[完結]『其の九 恋をしてはならない』(ホラー/ハピエン)

 夏休みも半ばを過ぎたあたりの事だ。彰良はその日、高校の同級生から呼び出しを受けていた。
 遠くから、運動部のかけ声が聞こえてくる。学校の裏庭にある花壇に腰掛け、呼び出した人物が来るのを待っていれば、一人の少年が、彰良を見つけると小走りで近づいて来た。

「こんなところに呼び出して、なんの用だよ」

 特徴的な坊主頭に、部活中なのであろう汚れた野球のユニフォーム。彰良の苦手な同級生、小林勝。
 もう少し待っても来なかったら、帰るところだった。本当は、すっぽかそうと思っていたぐらいだ。

「お前、お前が前に、喫茶店の話を出しただろ」

「はあ?」

 それが一体なんだというのだろうか。もしかして、そんなどうでも良い理由で呼び出したのか?
 少しだけ腹が立ち始めた彰良に、しかし小林の様子が尋常でないことに気がついた。

「喫茶店で、パフェを食べていたこと、黙っててくれないか。金ならやるから、なあ、お願いだよ彰良」

「お前、何言って……」

 何故そこまでパフェを食べていたことを隠そうとするのか、理解できない。そんな時だ。以前廊下の踊り場で、氷見子から聞いた話を思い出した。



 それはただの雑談だった。氷見子が食べ終わった弁当箱を片付けながら、なんとなしに話し出す。

「小林のヤツさ、お父さんがすごいじゃん。元プロ野球選手ってヤツ」

「でも二軍だろ?」

 彰良の顔にありありと浮かんだ不満の色に、氷見子が苦笑した。なんでいきなりアイツのことを褒めるような話をするんだ。そんな気持ちが彰良の表情から滲み出ている。

「まーそうなんだけど……だからさ、子どもにもそれを期待してんの。自分の息子を世界一の野球選手にするんだーって」

「じゃあなんで小林のヤツ、もっと野球が強い学校に行かなかったんだよ」

 彰良たちの学校は普通の公立高校だ。野球部は少しばかり強いらしいが、甲子園に行くような高校とは比ぶべくもない。
 彰良の言葉に、氷見子が押し黙る。ややあって、ゆっくりと口を開いた。

「……小林ね、本当は、野球好きじゃないの」

 その言葉に、驚いて目が丸くなる。意味が分からなかった。だって小林は、彰良にとってずっと野球大好き少年だったから。

「食事制限とか、異常なほどのスパルタ練習とか、結構厳しいこともしてて……。小林の坊主、本当はね、ストレスでハゲてるのを隠してるの。円形脱毛症ってヤツ」

「なにそれ……そんな話、知らねぇし」

 だからといって、今までの態度を飲み込める程、その時の彰良は大人にはなれなかった。
 風呂敷で包んだお弁当箱を、鞄の中にしまい込む。氷見子が彰良の言葉に、苦笑しながら同意した。

「本当だよね。小林にどんな事情があったって、人をいじめていいわけじゃない」

 氷見子の眼差しが、悲しげに揺れている。その視線の先には、一体何が映っていたのだろう。
 何処か遠くを見るように、ゆっくりと氷見子が目を細めた。

「どうやったら全員が、笑って暮らせる世界になるんだろう」

 分からない。分からないから、彰良は黙るしかなかった。
 それはとても、途方もない話に聞こえた。



 喫茶店でパフェを食べる。たったそれだけのことを人に知られるのが、小林にとってそれほどに恐ろしいのか。それほどまでに、追い詰められているのか。

「別に金なんかいらねぇよ。それに、誰だってパフェぐらい食べるだろ。なに気にしてんだよ」

「……、お前には、わかんねぇよ」

「分かるわけねぇだろ。お前のこと、知らねぇんだから」

 彰良の言葉に、小林がグッと下唇を噛み締める。その姿を、彰良はじっと見つめていた。
 今まで見ないようにしていたものを、真正面から真っ直ぐに見つめる。いつも傲慢に笑っていた表情が、今は不安げに揺れていた。

 知らなかった。小林勝という人間は、こんな顔をしていたんだ。

「……だから、教えろよ。お前のこと」

「え……?」

 もっと知りたい。自分の周りの人間のことが。この世界のことが。この両手から溢れて、抱え込めない程に。

 今のままじゃダメなんだ。

 彰良は成長しなければならない。大好きな侑斗の隣を、胸を張って歩けるように。