[完結]『其の九 恋をしてはならない』(ホラー/ハピエン)

 気がついたら、蹲ったまま眠ってしまっていたらしい。顔を上げれば、部屋の中が薄暗くなっていた。もう子どもの声は聞こえてこない。

 恐怖の抜けきらない身体を叱咤し立ち上がる。確認のために服を捲れば、胴体を巡るように大きなまだら模様の痣が広がっていた。

 まだギリギリ服で隠れるが、これ以上大きくなると隠すことも難しいだろう。

 侑斗にバレる前に、どうにかしなければ……。

 ふらりと覚束ない足取りで一階に行けば、夕飯を作っている母親の背中が見える。その姿に、彰良はホッと身体の力をぬいた。
 ソファに座ってテレビを見ている父親の横に腰を下ろす。台所から漂う醤油を焼いた香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐった。

 侑斗は今頃どうしているだろうか。東京のどんなところで育ったんだろう。侑斗のことを、たくさん知りたいと思う。
 彰良にとっての故郷はこの場所だ。親も祖父母も、ずっとこの場所で暮らしてきた。彰良の祖父母は、もう亡くなってしまったけれど。

 そんなことを思った時だ。はたと彰良はあることに気がついた。

「ねえ、父さんはさ、斑目童子に呪われたけど、寿命まで生きた人のことって知ってる?」

 静弥が言っていた人がこの町の出身なのだとしたら? 高確率で、両親が知っている可能性がある。何故ならこの田舎で、秘密を秘密のまま持っておくのは至難の業だからだ。

「おー、そりゃ山田さん家の爺さんだな。ほら、一昨年93歳で大往生した。彰良も良くスイカ食いに通ってたろ」

 父親の言葉に、数年前の記憶を呼び起こす。彰良の家から5分ほど歩いたところにある、田んぼに囲まれた家にいたおじいさん。
 作ったスイカやとうもろこしを子どもたちに振る舞うのが大好きで、いつも同い年だという奥さんと一緒にニコニコと笑っていた。

「斑目童子に呪われたんだってよく言ってたぞ。なんか胸の辺りに痣があったな。薄くてよく分からんかったが」

 どうやら自分から言いふらしていたらしい。しかし実際に寿命まで生き残った人がいると聞いて、少しだけ勇気が湧いてくる。
 このままではダメなことくらい、彰良にも自覚できていた。

 夕食を食べた後、部屋に帰る途中で姉に声をかける。少しだけ戸惑ったが、背に腹は変えられない。

「姉ちゃん、今日姉ちゃんの部屋で一緒に寝ていい?」

「……はあ?」

 今の彰良に、自分の部屋で一人寝る勇気はちょっとなかった。


 § § §


 お昼の時間を少し過ぎた頃に、山田さんの家を訪ねる。インターホンが壊れていたから、すいませんと大声を出せば、中から自分の母親と同じぐらいの歳のおばさんが出てきた。

「あら彰良くん。よく来たわねえ」

「あの……突然お邪魔しちゃってすみません」

「いいえ、来てくれて嬉しいわ。うちで作ったスイカも食べていって」

 突然来訪した彰良に嫌な顔をせず、山田のおばさんは冷たい麦茶とスイカを出してくれた。
 部屋の奥で、ロッキング・チェアに座ったおばあさんが、ユラユラと揺れている。
 つい数年前まで彰良を出迎えてくれたのは、あのおばあさんと、亡くなったおじいさんだった。過ぎた月日を感じて、なんだか少しだけ切なくなる。

「実は、斑目童子のことを調べていて……」

「そうなの。実は前にも聞きにきた子がいるのよ。なんて名前だったかしら、とってもかっこいい子でね」

「もしかして、橘侑斗ですか?」

「そうそう! なんだか不思議な雰囲気のある子で、おばさん見惚れちゃった」

 どうやら侑斗が前に来ていたらしい。もしかして、彰良の知らないところでも、侑斗は斑目童子について色々と調べていたんだろうか。

 いつも飄々としているけれど……侑斗はきっと、彰良が呪いにかかったことに、自責の念を抱いているのかもしれない。

「斑目童子の痣はね、一度は身体を覆うぐらい大きくなったんだけど、呪いを乗り越えたから小さくなったんだって言ってたわ。実際、おじいちゃんの痣はほとんど消えかかってた」

「呪いを乗り越えた……」

「そう。どういう意味なのかはさっぱり分からないんだけどね」

 なんというか、全然参考にならない。心の声が顔に出ていたのだろう。彰良の顔を見たおばさんが、クスクスと笑った。

「その、呪われた理由とかは、分からないですか?」

「それがね、おばあちゃんとの秘密だとかで、詳しい事情は教えてくれなかったの」

 おばあちゃん……というと、部屋の奥にいるおばあさんのことだろう。当事者がいるのであれば、直に話を聞くに越したことはない。

「あの、おばあさんに話を聞くことは……」

 彰良の言葉に、おばさんがゆるく首を振った。

「ごめんなさい。おばあちゃん認知症でね、もう会話もおぼつかないの」

 予想していたことだが、少しだけ肩を落とす。そんな彰良を見て、おばさんが考えるように頬に手を置いた。

「これは秘密なんだけど……実はね、呪いの痣、おじいちゃんだけじゃなくて、おばあちゃんにもあるのよ」

「ええ!?」

「ねー、どういうことなんだって思うわよね」

 二人一緒に呪われたということなのだろうか? 全然意味がわからない。話を聞こうにも、おばさんも、詳しい経緯は知らないらしかった。

「おじいちゃんとおばあちゃんは当時は珍しい恋愛結婚でね。駆け落ちだったそうよ」

「へえ……」

 駆け落ちなんて、ドラマでしか聞いたことがない話だ。なんだかロマンチックだな、なんて思っていたら、おばさんが少しだけ、切ない顔をした。

「色んな人たちから反対されて、すごく苦労したみたい。だけど……最期まで二人寄り添っていたの」

 素敵な話よね。そう言っておばさんは、おばあさんを見て笑った。

 少し前までは、自由に好きな相手と結婚もできない時代があった。今目の前にいるおばあさんにも、彰良の想像もつかない苦労があったのかもしれない。

 おばあさんが、彰良の方に手をちょいちょいと動かしている。呼ばれているのだと思い近づけば、おばあさんが彰良の方を向いて、ゆっくりと顔を見た。

「だぁいじょうぶだよ」

「……え?」

 隣にある椅子に腰掛ければ、おばあさんの手が、ゆっくりと近づいてきた。どうするのかと見ていれば、それは彰良の頭の上に置かれる。温もりに少しだけ驚いていると、そのまま頭を優しく撫でてくれた。

「だぁいじょうぶだよぉ、あきらぁ」

「うん……」

 おばあさんが、彰良の事情を知っているはずがない。けれどまるで、応援されているみたいで。久しぶりの感触に、なんだか少しだけ泣きそうになる。
 何故だろう。彰良はその日しばらく、その場所から動けずにいた。

「こんなに長い時間相手をさせてごめんなさいね。おばあちゃん、普段は無口なんだけど……彰良くんに久しぶりに会えたのが、嬉しかったみたい」

「いえ……こちらこそ長い時間すみません。今日はありがとうございました」

 たくさんの野菜の入った袋を持たされて、一人帰路に着く。

 夕立が降ったのだろう。少し湿り気の帯びた空気に緑の匂いが鼻を掠める。空が赤く染まる中、ひぐらしの鳴き声が辺りに響いていた。