[完結]『其の九 恋をしてはならない』(ホラー/ハピエン)

 最寄駅に着いたところで、空がゴロゴロと叫んでいることに気がついた。緑の中に広がる湿った匂い。不安に思いながらも並んで歩いていると、急に土砂降りの雨が降り出した。

「ヤバいヤバい!」

「侑斗、こっち!」

 もう使われなくなったバス停の小さな待合室に二人で駆け込む。びしょ濡れになったTシャツの裾を絞れば、大量の水分が地に落ちた。下着の中までびしょ濡れだ。

 長椅子に腰をかければ、ギシリと軋む音がする。侑斗が髪の毛を掻き上げると、綺麗なおでこが露わになった。

 本人は無自覚なようなのだが、彰良と同い年とは思えないぐらい、侑斗にはどこか色気があった。Tシャツ越しに透ける肌色に、なんだか心が落ち着かない。
 二人の間に沈黙が落ちる。雨のカーテンに囲まれた密室で二人きりなことに気がついて、彰良の胸はドギマギと高鳴った。

 二人っきりなんていつもの事なのに、なんで今更。そう思い目を白黒させる彰良を尻目に、侑斗はぼーっと雨のカーテンを見つめていた。そんな姿さえ、彰良の胸はときめいてしまう。

 今の侑斗は彰良には刺激が強すぎる。見たいと思う気持ちを抑え、視界に映らないように前を向いた。
 友だちに変な目を向けるなんて論外だ。そんなことより、今は呪いについて考えるべきだ。

 藤吉聡一郎と藤吉哲次郎の言葉を思い返す。彰良の頭の中を、グルグルと二人の台詞が回った。色々話を聞いたせいで、頭の中がまとまらない。

「彰良さあ、気がついた?」

「え?」

 侑斗が隣に腰を下ろすと、さらに長椅子が軋んだ。一体何に気がついたというのだろうか。ゴクリと唾を飲む彰良に対し、侑斗が雨のカーテンを見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「哲次郎さんが出してくれたバームクーヘン、賞味期限切れてた」

「え!?」

 だから、なに!?

 侑斗の言いたいことが全然分からない。いや待て、賞味期限が切れているバームクーヘンを、彰良たちはバッチリ腹に収めてはいないだろうか。

「その場で言えよ! 食べちゃったじゃん!」

「いや、一週間ぐらいだったから焼き菓子なら許容範囲かなって……」

 神妙な顔をするから身構えたのに、出てきた言葉に脱力する。侑斗は良くも悪くもかなりマイペースだ。

「でも、少しおかしくないか? 茶菓子出す時、やけに時間かかってたし……自分の家なのに、物の位置を覚えてないのかな」

「男ならそんなもんじゃない? うちの父さんもそんな感じだと思うし」

「えー……俺にはその感覚、分かんないなあ」

 家のことを靖恵さんに任せていたなら、哲次郎が物の位置をよく知らなくてもおかしくないだろう。彰良はそう思うが、侑斗の家は色々と違うらしい。

「あとさ、ずっと靖恵さんは呪いに殺されたんだと思ってたんだけど、なんか今日の話を聞いて、違うのかなって思っちゃった」

「どういうこと?」

 侑斗は顔まで痣が広がった靖恵の死体を見ているはずだ。躊躇するように一瞬押し黙った侑斗が、ややあって口を開いた。

「人間が追い詰めて殺したんじゃないのかなって、思ったんだ」

「あ……」

 藤吉靖恵は親族から、子どもがいない事を責められて、人間扱いされていなかった。不妊治療でできた子どもも、結局流れてしまったという。きっと靖恵の罪悪感とは、そこに起因したものなのだろう。

「一つ、はっきりしたことがある」

 雨の降る分厚い空の合間から、光が指している。幻想的な光景に、彰良も一緒に空を見上げた。

「藤吉靖恵の呪いについて、明確な意思を持って隠した人間が本家にいる」

「……藤吉幾子!」

 ハッとなった彰良の言葉に、侑斗が肯定するように首を縦に振る。その頃にはもう、雨は小降りになっていた。


 § § §


 侑斗と別れ家に帰った後、冷えた身体を風呂で温める。濡れた頭にタオルを被せてリビングに行けば、ちょうど帰ってきた彰子と目があった。

「どうだった? 解呪方法は分かりそう?」

「それはまだ……でも、靖恵さんの話は聞けたよ。これからまだ調べるつもり」

 二階に上がって、今日の収穫を報告する。彰子は鞄を机に置くと、クルリと彰良に向き直った。

「他にして欲しいことは? 私に出来ることはある?」

 その瞳の色から、彰良を本気で心配していることが伝わってくる。少しだけむず痒い気持ちを抑えるように、首にかけたタオルを両手でギュッと握った。

「えーと……そうだ、藤吉家の家系図が欲しいかも……」

「分かった。聡一郎さんに聞いてみるね」

 彰子が口にした名前に、ピクリと身体が反応した。昼間の言葉が脳内にフラッシュバックする。気分が悪くなり下を向いた彰良を、彰子は見逃さなかった。

「なに、どうしたの?」

「その……」

 なんて言えばいいのだろう。言われた台詞そのままを伝えれば、きっと彰子は傷付くだろう。もしかしたら勉強に手がつかなくなるかもしれない。それだけはどうしても避けたかった。

「なに、怒んないからはっきり言いな」

 彰子の言葉に、ややあって口を開く。ボソボソと呟くような台詞を、それでも彰子はちゃんと聞いてくれた。

「俺、聡一郎さんのこと、好きじゃない……」

 それが今の彰良の精一杯だった。彰子は少しだけ驚いたような顔をした後、彰良の濡れた頭をポンポンと叩いた。

「そう」

「……怒んないの?」

「怒んないわよ。でも、聡一郎さんのことは自分で見極めるわ。それでいいでしょ?」

「……うん」

 正直彰良は、怒られると思っていた。だって自分が彰子の立場だったら、きっと嫌な気持ちになるだろうから。

 彰子は自分の意思をはっきりと持っているから、他人に決して流されない。自分のことは、絶対に自分で決める人だ。そういうところが彰良には、とても眩しかった。