けて救護してた」

「へぇー、嫌いなわりに褒めてるのね」

「表面的な事実だけ見ればの話」

キョーコが天ぷらをテーブルに置き、北見の前に座る。二人でいただきます、と手を合わせて食べ始める。

テーブルの上の北見のスマホにメッセージが届いた。女子からだ。

「あーこれ」

うんざりしながら送られてきた写真を見る。
北見と神楽が同じTシャツを着て並んでいる。北見は横顔、神楽は正面を向いて困ったように笑っている。

「今日の写真。いま言った奴、コイツね」

「へぇ、見せて」

そう言いながらキョーコは北見からテーブル越しにスマホを受け取る。写真を見て、息を飲んだ。

「……キョーコさん?」

北見が怪訝そうに目を向ける。
キョーコは、はっとしていつもの穏やかな表情に戻った。

「すっごい、可愛い子じゃない。おばさんびっくりしちゃった」

「キョーコさんはおばさんじゃないし」

言いながらスマホを受け取る。

今日も親父がいない。キョーコと2人の食事は気楽でいい。
北見はごくっと麦茶を飲んだ。


*  *  *


北見が勉強部屋に消えた後。
キョーコは、キッチンで軽い音楽をかけながら電話をかけた。
相手は北見の父親。

「玲くんに、涼くんと一緒に写ってる写真見せられたよ。びっくりした。同じ高校に入れたの? また競わせるつもり?!」

反応はない。キョーコは非難めいた口調で話しながら、足で椅子を引き寄せて座った。

「でも、もうそれはいいの。今さら別の高校に行かせられないから。今は誰に服買わせてるの?」

「適当に頼んでる。百合子が買うこともあるんだよ」 

低い声の向こうで、女の笑い声がした。
ああ、一緒にいるのね、とキョーコは思う。
一階に越してきた、優等生の息子と似ても似つかない、自分勝手なーー神楽涼の母親、百合子。

「じゃあ、皆さんに伝えて。玲くんと涼くんの服は分けてって。同じクラスで服被ったら目立つでしょ」

「同じにしろと言ったんだよ」

面白がるような声音に、キョーコは愕然とする。

「わざと? 玲くんに長野のこと思い出させたくないって、貴方も言ってたのに、絡ませるようなことしないで!」 

反応はない。電話の向こうから、楽しそうに何かを話している声が聞こえてくる。
キョーコは声を張った。

「そもそも涼くんは嫌でもそれ着るしかないんだよ。被ったからって別のを買うこともできないんだから。一人暮らしの高校生に小遣い三千円ておかしいでしょ」

一瞬の間をおき、低い声が響いた。

「学費も家賃も食費もすべて払ってる。服だって俺が買ってるんだから何を買おうと自由だろ」

「だから、そうじゃなくて! とにかく、貴方が動かないならーー」

キョーコは、はっとして言葉を止めた。言いすぎた。

電話の向こうが静かになった。

突然、電話越しにバタンとドアの閉まる音が聞こえた。
嫌な予感がする。

スマホを持つ手がぐっと強張った。意思を持ったらダメだったのに。
人が想定外の動きをすることを、すごく嫌う人なのに。
一階からここまで……何分?

エレベーターの到着音が聞こえた。

「とにかく、もういいから」

慌てて電話を切る。すぐ来る。スマホを持って、もう来る。
エレベーターホールからここまで一直線。

逃げ場はない。