Mint condition

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 美和子さんが弁護士を伴ってやってきたのは、食卓にビールが乗らなくなり始めた頃だった。
 母は家に上げるなり、土下座。勢いよくするものだから、美和子さんのスカートを覗く角度となってしまう。
 美和子さんは優雅に一歩、引く。
「顔を上げてください。今日は翠さんとお話をしたくて参りました」
 渡された名刺と弁護士を交互に見ていると、伏せたままの母に裾を引っ張られた。

「翠も謝りなさい」
 母は警察に何度も説明されても、わたしが美和子さんを殴ったという言葉を信じてくれた。
「こちらからお詫びに伺わなければいけないのですが」
「お父様が倒れられたそうですね」
 片膝をつき、これ以上は姿勢を低くしたくないと踏ん張る。そこへ「お見舞い」と記した封筒が差し出された。

「娘をどうか許してください」
 封筒を押し返し額を床へつける、母。
「この子を大学へ行かせてやりたい、歯の矯正もさせてやりたいんです。どうか、この子の先を奪わないでください」
 お願いしますと唱える傍ら、ペタンッと座り込む。

「私どもは翠さんではなく、逸木要氏に対して訴訟する方針です」
「逸木? ああ、バイト先の?」
「あの店は私が経営しておりました。今回の件を受け、閉めましたがーーとりあえず座っても?」
 慌てて顔を上げる母に、美和子さんはにっこりほほ笑む。
「あ! 駅の南にある洋菓子店、ご存じですか? 私、そちらのカヌレが好物なんですよねえ」
 裾を膝裏へ折り込み、屈む。腕時計を母の鼻先へ。午後3時。
「すぐご用意します」
「まあ、嬉しい! あなた、車を回してくださる?」
 弁護士はなにも言わず、車を回しに出ていった。その後を母が追いかけていく。
 4コマ漫画みたく、鮮やかだ。
 そして、美和子さんと2人きり。

「……えっと、お茶、出しますか?」
「お構いなく。要くんを庇ってるらしいけど、なぜ?」
「いきなり聞きますか」
 父が愛用するソファーを本能的に避け、わたしの場所へ腰掛ける。
「それを聞きたくて来たの」
 ICレコーダーをセットし、こちらへ放った。

「切りたければ切って。弁護士が録音しろってうるさいから」
「わたしが美和子さんを殴りました」
 さっそく吹き込んでおく。
「お馬鹿な真似はよして。未成年だからお咎めないと?」
「わたしはもう大人です」
「あんなにお母さん、泣かせて? お父様も心労がたまったんじゃなくて?」
 言葉が詰まる。
「要くんは犯罪者よ」
「美和子さんがそうしたんじゃ? 訴えるって! 逸木さんのこと、好きなんですよね?」
「警察が色恋、痴話喧嘩に介入すると思う?」
「するんじゃないですか? 現に……」
 美和子さんから視線を外す。ワンピースの下が浮かび上がってきそうで。

「私、懇意にしているお医者様へ通っていたのよ? あの時もいつも通り、治療してもらった」
「? それが?」
「……そっか、分からないの、ね」
「その、言ってもないのに分からないって言い方、やめてくれません?」
「子どもじゃないのなら、懇切丁寧に教えてもらえると甘えないで」
 やりとりに興味をなくしたのか、サイドテーブルにある文庫本を手に取る。「読書感想文推薦図書」との帯をみ、しおりの位置を確認された。
「夏休み、もう終わりよ。早く書きなさい」
 立ち上がり、美和子さんの前へ。握るふりしてレコーダーのスイッチを切った。

「逸木さんの舌にピアス、入れたんです」
 べーッと出し、中央を人差し指で示す。
「これから逸木さんとキスする人、わたしが開けたピアスをずっと感じるんです。すごくないですか?」
 見開く、美和子さん。
 わたしはこれだけでいい、たくさん望んだりしない。

 ーーぷっ。
 沈黙を破る間抜けな音。
 
「穴に名前でも書いてるの? 要くんの相手が、そんなの気にするはずないじゃない。まさか本気にした?」
 クスクス笑う仕草に、短く整えられた爪が添えられた。
 真っ赤なネイルチップを投げ捨てる逸木さんの姿が、目尻に滲む。

「……ネイルチップ、使わないんですか?」
「使わないわね、今はオフ中。自爪派だから休ませないと」

 「彼氏」「旦那」「パートナー」という呼び方じゃ出せない生っぽさが「人の男」という表現にはあって。
 つまり、逸木要は「人の男」だった。
 サラサラ、と。
 指の間からこぼれていく感覚、砂のお城が形を失っていくみたいな。拾い集めようとしても、どこからが壁で、どこが出口だったのか。埋もれて分からない。
 美和子さんは黙って、暫くわたしを眺めた。いちいち芝居がかったリアクションをする人の真顔は同情してるのか、嘲笑ってるのか感情を読ませない。

「お父様の入院やあなたの進学と色々大変じゃない?」
 年季の入る室内を見回す。
「ただ、歯列矯正は若いうちにしておくものよ」
「美和子さんまで交換条件を出す気ですか?」
「交換条件? ああ、要くんと取り引きしたのね。どうせ騙されたんだろうけど」
 母と弁護士が戻ってくる気配がし、無意識にそちらを振り返る。
「じゃあ、そんな要くんに罰を与えなきゃ。牢屋へいれましょ?」
 玄関から漏れる光が明るい。残り少ない良心を焼いてしまえるほど眩しい。
「翠さんは正しいことをするまで。警察の方はもちろん、校長先生だって勇気ある告発を褒めてくださるわ!」
 廊下を歩く音、ビニール袋が擦れる音が近付く。

「そうそう、主人の知り合いに優秀な歯科医もいるのよ」
 両手を合わせ、まつ毛を瞬かせる。またあのポーズ。お願いすれば何でも叶ってきたお姫様ポーズだ。
 美和子さんの旦那さんが、あの痣に気付かないのは不自然じゃないか。でも聞けない、どうせ答えてくれない。

 そして、わたしはレコーダーのスイッチを。
 
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【傷害容疑で男を逮捕。県警、余罪も視野に捜査】
県警は今日、知人女性に暴行を加え、負傷させたとして県内在住の男を傷害容疑で逮捕しました。
警察は以前から男の動向を調査しており、今回の事件を機に、交友関係や日頃の行動についても詳しく調べています。

 歯医者の待合室。ニュースが流れてきて、ニィーッと笑う。
 八重歯はもう、ない。