結果主義の皆様へ

 新鮮な空に包まれた校舎。側面の影は青色を帯びてる。
去年までは夕日に染まったところか街灯に照らされたところしか見たことなかった。
そんなことをぼんやり思い浮かべながらいつもの自動ドアをくぐる。
受付に学生証を渡して、指定したいつもの席へ向かう。
 去年のこの頃に一つ気づいたことがあった。
毎年、四月になると自習室に新しい背中が現れ出す。腕の動きは止まることを知らないみたいで、まるでつくしが目を出すみたいに。そして朝露を飲んできっとにょきにょきと背を伸ばしてく。

 でもそこにあったのは丸くて厚い背中だった。
頭には黒い毛のところどころに白色が混じってる。
腕の動きもゆっくりしてた。

一瞬だけその背中が目が離れなかった。
けれどすぐにいつもの席に腰掛けて荷物を机上に広げる。
でも参考書を開く時にもう一度、一席空けて隣を仕切り越しに見た。

 授業が終わった昼頃。
昼休憩にはまだ行かず粘ってた。あと一問と。
自習室には自分と一席隣だけ残ってる。
 もうその丸い背中は問題を解く邪魔はしてこない。

 そろそろ切り上げようとした時だった。
目の端で何か小さいものが落ちてくのが分かった。そしてそれと同時に床からコトッと音がする。

 なにこれ。
拾い上げるとそれは奇妙な図形が描かれてる。
サイズ不揃いのカラフルな四角形。

「……ぁっ」

ただの、消しゴムだった。カバーにイラストがついてる。
 確かこの絵は

「「赤青黄のコンポジション」」

ふと顔を上げると、一席隣がこちらを見てた。
四十か五十くらいのしわがあるおっさん。
短い髪で、ちょっと丸っちょい。

「ピエト、モンドリアンが描いたの。知ってる?」

「え?」

「それ」

太い指が手のひらの消しゴムをさした。

「いいでしょ。なんか面白くて。それ僕が描いたんだ」

笑うと口と目の周りのしわが浮き出て見える。
垂れたような柔らかい笑い顔だった。

「そ。これおじさんの?」

「うん」

「じゃあ」

落とし主が判明したところで、それをおっさんの机に置いて去った。これ以上話す意味もないし。
ただ、あの顔はさっきの背中みたいに少し頭の中に残った。

スマホの時計とバイトの予定を確認した。この十五分後には電車が来る。
机に散らばったノート、参考書、筆記用具、単語帳を順番にリュックに詰めた。
カバンを片肩にかけて席を立つ。
外に出ると少しだけ身震いした。

「寒っ……」

確か夜は十一度になる予報。
両手をコートのポケットに突っ込んで歩き出す。

「あっ、君っ」

予備校の隅のベンチを通りかかった時だった。

「……あぁ」

無造作に開かれた足とだらしない背中。
それにさっきの顔が自販機の光に映し出されてる。

「お疲れ。なんか飲んでく?」

そう言うおっさんの手にはコーヒーが包まれてた。

「それナンパ?」

「違うよ。さっきのお礼。それに朝から頑張ってたじゃん」

「よっこしょ」と重そうな腰が持ち上がった。
自販機の前に立って持ってるコーヒーと同じのを指さす。

「苦いの飲める?」

「いや。飲まないって。おっさんだけで充分でしょ。俺より先に朝いたし」

「そっか。確かに」

そして一口缶に口をつけた。

「でもさっきはね、あともう少しで危なかった」

「え?」

おっさんが鞄を漁り始めた。そして赤青黄のコンポジションを出して見せてくる。

「悪い人に見つかったら高値で売られるかもだから。この綺麗なコンポジション」

宝物を自慢するみたいに歯を見せて笑った。

「はぁ……?」

自分より少し太いかさついた手のひらで転がった消しゴムは正確で綺麗でも大して価値がある様に見えなかった。