泣いたら井戸に入れられた

席替え。
北見は、「A6」と書かれたクジをちらっと見て、教室の窓際、一番後ろの席に目を向けた。まだ隣に誰もいない。

「一番前最悪」
「ラッキー!ドア横!」 
「神楽の隣行きてぇ」

荷物を持ってがやがやと席を移動するクラスメイトに混じり、北見も移動する。
北見がA6に座ると、すぐにB6の紙を持ったクラスメイトがやってきた。

「あ、北見くんだ。宜しく」

神楽!

人懐っこい笑顔に、一瞬、うわっと気圧される。

「えー!神楽くん、北見くんの隣なの?」
「やだ、神席誕生」

ーーうるせぇ。そんなことより。

堂々と英語でスピーチした神楽が、どれほどできるのか気になって仕方ない。
神楽が来てから勉強時間が増えた。次の期末で学年トップに戻れなかったら……。

父の顔が頭に浮かんで、背筋がぞわりと寒くなる。

「どうも」

それだけ言って、顔を背ける。
別に、神楽にだけそっけないわけじゃない。誰も気にしないだろう。

「ほら、もう授業始めるから静かに」

担任が声をかけると、すっと教室が静かになった。
教科書を広げる音や、ノートをめくる音だけが聞こえる。

「きたみ!」

突然、神楽が小さな声で話しかけてきた。
北見が顔を向けると、人懐っこい笑顔。毒気を抜かれる。

「シャー芯ある? 一本欲しい」

「あ、ああ」

ケースから出して二本渡す。

「サンキュ!」

神楽は、消しゴムを抜いてシャー芯を入れ、カチカチとノックしている。
器用そうな白くて細い指で、そういえば女子が「神楽くん、手が綺麗!」と言っていたことを思い出す。

数学の授業が始まった。
頬杖をついて黒板を写していると、隣の神楽もノートを取っている。

確かに手が綺麗だ。
多分、人を殴ったことも、殴られそうになるのを必死に防いだこともない、手。

神楽がシャーペンを置いた。

と思ったら、手を机の下にいれた。

ーー見すぎたか。

北見はふいと目を反らす。
黒板を書く音が続いている。

「じゃ、次の問題、北見! 北見?」

オレが呼ばれてるーーのか?

考え事をしていて、タイミングが遅れた。
返事をしようとした途端、

「あ、は、はい!」

ガタン、と乱暴な音を立てて神楽が立ち上がった。先生もクラスメイトも驚いて神楽に注目する。

呼ばれたのは、オレ。神楽じゃない。

先生は「え、まあ神楽でもいいけど……」と面食らっている。クラスはどっと笑いに包まれた。

「北見くんのこと考えてて、返事しちゃったの?」
「これ以上好感度上げようとすんなよ!」

「あ……」

神楽は笑われて真っ赤になっている。

「そうなんです。北見のこと考えてて間違えました。すみません!!」

神楽が堂々と言うと、クラスメイトたちが笑う。

ーーは? ボケッとして間違えただけのくせに。オレを巻き込むな。

「当てたのは北見だから、北見やれ!」と、先生。

「あーすんません。やります」

北見は無表情で立ち上がる。クラスの温かな雰囲気が気持ち悪い。

ちょっとしたミスを笑ってもらえるなんて、いいポジションに収まったな。
きっと本気でミスったって許して貰える。

教室中が神楽に温かい視線を向けている。
無言で黒板に向かう途中、友人の声が後ろから響いた。

「北見がやるそーでーす!」

明るい声援に、教室は再び楽し気にざわめく。また静かに戻っていく。

くだらねぇ。

北見はチョークを黒板に向ける。
けれど、意識は後ろから見ている筈の神楽に向かっていた。

コイツより上にいなければ。

脳裏にまた父の顔が浮かぶ。
背筋が冷える。黒板に向かった手のシャツの袖口から、黄色くなった手首のあざがのぞく。

白い粉のついた指先が、わずかに震えた。