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「え。百合亜が万引き……」
クラスでその噂が持ち上がったのは、夏休みに入る前の期末テストの最中だった。朝教室に入るなり、クラスメイトの一人がひそひそと皆に教えていたところに、あたしも入っていった。
「うん。昨日スーパーでね。限定品のお菓子パクっちゃったんだって」
そのお菓子はあたしも知っていた。キャラクターのカードがついているのだ。だから通常よりも値段が高かった。と言っても確か千円もしなかったと思うが。
「なんでそんなの万引きしちゃったんだろう」
百合亜のうちはわりと裕福だ。ちょくちょく放課後カフェに行っているくらいだから、数百円くらい簡単に出せるはず。あたしが首を傾げていると、クラスメイトは続けた。
「いや、なんかさ。百合亜の彼氏いるじゃん。その彼氏にゲーム感覚で万引きに誘われたらしいよ」
「ゲーム……」
あたしは呆れてため息をついた。
万引きなんて単なる犯罪だ。ゲームなんかじゃない。
「あたし丁度そのスーパーで買い物してたんだ。で、警察来てね。百合亜のお母さんが呼び出されてた」
別のクラスメイトが尋ねた。
「捕まっちゃったの? えー。内申やばいんじゃない?」
「だよね。百合亜、推薦狙ってたみたいだけど、これで消えたね」
クラスメイトたちはまだざわざわと内緒話をしていた。内緒にしては声が大きかったが。 そうこうしているうちに予鈴が鳴った。あたしはHRが始まるので席に戻った。席に着きながらあたしは写真の中の百合亜の彼氏を思い出した。
彼氏に乗せられちゃったのか。チャラそうだったけど、本当にチャラ男だったんだなあ。 百合亜も少しチャラいところはあったけど、犯罪を犯すようなタイプじゃなかったのに。付き合う相手が悪かったね。
あたしは深いため息をついた。
あーあ。百合亜バカだね。やっぱり、男は顔だけで選んじゃダメだよね。もう子供じゃないんだからさ。
先生が教室に入ってきた。百合亜は体調不良で欠席だそうだ。昨日の今日では気まずいのだろう。
あたしは何気なく斜め前に着座する大川くんを眺めた。
その点、あたしの彼氏は性格良しの人だから完璧!
そう思いながら内心にやついていると、大川くんがふと振り返った。
あたしは咄嗟ににこりと微笑んだ。
大川くんはつられたように微笑んだが、そのあと、眉を寄せて再び前を向いてしまった。
百合亜は三日ほど学校を休んだ後、普通に登校してきた。さすがに少し気まずそうではあったが。
「いや、参った。推薦消えた」
百合亜は空元気なふうにそう笑った。周りも反応に困って苦笑していた。その場にはしばらく沈黙が漂った。
あ。けっこう後悔してるっぽい。
なんとなくあたしは百合亜に同情してきた。 そうだよね。百合亜は万引きなんかするようなタイプじゃなかったもん。彼氏選びに失敗しただけ。
あたしはそっと百合亜の顔を見つめた。すると百合亜は「よし!」と空気を変えるように自分の頭を叩いた。
「仕方ないから勉強頑張る。一般で入る!」
百合亜がにこっと笑ってピースサインをした。気持ちを切り替えたようだ。
「そうだね、頑張って」
「一緒に一般で頑張ろうぜ!」
「切り替えてこー。おー!」
皆が口々に百合亜を励ました。あたしも少しほっとして「百合亜の成績なら大丈夫だよ!」と彼女の肩を叩いた。百合亜は「ありがと!」と皆に向かって今度はダブルピースサインをした。
ふと顔を上げると、こちらを見ていた大川くんと目があった。
大川くんは、先日のように眉を寄せると、ふっとあたしから目を逸らした。
その日の放課後、あたしはいつものように大川くんと帰り道を歩いていた。
日が長くなったので、街はまだ明るかった。「大川くん、なんか飲んでく?」
あたしはたまに立ち寄るカフェに誘ったが、大川くんは難しそうな顔をして「いや、今日はいい」と言うだけだった。今まで大川くんがあたしの寄り道の誘いを断ったことはなかったので、あたしは不思議に思った。
今日大川くんは元気がないような気がする。話が弾まない。いや、不機嫌な感じ?
あたし何かしたかな。
思い返してみても、何も思い浮かばない。
いつもの並木道をいつもとは少し違う気分であたしたちは歩き続けた。
会話が弾まないまま、分かれ道の交差点に着いた。
「じゃ、あたしこっちだから、また明日」
笑顔を作って大川くんに手を振ろうとすると、その手首を掴まれた。
「な、なに?」
あたしはびっくりして声が上ずってしまった。大川くんははっとしたように目を見開いてから咳払いをした。
「ごめん、びっくりさせて」
「ううん、大丈夫!」
あたしが笑うと、大川くんは真面目な顔で「あの」と口を開けた。
「ああいうの、俺許せないんだよね」
「へ?」
ああいうの、とは、どういうの、だろう。
あたしがきょとんとしていると、大川くんは「万引き」と続けた。どうやら百合亜の万引きの件らしい。
「うん。万引きはダメだよね」
あたしが同意すると、大川くんはふるふると首を横に振った。
「万引きなんかしといて、これから勉強頑張るからって応援されて、なんかそれ、甘いよね」
「え」
確かに万引きはダメだけれど、立ち直ろうとしているのだから、応援しても良くない?
一瞬そう思ったが、大川くんの醸し出す雰囲気から、それを言ってはいけない気がした。あたしは黙って大川くんの次の言葉を待った。「例えば千円万引きしたとして。お店は千円損しただけじゃないんだ」
「そうなの?」
大川くんは勢いよく頷いた。
「そうだよ! 千円売っても店が得られる利益は千円なわけじゃない。もし利益が二百円だったら。お店は千円の利益を得るために一個売ればいいわけじゃないだろう? そう、五個その商品を売らないといけないんだ」
「く、詳しいね」
意味がわかったようなわからないような気がしたが、あたしはそう相槌を打った。大川くんは悲しそうに首を横に振った。
「そんなの常識だよ。町田さんでさえ知らないんじゃ、もっと物を知らない人たちは知るわけなかったね。だから万引きなんて馬鹿なことをする」
「う、うん」
万引きは馬鹿なことだ。それには同意するのに、何故かもやもやとしたものがあたしの頭に広がった。
「というか、利益とかだけの問題じゃないよね。人の所有物を盗んだ、それだけでもう許せないよ」
「うん、盗みはダメだよね」
言っていることはわかる。だから同意した。そのあたしの行動は間違ってはいない。だが、大川くんは怒りが収まらないような様子で続けた。
「町田さんはさ、ホントにダメだと思ってる? 一度でも万引きした人間は、それなりの報いを受けるべきだ。百歩譲って希望校に合格できたとしても、クラスメイトからの制裁くらいは受けるべきだ」
「せ、制裁って?」
あたしがびくびくとしながら尋ねると、大川くんははっとしたように口を噤んだ。そしてしばらく考えこんでから再び口を開いた。
「そうだ。いじめや無視なんてしてはいけない。そうだったよ。……でも、我慢できない。せめてしばらくは深く反省して欲しい。へらへらしながらクラスメイトから応援されるなんて、許されない」
「そ、そう?」
「そうだ」
大川くんは頷いた。
「犯罪者が、そんな簡単に幸せになっていいはずがない」
そして大川くんは「引き留めてごめん」と吐き捨てるように言って、交差点を渡っていった。あたしはなんとなく釈然としないながらも手を振って彼を見送った。
万引きはダメだよね。大川くんは正義感が強いからそう思うよね。そういうところを好きになったんでしょう?
そう思うのだが、何か心に靄がかかったような気持ちがする。
目の前の信号は赤に変わった。
残されたあたしは、ぼんやりと彼の後ろ姿を見続けた。



