[完結]『其の九 恋をしてはならない』(ホラー/ハピエン)

 鋭い日差しが大地を照らしている。蒸されるような暑さの中、侑斗と彰良の二人はもう一度満仔神社の洞窟前に来ていた。
 きゃいきゃいと町の子どもたちが洞窟探検の準備をしている。その横に立つ看板を見ながら、流れ出る汗を腕で拭った。

 この場所までは呪いのルールを確認しに来たのだが、蝉の声が四方八方から降ってくるせいで、侑斗の声がよく聞こえない。
 声を聞こうと侑斗に近づこうとして、首筋をむんずと何かに掴まれた。驚いて後ろを振り向くと、呆れた顔の静弥が立っている。

「え? なに?」

 彰良の疑問を無視して、静弥が歩き始める。そのまま彰良たちは、社務所の奥にズルズルと引きずられていった。

 畳の部屋に通された後、説教が始まりそうな雰囲気を察知する。急いで二人で事情を説明したところ、静弥はホッとしたように姿勢を崩した。

「はあ、なんだ、看板を確認しに来ただけなのか。驚かせるんじゃねぇよ」

 どうやらまたよからぬことをするのではと警戒されていたらしい。ちょっと待ってろと言って、静弥は冷たい麦茶と茶菓子を出してくれた。出された麦茶に口をつければ、冷たい水が身体を通る感覚が気持ちいい。

「あー生き返る!」

「麦茶うますぎー」

 今日の気温は一段と高く、身体が蕩けそうな暑さだった。社務所に連れ込まれたことは、逆に良かったかもしれない。

 エアコンの下で涼む二人に優しい視線を送ると、静弥は立ち上がり戸棚を物色し始めた。何をするのかと見ていると、古びた巻物を取り出してくる。畳の上に置かれたそれを覗き込めば、達筆な文字が描かれていた。よく読めば、看板にあったものと似た文章のようだ。


其の一 満15歳以上の人間は、この洞窟に入ってはならない。斑目童子は、大人の事が大好きだから。
其の二 手燭台を片手で持ってはならない。もう片方の手を、斑目童子が握ってしまうから。
其の三 蝋燭の火を決して消してはならない。斑目童子がお前に近づいてしまうから。
其の四 蝋燭の火が消えても、絶対に他人から火をもらってはならない。 誰かに火を分けてもらった瞬間、その相手と「同じ罪」を背負うことになるから。
其の五 一緒に入った友人の名前を、洞窟の中で呼んではならない。 呼んだ名前を斑目童子が覚えてしまうから。
其の六 名前を呼ばれても、絶対に振り返ってはならない。斑目童子と目が合ってしまうから。
其の七 祠の周りの人形の数を数えてはならない。 数えた数だけ、後日「足りない人形」の夢を見てしまうから。
其の八 人形と目が合ったと感じても、絶対に謝ってはならない。 謝罪の言葉は斑目童子にとって「罪の告白」であり、罪悪感は斑目童子の糧であるから。

 
「あれ? なんかちょっと違くない? 其の一の最後とかさ……」

「え? どこ?」

「ほら、ここ」

 携帯に撮った画像を拡大しながら、侑斗が指差す箇所と比較してみる。並べてみれば、確かに内容が変わっていた。

「本当だ。看板の方は、15歳以上が入っちゃいけない理由に、大人を恨んでいるからって書いてある」

 何か理由があるのだろうか。説明を求めるように静弥を見つめれば、うーんと悩ましげな声を出した。

「そこなあ、看板を新調する時に俺の親父が書き換えたんだよ。伝承が本当なら、殺されたのに大好きはおかしいだろって言ってよ」

 斑目童子が口減(くちべら)しで大人に殺された子どもたちの怨霊であるなら、確かにそうかもしれない。しかし静弥は、無精髭をゾリゾリ触りながら、眉間に皺を寄せている。

「俺は元のままのが合ってると思っているんだがなあ」

「そうなの?」

「だってなあ、ガキってのは無条件に親が好きなもんだろ。例えそれが、自分を殺した相手だとしてもだ」

 それはなんて、残酷なんだろう。まだ怨んでいると言われた方が良かったかもしれない。侑斗もそう思っているのか、静弥の話になんとも言えない顔をしていた。

「とりあえず、其の一から振り返って読んでみよう」

 気を取り直して、侑斗と二人で巻物の内容を最初から洗っていく。灯台下暗しだ。もしかしたら、何か新しいことが分かるかもしれない。

「まず其の一、これは俺たちは速攻で破ってる」

「……おうっ」

「……責めてないって!」

 返事に詰まって変な返しになった彰良に、侑斗が笑いながら眉を下げた。責めていないのは分かっているが、其の一を破ったのは完全に彰良が悪いので、気にするなという方が難しい。

「次は其のニだけど……」

「うあ、俺、破ったかも。つまずいた時に離した記憶ある」

 その時はすぐに壁に手を付いたが……渋い顔をする彰良に、静弥が視線を向けた。

「手を握られた感触はしたのか?」

「それは、ないけど……」

「なら大丈夫だ。問題は斑目童子が掴みやすい位置……まあ、大人の腰の高さぐらいか。そこら辺に手がプラプラしていることだからな。ちょっとぐらいじゃ問題ない」

 静弥がこのぐらい、と高さを手で示してくれる。

「そもそも両手で手燭台を持って歩くのは危ねえだろ。片手は壁に触れながら歩くように子どもたちにも説明してるしな」

「そうなの?」

「あー……そうだったかも……?」

 記憶を思い返してみると、彰良は肝試しの際、いつも姉の彰子に手を繋がれていた記憶がある。小さい彰良にとって、真っ暗な洞窟を冒険するのは、楽しいよりも恐ろしいが勝った。だから彰子が肝試しできない年齢になってから、彰良は肝試しに参加していない。

「じゃあ、次は其の三、手燭台の火を消してはならない」

「消しました……」

「逆にお前は何なら破ってないんだ……」

 力なく手を上げた彰良を、静弥が呆れた顔で見ている。呪われるべくして呪われたと言われても否定できない。

「まあ、消えてしまっても、途中にある松明から火を再度灯し直せば問題ない。それに、侑斗の火は消えていなかったんだろう」

「はい。俺の火は一度も消えていません!」

 侑斗がシュピッと謎の敬礼をする。それに静弥がうむと言いながら腕を胸で組んだ。

「其の四、消えた火は松明からつけたから、これは破ってない。問題はその次だ」

 侑斗の長く綺麗な指が文字をなぞっていく。それは巻物の真ん中あたりで止まると、トントンとリズミカルに紙面を叩いた。

「其の五、一緒に入った友人の名前を、洞窟の中で呼んではならない。 これは俺が破ってる」

 そう言って、侑斗が少しだけ押し黙る。恐る恐るといった感じで、静弥を見上げた。

「彰良が呪われたのって、そのせいだったりしますか?」

「いや、そんなことないだろ。俺も侑斗の名前呼んじゃったし」

 名前を呼んでしまったのは、侑斗と彰良の両方だ。けれど、彰良だけが呪われている。名前を呼ばれたことが呪われた原因ではないはずだ。そう思い静弥を見ると、彰良の言葉を肯定するように頷いた。

「……そうだな、名前は絶対条件じゃない。問題はその後だ。……彰良、お前名前を呼ばれて振り返ったか」

「振り返ってない。誰かに名前を呼ばれて振り返ろうとしたら、静弥のおっちゃんの声がしたから……」

 あの声がなかったら、正直振り返っていただろう。静弥は考えるように、自分の顎をジョリジョリと触った。

「……じゃあ洞窟の中で、強い罪悪感を抱いたか?」

「それは…………」

 抱いた、気がする。そうだ、怯えたような侑斗の声に、自分は————————

 静弥の目と、侑斗の目が、彰良のことをじっと見ている。背中につうっと汗が伝った。

 彰良が言葉につまり、何か言い訳をしようと口を開いた瞬間——携帯の着信音が部屋中に鳴り響いた。
 突然の無機質な着信音に、驚いて身体が一瞬固まる。携帯の画面を見た侑斗が、勢いよく立ち上がった。

「ヤバい! 母さんが呼んでる!」

 どうやら鳴り響いた携帯の持ち主は侑斗だったらしい。小さなショルダーバッグを斜めがけすると、ポカンとしている彰良と静弥に向かって手を合わせた。

「ごめん、俺もう行かなきゃ! また今度な! 静弥さんも、ありがとうございました!」

「おー」

 それだけ言うと、侑斗が急ぐようにバタバタと走っていく。それを見届けてから、静弥が不思議そうな顔を彰良に向けた。

「なに、どうしたのあいつ」

「東京のおばあちゃん家行くんだって言ってた。二泊三日」

「おばあちゃん家の方が都会にあんのか。変わってんな」

 正直彰良もそう思う。もう亡くなってしまったが、両親の実家が共に町内にあった彰良には、里帰りというものがどういう感覚なのか、よく分からなかった。

「俺もそろそろ帰ろうかな」

 侑斗がいないなら、これ以上ここにいてもしょうがない。立ちあがろうとした彰良の腕を、しかし静弥が掴んで止めた。

「えっと……なに?」

 驚いて顔を見れば、静弥の雰囲気が先程とは一変している。戸惑う彰良に対して、静弥ははっきりと言い切った。

「彰良、お前痣がデカくなってんだろ」

 瞬間、ビクリと彰良の身体が揺れる。それは静弥の言葉を肯定したことと同義だった。

「なんで……」

 なんで、どうして分かるのか。静弥には、痣を初日に見せただけで、今日は見せていないはずだ。

「しかもそれを、侑斗に隠してる。違うか?」

 正解だ。彰良は痣が日に日に成長していることを、侑斗に言っていない。もし侑斗がその話を聞いていたら、二泊三日の帰省すらしなかっただろう。

「これでも神主だからな。感じるんだよ。……お前、このままじゃ死ぬぞ」

「え……」

 自分でも、アホみたいな顔をしていたと思う。靖恵の死体を見ていたはずなのに、彰良はいつの間にか、自分は死なないと勝手に思い込んでいた。

「彰良、お前の罪悪感はなんだ」

「……………………それ、は」

 言葉に詰まり視線を逸らす彰良に、静弥は小さく息を吐いた。

「俺には言わなくてもいい。でも、侑斗には言え」

「………………できない」

 できない。できるはずがない。同性の、親友である侑斗に、劣情を抱いてしまったなんて。そんなことを侑斗が聞いたら、一体どんな顔をするだろうか。考えただけでも恐ろしかった。

 そんな彰良の心を読むように、ゆっくりと静弥が言い聞かせるように言った。

「いいか彰良。お前が今抱いている罪悪感はな、大人になったら笑い飛ばせるようなもんなんだ。大したことなんてない悩みなんだよ」

「なんで、知らないのにそんなこと……!」

 彰良の罪悪感をちっぽけだと言われて、カッとなり語気を強める。それに静弥が、声を荒げた。

「知らねえ! でも分かるんだよ! 俺だってガキだったからな!」

 静弥は彰良の両肩を掴むと、その瞳を真っ直ぐに見た。諭すように、言葉を紡ぐ。

「いいか彰良。罪悪感ってのは、共有したら薄れるんだよ。今やるべきは、どうやったら死なないで時間を稼ぐかだ。いつか今抱いている罪悪感なんて、ちっぽけな悩みだったと気がつく時が来る。そしたらもう、呪いなんかからは解放されたようなもんだ」

 静弥の言うことは、正しいのかもしれない。けれど彰良には、この罪悪感が薄れる日が来るなんて、とてもではないが思えなかった。

 社務所から出れば、ポツポツと雨が降り始める。空がゴロゴロと鳴り、次第に雨が強くなっていく。

「…………無理、だよ……」

 言えない。言えるはずがない。だって彰良は、侑斗の親友でいたいから。
 土砂降りの夕立の中を、彰良は一人歩いて帰った。