泣いたら井戸に入れられた

部屋に父がいた。

そこだけぽっかりと黒い穴が開いたようだった。父は北見の椅子に座っていた。

手には、北見のスマホを持っている。
PCには、これから見ようと思っていた動画。包丁を握る神楽の手が映っている。

父に見られてしまったのだろうか。
動画もLINEも、どこまで。

神楽の家に行ったことも、色々探っていたことも…どこまでバレているのか。

冷たいシャワーを浴びたばかりなのに、背中に汗が伝う。

「全部見たよ」

父はにこっと笑った。TV番組で振りまいているよそゆきの綺麗な笑顔だった。
北見は部屋に入り、ドアを閉める。

息が……苦しい。

部屋に入らないという選択肢はない。
北見が、他に誰も来ないはずの部屋なのに内鍵を閉めると、父が目を細める。

「そう、それでいい」

逃げ道は自分で塞ぐものだよ、と、昔言われたことを思い出す。

北見はドアの前に立ったまま、一言も発することができない。
だんだん脳が白い何かに支配されていくのが分かる。思考が奪われていく。
考えることを放棄すれば怖くない。言葉を手放せば、それはただの風景だ。

「さっきさ、女の子のところに行ってたって言ったよね?」

言った。
そう聞かれたから、都合よくそのまま肯定した。愚かだった。

今更嘘などつけるわけがない。
全て話せば許してもらえるかもしれない。北見の口から淡々と言葉があふれてくる。

「女子……と一緒に行った。学校のクラスのヤツの家。……か、神楽涼の家。席が隣で、女子に誘われて仕方なく。別に仲良くしてるわけじゃない。一人暮らししてるっていうからどんなものかと思ったけど、案外面倒くさそうだったよ。一回行って満足したから、次はもう行かない……」

「へぇ」

父は、くすりと笑った。

「玲は、涼くんのお料理動画をPCに映して見るほど好きなんだ」
「それは……!」

神楽と、目の前にいる父親との関係を知りたかった。知ることで、父とキョーコが隠している何かに近づけるかもしれないと思った。

だんだん足の感覚がなくなってくる。立っているのもやっとになってきた。父親の視線も、スマホを持つ手も、組んだ足も、一つ動くたびに背中に恐怖が駆け上がる。

父が北見のスマホを親指でなでた。

「玲を待ってる間にね、女の子から電話がかかってきたんだ。LINEにアップした動画、もしダウンロードしてたら消してって言ってた。声が似てるから気づかれないの面白いね」

「!!」

電話を勝手に取られた。
苦痛よりも怒りよりも、全てを見られているような絶望に襲われる。

「でさぁ、どんな動画かなって気になるじゃない。玲がのんびりシャワー浴びてるから、全部見ちゃったよ。女の子ひどいよね。プライバシーもあったもんじゃない」

「……」

「ま、リクエスト通り動画は消さないとね。消すって約束しちゃったし」

そう言いながら、北見の父親はPCとスマホを操作する。北見は指一本動かすこともできない。

クラウドやキャッシュ、ごみ箱からも削除したところで、父は腕組みをして、立ち尽くしている北見に静かな目を向けた。

「これで全部? 実はメールで送ってましたとか、USBに書き出しましたとか、後から出てくると困るんだけど。女の子に嘘ついたことになっちゃうし……」

「全部」

北見はかすれた声を絞り出す。
書き出す暇はなかった。それで全部、終了だ。

父はもう笑っていない。スマホを置いて腕組みをした。

ーーあ、ダメだ。

北見の体から急速に力が抜けていく。
冷や汗が頬をつたう。
鍵のかかったドアの前に、ガクリと膝をつく。

間違えた。自由を掴んだなんて、思いあがったらダメだったのに。

父が立ち上がった。
指先が震える。

ああ、こういう時どうすればいいかは、知ってる。
自分はここにいないと思えばいい。




数時間後。
父親の足元に、北見が横たわっていた。

視点の定まらない目は生気を失っている。床に放りだされた手首には、縛られた跡がぐるりとうっ血して残っている。父はかがんで、北見の濡れた白い頬に手を当てる。

「寝てるのか?」

返事はない。

ーー暗い。冷たい。井戸の中にいるみたいだ…
ーー頭が痛い。怖いよ、きょうこさん……それから…

北見は遠い意識の中で助けを求める。

「……」

父は落ちていた北見のスマホを手に取り、立ち上がった。画面をタップして ”佐藤”を選び、「38度ある。欠席、先生に伝えて」と書いて送信する。

その後、スマホを充電台に置いた。光が消えるのを見届けてから、部屋を出ていった。


*  *  *


翌朝。

佐藤は北見の席に座り、女子としゃべりながら神楽を待っていた。

ーー神楽も遅いなぁ。

昨晩、北見から欠席を伝えるLINEメッセージが届いていた。
返信したら「明日ノート見せて」と返ってきた。北見らしい。女子に話したら「お見舞い…」と言い出したので慌てて止めた。

「イケメンパパに会えるかもしれないのに?」
「北見郁人さんでしょ! めちゃくちゃ若いし、カッコイイよね!」

北見の父親は最近良くテレビに出ている。
北見曰くまだ30代らしく、北見以上の長身と洗練された佇まいで女性人気がすさまじい。

「……お前ら」

佐藤はため息をつく。

ぴこっ、と佐藤が持っているスマホにメッセージが届いた。

「あ」

佐藤は思わず声をあげた。

「神楽も休みだ。熱出てるって。風邪菌飛んでたんかな?」
「まさか食中毒ってことは……」
「それはない、もしそうなら皆倒れるし、食中毒で熱はないだろ。でもこれーー」

佐藤がぷっと笑ってスマホ画面を女子2人に差し出す。

LINEの送信元を指で隠し

「38度ある。欠席、先生に伝えて」
というメッセージを見せる。

次に別のトークを出し、そこには

「熱でた!休むって先生とみんなに言っといて!」
と書かれていた。

「名前隠しても、どっちがどっち書いたか分かるだろ」
「最初のが北見でしょ」
「神楽くん、神楽くんのまんまじゃん」
佐藤と女子は笑った。

「二人とも、心配だけど……」
「早く元気になるといいね!」
「だな」

ーー二人とも大丈夫なんかなぁ。

顔では笑いながら気になってしまう。
どちらも大切な友達だから。