『其の九 恋をしてはならない』(ホラー/ハピエン)

 高校が遠いから、彰良の朝は早い。朝六時ごろ、けたたましい音で鳴る目覚ましに起こされて、欠伸をしながら階段を降りていく。
 顔を洗いリビングに行けば、既に制服を着た一つ上の姉が、トーストに齧り付いていた。

「彰良、寝癖付いてるわよ」

「んー……」

 パジャマのままリビングの椅子に座れば、呆れたような顔をした母親がポンポンと頭を優しく叩いた。それに曖昧な返事をして、焼かれたパンにマーガリンを塗っていく。眠い目を擦りながらパンに齧り付いていたら、携帯からメッセージの到着を告げる音が鳴った。

 瞬間、眠気が何処かに吹っ飛んでいく。ポケットにいた携帯を急いで机の上に出せば、そこには侑斗からのメッセージが表示されていた。

『昨日発売した新曲、携帯に入れたから一緒に聞こう』

 昨日は彰良と侑斗が好きなグループの新曲CDが発売された日だった。配信日は一週間後だから、配信で聴こうとすると少し先になってしまう。
 彰良はそれでいいと思っていたが、侑斗はそうではないらしい。

『めっちゃ聴きたい!』

 そう返せば、目つきの悪い黒猫がサムズアップしたスタンプが返ってくる。侑斗のお気に入りで、よく使うスタンプだ。最初は男の割に、随分と可愛いスタンプを使うものだと驚いたが……段々と見ているうちに、なかなか味があるかもしれないと思うようになった。

 そんな風に携帯を見つめていたら、目の前に座っていた姉の彰子が、頬杖をつきながら、じーっと彰良を見つめてきた。

「彰良、好きな人でもできたの?」

「……なんで?」

「だって、最近ずっと携帯のLein見てるじゃん。今だって、いきなりニヤついたりしてさ」

 ニヤついていただろうか。恥ずかしくなって、自分で自分の顔を隠すように手のひらで口を覆う。

「つーか、姉ちゃんは彼氏とはどうなんだよ。歳上なんだろ、相手」

 自分の姉には、随分と歳の離れた彼氏がいる。それなりにいい会社の社員をやっているらしいが、彰良からすれば、女子高生に手を出すのはどうなのだろう、という小さな不安があった。

「そー! もうめっちゃかっこいいの。私にメロメロなんだから!」

 話題を逸らす為とはいえ、聞かなきゃ良かった。そう暗に顔に出ていたのだろう、台所にいた母親がクスクスと笑った。



「おはよー」

「……おはよ」

 満仔駅と書かれた寂れた看板の前で、毎朝侑斗と待ち合わせをする。ピシッと伸びた背筋に、新品のように綺麗な制服。田舎に住んでいるとは思えない洗練された雰囲気に、彰良は眩しくて腕で目を覆った。

「えー、なに?」

「侑斗、今日も輝いてる」

「なにそれ、意味わかんないって〜」

 軽口を叩きながら、屋根があるだけの駅のホームに歩いていく。しばらく待てば、二両編成の小さな電車が来たから、二人は二両目に乗り込んだ。

 一両目には、姉の彰子が乗っている。侑斗になんで姉と違う車両に乗るのかと聞かれたが、姉弟とはそういうものだ、そう言えば、侑斗はそれ以上は聞いてこなかった。

 別に姉と不仲なわけではない。思春期の彰良には、姉と話をしているところを見られるのは、ただ気恥ずかしさが勝った。
 座席の隣同士に腰掛けて、一つのイヤホンを共有する。侑斗が携帯を操作すると、シャカシャカと音が聞こえてきた。

「これ、昨日の新曲」

 耳に届くドラムの重低音に、ボーカルのメロディライン。激しいリズムとは裏腹に、何処か切なさを帯びていて。

「うわ、かなり好みかも……」

「だろー? 彰良に早く聴かせたくてさ。頑張ってCDから携帯に取り込んだんだ」

 あと数日待てば配信されるのに、どうして侑斗はわざわざCDから曲を取り込んだのだろう。メッセージを受け取った時に思った小さな疑問。それが彰良の為だと知って、驚きと共に、嬉しさが彰良の胸を満たしていく。
 毎日の侑斗との通学時間。それは彰良にとって、毎日の楽しみの一つだった。

 曲を聴くことに夢中になっていたのだろう。いつの間にか肩が触れ合う程に近くなっていて、咄嗟に彰良は身体を離した。

「……と、ごめん」

「え? なにが?」

「……肩がぶつかったこととか……?」

 自分でもなにに謝ったのかよくわからない。彰良の言葉に、侑斗は破顔した。

「ぶは、今更じゃん」

 それはそうだ。一つのイヤホンを共有しているのだから、肩がぶつかったことなど数えきれないほどある。

「それよりこっちの曲も聴いてよ。結構良くてさ〜」

 侑斗が当然のように彰良に身を寄せてくる。肩がぶつかるどころか、身体がぴったりとくっついてしまった。同じ携帯の画面を覗き込めば、侑斗の吐息を間近に感じる。

 どうしてだろう。今日はやけに心臓がドキドキとうるさい。その時間彰良の耳には、侑斗の声以外なにも入ってこなかった。