二人を呼び止めた人物は、自分の名前を藤吉哲次郎であると名乗った。
案内されるまま10分ほど歩き、平屋建ての洗練されたデザインの一軒家に招かれる。一室にある畳部屋には、藤吉靖恵と思われる遺影と骨壷が飾られていた。
一言断って、お線香をあげさせてもらう。遺影に写った女性は優しげな顔つきで、朗らかに笑っていた。
……この人が、藤吉靖恵さん。
彰良たちがずっと、追いかけている人。
遊びではないのだと心の中で謝罪して、頭を下げる。立ち上がると、哲次郎に促されるまま、リビングにあるソファに腰を下ろした。
「いや、すまないね。君たちが靖恵の事を聞きにきたと渡辺さんから聞いて、いてもたっても居られなくてね」
「渡辺さん……?」
「多分、お茶淹れてくれた女の人だと思う」
彰良の小さな呟きに、侑斗がこそりと耳打ちした。なるほど、それならば確かに、知っていてもおかしくない。
哲次郎……藤吉靖恵の夫であり、藤吉家の婿養子。40代前半ぐらいだろうか? 白髪混じりの髪の毛は、年齢よりも幾ばくか老けて見えた。
「あの……靖恵さんには、病院で親切にしてもらっていて……自殺だなんて信じられないんです。それで、話を聞きたくて」
嘘は言っていない。彰良は小さい頃から風邪などを引いたら総合病院の小児科に通っていた。ならば、彰良が覚えていないだけで、お世話になったこともあるはずだ。
「聡一郎さんにも話を聞きました。そしたら俺、聡一郎さんを許せなくなっちゃって……。なんであんな酷いことを言うんだろうって。靖恵さんは、立派な人だったのに」
なんでこんなことを言っているんだろう。自分でも分からない。けれど、彰良は自分の気持ちを抑えることができなかった。
最初はただのモノだった。でも、彰良は知ってしまった。だからもう、靖恵を他人と思うことなんてできない。
「ああ、そうか。君はそんなに、靖恵のことを……」
哲次郎が和室に置かれた遺影を振り返る。しばらくじっと見つめた後、前を向いた哲次郎は、なにか覚悟を決めたような表情をしていた。
「その様子だと、靖恵と私の間に子どもがいなかったことは聞いているんだろう」
哲次郎の言葉に、ただコクリと首肯する。哲次郎はしばらく押し黙ると、ややあって重い口を開いた。
「去年の今頃だろうか……長い不妊治療の末に、私たちは一つの命を授かった」
「え? でも、先ほど子どもはいないと……」
言った瞬間、侑斗はしまったという顔をした。今この場に靖恵の子どもが居ないなら、起こったことは決まっている。
「察している通り、流れてしまったんだ」
言葉にできないでいる二人を前に、哲次郎はとつとつと事情を語った。
「……10年になるかな。長い不妊治療の末に、やっとできた子どもだった」
哲次郎の眼差しは、切なげに揺れていた。
「長い不妊治療は靖恵の大きな負担になっていた。やっとできた子どもも流れてしまって、靖恵はとうとう心を病んでしまった」
哲次郎の手が、ブルブルと震え出す。次の瞬間バン! と手を強く机に叩きつけた。
「そんな靖恵に、本家の連中は……、役立たずと……!」
哲次郎はそう言うと、お茶をグイッと飲みこむ。その姿はまるで、湧き上がる感情を抑えているようだった。
「守れなかった。私が弱いせいで、靖恵が壊れていくのを止められなかった。私が殺したようなものだ」
「そんな……ことは、ないと思います……」
思ったら口から出ていた。二人の丸い目に晒されて、ハッとなり頭を下げる。
「あ……すいません、出過ぎた真似を」
「いや……彰良君だったかな? そう言ってもらえると救われるよ」
その会話で、少しだけ空気が和やかになる。そのタイミングを見計らって、侑斗が本題を切り出した。
「すみません、不躾なことを聞くんですが……亡くなった靖恵さんの身体には、まだら模様の痣がありませんでしたか?」
「いや、分からない。靖恵が亡くなった日に、私は出張でこの地にいなかった。遺体の検分は本家の人が立ち会ったそうだ。……損傷が激しいからと、靖恵の最期の姿さえ、私は見ることが叶わなかった」
「そうですか……」
その言葉でハッとする。この人は知らないんだ。呪いのことを。そして恐らく、聡一郎も知らなかった。
「その、遺体の検分に協力した本家の人というのは誰か分かりますか?」
「ああ、それは、聡一郎くんの母君である幾子さんだよ。そうだな……」
哲次郎は振り返ると、遺影の横にある一枚の写真立てを指差した。
「若い頃の写真なんだが、この靖恵の手を握っている女の人が幾子さんだよ」
可愛らしい、貝殻をあしらった古い写真立てには、二人の少女が写っている。
失礼して、立ち上がり見せてもらう。そこには、小学生ぐらいの女の子が、高校生ぐらいの無表情な少女に手を繋がれて笑っている姿が写っていた。
「幾子さんは冷たい人でね。私は幾子さんが本当に笑っているところを見たことがない」
哲次郎の言葉に、彰良は心の中で首を傾げる。冷たい? 本当にそうなんだろうか。彰良には、幾子という女性の姿が、一瞬姉の彰子に被って見えた。
「……靖恵が崖から飛び降りたと聞いた時、私も一緒に逝こうと思った。けれどできなくて、今も私はのうのうと生きている」
哲次郎は立ち上がると、靖恵の遺影に寄り添うように置かれた小さな箱を手に取った。それを二人の前にそっと置くと、愛おしいものを見るような眼差しを向ける。
「永春、という名前をつけた。永遠に続く長い春のように、長く健やかであるように、そう願いを込めて」
そう言って、哲次郎は悔しさの残る顔で唇を噛んだ。きっとそれは、彰良には及びもつかない感情なのだろう。何かを言おうとして、何を言っていいか分からず口を閉ざす。
室内に重い沈黙が立ち込める。そんな中、侑斗がおずおずと口を開いた。
「あの、すみません。俺たち、気の利いた言葉の一つも言えなくて……」
本当に申し訳なさそうな侑斗の顔に、哲次郎が声を上げて笑い出す。ひとしきり笑うと、目の縁に溜まった涙を指で拭った。
「ハハハ、子どもがそんなことを気にしなくてもいい。こちらこそすまない。辛気臭い話をしてしまったね。君たちのような子が、世話になったからと線香をあげに来てくれる、それだけで充分だよ」
気が利かなかったねと言って、哲次郎が立ち上がり台所の方に向かう。少しバタバタと何かを探す音がした後、お盆に乗せたお菓子を出してくれる。その後少しだけ雑談をして、二人は家を後にした。
案内されるまま10分ほど歩き、平屋建ての洗練されたデザインの一軒家に招かれる。一室にある畳部屋には、藤吉靖恵と思われる遺影と骨壷が飾られていた。
一言断って、お線香をあげさせてもらう。遺影に写った女性は優しげな顔つきで、朗らかに笑っていた。
……この人が、藤吉靖恵さん。
彰良たちがずっと、追いかけている人。
遊びではないのだと心の中で謝罪して、頭を下げる。立ち上がると、哲次郎に促されるまま、リビングにあるソファに腰を下ろした。
「いや、すまないね。君たちが靖恵の事を聞きにきたと渡辺さんから聞いて、いてもたっても居られなくてね」
「渡辺さん……?」
「多分、お茶淹れてくれた女の人だと思う」
彰良の小さな呟きに、侑斗がこそりと耳打ちした。なるほど、それならば確かに、知っていてもおかしくない。
哲次郎……藤吉靖恵の夫であり、藤吉家の婿養子。40代前半ぐらいだろうか? 白髪混じりの髪の毛は、年齢よりも幾ばくか老けて見えた。
「あの……靖恵さんには、病院で親切にしてもらっていて……自殺だなんて信じられないんです。それで、話を聞きたくて」
嘘は言っていない。彰良は小さい頃から風邪などを引いたら総合病院の小児科に通っていた。ならば、彰良が覚えていないだけで、お世話になったこともあるはずだ。
「聡一郎さんにも話を聞きました。そしたら俺、聡一郎さんを許せなくなっちゃって……。なんであんな酷いことを言うんだろうって。靖恵さんは、立派な人だったのに」
なんでこんなことを言っているんだろう。自分でも分からない。けれど、彰良は自分の気持ちを抑えることができなかった。
最初はただのモノだった。でも、彰良は知ってしまった。だからもう、靖恵を他人と思うことなんてできない。
「ああ、そうか。君はそんなに、靖恵のことを……」
哲次郎が和室に置かれた遺影を振り返る。しばらくじっと見つめた後、前を向いた哲次郎は、なにか覚悟を決めたような表情をしていた。
「その様子だと、靖恵と私の間に子どもがいなかったことは聞いているんだろう」
哲次郎の言葉に、ただコクリと首肯する。哲次郎はしばらく押し黙ると、ややあって重い口を開いた。
「去年の今頃だろうか……長い不妊治療の末に、私たちは一つの命を授かった」
「え? でも、先ほど子どもはいないと……」
言った瞬間、侑斗はしまったという顔をした。今この場に靖恵の子どもが居ないなら、起こったことは決まっている。
「察している通り、流れてしまったんだ」
言葉にできないでいる二人を前に、哲次郎はとつとつと事情を語った。
「……10年になるかな。長い不妊治療の末に、やっとできた子どもだった」
哲次郎の眼差しは、切なげに揺れていた。
「長い不妊治療は靖恵の大きな負担になっていた。やっとできた子どもも流れてしまって、靖恵はとうとう心を病んでしまった」
哲次郎の手が、ブルブルと震え出す。次の瞬間バン! と手を強く机に叩きつけた。
「そんな靖恵に、本家の連中は……、役立たずと……!」
哲次郎はそう言うと、お茶をグイッと飲みこむ。その姿はまるで、湧き上がる感情を抑えているようだった。
「守れなかった。私が弱いせいで、靖恵が壊れていくのを止められなかった。私が殺したようなものだ」
「そんな……ことは、ないと思います……」
思ったら口から出ていた。二人の丸い目に晒されて、ハッとなり頭を下げる。
「あ……すいません、出過ぎた真似を」
「いや……彰良君だったかな? そう言ってもらえると救われるよ」
その会話で、少しだけ空気が和やかになる。そのタイミングを見計らって、侑斗が本題を切り出した。
「すみません、不躾なことを聞くんですが……亡くなった靖恵さんの身体には、まだら模様の痣がありませんでしたか?」
「いや、分からない。靖恵が亡くなった日に、私は出張でこの地にいなかった。遺体の検分は本家の人が立ち会ったそうだ。……損傷が激しいからと、靖恵の最期の姿さえ、私は見ることが叶わなかった」
「そうですか……」
その言葉でハッとする。この人は知らないんだ。呪いのことを。そして恐らく、聡一郎も知らなかった。
「その、遺体の検分に協力した本家の人というのは誰か分かりますか?」
「ああ、それは、聡一郎くんの母君である幾子さんだよ。そうだな……」
哲次郎は振り返ると、遺影の横にある一枚の写真立てを指差した。
「若い頃の写真なんだが、この靖恵の手を握っている女の人が幾子さんだよ」
可愛らしい、貝殻をあしらった古い写真立てには、二人の少女が写っている。
失礼して、立ち上がり見せてもらう。そこには、小学生ぐらいの女の子が、高校生ぐらいの無表情な少女に手を繋がれて笑っている姿が写っていた。
「幾子さんは冷たい人でね。私は幾子さんが本当に笑っているところを見たことがない」
哲次郎の言葉に、彰良は心の中で首を傾げる。冷たい? 本当にそうなんだろうか。彰良には、幾子という女性の姿が、一瞬姉の彰子に被って見えた。
「……靖恵が崖から飛び降りたと聞いた時、私も一緒に逝こうと思った。けれどできなくて、今も私はのうのうと生きている」
哲次郎は立ち上がると、靖恵の遺影に寄り添うように置かれた小さな箱を手に取った。それを二人の前にそっと置くと、愛おしいものを見るような眼差しを向ける。
「永春、という名前をつけた。永遠に続く長い春のように、長く健やかであるように、そう願いを込めて」
そう言って、哲次郎は悔しさの残る顔で唇を噛んだ。きっとそれは、彰良には及びもつかない感情なのだろう。何かを言おうとして、何を言っていいか分からず口を閉ざす。
室内に重い沈黙が立ち込める。そんな中、侑斗がおずおずと口を開いた。
「あの、すみません。俺たち、気の利いた言葉の一つも言えなくて……」
本当に申し訳なさそうな侑斗の顔に、哲次郎が声を上げて笑い出す。ひとしきり笑うと、目の縁に溜まった涙を指で拭った。
「ハハハ、子どもがそんなことを気にしなくてもいい。こちらこそすまない。辛気臭い話をしてしまったね。君たちのような子が、世話になったからと線香をあげに来てくれる、それだけで充分だよ」
気が利かなかったねと言って、哲次郎が立ち上がり台所の方に向かう。少しバタバタと何かを探す音がした後、お盆に乗せたお菓子を出してくれる。その後少しだけ雑談をして、二人は家を後にした。
