泣いたら井戸に入れられた

キーホルダーを弄んだ日から半月ほど経った。
六限目のあと。
授業の後片付けをして帰っていくクラスメイト達を横目に、北見は机に座ったまま単語帳を開いていた。
隣の席ではまだ神楽がカバンを机に置いて荷物をしまっている。

女子に「北見くん、待ち合わせ?」「デート?」と声をかけられる。

曖昧に笑っていると「吉井さん待ちでしょ。最近仲よさげだもんね」と突っ込まれた。

ーーすぐばれるもんだな。

ばれて困ることはないのだけど。

神楽が立ち上がった。こちらを見ない。何も言わない。
けれど、女子の声が聞こえていたのは確かだ。
神楽のカバンにつけられた吉井のキーホルダーが目の前を通り過ぎる。

佐藤には「人の恋愛に口は出さねぇけど、傷つけるようなことはすんなよ。向こうも、お前自身もさ」と言われた。

向こう、というのは吉井のことか神楽のことか。
どうして自分のことまで心配されるのか。

オレは別に傷ついちゃいないのに。

そう思うのに、佐藤の言葉にふわりと痛みが和らいだ。

教室に誰もいなくなって10分ほどたった頃、吉井が入ってきた。

「北見くん!ごめん、急に先生に呼ばれて」

さらさらのボブヘアが揺れて、頬は上気している。
バッグを持ったまま北見のそばに来て、ーーそれから、バッグを机に置いて教室の入り口に戻り、ガラガラとドアを閉めた。

「ドア閉めるの?」

北見が誘うように笑うと、吉井は赤くなった。

「そうだよ。ダメ?」

「ダメじゃない」

北見は机に腰かけたまま、両腕を吉井に向かって差し出す。
窓の外は夕陽色に染まっている。4階だから外からは見えない。

「付き合ってるんだから……」

吉井が北見の胸に体を寄せると、北見はそっと抱きしめる。

神楽のことが好きだった吉井。
神楽と両想いだった吉井。
でも、今はオレのものだ。
吉井はオレを選んだ……。

「吉井」

北見は吉井の顎を指で持ち上げた。吉井はうっとりと目をつぶる。

神楽が欲しかったものだ。

北見は吉井にキスをする。
触れた温度が流れ込む。

かぐら……。

吉井とキスをするのはお前だったはずなのに。
お前は何も悪いことはしていない。
そんなことは知ってる。

ただ、オレに一方的に嫌われているだけだ。不運だな。
人に悪意を向けられたことがないような明るさ、純粋さ。傷つけられたことのない綺麗な手。負けたら罰、なんて考えなくていい。
それがどんなに人を傷つけるか知らない。

「北見くん?」

吉井の声にはっとする。

ーー吉井を傷つけたいわけじゃない。でも……

北見は吉井を抱きしめる。
抱きしめながらも、思い浮かぶのは神楽のことばかり。

まずい。

けれど、後戻りはできない。


*  *  *


女子に声をかけられる。

「北見くん、今日も吉井さん待ってんの?」
「うん、そう」

吉井との仲はすぐに公認になった。
それでも神楽は何も言ってこない。以前と変わらず浅い会話だけの関係。

ーー怒りもしない。

放課後、いつものように単語帳を広げると、帰りの準備を終えた神楽が隣で立ち上がった。
紺のカバンが目の前を通る。

外されている。

いつも見ているから、すぐに気がついた。
吉井のキーホルダーがついていなかった。こちらが吉井と付き合いだしてからもつけたままにしていたから、オレに対する当てつけかーー未練があるんだろうと思っていた。

でも、神楽にとって吉井はもう、こだわる対象ではないんだ。

ーーそうか。

ーーもう、いいんだ。

北見はスマホを取り出した。

そして、最後になるだろう吉井とのLINE画面を見つめた。